4-3 白光

 その逸路は初めから、決して油断などしていなかった。

 生み出された“揺らぎ”に必要性が叫ぶまま群がり、その結果捕捉され殺された、他の有象無象たちとは違う。


 慢心の有無を問う以前の、極めて明白な事実。連中ほど識域の維持に困窮しているわけでもなければ、無力がもたらす危機にあえいでいるわけでもない。自分には、予測を立て、機を選び、ことを成す力がある。


 自身の識域を支配下に置く主から、予め状況も知らされていた。

 “後続が現れる可能性”。相手は名にし負う覚徒、仕留めたならばその者もまた捕食してよい、と。


 識域の強化は、全ての逸路が抱く強い“願い”の一つだ。おのが識域を打ち立てることに身命を賭したこの逸路にとって、強者への挑戦の危険など、はなから織り込み済みのものである。

 加えて、今回は撤退の選択肢も与えられている。挑まぬ方が不覚悟というものだ。


 そしてそのためには、前哨戦となる狩りを完璧な形で終わらせる必要がある。

 故に、“生き餌”に釣られて一人目が現れた際も、雀蜂の逸路は警戒と余力の温存をまず優先した。

 傍に付いているという“預言者”、その奇策を疑ってのことだ。考えなしに動いている可能性は排した。

 結果、戦いは思いのほか長引いた。多少の損害ダメージを与えられもした。


 だが、それだけだ。

 “後続”が現れるまでにはまだ猶与がある。

 有効打は与えた。後はとどめを刺し、第二の敵の出現に備えるだけ――。


 その思考に失策ミスが入り込む余地は存在しない。

 ない、あり得ない。

 そのはずだった。


 だが、“それ”は立った。

 虚ろな白光びゃっこうを揺らめかせながら、焦点のない瞳で。

 幾度と打ち合っていながら、しかしこれまで欠片も見せることがなかった、ばくだいで純粋な、震えるほどの殺意を、その総身にたずさえて。




 先手を取ったのは雀蜂の逸路だった。

 幾度となく潜った死線の経験が、刹那の思考を出力した。

 目の前の脆弱な獲物を、最上級に危険な存在と認識。生み出しうる限りの異能をもって、即座に叩きつぶすべきだと判断。


 ――いぃん!


 目標まではわずか数メートル。至近距離を最速で飛び抜けるための“願い”を身に帯び、突撃加速のせきを切る。


 繰り出す切っ先、引き絞られた鋼鉄の左拳は、絶速、必殺。

 数多の敵を屠り、己が糧と変えてきた、蜂の逸路にとって最も信頼のおける“願い”のり所。

 踏み込み、支障なし。獲物に動きはなく、一撃はその肉体を穿ち、完全破壊するものと、蜂逸路は信じた。


 だが。


 ――どくん。


 極高速で成されんとする一合。そこに奇妙なほどの自然さで“それ”が立ち入るのを、逸路は見た。

 “願い”により強化された五感、特に秀でる視覚世界。極限まで引き延ばされたその視界の中で、“それ”が不意に右手を振りかぶるのが見えたのだ。


 そして、次の瞬間。


 おんっ!


 右手が霞み、獲物の姿がかき消えると共に、視界が怖気を震うような白に包まれ、思考が暗転。激しい衝撃に見舞われる。

 加速の空想が断ち切られ、制御を失い落下した――すなわちされたのだと理解したのは寸秒後。


《ギ――》


 いぃぃぃっ!!


 このからだとなって以来、久しく感じることがなかった痛み。

 視覚を巡らせれば、突撃槍ランスと頼み、“願い”を注ぎ込んでいた左腕の喪失が目に入る。

 傷跡は極めてにぶい――その形状からと認識。

 湧き上がる、戦慄、混乱、疑問。


 “あれ”は一体何をしたのか?

