死屍累々伝マガクグツ

カムリ

絡繰人形:弓曳童子我楽 壱


 魂を削って造られた人形には、神が宿る。

 人形師だった姉の、それが最期の言葉だった。


『……いい、漸蘭ざらん。私は必ず、本物の人形を作る。神様が宿った人形を……そうすれば、漸蘭の遊び相手も出来るでしょう? だから私は、そのために魂を削る』


 女手一つで自分を育ててくれた、たった一人の姉は殺されていた。

 漸蘭ざらんが稽古から帰ってきた夜のことだ。

 胸郭がばくりと割れ、肋骨が肺腑から壊れた竹細工のように突き出ていた。

 それから警邏けいらが来て、姉の骸を運び、漸蘭は一人になった。

 下手人は今に至るまで、終ぞ暴かれていない。

 だが。たった二言。


『――《人形遣にんぎょうつかい》だ』 

 姉の遺骸を検分した警邏が、

『斯様な仕業が叶うのは、人形に選ばれた外法者のみ』

 震え、呟いたことを覚えている。


 ……この世界には、《人形遣い》と呼ばれる存在が潜むのだという。

 歴史の裏に隠れ、神宿る《人形》を操り、怪力乱神を振るう者ども。

 そういう暴力によって、姉はただ殺された。

 幼い少女だった漸蘭にとって、それはひどく――


 


 『人形には神が宿る』という――彼女の言葉が正しかったのだとして。

 死んでいった姉の言葉を、誤りだと認めたくはない。

 もしも自分が神であったなら、と漸蘭は考える。

 自らが徒人ただびとの手によって造られた、その屈辱を許せるだろうか?


 姉は、自分の造った人形によって殺されたのかも知れない。

 傀儡に宿る神の完全を証明するために。


 姉の死から、十八年が経った。

 漸蘭は剣術の腕を磨き江渡の警邏に成った。

 姉を殺した下手人を捕えるためではない。

 ただ、真に姉を殺した《人形遣い》がいるなら……会って聞いてみたかったのだ。 

 姉は神の宿った、本物の人形を作ったのか。やり遂げたのか。

 たった一人の肉親が死んだ。帰って来ることは、二度とない。

 だが、本当に神の宿る人形を作り上げたなら――彼女の言葉は、正しかったことになる。漸蘭はただ、残りの人生を賭けてそれを証明したかった。

 

 自分の背中には姉の遺体から一本の糸が繋がっていて、

 今でもずっとその張りに縛られ続けている。

 あるいは、自ら自由を失うことを選んだのかも知れなかった。

 だが、漸蘭は考える。

 好むと好まざるとに関わらず、何かに縛られない人生などありうるのだろうか?

