拝啓、僕は今、取り調べを受けています。

青冬夏

拝啓、僕は今、取り調べを受けています。

都内某所にある警察署。近代的な様相をしており、正面玄関には“趙島署ちょうしま”と金色の文字があり、その左右にはそれぞれ交通安全を呼びかけるものがあった。


至って普通の警察署において、ある事件の取り調べが行われていた。

無機質な小さな部屋の真ん中にアルミ製の机、それを挟み合うかのように折りたたみ椅子が置かれている。また、その部屋の端には取り調べの記録が出来るようにテーブルがもう一つ置かれており、その上にはパソコンが置かれていた。


その真ん中において、牟岐むぎ刑事という男性が目の前にそびえ立つかのように座り、三条湊斗と対峙していた。三条湊斗は顔つきは端麗だが、子どもを彷彿とさせるような大きな黒目と小さな口で牟岐刑事の双眸には幼く感じさせた。


「君には殺人の容疑がかかっている」

「……殺人?」

と三条が冷静な口調で言う。

「ああ」

「それは……」三条は組んでいた足を解いて牟岐刑事の瞳をじっと見た。「誰を僕が殺したんです?」



──今から三日前のこと。事件は前触れもなく唐突に警察のもとに届いた。

通報者によれば、所轄内の緑島公園において人が倒れているということであり、駆けつけた警察官によりその場で死亡が確認。持っている身分証明書から倒れている人の身元が分かり、氏名は“九重ここのえ俊彦”という二十代ぐらいの男性だという。胸から出血をしており、それが直接的な死因となって亡くなったと鑑識が判断、その情報が牟岐刑事や天達あまたつ刑事など現場に駆けつけた刑事たちに知らされた。以後、それらの情報と現場の状況なども含め捜査をしたところ、九重俊彦と高校の同級生であった三条湊斗が浮上、任意同行を求めて、現在牟岐刑事や天達刑事たちにより取り調べが行われている。


「九重俊彦という男だ」

牟岐刑事が話す。

「なるほど」

「君、九重という男と同級生だったらしいね」

「そうですが」

少し取調室に沈黙が降りると、その沈黙はすぐに三条によって解かれる。


「どうして僕が九重くんを殺したとでも?」と三条は首を捻る。

「それは……。まあ、こっちの質問に答えてくれたら教えてあげるよ」

「そうですか。では」と言い、三条は座り直す。その時に椅子からミシミシと抗議する音が響いた。


「では早速質問。君は三日前どこで何をしていたかな?」

「家に一人でいました」

「そうか」

「で?」

「ん?」

と牟岐刑事が首を捻ると、三条は「教えて貰えるんでしょ?」と答えた。

「何を?」

「ほら、あの……僕が九重くんを殺した理由。あるんでしょ? 鋭い目つきで僕を疑うなら」

「教えるとは言ったが、こっちの質問に答えてくれたらの話だ。まだこっちには聞きたいことが山ほどあるんだ」

「そうですか」


一瞬“屁理屈だな”と言いかけたものの、三条はその言葉を喉の奥へ飲み込んだ。牟岐刑事は次の質問に移った。

「君は九重くんとはどういう関係にあったかな?」

「九重くんとは高校の同級生です。ただ、全く話さなかったし、あっちも全然僕に話しかけてくれなかったので僕も話しかけませんでした。まあ、彼はいわゆる陽キャみたいなところがあったので、僕の苦手な人でもあったけど」

