宝石細工師といつわりの王子 エミテルレーシア石綺譚
雨谷結子
第1部 宝石細工師と硝子の願い
第1章 優雅で物騒な客人
1 宝石細工店『夜翠玉』
建国神話に数多の宝石の名が連なる王国、エミテルレーシア。そのはずれ。宝石領とまことしやかにささやかれる辺境の地。ハイネブルグ城を仰ぎ見る街のひっそりとした路地裏に、宝石細工店『
かすかにオレンジがかった夢見るような薔薇色の石が、石座の上におしゃまに佇んでいる。両脇から伸びてきた金細工の草木の蔓にはところどころにちいさなペリドットが埋め込まれていて、まるで御伽噺から飛びだしてきた姫君のような顔つきだ。
爪と呼ばれる棒状の地金を倒して、モルガナイトを指輪の中心に固定し終えると、エメリは深く息をついて首をそらした。
「……できた」
ほとんど吐息のようにそう言えば、少し離れたところから作業を見守ってくれていたちいさな友人がきゃあと歓声を上げる。
「できた! できたのね!」
ペリドット色の髪を螺旋状に巻いて高くふたつに結った娘が、ぴょんと飛び跳ねてエメリの肩に乗る。
背丈は、ハチクイと同じくらい。目の色も髪によく似たペリドットで、かがやきに満ちた夢のようにうつくしい宝石そのもののような姿かたちをしている。
彼女は
「やっぱりエメリのつくる宝石細工って、すてき」
うっとりとしたソルの声に、誇らしいような気恥ずかしいような心地になる。
「ありが、とう。……だけど、このデザイン、ちょっと子どもっぽすぎないかな?」
「あら、あんたの宝石細工に色気なんて誰も求めてないわよ」
間髪入れずに辛辣な言葉が飛んできて、エメリはううっと呻き声を漏らした。
ソルの宝石細工に関する審美眼は、よくも悪くも正確なのだ。
「それよりその野暮ったい格好をなんとかなさいったら。こんなにいい宝石細工をつくるのに、肝心のあんたときたら、もう十六にもなったのにいつまで経っても垢抜けないんだから」
「だ、だって、わたしはソルみたいに、きれいじゃないし」
エメリはもごもごと言いながら、幼い頃からどぶ鼠みたいな茶色と揶揄われ続けてきた三つ編みをいじる。ふわふわの癖っ毛はこうして結っておかないと、あちこちに広がって大変なのだ。
おまけに目の色なんて濃い緑色をしていて、木々や草が茂っているようななんとも言えない靄がある。森の薄闇をこねて丸めたら、きっとこんな陰気な色をしている。
魔女みたいで薄気味悪いと言われがちな自分の顔が、エメリはあまり好きではなかった。
「そ、それに、接客はソルの方がうまいから、わたしが出なくてもいいし……」
「あんたねえ。店主が引っ込んでてどうするのよ」
そう言われても、苦手なものは苦手なのだ。
エメリはソルと同じ石精の血が少し混じっている。
石精の母と人間の父のあいだに生まれた混血である。物心ついた頃には母はすでにこの国にはなく、父とソルと一緒に暮らしてきた。
でもそれを、寂しいと思ったことはない。今ではしょっちゅう山奥で消息を絶っている鉱物学者の父も、ちいさい頃はいつもエメリを鉱山に連れて行ってくれたし、たくさん愛情をそそいで育ててくれた。
人間の友だちはいない。
石精と父相手なら、話下手なりに話をすることもできるけれど、それ以外の人間はてんでだめだ。人を前にすると、エメリの身体はまるで石になったみたいにかちこちに固まってしまって上手く話せない。石まじりだと笑われて髪を引っぱられて、珍獣でも見つけたみたいにぎらぎらとした目という目に囲まれたことしか思いだせなくなる。
それでも大好きな宝石細工を仕事にして、自分の足でしゃんと立って職人を名乗っていくには、人里に店をかまえるしかない。そう勇気をふりしぼってこの街で商売をはじめて、一年と半年がすぎた。
けれど、依然として人と接するのは苦手だ。
「あたしに言わせりゃ、あんたはきれいよ。あたしはね、こんなすてきな人から宝石を買いたぁいって思わせるようなレディにおなりなさいって言ってんの。あんたの宝石細工の価値は、そんなことで揺らがないけどね。あたしはうわべなんかであんたが見くびられるのが、我慢ならないのよ」
「ソル……」
口は悪いが友人思いのソルの言葉に感激しかけたところで、盛大な舌打ちが響きわたる。
「まったく、金貨銀貨が逃げていくってもんだわ。せっかく宝石細工店をかまえてるんだから、金持ちも成金もみんなありったけの財産を吐きださせて、あたしたちも富豪になって豪遊するのよ!」
ソルの隠そうともしないあくどい本音に、エメリはがっくりする。うっかり感動して損をした。
この石精ときたら、可憐な姿に似合わず毒舌で、おまけに守銭奴なのだ。
「ま、船は帆でもつ帆は船でもつってね。最近は宝石細工師が失踪する事件も起きていて物騒だし、やなことはやったげるから、あんたはじゃんじゃん宝石細工をつくりなさいな」
いつまでもしゅんとうなだれているエメリを見かねて、ソルが助け船を出してくれる。
エメリはほっとして顔を上げかけたが、胸に引っかかることがあってもう一度うつむいた。
「……ほんとうに、つくってもいいのかな」
「なに言ってんのよ。当たり前でしょ」
「だって、わたしのせいでソルは……」
言いさしたところで、カランカラン、と店のベルが鳴った。
お客さまだ。
「いらっしゃいませ」
エメリが人見知りを発揮してびくついている間に、ソルはうるわしい笑顔を振り撒いてしなをつくりながら、工房と続き間になっている店の方へと飛んでいく。エメリと話していたときより、一段どころか三段くらい高い声なのはいつものことだ。
こうしてとびきりの笑顔をソルが見せてやれば、店を訪れた客は誰も彼も、時を忘れたようにぼうっと我を失う。
人ならぬ絢爛豪華な色彩と、稀代の彫刻家が命をかけて彫り上げたかのような鋭利な美貌をあわせもつ存在。それが歌舞音曲などでもとりわけ称揚されてきた貴石や半貴石——そしてそれらが魂を得た石精というものだ。
けれど、今日はどうも様子がちがった。
カウンターの上で口をぽかんとひらいて、言葉を失っていたのはソルのほうだった。
彼女につられるようにして、エメリも客を見やる。
店の入り口に、ひとりの青年が佇んでいた。
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