 自らを縛るものを、命綱にするか鎖にするかは結局のところその者次第だ。


                   +


「漸蘭第七警邏長けいらちょう殿」

「ン」

 漸蘭は目隠し代わりにしていた警帽の庇を上げる。

 彼女が長を務める第七警邏は、神田川沿いに設えられた狭い詰所だが、日当たりと風通しは最高と言ってもよく、もっぱら居眠りには適した環境だった。

「続けても?」

 部下の視線は、惰眠を貪っていた漸蘭を明らかに咎めている。

 漸蘭は眠い目を擦りつつ、警帽をひらひらと振った。

「……通行手形を持たずに関所を越えようとしていた不埒者を捕えました」

 部下は、表情を変えぬまま漸蘭に紙束を突き出す。

「是非とも第七隊長殿に尋問を願いたく。ただでさえ、警邏は『小芥子こけし』の件でせわしないのですから……」

「あー、尋問、尋問ね。大丈夫、わかってる」

 漸蘭は軽く手を上げた。部下の視線がさらに凍てつく。

「連れて来てよ。私ならまあ、暴れても話聞けるし。それに……」

 人相書に目を通しながら、漸蘭の指は刀の鯉口をゆっくりと撫ぜている。

「こいつには興味がある」


「お連れしました」

 そして四半刻も経たぬ内に、詰所に一人の襤褸切れが転がされてきた。

 襤褸切れがもぞもぞ動くと、やっと折り畳まれていた顔と手が生えてくる。

 鯨の髯のような白い総髪に、飴色の褐い肌、異人のごとく赤く燃ゆる目。

 だがそれらを差し置き、一際目を引くのは――

「きみ変わってるね。全身が義肢なのか」

 漸蘭の言葉の先。男の腕と足は、黒檀のような褐色の木目に覆われていた。

 精巧にひとの器官を模してはいるが、生身のそれとは決定的に異なる無骨さが男の風体をより胡乱なものへと変えていた。

「ウェヘヘ。オネェサンみたいな別嬪べっぴんにしげしげ眺めて貰えるとくりゃあ……こんな体で生まれた甲斐もあらァね」

 男は唇の端をにィと吊り上げ、軽快に笑う。

「おれの何が知りたいんだい? 何でも答えちゃうぜ」

「貴様! 不敬であるぞ――」部下が甲高い叱責を飛ばそうとしたその時、

い。私相手に色恋沙汰を仕掛けるとは、大層な肝じゃないか」

 ひらりと片手を上げ、漸蘭は部下を制する。

「生憎、きみのことはある程度調べてあるんだよね」

 ばさり。紙束が男の前に放り出された。

「きみの名は我楽がらくあざなは無く、本来江渡えど入りに必要な手形も持っていない……にも関わらず、抵抗することもなく警邏に捕られた。最も、江渡に知己が居るでもないし、その動機は謎に包まれている」

「エヘヘ。そんなにおれのこと気にしてくれたのかい? 嬉しいねェこりゃ」

「当然さ。気になるからね、きみみたいな奴は」

 漸蘭は、義肢の男――我楽の襟首を鮫肌の刀柄でつつとなぞっていた。

「その手足で、江渡まで辿り着いてる……きみ、《人形遣い》じゃないのかい」

 第七警邏長、ふかの漸蘭。

 鮫腹じみて生白い肌に、美しくも射殺すような、隈の差した三白眼。そして何よりも――見定めた下手人をけして逃がさぬことから、彼女はその綽名にて呼ばれる。

だが、我楽はそんな漸蘭に睨まれても、縛られたまま笑みを崩さなかった。

「おれはそんな上等なもんじゃないよ――そもそも、オネェサンみたいな人が《人形遣い》のことを知ってるなんざ驚きだね」

「姉が殺されていてね。故あって警邏の中でも詳しい立場なのさ」

 それは純然たる事実だった。漸蘭が所属する第七警邏の管轄は江渡の巡査業務。

 もしも《人形遣い》にまつわるような噂があれば、それは第七警邏の長である漸蘭の耳に漏れなく入る手筈となっている。

《人形遣い》については、少数ではあるが警邏の内でも把握はしている。

ただ、それは人の尺度ではない。むしろ災害のような捉え方に近い。

そのおそれは、先ほどから漸蘭の傍らに立つ部下の態度にも表れていた。

先程から全く落ち着きがない。我楽の義手や義足に視線を彷徨わせては落ち着かない様子で刀のき具合を気にしている。

「あれは気にしないでいい。《人形遣い》なんて見たこともないから、きみがそうじゃないかってびくびくしてるんだ……ご苦労。下がっていいよ」

 漸蘭は部下に鋭い歯を剥き出した。

 不承不承、と言った様子で、部下は詰所へと戻っていく。

 それを見届けたあと、漸蘭は肩を竦め、

「私はね。業務の傍ら、姉を殺した下手人を探してるんだ」

「ふゥン」

 くるくるッ、と我楽の赤い瞳がうごめく。

「復讐かい? ……おれが、やってやろうか? オネェサン」

 義肢の男は低く、獣の唸りのように笑った。

「そんなつまらないことしないよ。きみに任せる義理もないし」

 すかさず刀の柄が我楽の顎を小突いた。

「私はただ、知りたいんだよね。姉は、本当に完璧な人形を作ったのか」

「……そいつは」

 我楽が口を開くと同時、ひとりでに、彼を縛っていた荒縄が落ちた。

 既に漸蘭の刀の鯉口は切られている。

「きみに見せたいものがある。ま、拒めるかどうかはよく考えたまえ」

「ウェヘヘ」

 我楽はふかのような女を見上げ、だらしなく笑った。


                   +


 第七警邏の屋敷は河岸に在り、掘で高く鎧われている。そのため内部の構造は衆目には見えない。更に、漸蘭が現在歩く空間への入り口――地下構造への門扉は、第七警邏の長が持つ鍵でしか開かないように拵えられている。

