6-8 虚空

 変わる、わる。直衛佑という存在が、ただ生きているだけの生命モノから、“願い”を果たすための凶器モノへと変容していく。


 白い金属質の身体。四肢の先端、そして背には、巨大な杭で穿うがち抜いたかのような虚空の孔。胸はからっぽのがらんどう、心臓の代わりに脈打つ虚白色ホロウ・ホワイトともしび。膨張した腕、変形した両脚の内部には何もなく、鼓動のたびに感覚される、許し難い外界の情報が渦巻く。


《識装だと!?》


 羽ばたき、高速で飛翔し、距離を取りながら、不快な形をした異形モノが耳障りな声を上げる。


《目覚めて間もない覚徒風情が、何故そのようなわざを扱える――!?》


 お前のような底抜けの誤解者でも、理由付けにきゅうすることがあるのか。

 し難く、そのせいで少しだけ面白いが、九割九分は腹立たしい。


 答えてやる義理はない。それより、この感情をどうにかする方が優先だ。

 放たれた飛蝗の群れが迫り来る。気に障る。


 どくん。


 掌を掲げる。一帯を感覚し、軍勢の先、砂塵の奥へ姿を隠そうとする輪郭シルエットに狙いを定める。


 吸気。孔を通過した塵芥ちりあくた。存在を抹消――純粋な威力エネルギーへと変えて、撃ち出す。


 ――かっ!!


 閃光が走り、世界を穿った。

 発射の余波で嵐が揺らぎ、巻き起こる気流に呑まれ、赤黒の砂塵が吹き上がる。

 射線上にあった飛蝗の群れは焼失。その向こうに潜まんとしていた係争屋の肩口には風穴。


《馬……鹿な……!?》


 黒い血潮ちしおをぼたぼたと垂らしながら、“それ”が驚愕の声を漏らす。


《貴様、何、だ――今、一体何をしたっ!?》


 つまらないことを聞く。直衛佑オレが力を使うところを、何度も見ているだろうに。


 最初から、直衛佑のやっていることは一貫して変わらない。

 物体、存在の在り方を感覚し、把握し、必要に応じた変換率で干渉を行う。それだけだ。


 唯一特殊ユニークなところがあるとすれば、それは物体を、という点だろう。


 これも、答えは至極単純シンプルだ。

 何にも換えていない。“無”に変えている――


 全てのものは、世界に存在し続けるために莫大な力量エネルギーを内包し、循環させている。

 その形を完膚なきまでに失えば、内に秘めていた威力エネルギーは解放され、周囲に放出される。


 俺はその過程に指向性を与えているだけだ。発される力の方角を絞り、形を絞る。

 今しがた、お前に向けてやって見せたように。


《…………》


 少し、思う。

 変換の重み――存在を崩す時、掌にかかった重さは、想像していたよりも、随分と軽い。

 こんなものか――と思う。在ることの重みとは、こんなものなのか。

 空虚な感情が胸を突く。反比例するように、衝動が精神を焦がしていく。


 “壊したい”。


《かあぁっ!!》


 砂塵が嵐の姿を取ることをやめ、無数の巨腕と化して空を覆う。

 低く風切り音を鳴らしながら殺到するそれらの速度は凄まじい。入れ替わる前の直衛佑オレなら、数秒、数手とかからずひねり潰されただろう。

 だが、今のこの姿であれば、退屈極まる。


 きゅういいい。


 吸気。背の孔を通過する塵芥を完全変換。


 ――どうっ!!


 地を蹴り、閃光を背にする。


 推力として放出された力量エネルギーは空を裂く絶速を俺に与え、崩落の勢いで迫る、巨腕の群れを突き破る。


 一つ、二つ。三つ。四つ。五つ。

 死者の腕――全てを勘違いしているこの男が、殺してしまった命を真似るなど、上っ面だけでもおこがましい――そのことごとくを刃と化した指先で引き裂きながら、貫通。要した時間は一秒未満――数百メートルほど離れていた係争屋との距離は、一瞬にしてゼロに。


《なっ――!?》

《――――》


 月光の下、てらてらと光る黒い甲殻。その土手っ腹に向けて、腕を引き絞る。


 いいいいいっ。


 変換。

 ひじさきから威力放出、杭打ち機パイルの要領で打ち出し。障壁を突き抜け、拳を叩き込む。


《おぐぁぁぁぁっ!?》


 濡れ紙を破るような不愉快な感触と共に、甲殻が破れた。内臓腑を破裂させ、干渉の余波で血液が発火。動静脈が爆裂し、俺のからだが汚い返り血に塗れる。


 それでも、まだこの異形モノは、生きている。

 生命いのちいたり、取り上げた血液を媒介に己の存在を拡散させ、しぶとく生き残っている。


 気に入らない。


 空間が開く。別の識域へと繋がる境界が至るところで開通し、砂塵の逃走路を作る。


 一滴、一粒でも逃げ延びたならば、この殺戮者はいつか、どこかで再び形を成し、同じことを繰り返すだろう。どれだけぜいじゃくの身にれいらくしようとも、その在り方はきっと変わらない。

