第三十三話「王女フロレンシア」

「お初にお目にかかります王女殿下。フォーカス伯爵領領主、フラッド・ユーノ・フォーカスでございます」


「顔を上げ、お立ちになってください。今は非公式な場、臣下の礼は不要ですわ」


「ありがとうございます殿下(ならせめて事前に連絡しておいてくれ……っ!)」



「まぁ――」



 立ち上がったフラッドの顔を見たフロレンシアは、一瞬で心を奪われた。


 美しい金色の髪に、まつ毛の長い大きな青い瞳、通った鼻梁びりょうに薄く色気のある唇、細いアゴ。その全てから目が離せなくなる。


(なんですのこの感覚……? この胸の高鳴りは……?)


 一目惚れであり、これがフロレンシアにとって初恋であった。



 人は心、顔ではない。という信条を持つフロレンシアからすれば、これまでのフラッドの聖人と呼ばれる行いだけで、思慕しぼ念を抱いたことだろう。


 だというのに、さらには、その絶世と形容できる美顔の組み合わせは。凶悪なほど、フロレンシアの心に刺さりすぎてしまった。



「…………」


「…………どうなされました、殿下(えっ俺なんかやっちゃった?)」


「! なっ、なんでもございませんわ。フォーカス卿、いえ……フラッド様――」


(様っ?!)


 突然の様呼びにフラッドが動揺する。


「でっ、殿下、臣下である私に敬称は不要でございます、大変に恐れ多く思いますれば!」


「で、ではフラッドっ。わ、私のことはフローラとお呼びください」


 フロレンシアは言い切って頬を真っ赤にさせる。



「えっ!? しっ、しっかし、でっ、殿下を愛称で呼ぶなど不敬甚だしく(これは試されているのかっ? 調子に乗ってフローラ呼びしたら不敬罪で逮捕、みたいな?)……!」



「では……せめて殿下はおやめください」


 シュンとするフロレンシアに、フラッドは否定しすぎたか? と妥協案を受け入れることにした。


「か、かしこまりました。フロレンシア様」

「ありがとうございますフラッド……!」


 パッと顔を輝かせるフロレンシアに、フラッドは今の答えが正解だったか……と、胸を撫で下ろす。



「あの、フロレンシア様、どのようなご用件で私に……?」


「そうでしたわっ! 私、フラッドに飢饉やジャガイモのお話を、直接お聞きしたかったんですの」


「な、なるほど(早くそう言ってほしかった! 寿命が縮んだわ!)」


「では、お掛けになって」

「はい」


 フラッドがソファーに腰掛けると、フロレンシアがその隣に座った。



(えっ……? 隣……? 普通対面に座るもんじゃ……? というか近くない……?)



「どうして麦に大きく依存することが、危険と思いましたの?」


 フロレンシアが右手をフラッドの膝に置いて、下から覗き込む。


「ご存知のとおり、我々の主食たる、主食になりえる小麦も米もトウモロコシも、全てイネ科なのです。なので、イネ科以外の、パンや米に替わる植物を求めたのです(なんかすごい触ってくる……)」



 フロレンシアの無意識なボディタッチに、フラッドはテれるよりも、なにが不敬にあたるか分からないため、戦々恐々という心地だった。



「そこでジャガイモを選ばれた理由は?」


「ジャガイモはナス科で、生命力と繁殖力が強く、味もよくて栄養豊富だからです。おそらくこの条件を満たす食材は、このテラーにおいて他にはないかと思われます」


「確かにそうですわね……。では批判を覚悟で上奏なされた理由は?」


「(ホントは保身のためだけど)問題提起して、この麦依存の危うさと、ジャガイモ食が徐々にでも進めば、と思ったのです。まさかその年に、このような大災害が起きるとは、予想だにしていませんでしたが」


「謙虚なのですね」

「身の程を弁えているだけです」



 フロレンシアはフラッドに見入っていた。


(他の殿方は私と話すとき、胸を見たり、阿諛あゆへつらいの表情を見せるのに、フラッド様はなんて真摯しんしな瞳でお話されるのだろう――)



 こんな方、今まで一人もいなかった。と、フロレンシアは思っていたが、フラッドは王女に失礼のないようにと必死で、そのような余裕がなかっただけであった。



「殿下、お時間でございます」


 ドアの外から侍女が時間を知らせる。


「あら、もうそんな時間?」

「はい」


「とても名残惜しいですわフラッド……」


「フロレンシア様、機会はいつでもございましょう」


「そうでしょうか? 約束がないと不安ですわ」


 フロレンシアがフラッドの服の裾を握る。


(シュンとしてるし、ちょっとかわいそうだな……)


 そう思ったフラッドは、空約束でもしないよりはマシだろうと口を開いた。


「はい。では約束しましょう。非公式な場でお会いすることを」


「! 絶対、絶対ですわ! では失礼しますわ。会場でお会いしましょう」


「はいフロレンシア様」



 フロレンシアが下がるとエトナが入ってきた。



「長かったですね。殿下の顔を見る限り上手くやれたみたいですけど」


「疲れた……もう式典に出る気力もない……」


「グロッキーですね……ん? スンスン」


 エトナがソファーにもたれるフラッドに鼻を近づける。 


「どうしたエトナ?」

「……殿下の匂いが移ってます」


「すごいボディタッチされたからな。そのせいだろう」


「へぇ……」


 エトナは隣に座るとフラッドをペタペタと触り、ギュッと抱き着いた。


「……どうした急に?」


「……上書きしてるんです。王女と密室二人きりでなにをしていた? なんて余計な勘ぐりをされたくないでしょう?」


「確かに」


「ちなみに、殿下になにかしましたか?」


「するわけないだろ恐ろしい」


「そうですか……なるほど……。ふむふむ……。意外とチョロ……扱いやすいお方なのかもしれませんね……」


 ふむふむとエトナは一人頷くのであった。

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