「そうか。苦手な人か」

「そうです」

「では次」と言い、牟岐刑事は机の上に一枚の写真を取り出した。「この写真は現場に落ちていた凶器の写真だ。この凶器に何か見覚えは?」


そう言われ、三条はその写真をじっくりと見つめる。

刃渡り十センチからなるペティナイフ。黒色の柄の部分には血が滲んでいるかのように思え、銀色の刃には血がべっとりと付いていた。


「これ……、うちのです?」

「ああ」

「どうりでうちのものだと……」

「なぜそうだと?」

横から天達刑事が訊ねると、三条は目線を天達に向けた。

「僕の持つ包丁は大体イニシャルが彫られているので……」と言い、写真の包丁の峰の部分に指を置く。「ほら、ここに僕のイニシャル」

「ほんとだ」

そこには“M.S.”と記されていた。


「なるほどな。ありがとう」

「いえいえ」

「現時点を持って、お前を殺人の容疑で逮捕する」


席を立ち、まるで獲物を捕まるかのような目で牟岐刑事は三条を見下ろす。

「えぇ~!!」

彼の声が部屋中に響いた。



「無事に起訴まで持ち込めますかね?」

インスタントコーヒーを入れながら天達刑事が言う。

「まあ、あの凶器と自白を持ち込めば大体は起訴されるだろうな」

背もたれに寄りかかりながら牟岐刑事が言う。その際に天井に掌を向けて背を伸ばす。背骨がポキポキと鳴った。


「それにしてもなんですけど……」

「ん?」

「三条が被疑者となった事件、何だか牟岐刑事の身内が亡くなった事件と似てますよね」

そう言った時、牟岐刑事の目つきが細くなる。何も話さない牟岐刑事をよそに、天達刑事は話を進める。


「確か……。夜の公園でいきなり被害者が後ろから刺されて、そのまま亡くなったという。現場には今回と同じくペティナイフが落ちていたらしいけど、犯人に繋がる証拠はなく……。被害者にも特に恨まれている形跡はなく、犯人は……」

「……それ以上言うな」

低い声で、かつ鋭い目つきで牟岐刑事が天達刑事を見る。その視線に天達刑事は少しだけ驚いた。


「何が言いたい?」と牟岐。

「俺にはどうみても……、三条がやったとは思えなくて。今回の事件は牟岐刑事の身内が亡くなったあの事件の犯人が引き起こしたんじゃないかって、俺は思ってるんですよね」

「……勘か?」

「ええ、まあ」

「そんな勘はドブにでも捨てておけ。事件解決に結び付けるのは具体的な証拠、推測、そして」

牟岐刑事は机にコーヒーの入ったコップを置いた。


「追いかける執念だ」



翌朝。拘置所から取調室に移送された三条はパイプ椅子に座り、じっと扉を見続けていた。その扉から牟岐刑事と天達刑事が出てくる。

「おはよう」


椅子に座りながら牟岐刑事は言うと、三条は頷いた。

「どうだ。ここのベッドは」

「固いです。床で寝てるのかってぐらい固いです」

「そうか」

と言い、牟岐刑事は机の上にある紙を取り出した。


「何です?」と三条。

「昨夜令状が降りて君の家を捜索させて貰った。そうしたら、君のパソコンから借用書が出てきた」

「借用書……」三条は机の上の紙を見る。言われた通り、“借用書”と書かれており、“九重俊彦殿”とも書かれていた。


「なるほど。僕は九重くんに金を借りようとしていたわけか」

「ん? 借りるつもりはなかったのか?」

「ああ、いいえ。そんなのパソコンにあったかなぁって……」

と三条が首を捻った時、牟岐の傍にいた天達が横目で三条を一瞥した。


「まあいい。これが出てきたということは、君は九重から金を借りるつもりだったということだ」

「ところでなんですけど」

「なんだ?」

「凶器ってどこから出てきたんです?」

「それをなぜお前に言う必要がある?」


と怪訝な目つきで牟岐は三条を見つめる。

「いやだって……。もしですよ? 仮の話です。僕が殺人を犯すとしたら、凶器は持って帰ります。持って帰って家で洗って、何事もなかったかのように普段遣いします。凶器がすぐに警察の目によって見つかる、なんて事態はまずないです」

