君を愛することはないと言わないといけないんだよね

カフェ千世子

1

「君を愛することはない」

 言われた言葉に、妻アデラは目を伏せた。ああ、やはり、と。彼女の心は諦念で占められる。こんなうまい話はないのだ、と。

 

 アデラの生家は破産寸前であった。そこに資金援助と共に持ち込まれた縁談。アデラは生家ガンター家を盛り返すため、その縁談を受けた。

 縁談を申し込んできたのはハガード家。爵位はガンター家と同格だが、所有する資産は雲泥の差。そのハガード家はここ数代の間、醜聞が噂されていた。社交界に愛人を連れてくる、と。


「って言わないといけないんだよね」

 夫が軽い口調で続けて言った。その言葉の意味が分からず、アデラはぽかんと彼を見上げる。

「まあ、ちょっと説明させてよ」

 最初に非道な言葉を投げた時とは裏腹に気安い態度で彼は隣に座ってきた。


「うちの家、呪われちゃってるんだよねー」

 あくまで軽い口調で彼は言う。

「……こんな家に嫁がせちゃって、ごめんね」

 少しだけ、申し訳なさそうな態度を見せながら彼は言った。



 ハガード家の呪い。それは、妻に「愛している」というと死んでしまうというものである。


「なんか、いつの代かはよく知らないんだけど、妻がいるのに愛人を家に一緒に住まわせようとしたバカ当主がいたんだって」

 自分の命がかかっている呪いの説明にしては、言い方が軽い。ずっとふわふわとした態度で呪いそのものの存在を怪しく思わせる。

「……それでその愛人から呪いを受けたのですか?」

「うーん、よくわかってないけどそうなのかな。妻が呪ったんなら、愛人を作ったら死ぬとかにすればいいんだし」

「……奥様にしても、愛人にしても、誇りを傷つけられるような出来事ですね」

「ねえ。家を乗っ取ってやる! って思う愛人もいるだろうけど、家庭が出来上がってるところに入っていくのって針の筵だよねえ」

 アデラは黙って聞いていたが、次第に相づちを打つようになった。それだけ夫が親しみやすい態度でいるからだ。



「それで、だ」

 夫が話題を変えるように、少し口調が重くなった。

「今夜の初夜なんだが」

「はい」

 これは白い結婚になるのだろうか、とアデラは身構えた。夫がすっと立ち上がる。

 ああ、やっぱりそうなのね。とアデラは彼を見送ることになると覚悟した。

「アデラ」

 夫が呼びかけとともに、アデラのひざ下に手を入れて持ち上げてきた。


 アデラは夫に横抱きにされた。急に体が浮上したことに、アデラは目を瞬かせる。

「この部屋で初夜を迎えると呪いが発動するかもしれない」

「そうなのですか」

「だから、別の部屋でしよう」

 にっこり笑った夫にアデラは言葉を返せなかった。




 アデラの夫、エヴァンは飄々としたつかみどころのない男性である。これまで、社交界で姿を見たことはない。よって、彼の人となりは噂すら知らない。

「俺がこの家の跡取りになったのってここ数か月のことだからね」

 と彼はにこやかに語る。初夜を無事に終えた翌朝、ともに朝食をとりながらのことである。

 それは、彼の母は愛人であり、愛人の息子であるから継承権を認められていなかったということだろうか。とアデラは想像する。

「まあ、その辺の事情はおいおい語るとして、だ。まずは当面の過ごし方を話し合っとこう」

「はい」

「まず、第一に俺は君に愛してるとは言わない」

「はい」

「でも、妻としての役目、社交や内向きの仕事などはやってもらう」

「はい」

「その二つさえ満たせば、あとは自由。ある程度の散財もしてもいいよ。お金はある家だからね」

「はあ……」

「今日はゆっくり家で過ごすとして、今週中には一緒に街に出かけようか」

「……はい」

 彼は「愛してる」とは言わない代わりに、妻への冷遇はする気はないらしい。目が覚めた時も、甲斐甲斐しくアデラを気遣ってくれた。

「呪いは発動しませんか?」

「どこまで大丈夫か、いろいろ試そう」

 エヴァンは果敢な男であった。

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