 周到なことに、砂塵の何割かは牙向く飛蝗と化し、校舎、そして悠乃の下へと向かっている。

 救いたいのであれば身を賭して助けろ、自分を見逃せ、という主旨だろう。


 とことん、気に入らない。


 吸気する。塵芥を変換、威力エネルギーへと整形。

 範囲を限定し、周囲全方向へと威力拡散。飛蝗の群れをまとめて焼き払う。

 その数秒の間に、砂塵に分散した係争屋は境界をほとんど渡りかかっている。


 吸気、更に変換。推力へと整形。

 大気に高音の悲鳴を上げさせながら、月光の下を飛ぶ。

 腕を突き込む。閉じかけた最後の識域境界に指をかけ、力づくでこじ開ける。


 どくんっ。


 掌を中心に、境界の向こう側を走査スキャン

 逃げ去る砂塵の分布を確認しながら、りょりょくを込める。境界を更に押し広げる。


「――ま、待てっ!!」


 姿を現した鷲鼻の男が叫ぶ。


「協力しよう! 契約をっ!! いかなる不利な条件でも呑む! だから――」

《だから、何だ》


 掌に開いた虚空を向けながら言う。


命乞いおなじことをした生命いのちを、一つでも見逃したことがあったのか?》


 吸気する。存在を剥奪された大気が光に変わる。

 数え切れないほどの死を観察してきた男の目を見る。瞳には、何の変哲もない、からっぽでありふれた、“終わり”への恐怖が浮かんでいる。


 空虚な怒りが胸を焼く。殺して、殺して、殺した挙げ句に、この様か。

 散々食らって、そんなつまらない結末しかじょうせい出来ないのなら――。


《――自分で直接、ってみろ》


 ――かっ!!


 掌から放たれたホロウ・ホワイトが、男をその世界ごと破壊する。

 生に執着し、それ故に死に魅せられた生命いのちが、また一つ、大した理由もなく、燃え尽きた。


《…………》


 崩壊した識域の境界から腕を引き抜き、月を見やる。


 空の向こうからは、変わることのない虚無の光が降り落ちる。

 眩しい、そのしょこう。――仰ぐほどに、喉がひどく渇く。


 強烈な渇きだった。なまなかな意味や価値では、到底満たしようがないと絶望出来るほどに。

 胸に開いた空虚が、身を蝕んでいるのだとわかった。

 誰かの――誰だったろう――鈴を転がすような声が、脳裏をよぎる。


 “原型から離れるほど――”。


 この姿でいることの危険リスク。ただ在るだけで、俺は直衛佑オレであることを忘れていく。

 衝動が胸を突く。俺のいしずえ――直衛佑オレが消失する前に、一刻も早く、この真っ白な世界を砕いて、終わらせてしまわなくては。


 そう思った、直後。


「ゆ、う……?」


 声が、した。


 振り返る。そこに、誰かがいる。

 俺、そして直衛佑オレにとって、かけがえがないほど大切な、脈打つ生命いのち


 硬いショートのブラウン、透き通るような瞳。この、意味や価値と縁がない世界には、勿体ないほど眩しい、輝く、生命いのち


「佑、だよね」


 少女が言う。おずおずと、やがて確信を込めて。


 ……ああ、忘れていた。

 俺には、世界を壊す前に、焼いておかなきゃいけない存在モノがあった。


 俺が“願い”を果たしきるには、どうしても少しの時間がかかる。

 その一分一秒を、本当はからっぽなこの世界で、生きて、耐えて待つのは、きっと苦しい。

 だから、先に終わってほしい。世界より先に無に還って、からっぽなのに生きるこの苦痛から、早く楽になっていてほしい。


 歩み寄る。少女が口元をほころばせる。

 そっと腕を引き絞る。この身体を貫くのに、余計な力は必要ない。

 爪を閃かせる。長く親しんだ心臓の鼓動。その“終わり”の感触が、俺の掌に満ちる――。

 ――そのはずだった。


 ぐじゅっ!


