第26話 めっちゃ謙虚だね

 新年のお祝いムードは飛ぶように過ぎ去った。確かに迷宮ダンジョンから帰って来てから、父親が犬のことで大騒ぎしたり、死ぬ程食べたり、一日ぶっ続けで爆睡したりと色々とありはしたんだけども。逆に忙しすぎて時間の流れが速かったのかもしれない。気が付いたら休み終わってて衝撃だったし。


 まぁつまりは、授業が始まってしまったということでありまして。

 学校は嫌いではないのだが、如何せん迷宮ダンジョン関連でしなければならないことが多すぎて、こんな場所で時間を潰している場合ではないと思ってしまうのも事実。まぁ結局、休日に家でゴロゴロしていたりもするので、そこまで切羽詰まっている訳ではないのだが。

 要するに、学校で時間を過ごすのは若干退屈だった。勉強ができるようになって一時は楽しかったとはいえ、別に授業を受けずとも自分で調べれば良いだけだと気が付いた時から、色々とつまらなくなってきた。


 その関連でそろそろ考えねばならないのは、いかにしてこの変化を隠すかだ。初期は「どうせレベルアップ程度の変化では誰も気が付かん」と思って放置していた。がしかし、現時点の自分の様子を鑑みて、流石にまずいのでは、と。

 そもそも、筋トレやら何やらのせいで体格が段々と変わって来てはいるのだ。この変化はレベルアップとは直接的に関係のないものではあるとはいえ、運動部にも入っていない、帰りのホームルーム直後に直帰するような男の体付きが急に変わり始めたら、誰しもが疑問を抱く。

 いや、ね。確かに教室の端っこの死んだ顔の人間なんて誰も気にしてないんでしょうけど。…………泣きたいね。切実に。


 そう、悲しいかな、私の表情筋は父親からの遺伝のせいで働かなかった。そしてそこに加勢するのは謎のコミュ障。父親は普通に話せるし、母親は度が過ぎる程社交的だったのに何故。

 そして無口で無表情な男に、残念ながらクラスでの地位はない。


 そんな地位のない男が急に成績を上げる訳にも行かない。急に体育で活躍し始める訳にも行かない。残念ながら後者に関しては、チームスポーツであればコミュニケーションが取れない時点でお察しな上、向上したのは感覚と筋力だけであるため運動が上手くなるのは無理がある話で…………。

 何事も上手く行かない私を憐れんでおくれ。


 こんな感じの理由で、後は私の精神的安静のためにも、慎み深く生きよう、と。私は伝統に敬虔なる日本人。やっぱり謙虚が大事ね。






────────



 謙虚、と彼はそう話す。

 しかし一体どこの誰が、迷宮ダンジョン内で鈍器を振り回すような人間を謙虚と呼ぶのだろうか。


 日常生活と死と隣り合わせの現場では話が違うだとか、そういった言葉遊びの類いではない。迷宮ダンジョンの中で、自分の命を狙ってくるような魔物に対して鈍器を叩き付け続けている男が、真面な生活を送れる訳がない。命のやり取りに進んで跳び込んで行くような男が、安静を望める訳がない。


 佐藤淳介という人物が、無口で無表情であることには間違いなかった。しかし、彼が思考を全て抑えきれて─────自らの感情を完全に秘匿できているかと言われたら、答えは否だ。

 それは彼が無意識的に行っているもの。赤子が親から生きる術を学ぶように、彼は相対する魔物から迷宮ダンジョンで死なない術を知った。


 怒りの感情を表に剥き出しにして、相手を委縮させるその癖も、彼が学んだことだった。


 誰も、彼の異常について触れられない。暗黙の了解という言葉では生温い。誰しもが、一度言葉に出してしまえば、もう二度と日の目を見られないような、そんな恐れを抱いていた。


 最初はただの違和感だった。無表情で睥睨してくる人間に、ただ居心地の悪さを感じただけのこと。それがいつから崩れ始めたのだろうか。気が付けば、彼が遠くから姿を見せただけで冷汗が背中を流れ落ちるようになった。


 底冷えするような、足の先から凍り付けられて行くような間延びした恐怖。常に心臓を抑えつける緊張の下で、気が付くと指先は震え、顔は青ざめ、息が速くなっている。

 劇的な恐怖ではない。悲鳴を上げるような怖ろしさではない。ただただ、真綿で首を絞められるような、常に自らの体が危険に晒されているような、そんな感覚。


 同室にいる誰もが、彼の一挙手一投足を無意識の内に追いかけている。


 教室の端で静謐に佇む男が立ち上がれば、その瞬間に全員の意識が白くなる。瞳孔が開き、焦らされるような恐怖に心臓が締め付けられる。

 それでも、誰もが口を閉ざす。


 人智を超えた事象が発生し、魔物という超常の存在が跋扈し、人の命を脅かし続けている迷宮ダンジョンという存在。文字通り、魔の巣窟。


 ただそれは、ここ、、と比べてどうだろうか。


 ただ一人のために、誰もが命を擦り減らせながら生きている。意識的、無意識的なレベルで刷り込まれる恐怖に、縛り付けられて生きている。誰もが、「普通」を取り繕いながら。


 さぁ、どこが魔窟だ?

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