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 高原玲奈──という名前を大学の裏サイトで検索したら、山ほどひっかかってきた。

 どうも学内では相当に有名人だったようだ。にもかかわらず今日の今日まで玲奈の存在を知らなかったのは、湊斗がぼっちだからだろう。友達なんて一人もいないから、学内で誰とも話さないから、同じ講義を受けるまで有名な玲奈の存在を知らなかった。

 我ながら悲しい学生生活だなと湊斗は思うも、教室の隅で一人を貫く自分の行動をあらためる気はない。人との距離を縮めた結果、自分の体質がバレて変な目で見られたり、もしくは知り合いになった相手が霊にひようされて〝死人の夢〟を見るリスクが上がったりするぐらいなら、一人でいるほうがずっとましだと感じているからだ。

 とりあえず考えれば考えるだけゆううつになりそうな自分の身の上はさておき──湊斗は玲奈に関わる書き込みを一通り読んでから整理する。どうやら玲奈は湊斗の通う大学を一度退学していて、今年になってから再入学をはたした学生らしい。

 別に再入学など珍しい話でもない。海外への長期の留学でやむなく退学したが帰国をしたため、あるいは在学中に出産したから退学したが子どもがある程度大きくなったため、そんな理由で再び大学に戻ってくるケースはよくある。

 だが玲奈の場合、退学せざるを得なかった理由が普通ではなかった。

 湊斗たちの通う大学は決して偏差値は低くはない。だからそれなりに頑張って受験をし、晴れて入学をはたしたであろうに──半年しか経っていない一年生の後期の授業期間中に、高原玲奈はこつぜんと姿をくらましたのだそうだ。

 置き手紙も、友人へのメールの一つもない。

 同居の家族もまるで心当たりがない。

 それこそ何の変哲もない普通の日曜日に、玲奈は都内の山へと登山に行くと言い残して出掛けたきり、消息を絶ったらしい。

 向かった先が山のため、当初は遭難と判断されて山の捜索もされた。だが見つからず、しばらくして捜索も打ち切られたのだそうだ。

 後に行方不明という理由で、玲奈の退学届が両親の手で事務局に提出された。

 しかしある日、隣県の山中の湖畔で玲奈が発見される。

 ハイカーに通報されて保護されたとき、玲奈はほうけてわけのわからないことを話していたらしい。だが着ている服装から、以前に行方不明者届の出されていた高原玲奈だと警察はすぐにわかったそうだ。

 玲奈が消えた山と発見された湖の付近までは、かんとうさんつながっている。普通に考えれば、遭難した玲奈が方向感覚を失いながらも歩きに歩いて、隣県の山のふもとにまでどうにか辿り着いたと考えるべきだろう。

 だが警察関係者は、誰もが首を傾げた。

 もっと言えば、信じられない事実におののいた。

 というのも玲奈の行方不明者届が出されたのが、発見された日から一ヶ月や二ヶ月前などではなかったからだ。

 実に──一〇年前のこと。

 都内の山中で消息を絶った高原玲奈は、つまり一〇年にもわたって山の中をはいかいし続けていたことになる。

 にもかかわらず、玲奈の服装は行方不明者届が出されたときとまったく同じだった。一〇年も経てば新品のウィンドブレイカーだっていろせようものだが、足元の靴からかぶったニット帽まで、何一つとして当時と変わっていなかったのだ。

 さらには──行方不明者届に添付された写真が、担当した警察の人間たちの顔をさらにそうはくにさせた。

 正直、自作自演なり偽装工作なりで、消息を絶ったときと同じ服装を用意することは可能だろう。でも顔は別だ。整形をしようとも、どうやったところで人間は歳をとる。一年や二年ではなく、一〇年も経てば人はまったく同じ容姿ではいられない。

