宝石職人のバケットリスト
タカナシ
プロローグ
朝日がのぼり、雪原に陰影を生む。眩いばかりの白と黒のコントラストに、少女は目を細めた。豊かな赤毛をひとつに縛って三つ編みにし、羊毛のマフラーをぐるぐると首に巻いた少女だ。
少女の、不思議な色をした瞳に映るのは――雪面に残された動物の小さな足跡。雪を割いて健気に咲く、紫色の花。そして。
「雪の宝石……」
きらきらと輝く雪の結晶は、砕いて散りばめられた宝石のようである。
グロノア王国では秋と冬が交互に巡る。秋は安らかであるが、冬はひどく厳しい。特に北の外れにあるこの地域では、一晩で村をひとつ飲み込むほどの雪が降り積もることもある。
十歳を迎えたばかりのライラも、命が危ぶまれるような冬を幾度となく乗り越えてきた。
「静かで、綺麗だね」
左側に立つ、ライラと背丈の変わらない少年が、膝まで雪に埋もれながら、一面の銀世界に気圧されたようにつぶやく。
「静寂は、魔女が与えてくれたものだよ」
ライラは得意げに言った。
「魔女が?」
「そうよ。これは、魔法なの」
「魔法か……」
魔女の静寂を共有した二人は、微笑み合った。
「うわっ!」
木の枝から落ちてきた雪に驚いて、少年が声を上げる。
ライラは、「しっ」と、人差し指を唇の前に立てた。
「魔女の静寂を荒らす者は呪われるよ」
「呪われるだって?」
「おじいちゃんが言ってた」
ライラは左耳だけを手で塞ぎ、音のない景色に陶酔する。
静寂の中にある世界は、ひときわ美しかった。
ライラの右耳は、数年前から聞こえない。祖父は、「魔女様が、右側に静寂を与えてくださったんだろうよ」と言い、まだ小さかったライラを優しく抱きしめてくれた。
年老いた者たちは、説明のつかないことを魔女の悪戯だとか贈り物だと言い換えて納得し、ライラは、古き森には魔女が棲んでいると信じていた。
「私の魔法、まだ解けないね」
右耳が聞こえないからといって、さほど不便は感じていない。時々、どこから音が聞こえているのか分からず、戸惑うことはあるけれど、ライラにとってそれさえも日常だ。
隣を見ると、少年も両耳に手を当てている。ライラと同じように、音を遮断して景色を楽しんでいるようだ。
銀色の髪と琥珀色の瞳を持つ少年の横顔は、どことなく憂いを帯びているように見える。端正だけれど、子供らしくない表情だ。
ライラは少年のことをよく知らない。知っているのは、家の近くにある貴族の別荘で、わざわざ真冬の時期を、少年の母親や使用人たちと過ごしているということくらいだ。
ふいに、少年がライラの顔を覗き込んできた。
「何?」
ライラは左耳から手を離す。
「来年も会いたい。ここで、また会える?」
少年はためらいがちに訊いてきた。
「いいよ。約束ね」
長老と呼ばれる冬木立の大木の下で、二人はどちらからともなく小指を重ね、指切りをする。
少年の綺麗な指先を見ていると、あかぎれだらけの自分の手が急に恥ずかしくなった。ライラは慌てて手を引っ込め、きまりが悪そうな笑みを浮かべる。
「約束だね」
ライラの気持ちには気づかず、少年は照れくさそうに笑った。
しかし、その翌年、少年が別荘にあらわれることはなかった。さらに次の年も、別荘は空き家のままだった。
果たされない約束は、いつしか冷たい雪に埋もれていった。
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