 即座に再飛翔、最大速で間合いを取りながら思考する。


 答えは至極単純だった。

 ただ、距離を詰め、伸ばした掌でもって、逸路が“願い”を託したその切っ先に触れ、力を込め、摘み取った。

 ひとえに、その実行方法だけが異常だった。

 凡百の覚徒では観測すらも叶わない、蜂型逸路の突撃。それを上回る推力と反射神経、精密な異能制御でもって、一連の動作を、必要なだけの法外速で成したのだ。


 爆薬を山と四肢にくくりつけ、炸裂の反動で舞を結んでみせるような芸当。空想領域たる識域にあっても、それほどの狂気の沙汰は容易には成し得ない。

 だが、目の前で観測された出来事だけが真実だった。


「――――」


 理外の一撃を放ち、蜂逸路に痛手を与えた“それ”は、異様な姿に変貌していた。

 人間ひと、ならず。しかして完全な怪物、ならず。すなわち、異形の四肢を有するヒトガタの何か。

 螺旋巻ねじまき状の空洞を内部に抱え、肥大した四肢。

 その掌及び足先、肩口には、円錐状の深い孔が穿たれている。


 ぶうん!


 再起の“願い”を込め、消耗と引き換えに左腕を修復した逸路は、鋼鉄の大針を無数生成、ばらまくように放った。

 乱射――否。広範囲に発射された針は、一際高く鳴った翅の羽ばたきに命じられたかのように軌道を変更。立体包囲陣を形成し、直衛佑に向けて殺到する。


 接近を警戒しての選択だ。

 “あれ”の戦闘方法は未だ不明。しかし先の打ち合いで見せた信じがたい動きから、近接戦に秀でていることは確実と思われた。

 ならばこちらからは攻め込まない。第二の武器であるこのはね――機動力を間合いの維持に用い、距離を保ち続けて撃ち殺す。

 分析などは二の次だ。これ以上、“あれ”に何かをさせてはならない。


 蜂逸路の戦闘本能が導き出した判断は、ほぼ正しかった。

 一つ、間違っていたのは――。


 どくん。


 法外な走査の鼓動が、識域を震わせる。

 次の瞬間、直衛佑が動いた。

 遠距離の間合いにいたことで、それを辛うじて観測出来た。


 “追え”!


 だがっ!だがっ!だがっ!だがっ!

 だだだだだだだだだだだだだだだだだぁんっ!


 己の領域たる識域に命じ、異物――あの“何か”を排除するよう“願い”を込めた針が、後を追い、次々と突き立つ。


 だが遅い。

 直線的な動きであるにも関わらず、移動方向を予測、かつ時間差で降り注いでいるはずの針の全てが、“それ”に追いつけず、ことごとく地面・壁面を穿っている。


 それは飛びもせず、高速移動の“願い”すら身に纏っていない。

 ただ、跳び、その慣性を維持したまま、地を、壁を、そして空を、駆けている。


 きゅおうっ!


 甲高い咆哮が響くたび、歪な四肢から白い光が放たれ、直衛佑の姿がかき消える。

 命中寸前まで迫っていた大針のうねりは、その急加速を、そして同時に描かれる複雑な曲芸軌道アクロバットを捉えきれない。身を翻し、天地の別なく宙を蹴り、直衛佑は物量の絶対包囲を逃れ続ける。


 四肢各部に開く円錐状のうろを出力起点とした、瞬間的な推力の発生。

 原理は不明。“こう”なる以前の力の使用傾向から考えて、変換系の能力の応用であることまでは予測出来るが、並の物質変換では、推力練成の段階で炸裂などの余波が生じる。

 未知――これほど純粋な推力練成を可能とする力を、蜂型逸路は知り得ない。


 どくん。


 再び放たれる走査の鼓動。

 それが我が身に届いた瞬間、直衛佑の虚ろな視線が確かにこちらへ向いたのを、蜂逸路は感覚した。

 危機を感じ、急速上昇をはかるが、成らず。


 ――きゅおうっ。


《――――!!》


 つい先程まで眼下にいたはずの直衛佑が、息づかいを感じ取れるほどの超至近距離に、何の前触れもなく出現していた。

 その歪な右腕は、既に大きく振りかぶられている。


 防御の“願い”を纏い、鋼鉄の両腕で障壁を生成するも、及ばず。

 白い光が視界を侵した次の瞬間、蜂逸路は大気がいななくほどの極高速で撃ち出されていた。


 ごうっ!!ごっ、ごっ、ごっ!