 なのに発見された玲奈の顔は、一〇年前の写真と何一つ変わっていなかったのだ。

 どこの誰がどうやってこんな情報を得たのかわからないが、しかし裏サイトの掲示板にはあちらこちらである単語が躍っていた。


 ──神隠し。


 おとぎばなしうらしまろうのごとく、現実とは時間の流れが違う山中の異郷から高原玲奈は帰ってきたのだと──ゆえに高原玲奈は〝神隠しから帰ってきた女〟なのだと、信じる信じないと様々な思惑はあれど、そんな呼称が面白おかしく書き散らされていた。

 さらには今日の比較文化人類学の講義のことも書かれていた。

 正確には今日の講義のことだけじゃない。復学をした数ヶ月ほど前から、どうやら午後の講義を受けている際に、玲奈はいつも頭からバケツの水をかぶったように全身がびしょ濡れとなるらしい。

 玲奈の身を襲うその謎現象に対する学生の反応は様々だが、おおむね共通している思いは「迷惑だ」というものだった。

 講義を邪魔されて腹立たしいという意見が多いなか、玲奈の隣に座ったことで実際に水がかかったという書き込みもあった。その水は水道水のような真水ではなく泥臭くて藻も交じりとても汚かったと、買ったばかりのレギンスを汚されたその学生は、裏サイトの中で玲奈に対してぞうごんをぶちまけていた。

 どうしてそんな真似をするのか? ──何人かが玲奈本人にもいたらしい。

 でも返ってくる答えは「私が知りたいわよ」と、いつも同じだったそうだ。

 再入学してきた当初こそ、午後の講義中に玲奈がいきなりずぶ濡れになる現象を面白がっていた学生も多かったようだが、今はもうそれを楽しんでいる者はいない。

 何度見ても仕掛けがわからなければ理由もわからない玲奈の奇行──というか怪異に、今では誰もが気味悪がり近づきたがらないからだ。

 ──昼間の講義のときの、周りの学生たちが玲奈に向けていたおびえた目線を湊斗は思い出す。

 掲示板や本人を前にしない噂話なら〝神隠しから帰ってきた女〟だなんだと、みんな好き勝手に書いたり言ったりできるのだろう。

 でも実際の怪異を前にしたら、誰もが口をつぐんでしまう。

 一〇年前と同じ容姿で神隠しから帰ってきたらしい女子の身に起きる、人体発火現象ならぬ人体水没化現象──その異常さに、怪現象を信じていない者ですらも本能的にせんりつして、玲奈を忌んでしまっているのだと思った。

 ──この状況を理解したとき、湊斗は目眩めまいがした。

 湊斗が見た限り、たぶん玲奈は自分の肩に乗ったもう一つの女の顔に気がついていない。それはつまり霊が視えていないということで、水浸しとなる現象が自分にいた霊によって起こされている霊障だとは思ってもいないだろう。

 でもそれが当然だ。かれた男の霊ににらまれていた女子がそれでも普通に過ごしていたように、憑かれた霊による強い影響が出ることのほうがまれだ。まして物理法則を無視するような霊障なんて、今もなお信じがたいほどだ。

 あんな霊障に理不尽に襲われ続けたら、湊斗ならきっと心がくじけるだろう。

 ──それなのに。

 周囲の有象無象の学生なんて眼中にないと言わんばかりだった、玲奈のツンとすまして平然としていた表情を、湊斗は思い出す。

 それから背後の霊を視ていたのを勘違いされて敵意を込めて湊斗を睨んできたときの表情を、騒ぎを起こした直後なのに気にしないとばかりに真剣に講義をうける真面目な表情もまた、湊斗は思い出した。

 どうすれば、あんな風に威風堂々としていられるのか。

 自分と同じく霊に悩まされているのに、ましてや怪異の原因すらわかっていないだろうに、なぜに玲奈は肩をすぼめることなく胸を張っていられるのか。

 知りたい──と、湊斗はそう思った。

 自分と違って、人目から逃げずに真っ向から向かっていく玲奈のことをもっと知りたいと、湊斗は自然にそう感じていた。

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