ミルコのコップ

鳴平伝八

ミルコのコップ

 彼女の名前はミルコ。

 うきうきと目を輝かせて、歩いています。

「お母さん、夜まであとどれくらい?」

 キラキラした目でミルコはお母さんに尋ねます。お母さんはにっこりと微笑んで、「もうすぐよ」と伝える。

「何をしていればいいの?」

 ミルコはうずうずして、いてもたってもいられません。

「じゃあ、ミルコとお父さんとお母さんとクロのコップを選んでちょうだい?」

 お母さんはそう言ってミルコの頭を撫でました。

 ミルコは嬉しそうに頷いて、コップの並んだ戸棚へと移動するのでした。


「最初はお父さんのコップにしよう」

 そう言って、並んだコップを眺めます。

 ミルコはコップまでは少し手が届きません。そこで、おままごとで使う椅子をもってきて、その上に乗ってとることにしました。

「お父さんは、いつもたくさん飲み物を飲むね。だから大きなコップがいいわ。あと、青色にしましょう。だってお父さんは青色が好きだもの」

 並んだコップの中から一番大きなコップに手を伸ばします。

 大きなコップを両手でつかみ、ゆっくり手前に引っ張ります。

「おとととと」

 大きなコップの重みにつられて、両腕が地面に引っ張られます。

「あぶないあぶない」

 何とか体勢を保ちますが、その姿はまるで不思議なポーズをするクロのようでした。

 ミルコは、ゆっくり椅子から降りて、そうっとテーブルのお父さんの席にコップを置きます。


 うまく運べましたね。


 次はお母さんのコップです。

「お母さんは優しくて、キラキラしているから、これね」

 ひと際目を引くそのコップ。

 ガラスに散りばめられたラメがキラキラと輝くコップ。

「お母さんは黄色が好きなの。キラキラのこの黄色い光がぴったりです」

 キラキラ光ったラメを嬉しそうに眺めます。

「なんてきれいなんでしょう」

 あらあら、ぼーっと眺めていたら、時間が来てしまいますよ。

 ミルコは、はっとしてコップを手に取り、テーブルへ運びました。


 うまく運べましたね。


 すると、足元にクロがやってきました。

「クロ、次はあなたのコップね。クロにはその名の通り黒いコップにしましょう」

 クロは、嬉しそうに体をひねらせ、ミルコの足にまとわりつきます。

「クロ、それじゃ、動けないから、少し待っててくれる?」

 クロはごろごろと喉を鳴らし、その場に伏せ、大きくあくびをしました。

「あなたは気楽でいいわね」

 そういうと、椅子に上り、黒のコップを選びます。

「あら大変、黒いコップなんてないじゃない……どうしましょう?」

 すると、ミルコの目に1つのコップが飛び込んできました。

「これにしましょう!」

 透明なグラスに、大小の黒い星がバラバラにプリントされています。

「あ、でも、黒にこの形のコップは飲みにくいわよね」

 そう言って、ミルコは黒に視線を送ります。

――大丈夫だよ――

 クロがそう言っているように感じたミルコは小さく頷き、そのコップを手にテーブルへ移動しました。


 うまく運べましたね。


 最後はミルコのコップです。

 これは最初から決めています。

 お気に入りのコップ。

 とっても大切なコップ。

 カラフルな大小のドットが散りばめられた持ち手つきのコップ。

「これはもう決まっていましたね」

 迷うことなく手にしたコップを持って颯爽とテーブルに向かいます。

 何回も通った経路。大きなコップも綺麗なコップもシックなコップも落とすことなく運んだテーブルまでの経路。

「これを運んだら、とっても楽しみな誕生日パーティーです」

 お母さんが、笑顔で料理を運んでいます。

 お父さんが、私の運んだコップでお酒を飲もうとしています。

 クロが飲みにくそうにコップに鼻を押し込んでいます。

 私も早く、自分の席に着かないと。


 そう思った瞬間、何もないはずの床に足がひっかかり、大きく体が前に倒れこみます。

 その光景はひどくスロウで、視界が滲んで、現実に引き戻されるような……


 いやです。


 みたくないです。


 体がばたっと床に倒れ、時間差で宙を舞ったコップが床に落ちます。


 割れるその瞬間までがスーパースロウのようです。


 見たくありません。


 でも、目もつぶることは出来ないのです。


 コップにひびが入り、そこを境にガラスが砕け、飛散します。

 その動きと同じように、周囲の光景も、パラパラと姿を変えていくのでした。


 何もない部屋に置かれた薄汚れたテーブル。

 大きなコップも、綺麗なコップも、シックなコップも、そこにはありません。

 粉々に砕けた、柄もわからぬコップのような残骸が床に散らばっているだけでした。


 私は、現実を目の当たりにしました。

 どの感情のせいかわからない涙が床に流れ落ちていきます。


 ドンドンドン


 どこからか、扉をたたくような音がします。

 何かを叫んでいる声も聞こえます。

 ガチャガチャと扉を開けようとする音がします。

 

 ギギー


 扉が開かれたのですか?


 あなたは誰ですか?


 体を誰かに持たれ、抱きかかえられるような感覚。

 私は、どうなってしますのでしょうね。






――うまく運んでくださいね?――

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ミルコのコップ 鳴平伝八 @narihiraden8

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