「そうか。でもな」と言い、牟岐は座り直した。「実際はそんなもんだよ。で、認める気になったか?」

「いいえ」三条は首を振った。「僕はやってないです」


「ほお。そこまで断言出来るんだ」

「当たり前です」

少々煽るような牟岐の口調にも動じない三条を見て、牟岐は鼻を鳴らした。



取り調べが始まってから二時間。

「ところでなんですけど」

「なんだ?」


牟岐の上半身を舐め回すかのように一瞥する三条を見て首を傾げると、三条は牟岐の目に視線を向けた。

「あなたって……、家に帰ってないんです?」

「は?」

「だって……。シャツが洗われていないし、襟元はアイロンでした痕跡が見当たらないし。どうしたんです?」


小首を傾げる三条に対し、「……なんで分かった」と牟岐は答えた。

「いえこれは単純で、観察しただけです。よく言うでしょ、“見ることと観察することは大違い”だって」

「知るか」

「で、本当なんです?」

「ああ、本当だ」

台詞を吐き捨てるかのように牟岐は言う。


「あとなんですけど」

「なんだ?」と牟岐は少々苛つかせる。

「あなたの顔、どこかで見掛けた覚えがあると思ったんですけど……」

「俺か?」と牟岐は自分の顔を指差す。

「ああ、いいえ」と首を振り、目線を傍にいた天達に向けた。

「そちらの男性です」


「え? お、俺?」と天達は驚くと、三条は頷いた。

「ええそうです。昨晩のうちに思い出したことなんですけど──あ、言ってなかったんですけど、こう見えて僕、記憶力は良い方なんです。よく過信はするなっていつも言われていることなんですが──確か、昨年ぐらいに起きた事件の関係者として週刊誌に挙がっていましたよね?」

そう言われ、天達は三条に対して目を細めた。


「いかにもそうだけど……。それがどうかしたのか」

牟岐刑事が天達から三条へ目線を移しながら言うと、牟岐の瞳の中の三条は首を捻った。

「警察が僕を犯人として陥れようとしているこの事件、そしてそこの刑事さんが関わっている昨年の事件……、何だか似ているような気がするんですよね」

「ほお。その事件もお前がやったというのか?」

「いいえ。昨年の事件も断じてやってないです」

「じゃあなぜ?」


牟岐に首を捻られた三条は人差し指を顔の横に立てた。

「これはあくまで僕の想像に過ぎないのですが……。昨年の事件を引き起こした犯人は恐らくこのままじゃまずいと思い、今回の事件に僕が犯人として囚われている。その線が仮に正しいとするなら、僕は無罪放免です」

「詭弁だな」と言い鼻を鳴らす。「第一、証拠はどこにある?」

「証拠です? それは……」

「まあ、所詮お前の妄想だ。大人しく自白しろよ」

「いいえ。それは出来ません」

「なぜ?」

「なぜと仰られましても……」


困惑する三条を見て、牟岐は思わず首元を掴んで舌打ちを大きく鳴らす。すると、牟岐の後ろから扉をノックする音が部屋に響く。牟岐は三条の首元から手を離し、「どうぞ」と声を出す。後ろを振り返ると、そこには別の刑事がいた。


「牟岐さん。大変です」

「なんだ?」

「今回の事件で逮捕した犯人、三条ではなく」

一度言葉を切り、刑事は牟岐の傍にいた男に目線を向けた。


「天達です」



「天達が? 犯人?」

牟岐が首を捻りながら天達の方へ視線を向ける。天達は無表情だった。

「そもそも、誰が彼のことを調べたんだ」

「私です」


そう言ったのは三条だった。「なぜ?」と傾げた牟岐に対し、ふふ、と彼は微笑んだ。

「昨晩、通りかかった彼に頼んだのです。もし私を犯人として陥れようとしているなら、私に何らかの関わりがある人物だと思って。そこで思い出したのが、鍵です」

「鍵?」

「はい。私が昨年ぐらいの頃、鍵を落としたんです。その時はただ“誰かさんが拾ってくれたんだ……。ありがたいなぁ”としか思っていなかったんですが、今思えばこの事件の犯人ないし昨年の事件の犯人に僕を陥れる、最悪な出来事だと勘づいたのです」

「だから、その刑事に調べさせて貰ったのか」


牟岐が三条に話すと、彼は頷いた。

「三条さんの鍵を昨年拾って交番に届けてくれた人を調べたところ、赴任したばかりの天達刑事の名前が浮かんできたんです」

扉付近にいた刑事が若々しい声で話に入る。


「まあせっかくなんで」と三条は立ち上がる。「昨年の事件と今回の事件について、僕の解釈を聴いて貰えますか」

彼の言葉に誰も反応せず、ただ部屋に沈黙が降りる。その反応を受け、三条は部屋を歩き回った。


「昨年起きた事件。夜の公園で何者かが被害者を襲い殺害した、醜い事件です。夜に起きた殺人とだけで恐ろしい話でマスコミが食いつきそうな話ですが、それよりもっと食いつきそうな話がありました。それは何かと言うと」

