7.セィタン家の使いが来訪
勇者であるセシル・アスモデの来訪から数日後…
セィタン家の家紋とその従者であるブエル家の家紋を付けた馬車がキクルス家の前で止まった。
馬車の中からは右目に眼帯を付けた質素なドレス姿の女性がゆっくりと下り、従者である初老の男性執事が荷物持って下りてきた。
「ティファお嬢様。本当に宜しいのですか?」
「ええ。今までご苦労様でした、爺や。あちらでもお元気で」
「お嬢様こそ、どうかお元気で」
ティファ・ブエル伯爵令嬢が老執事の謝辞を述べた後、荷物を受け取ってから老執事が乗る馬車が元の領地へと帰っていくのを見届けた。
馬車が去った丁度その時、キクルス家の屋敷の扉からカイとミリーの二人がティファの前に現れた。
「ティファ様、よく参られました…」
「ミリー様、半月ぶりのご無沙汰です…本当に、お姿が変わられて…」
男性用の執事服を着こなし、短い髪になってしまったミリーの姿にティファは優しく抱きしめていた。
そんな二人をカイは静かに見届け、ティファが動くのを待っていた。
それに気付いたティファは気持ちを切り替え、改めてカイの前に向いて淑女の挨拶であるスカートの裾を掴んでお辞儀をした。
「始めまして、カイ・キクルス伯爵令息様。私はセィタン家直属のブエル伯爵家の三女、ティファ・ブエルと申します」
「始めまして、ティファ・ブエル嬢。僕がカイ・キクルスです。遥々こちらの領地に参られた事に感謝いたします」
挨拶終えたカイの姿をティファはジッと観察した後、クスッと少しだけ笑った。
「カイ様。緊張なされてる所為かも知れませんが、スーツのネクタイが少しずれておりますわ」
「あっ…」
「カイ…忘れていたね」
ティファの指摘にカイは慌ててネクタイを調整しようとしたが、呆れたミリーが駆け寄ってカイのネクタイを正し直した。
そんな二人のやりとりにティファは優しく微笑えんだ。
「本当に、仲の良いのですね…羨ましいですわ」
「う…お見苦しいところを見せて申し訳ない…」
「いえいえ。セィタン公爵様からの使いの上に、本日からこちらのお屋敷でお勤めする事になりますので、お二人の様子を観察しながらキクルス家をお世話するのが楽しみですわ」
ティファの言葉に、カイとミリーは目を丸くして彼女を見ていた。
そんな二人を余所に、ティファは更に続けた。
「本日付けで私ティファ・ブエルはセィタン公爵様の命の下でキクルス伯爵家に参り、従者としてキクルス家の事業と計画を補佐する事になりました。以後お見知りおきを」
セィタン公爵の直々の命令でキクルス家に従者としてやって来たティファに、カイは右手で顔抑えながら天を仰いだ…
どうやら、セィタン家から想像以上の期待が寄せられてる事に…
ティファを屋敷に招いた後、今後は従者として住み込むという事になったので、屋敷内の従者達が客室の一つを空き部屋にするための掃除をし始めた
ただ、その従者達を見たティファは首を傾げて案内をするカイ達に声を掛けた。
「あのぅ、ミリー様。キクルス家の従者には若いメイドの姿が見えませんのですが…」
ティファは何気なく問いかけたつもりであったが…カイ達はピタッと止まってから、渋い顔をしながらティファに答えた。
「先日、あの男がこちらにやってきたのですが…」
カイのその一言にティファは顔を青ざめた後、静かに頭を下げていた。
「申し訳ありません。不快な質問をさせてしまいました」
「いえ、構いません。イライザ母上はあの男への対策をしていたお蔭で無事でしたが、魅了耐性の貴金属を付けていても魔力の耐性のない娘には少々きつかったらしく、魅了されなくても何らかの後遺症が出てしまったので、屋敷に居た若いメイド達は全員給金を渡して解雇致しました」
「やはり、そうなりましたか…実はセィタン家の使いとして来訪した理由は、勇者の魅了についてセィタン家独自の解析である程度の事が判明しました。その事を今からご説明をいたします」
カイとミリーはティファの説明を聞く事にした。
屋敷の案内も一通り終え、ティファが使用人服であるメイド服に着替えた後に三人揃って第二執務にて説明会議を行っていた。
本来は当主であるレオンと夫人であるイライザも参加するはずだったが、二人は執事のバトラを連れて領内視察に周っていたので不在であった。