「元は秘密裏に死罪人を閉ざす蔵でね。御籾蔵の工事に重ねる形で地下空間を掘り進めたから勘付く者はいないし、川の近くだから始末も楽……だそうだ」

 漸蘭は鍵束を手で弄んで、三歩後ろを歩く我楽を振り返る。

 かすかな松明たいまつの光に照らされ、我楽はくつくつと笑った。

「オネェサンになら殺されても良いけどサ、こんな薄暗ェところはヤだな」

「人の話は最後まで聞くものだよ。……元は、と言ったろう」

「するってェと、今は違ェのかい」

「そうとも。化け物の骸を転がしてるのさ」

 漸蘭がふいに立ち止まった。松明の明度が増している。

 血肉の匂いが漂ってきていることに我楽は気付いた。

 ひときわ強く灯る篝火の下、それは錆赤を纏い群れていた。

「『小芥子』だ」

 木の網目に編まれた巨大な球が、我楽の目の前に鎮座している。

 否。網目ではない。小瓶のような体躯と、赤子あこの拳のような木頭がひと繋がりになった木細工――小芥子こけし人形だ。

 何百何千の小芥子が、互いを噛み合う形で格子のように編まれていた。

 小芥子の檻の中には腐った煮凝のような肉塊がぷるぷると蠢いている。

 肉塊からは赤色と黄白色の突起が突き出しており、よく見ると手や足や頭や臀などの、筋肉と脂肪が絡まった人体の一部であることがわかる。無秩序に突き出た四肢のところどころに剥がれかけた乳白色の皮膚がてろんと載っかっていた。

「……外側から数えられた四肢を合算しただけで、十六人は犠牲になっている。皮膚が摺り交ぜられてグチャ味噌になっているから、身許は解らないけどね」

 漸蘭は無表情に呟いた。押し殺すような声音だった。

「これを最初に見つけたのは墨田所轄の第四警邏だ。この球体の中の被害者は劣化も腐敗もしないから、隠匿する施設を有する第七警邏に預けられた。流石に市井の民には見せられるまい、こんなものはさ」

「……」

「信じられるかい? 《人形遣い》には、こんなことができるんだってさ」

「……それで」

 我楽は顔を歪め、小芥子と肉団子の嵌合物に手を合わせた。

「おれにこんなモン突きつけてどうしようってんです? 公にしねェってンなら、せめて弔ってやンなさいよ。オネェサン」

「弔うために必要なことをしたい」

一寸の隙も挟まず漸蘭は言った。隈だらけの目許を抑える。

「七日寝ずに、手掛かりを追って……ようやく尻尾を掴めるかも知れないんだ。きみは《人形遣い》のことを知っている。そうだね?」

 その視線は、呆けた金魚のように開閉を繰り返す肉塊の口へと向いている。

「姉は……人形には神が宿ると言った。なら、こんなものが神か?」

 気付けば、彼女の刀の柄がみしみしと音を立てて握り締められていた。

「確かに《人形遣い》は歴史の闇に蠢く存在なんだろう。だが私には関係ない。この悪趣味な人形を操っている奴を見つけ出して、息の根を止める。こんなものは……姉の造った人形ではないと、そう証明するんだ」

「……そいつは良いねェ。朝寝の誘いより、ずっとそそる」

 我楽の口許から、初めて、まったく笑みが消えた。

 声音は刀のようだった。

「知ってるぜ。『小芥子』をつかうやつのことは」

「何?」

「嘘じゃねェよ。本当だ」

我楽は再びにィと唇を吊り上げた。

「そいつを、一緒にやってやってもいいぜ。ただし、一つ頼みがある……おれは元々、そのために江渡まで来たんだ」

「頼み、とは?」

漸蘭は鱶のような目を伏せて問うた。

「ウェへへ」

 我楽は、褐色の顔元に右手を当てる。義手がブシュウと鋭い音を立てた。

 ぞぶり。木目の指が空洞を押し当てたかのように、顔の表皮を陥没させた。

「な」

漸蘭は思わず声を上げた。

「オネェサン」

 窪んだ皮膚が、湯葉をめくるようにぺろりと剝がされる。

 歯車。発条。鉄線。木骨組。

「言ったろ。《人形遣い》なァんて、上等なモンじゃねェって……」

 絡繰の機構が、我楽の顔のからまろび出ているのだ。


「おれは……弓曳童子我楽ゆみひきどうじがらく。《人形》サ。“がらくた”の我楽って呼ぶ奴もいるがね」

「……なら」

漸蘭はうめくように問うた。

「きみの願いは、いったい何なんだ?」

「ウェへへ」

 我楽は絡繰の顔を歪ませた。

 彼が笑ったのだと、なぜか漸蘭にははっきりとわかった。


「――おれのご主人、探しちゃアくれねェか」


 その人形は。狂喜として、自らを縛るものを探していたのだ。


 

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