 識域の侵蝕によって変貌したビル群――黄色と黒からなる六角柱の集合体を幾棟も貫き、なお止まらず、巨大な鉄塔をねじ曲げながら減速、磔に近い姿で静止する。


《ギ――》


 蜂逸路の躯体は過半が損壊。残った右の複眼には、迫り来る直衛佑の姿が映される。

 再生――間に合わない。攻撃を仕掛ける以外に生き延びるすべはない。


 渾身の“願い”を込め、再度針を大量生成、直衛佑を取り囲む。


 “貫け”、“穿うがて”、“息の根を止めるまで”!


 全方向から殺到する大針。例え半数が回避されたとしても、人体を破壊しきるには十分な物量。

 これほどの力を一つの戦いで使ってしまえば、回復は難しい。

 続けて後続の覚徒との戦闘に突入した場合、何も出来ずに殺される可能性もある。

 それでも、今この瞬間の死を免れるためには、身を切るより他に道はない。


 苦渋の選択――しかしそれほどの手を打って、なお不十分な相手だと覚悟出来なかったことが、蜂逸路の敗因だった。


 どくんっ!


 走査の鼓動が空間を震わす。

 速度を持って迫る処刑針の群れが、怯えたようにその切っ先を揺らがせる。

 次の瞬間、


 ばちいっ!ばちいっ!ばちいっ!


 先頭、対象のすぐそばにまで迫っていた針が次々と弾け、込められた空想の力を失い、空間に溶け消える。

 それだけに留まらない。破砕の波は直衛佑を中心に瞬く間に広がり、連鎖。

 球状の布陣で取り囲んでいた針のことごとくを砕ききるまで続いた。


 ざあああああっ!


 針の残滓が光の雨となり、直衛佑の周囲に降る。

 走査による物体構造の一斉把握、異常規模の同時干渉による破壊オーバーロード


 それだけのことを成しながら、その横顔にはいささかの消耗も滲んでいない。

 こちらを見る虚ろな眼差しに浮かんでいるのは、ただ一つの感情、衝動。


 “壊したい”。

 “お前を”、“壊してしまいたい”。


 蜂逸路は、今度こそ戦慄した。


 それは、何の混じりけもない、純粋で強烈な感情だった。

 それは、幾百の“願い”よりも強く澄み切った切願ねがいだった。

 こんな切願ものと打ち合い、なお原型を保てる“願い”など、果たしてあり得るだろうか?


 “それ”が迫る。

 “それ”が、静かに歪な腕を引き絞る。

 切なる“願い”に基づいた徹底的な破壊をもたらそうとする。

 蜂逸路にとっての唯一の救いは、死が“それ”とは別の形で訪れたことだった。


 ――ごっ!!ごうっ!ごっ!!


 音もなく飛来した、大口径の高速徹甲弾の連射が、雀蜂逸路の胴を、頭部を貫き、跡形もなく破裂させる。

 散る鋼鉄の肉片。光と変わる、熱持つそれら。


 返り血のような熱さに触れて、虚ろだった直衛の目に光が戻る。

 振り返る。

 視線の先に立つのは、黒衣の少女。


「……悠乃」


 ぽつりと名を口にする。

 抱えるほどに巨大な銃器を携えて、悠乃文香がそこにいた。


「佑」


 名を呼ばれる。

 呼ばれたことに、ひどく安堵した。

 自分がどういう存在なのか、忘れかけていたその有り様を、思い出させてもらった気がして。


 全身の力が抜ける。歪な輪郭を結んでいた四肢がほどけ、崩れ落ちかかる。

 そのまま顔を打ち付けてしまいそうなところを、しかし支えられた感触がした。


 細い腕、白い手のひら。人間一人を抱き留めるには、小さすぎる拠り所。

 けれど、今はそれに身を預けるより他に選択肢はないようだった。


 意識が暗転していく。五感が閉鎖され、外界から切り離されていく。

 閉じた意識の内側に、最後に残ったのは、虚ろな白色ホロウ・ホワイトに染まった世界の光景。


 ――俺は、どこで、これを識ったんだっけ。


 答えは出てこない。そう思い致したのを最後に、電源を切るように、思考が途切れた。


 後には、真っ暗な感触の空白ブランクだけが、広がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る