ゆえに、今残っているカイ達三人で会議を行う事となった。
ティファは説明をする前にテーブルの上に持ってきた書類を鞄から取り出し、カイ達にその書類を渡した。
「まずはこちらの文献の写しをご覧ください。これはセィタン家の屋敷にあります書庫にて、七大公爵家に関わる悪魔について書かれていた物です」
「公爵家に関わる悪魔というと、七つの大罪の称号を持つあの悪魔達かね?」
「はい。そうなりますね」
「という事は、今回のセシルの魅了は…」
「恐らくは、色欲の悪魔アスモデウスの影響があると思われます」
ティファの言葉にカイ達は予想通りだと確信した。
元々の女神の加護は子孫繁栄の祝福によって”相思相愛の女性を魅了するのだが、そこに七つの大罪の悪魔である肉欲のアスモデウスの加護が加わった事で”無差別”に女性を魅了する事に書き換わった。
「その無差別による女性への魅了によって、魅了された者は勿論の事、魅了されなかった者にも何らかの影響が生じます。ミリー様の場合はカイ様以外の男性への恐怖心が増大してしまう精神的作用や、私みたいに魅了された者への魔法による暴行傷が治らなくなるなどの身体的作用が起きております」
ティファはそう言いながら右目を覆う眼帯を外し、カイ達に見せていた。
右目の瞼は火傷の後遺症で完全に塞いでしまって開かず、化膿はしていないものの周りの皮膚は醜く腫れていた。
本来ならセィタン家のお抱えである上級魔法医師でも治せる火傷であったが、何度施行してもこれ以上は回復せず、塞がった右目は失明とされた。
残った左目のお蔭で日常生活には影響は無かったもの、その火傷の傷によって縁談はなくなり、家族からも同情して蟄居を促すほどであった。
ただ、ミリーの場合は男性恐怖症の悪化とティファの右目の火傷はまだマシな方であった。
先日のミリーとティファと共に領土に帰還できた二人の令嬢のその後はかなり深刻な物であった。
片方は犯された夜以来、家族以外の男性と同室になるだけで錯乱を起こすほどのトラウマを来たしており、もう片方は片足に痺れを起こして杖を使わないと歩けない状態になっていた。
それでも、彼女達も新しい人生を目指すのとティファと同じく勇者達にやられっぱなしでは駄目だと思い、セィタン家とベルフェ家に関わる他の貴族とのやり取りを始め、セィタン家とベルフェ家に情報を送り続けていた。
「ですので、私もやられっぱなしでは気がすまないものでしたので、今回のセィタン公爵様の使いの件を引き受けると同時にキクルス家の侍女として従う事に致しました」
「なるほど…分かった。君の意思に尊重しよう。ところで、先程の女神の加護の書き換えについて説明してくれるかな?」
「はい。引き続き説明いたします」
女神の加護の書き換え現象は、今回のアスモデ家に関わる悪魔アスモデウスに限った話ではなかった。
ティファはここに来るまでの間、ティファを含めたセィタン家直属の貴族やベルフェ家直属の貴族達は各家で文献を調べ、歴代の勇者の出身や数々の行動を徹底的に調べ上げた。
その結果、歴代の中で六回ほどアスモデ家を除く七大公爵から生まれ出た勇者がおり、その勇者達の悪行も記されていた。
ルシフェ家出身の勇者は傲慢に満ち溢れ、身分の低い者を奴隷の如くに扱う程の暴君として君臨した。
レヴィア家出身の勇者は嫉妬に染まり、自分より優れた者を排除し尽くした。
マーモ家出身の勇者はとにかく強欲で、報酬がなければ動かず、利益の無い事には徹底的に無視し続けた。
ベルゼ家出身の勇者は暴食の権現とも言われ、この勇者の代の王国は勇者と仲間達による暴食によって大飢饉に見舞われた。
ベルフェ家出身の勇者はあまりにも怠惰で、全ての事が遅れた後に参上ほど働く事は無かった。
セィタン家出身の勇者は憤怒の激情に染まりやすく、感情一つで敵味方問わずに滅ぼすほどの暴君であった。
そして、それらの勇者は全員身内と民からの反逆によって配偶者である聖女や仲間達と共に殺害され、大罪人として葬られていた…
これ以降、七大公爵の内のベルフェ家とセィタン家はこの暴君と化した勇者の事を踏まえてから血族に勇者が現れても上げる事はせず、自分の領土にある辺境の地にて蟄居させて世間から断絶するようになった。
