第120話 上司

 数秒間の間、光は消えなかった。火傷の痛みが走る全身を、魔力で補強しつつ、炎の中心から距離を取る。


 眩しさが視界から引いて行った頃には、目の前には何もなくなっていた。

 …………男に隠れられていたら見つけられる気もしないので、探すことは諦めようと思う。例え彼が生き残っていたとしても。


 結局、今戦っていたのは、自分の憂さ晴らしに他ならなかったりする。何せこの男が原因かどうかも、厳密に分かっている訳ではない。あの男を殺したとしても、この世界から迷宮ダンジョンが消えるかどうかも分からない。

 だから、あまり深追いするつもりはなかった。あの男が居なくなった上でこの場所が残っている時点で、死んでも作ったものは消えなそうだし。まぁ人が死んで物が消えるってのは普通に考えて有り得ないんでしょうが。


 素材の分からない地面の上に横になる。どこが端かも分からないこの空間で、戦闘の跡が地面だけに残っているのは中々不思議だった。

 冷たい感触が、背中から伝わってくる。


「お疲れさま」


 突然部屋の中に響いた声に、思わず跳ね起きる。後ろを振り返って見つけたのは、長身の男だった。古代ローマ人のような、白い布を衣服として身に着けていて、彫りの深い顔、そして長い茶髪────西洋の人間が神と言われて想像するような姿の者が、そこには立っていた。


 流石に疲労感が凄いので、是非とも見逃して欲しいのだが。仮令敵意が無かったとしても、そもそも誰かと話すこと自体できる気がしない。そこまでの精神力が残ってない。


「いやぁ、助かったよ。我々だと規範的に彼には手を出せなくてね。人選ミスがここまでの惨事になるとは」


 此方の無言を気にも留めずに、彼は話続けた。


「あぁ、自己紹介がまだだったね。私は彼の上司、ということになるかな? 名前はないんだが、適当に太郎とでも呼んでもらおうか。何、分かりやすいだろう?」


 …………非常にネームセンスがないことには目を瞑るとして。疑問しか湧いてこないが、下手に口を挟むのも気が引けて口を噤む。


「この容姿も分かりやすくて良いだろう。一応は私もA-41系の管理を担っているからね」


 つまりは出来の悪いコスプレということですね。


「さぁ、本題に戻ろうか。そこまで身構えなくてもいい。私が此処に来たのは、純粋に君に───淳介君に対してお礼を言いたいだけだからね。我々も彼の自分勝手な行動には腹を立てていたんだよ。まぁ、取り敢えずは話易い場所に移動しようか」


 太郎がわざとらしく指を鳴らす。そのパチ、という乾いた音共に周囲の景色が一瞬で移り変わった。

 どうせ指パッチンにも大した意味はないのだろう。本人に聞いて「分かりやすいだろう?」と笑顔で返される未来が見える。


 辿り着いた場所は、やけに綺麗な海岸だった。雲一つない晴天の下で、透き通った海に柔く波が打ち寄せている。

 そこには一つだけパラソルが置いてあって、その下には白く丸いテーブルと、椅子が置いてあった。


「ほら、座って」


 椅子に腰かけた太郎に示されて、椅子に腰を下ろす。また彼が指を鳴らすと、机の上に冷たそうな飲み物が二つ出現した。昭和の匂いがする、アイスクリームの乗ったメロンソーダだった。クリームソーダと呼ぶのだったか。


 良い笑顔でグラスを差し出される。そして流れるように差し出された太郎自身のグラスに一瞬意図が分からなかったが、気が付いてグラスをぶつける。

 軽やかなグラスの音が、波の打ち寄せる音の隙間に響いた。


「聞きたいことはたくさんあると思う」


 無いですね。帰らせていただければそれで。


「まず私が何者かにについて────…………」





 長かった太郎の話を要約すると、彼は要するにこの世界の管理者で、長期間別の仕事をしなければならないタイミングに、例の男に管理者権を委託したらしい。ほんの数年のつもりだったらしいが、気が付いたら二十年近くが経っていたとのこと。

 後任を例の男に選んだ理由は、太郎の熱心な支持者だったためだと言う。

 確かに物理法則が何たら何たらと褒めるような口調の台詞は言っていたけどね。ただ、別にそこまで熱心には見えなかった気がする。


 まぁともかく、その男が暴走したとのこと。そんな適当なミスにしては被害があまりにも大きかったが、彼らにしてみれば十数年人類が苦しんだところで大した事件ではないのだろう。


「…………───そういうことで、君がいてくれて助かったという訳だ」


 男が話を締め括る。

 ここが何処だかは分からないが、時間経過はきちんと反映されているようで、もう既に太陽は沈みかけていて、夕焼けが海面に反射し、海岸を橙色に染めていた。


 ────ふと、男の顔から表情が抜け落ちた。


「君が腹を立てていることは分かる」


 透き通った瞳が、こちらを正面から見据える。底冷えするような恐怖が一瞬背筋を走った。「いや何、君が人類への損害について苛立ちを覚えていることは分かっている。ただ、それだけじゃないだろう?」と、そう呟く彼の声は想像以上に落ち着いていた。


 その言葉の先が、何となく聞きたくない。


「想像以上に手応えの無かった敵に加えて、突然現れた正体不明の存在に抗うことすら許されずに諸々を押し付けられているだけの現状。ただもう、君は私の存在に対して疑問を抱く事すらしなかったね。考えることを止めて、ただただ何も言わずに受け入れた。正直、気が狂っていると思うよ。普通の人間であれば現状を呑み込むのにもう少し時間が掛かる。ただ、君はもう全てに対して投げやりだね。理由は、分かるだろう?」


 目の前の男が足を組む。自然な動きで腕を組んだ男は、何かを見透かすような瞳で、まだ此方を見つめていた。


「君も大概気が狂っているのだろうな。何せ───」


 彼はそこで一度言葉を切る。




「───まだ戦い足りない」




 一瞬の沈黙が自分と彼の間に流れた。そして、静かな表情で、「違うか?」と問い掛けて来る。「違う」と口に出そうとして、何かがそれを妨げた。


 今まで戦い続けて来た。ここ数年は、常に血に塗れて生きて来た。常に、誰かの、何かの命を奪い続けて生きて来た。


 まだ、戦い足りない。確かにそうなのかもしれない。


 闘争への衝動が、また溢れ出し始める。

 気が付かないように、胸の奥に閉じ込め続けて来たものが。

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