三条は牟岐に視線を向けた。


「牟岐さん。あなたの妻が今言った事件の被害者なんです」

何も言わず、牟岐はじっと三条の瞳を見続けた。三条は牟岐から目を離し、再び歩き回る。

「偶然、僕の周辺には警察関係者がいるもので。まあそれは置いておいて……。あの事件と今僕を犯人として陥れようとしているこの事件では、揃って同じ所があります。一つはペティナイフを使っていること。もう一つは、同じ手口で人を襲っているという二点です」


「そりゃそうだろ」と言い、天達は目の前の三条に話す。「夜に発生する殺人というのは、見ず知らずの人をいきなり襲って同じ凶器を使うのが当たり前だろ」

「そうですね……」三条は顎を撫でながら天達を横目で見た。

「確かに君の言うとおり。だが、こうとも言えます」


一度言葉を切り、呼吸をして口を開く。

「一つの解釈は、先の事件で遺族となった牟岐刑事が今回の事件で犯人を刺し殺す。そしてその罪を僕になすりつけることで、自分は無罪放免。そしてもう一つの解釈として、天達刑事が先の事件で殺害したのが牟岐刑事の妻だと分かったきり、今回の事件で僕と関係がありそうな人物を探しその人を同じ現場で殺害。そして僕に罪をなすりつけることが出来れば、自分は二つの事件の犯人ではなくなる。──まあ、今回のケースとしては後者なんですが」


話し終えた三条は牟岐と天達の目の前に立つ。

牟岐は傍にいた天達に視線を向け、「……本当なのか?」と疑念を向ける。天達は何かに怯えている表情になっていた。


「……ごめんなさい」

「天達」

「……俺が、俺が……牟岐さんの妻を殺害して、三条の知り合いを殺害しました」

無機質な部屋で天達の悲しげな声が虚しく響いた。



「……どうして牟岐さんの妻を殺害したんです?」

三条が優しく語りかけるように天達に話す。

「牟岐さんには悪いんですけど、俺はあの人と浮気をしていた。それで、いつぞやのことあの人から別れを切り出してきて──。俺は思わず反対してた。よくは知らないけど。でもそうやって思わず反対してしまうほど、俺はあの人のことを好きになっていたと思う。だから、だから俺は牟岐さんの妻を殺害してしまった」


「じゃあ、九重くんを殺した事は?」

「あれは咄嗟に思いついたんだ。誰かに罪を着せれば、きっと牟岐さんの疑いをそっちに向けることが出来るからって。それで、そのことを行動に移して九重を殺した。事前に君の鍵の型をとっていたから、君の部屋に侵入して、凶器のペティナイフを隠したんだ」


目線を下に向けながら、鼻を啜る天達を牟岐は一瞥すると、いきなりピシャリと頬を叩く。

「バカかお前」

「……え」

「そんなんで罪を重ねるなよ。それでも刑事かよ」

「でも、俺……人を殺して、牟岐さんの妻と浮気して……」

「そのことは許さんよ。だけど、いくらなんでも人を殺すことはいかんだろ」


最後に「すいません」と頭を下げる天達を見た後、牟岐は三条に視線を向けた。

「君はもう帰ってよし。釈放だ」



一連の取り調べが終わり、すっかりと空が橙色に染まった光景を三条が見上げていると、趙島署から出てくる牟岐が彼に話しかける。


「悪いな。最後まで君のことを頭っから疑って」

と言われ、三条は首を振る。

「いいえ」

「ところでなんだが」

「何でしょう」

「君は天達が犯人だと、いつから気づいていた?}

「いつから? ……そうですね」


と言い、三条は腕を組んだ。

「探偵は基本決まって“最初から分かっていました”と格好つけて言いますけど、僕もある意味探偵の役割をしたんで、言わせてください」

彼はコホンと咳払いをした。


「最初から、分かっていました」

と言い、三条は「それでは」と頭を下げて趙島署を後にした。


その背中を一瞥する牟岐は手に持っていたある漫画の表紙を、彼の背中と合わせた。

「まるでこの主人公と似てるな」

その表紙にはアフロ姿の男性が真正面から描かれており、タイトルには“ミステリと言う勿れ”と表記されていた。


──またな。三条湊斗。


そう思って、牟岐は趙島署の中に入った。

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拝啓、僕は今、取り調べを受けています。 青冬夏 @lgm_manalar_writer

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