5-3 映写、回想

 その青年は、一人の女を愛していた。


 女が不慮の死を迎えたと知った時、青年は、彼女と距離を置き続けていた自分を悔やんだ。

 そして彼女が生き続ける可能性イフを切願した。

 彼女の生に自分が必要でないことは知っていた。故に、青年は自分そのものが可能性の舞台装置になる道を選んだ。


 さそりの異形は、臆病で卑怯な青年に相応しかった。毒が命を刈り取るに任せ、直接に手を下す感触を味わわずに済んだから。


 繰り返す日々の中で、支えねばならない空想の重みは増していく。

 ひび割れた世界を背に負って、それでも青年は人を食らい続けた。

 だが、その日々は終わった。

 彼女は、もうこの世界のどこにもいない。




 その男にとって、成功とは忍耐と犠牲の上に成り立つ宝だった。


 社会せかいは男に己の心身の一部を差し出すことを要求し、男はそれに応えることで、地位と報酬を手に入れた。


 責任せかいはやがて、男にそれ以外のものも犠牲にするよう求め始めた。

 自分一人だけでは足りない。家族、ともがら、繋がりを持つあらゆる人間。


 男はそれを受け入れた。失敗とは失墜、失墜とは死だ。

 自分が死ねば、自分と繋がる全ての相手に累が及ぶ。不出来な自分を支えてくれた者たちを失うことだけは出来ない。

 成功は生存のために不可欠なものだった。男は生き延びたが、しかし気付けば、その手には何もなくなっていた。


 どうすれば良かったのか?


 答えを求め、途切れた糸をより合わせて、男は蜘蛛になった。待つこと、そして犠牲を選択することには慣れている。


 しかし答えを得ぬまま、男の一生は終わった。

 傷跡と犠牲だけが、男が現実に残した、唯一の痕跡になった。




 その女は、子を産むことを望んでいた。


 届かない全てのものを、追いかけ、掴もうとしてきた半生。

 得たもの、失ったもの、共に多く。

 それでも戦い続け、刻んできた道のりが、彼女の誇りだった。


 しかし、臓器に蓄積した損傷ダメージが子を持つことを不可能にしたと知った時、足下が崩れる思いがした。


 女は蜂になった。一兵卒の我が身を書き換えることを、己が願いとして。

 戦いは女の在り方そのものだ。あと少し、もう少し。女は上り詰めた。


 だが、願いが実を結ぶことは遂になかった。

 切望した我が子の姿を見ることなく、女は敗北した。

 全てのものは彼女の死と共に砕け、世界から塵も残さず取り除かれた。




 何を賭しても、と願い。原型を捨て、罪にまみれた。

 みちいつした先には荒れ野が待つ。それでも、可能性イフを形にすることを選んだ。


 そして、彼らは全てを失った。

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