 腕がうずまる。暖かい血、流れる熱の感触が、俺のがらんどうの指先に溢れる。

 けれど、それは覚悟していた味ではなかった。


 ちりん。


 金属質の何かが、地面に落ちる音がした。

 揺れる虹の瞳。流れる銀の長髪が、胸を裂かれた反動で揺れる。


《――あ》


 思わず、声が漏れる。


 黒衣の少女が、身をていして俺の爪を受け止めていた。

 腹部からは激しい出血が続き、額には脂汗が浮いている。

 傷の修復もろくに済んでいないに違いなかった。


《ゆ――の》


 悠乃。悠乃、文香。

 名前を思い出す。ひもき、閃いた記憶が、胸の底から溢れる。


 小さな身体に、法外な戦力。俺を助けるために世界の境界を跨ぎ、運命を変える禁忌まで侵した、不思議な眼を持つ少女。

 常識知らずで食わず嫌い、冷静なようでいて、存外に血気盛ん。自分勝手な選択で命を危険に晒した俺を、感情を晒してまで思ってくれた。


 赤い血が流れる。地面に落ちて、染みこんで、やがて小さな水溜まりを作る。


 ――やめてくれ。俺は、まだお前を壊す覚悟が出来てない。

 お前を、俺のわがままで一方的に終わらせる心の用意を、終えていない。


 だが、悠乃は退かない。どころか、目を細め、眼前にいる醜いモノを愛おしむように、告げた。


「言った……でしょう」


 貴方と、貴方の大事な人たちは。


「私が、守る……って」


 光が、消える。

 空を覆い、降り注いでいた、空虚な眩しさが、消える。


 俺をなおしていた空想がほどける。俺が、直衛佑オレへと巻き戻る。

 力なく垂れ下がった俺の血塗れの腕が、ぽたぽたと雫を垂らす。


 一歩、下がる。もはや立ってすらいられなかったのか、悠乃がその場に静かに崩れ落ちる。


「俺、は――」


 自分がやってしまったことを、後悔していた。


 衝動は変わらず胸にある。それでいいと告げている。

 けれど俺はおののいている。大事な存在を失おうとする痛みにおそれを抱き、混乱している。

 傷を塞がなければならない。でも、どうやって?


 腕が痛い。悠乃の命の重みで濡れた手が、世界に触れて急速に渇いていく。

 悠乃に触れようとする。資格のなさに躊躇ためらう。

 時が過ぎる。このままでは、悠乃は――。


「――あーあ」


 再び、声が響いた。


 先程聞いたものとは、全く違う色を帯びた声。

 その場違いならんまんさに、一瞬、呆気にとられる。


「駄目だったかー、やっぱり。致し方なし。プランBってやつだね、これは」

「由祈……?」


 さっぱりと、しかし何とも残念そうに言う少女の名前を、今や俺は思いだしている。

 大﨑由祈。ずっと一緒に年月を過ごしてきた、俺の幼馴染み。


「うん、そ。正真しょうしん正銘しょうめい、本物の私」


 優しく笑いかけるその表情は、曇りなく。

 そして、容赦なく。


「気付きなよ。いい加減」


 言いながら、手を伸ばす。

 とん、と軽く、突き飛ばすような仕草。


 次の瞬間、世界が消し飛んだ。

 いや、違う。吹き飛んだのは俺の方だった。


 地面を削り、肌をがりがりと擦りながら転がり、止まる。

 身を起こそうとする――ままならない。こんぱいした身体では、顔を上げるのがやっとだ。


ぼくねんじんだからなー、佑は。その感じからすると、考えもしなかった? “誰かが裏で俺に働きかけてないか”……って」


 俺の目をまっすぐ見下ろし、感情を読み取ったのか、由祈が言う。


「まあ、だから私も苦労したんだっけか。“自分の本当の気持ちに気付いてもらう”――それだけのために、ここまでやる羽目になったんだから」


 、自分を見つけ“契約”を持ちかけてきた男を手玉に取り、一連の事態を計画した。直衛佑を事件に巻き込むことで、その精神の底を掘り起こそうとした。


 直衛佑は、境遇の近い少女の夢を見、識域に立ち入り、覚徒となり、“願い”を口にした。


 直衛佑は、世界を知り、戦いに身を投じ、日常の危機において自身の衝動の一部を開放した。


 直衛佑は、生命いのちもてあそぶ男に怒り、自らの衝動の全てを表沙汰にし、その本性を露わにした。


 意味や価値、生命いのちが求めるそれらに何ら関わりを持たずに続く、この世界。それを壊したくてたまらないという、抑えがたい“願い”持つ者としての姿を。


「どう、少しはすっきりした? 世界ぶっ壊すぞーってやる気、湧いてきた?」

「……なんで」


 かろうじて、問いを口にする。


「どうして、由祈が、そんなこと」

「忘れてるのはそっちじゃん」


 不満げな顔をする由祈。


「内心見透かして人のこと惚れさせといて、一人だけ全部忘れて、普通に戻ってさ。それは元に戻ってほしいって思うでしょ、誰だって」


 よっと、と悠乃を抱え上げながら、由祈が言う。


「とはいえ。思い出してもらったからにはどっちでもいいんだけどね、正直。その胸の気持ちと相談して、答えが出たら来てよ。世界を壊すか、


 これ、告白だから、私の。よく考えてくれないと、悠乃ちゃんのこと殺しちゃうよ。

 屈託なく笑うと、背後に開いた境界の向こうへ、由祈はゆっくりと歩み去って行く。


「待っ……!」


 声は届かない。背中はやがて異なる風景の中に溶け、見えなくなる。

 全身に力が入らない。空想を酷使した代償を受け、精神が断線していく。


 識域の夜が終わり、夜明けが訪れる。

 差し込む陽光の熱をかすかに感覚しながら、俺は意識を失った。

 深く、消えない心の渇きを、心臓、胸の奥底に、拭うことも出来ず、抱えたまま。

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