マーモ家とベルゼ家もまた、自らの出身者の勇者の悪行を家の罪として認め、以降は家から勇者が生まれても送り出すことは無かった。
一方で、ルシフェ家とレヴィア家はそれぞれの家で当代の勇者を無かった者にされ、自分達は無関係だと突っ撥ねるほどの責任転換をしていた。
これが今日の七大公爵内の拗れとも言われ、今回のアスモデ家出身の勇者セシルに対し意見が分かれるほどであった。
「七つの大罪の悪魔との縁は切れたとはいえ、長年続く悪魔の加護からは悩まされていたのですが…」
「普段の公爵家ならば、七つの大罪を美徳として変化させている所を女神の加護によって元の大罪の加護になってしまうというわけ…なのか。女神教への信仰が落としかねないな」
「実質、過去の公爵家出身の勇者が君臨した時代の女神への信仰は酷く低下されました。各地で災害が起きるほどの加護の効力が消えるほどに」
「なら、何も知らない平民から無理やり信仰心を奪うのも宜しくないですね…」
いくら勇者が暴君だったからといって、勇者を生み出す女神を強制的に排除するのは難しい。
三人の結論はそうであった。
特に、セントーラ王国が宗教国家である以上は無理やり排斥するにしても時間がかかり、反発を招く事になる。
「アスモデウスの悪魔が影響しているなら、元凶を断ち切るのもありかと思うが…」
「元々が神々と同じ不死の存在である悪魔を倒すのは理論上無理ですし、彼等と人間の子孫で人間の亜種族である魔族も悪魔が何処に居るのかは分からないですからね」
この世界の元々は数多くの神々が君臨し、それぞれの種族を管理をしていた。
しかし、女神の前任である父神が人間を含む知的生物を隷属化させようとした時に人間を守る為に父神に反逆したのが悪魔となった。
これが今日の神々と悪魔の関係であり、今もなお神々と悪魔による怨嗟の影響が残っている。
勇者の選定は父神が人間達への試練として作った魔物と魔物の長である魔王を倒す為のもので、悪魔と人間の合間で生まれた魔族は魔物とは無関係であった。
但し、この事実を魔族が君臨する国の国境に近いベルフェ家とセィタン家が判明するまでには長い時間がかかり、それまでの間は魔族は魔物の手先とされて排斥を受けるという痛ましい歴史もあった。
今回の件について二つの公爵家は魔族の国に使者を送って悪魔について調べて貰ったが、帰ってきた答えがこれであった…
「なら、やはり少しずつであるが国の意識を変えていくしかないな…」
「ですね。そういえば、蒸気事業が成功してるとお聴きしましたが?」
「ああ。まだ時間が掛かるけど、石炭による蒸気機関の試作品が出来たという報告書がこの前届いたからね。今後は蒸気機関を使った乗り物を作る計画を立ててるよ」
「まぁ…!?なら、馬車に代わる乗り物が出来るのですね」
「ですね。同時に、ベルフェ家の事業でありますセィタン家の一般兵でも扱える武器や兵器の開発も進めております」
「なら、あの男が勇者として国を巡業する時には力を見せ付けられますね。七十二侯爵家からの聖女としての訓練が三ヶ月ほど掛かりますので、それまでにはなんとかしたいですね」
「だな。というわけで、ミリー。ティファ嬢『ティファで結構です』…ティファにあれを」
カイの指示を受けたミリーは、後ろの台車にあった書類の束をテーブルの上に置き始めた。
それも、カイの目の前が埋もれるほどに。
その量を見たティファは瞬きを何回かした後、恐る恐る声を上げた。
「あのぅ…カイ様、これは…?」
「うちの領内事業の書類。父上がいない合間は僕が預かる事になってるけど…」
「カイが執務が出来るからといって、半分以上も投げてきました…」
カイとミリーが額に青筋立てながら笑顔で執務し始めた事に、ティファは唖然としていた。
これを毎日せねばならない事に戸惑いを隠せずに…
「とりあえずは、現状としては分かった…あとは分かるね?」
「は、はい…私もお手伝いいたします」
ティファは少しよろめきながらも席に座り、ミリーから渡された書類束の整理を始めていった…
時間が経過して夕方になった頃…
三人はテーブルの上に頭を乗せるぐらいに上半身を前のめりに倒れてるのを、帰宅したキクルス伯爵夫妻と筆頭執事のバトラに目撃された。
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