第15話 優しいモンスター
アーマーは破損し、全身が危険レベルのダメージを受けていた。バイタルチェックインプラントが各部を精査し、ヘルメットのバイザーに状況を表示する。左肩、骨折。第二第三強化肋骨、損傷。左右腕部、激しく損傷。脚部強化腱、断裂。ひどい有り様だった。ほかの仲間も状態は似たものだ。最新鋭テック装備の精鋭部隊は、一人の殺し屋によって壊滅させられた。
『応答しろ。聞こえているか! 何があった⁉』ヘルメットに装備された通信機から、応答を求める仲間の声がする。呼びかけに答えようと声を出すが、人工声帯から出力されたのは掠れた耳障りなノイズばかりだった。ムカデ兵は潰された自身の喉に触れながら下手人を見て、声にならない声で言った。「モンスターめ……」
青白い顔をした爬虫類のような印象の大男、ジャックは振り返った。人間離れした嗅覚が通路に流れるわずかな匂いを嗅ぎ分ける。血だ。血の匂いだ。片割れであるクイーンの肉体に流れる血液の匂いがジャックの鼻腔をくすぐる。血液に含まれる特殊なフェロモンが、彼女の身に危険が迫っていることを告げていた。ジャックが動く。彼はその大きな右手で掴んでいたムカデ兵をその場に落とし、匂いが流れている方向へと歩き出した。
ムカデ兵の一人が、もたれかかっていた壁から身を剥がしてジャック目がけて突進する。その手にはナイフ。姿勢は低く、動きは重傷とは思えぬほどに素早い。ムカデ兵の戦闘スーツに搭載されたパワーアシスト機能とスマートドラッグによる痛覚鈍麻の危険な合わせ技。己の保身を顧みないやぶれかぶれの攻撃だった。
「グワーッ!」だが、ムカデ兵決死の一撃は届かず、ムカデ兵は回転しながら吹き飛んだ。
ジャックのノールック横殴りが炸裂したのだ。彼の遺伝子に刻まれた動物的危機察知能力と驚異的な反射神経があれば、この程度は造作もない。ジャックにかかれば、たとえムカデ兵といえども物の数ではなかった。
ジャックは殴り飛ばしたムカデ兵に欠片の注意も向けずにその場を離れる。この仕事は彼にとって些末な出来事だ。特段記憶にとどめておく必要もない数多くの仕事の一つ。どんな敵と何故戦うのか、それはジャックには意味のないことだ。自身の片割れたる少女が力を振るうように求めた。だからそれに応じた。それだけが理由だった。彼にはそれで充分すぎた。
ヘビ・ケンの一撃が狙いを大きく逸れてアレッサの真横を通過した。その拳には力が籠っていない。金の長髪がなびき、クイーンは膝をついた。そしてそのまま床にゆっくりと倒れ込み、ぴくりとも動かなくなった。
「くっそ」アレッサは呻き声を漏らしながら壁際に寄り、背中を壁に預けた。痛みが脇腹を責める。床に落とした拳銃は回収して今は膝の上だ。彼女はクイーンを見た。身体がわずかに上下している。どうやらまだ生きているようだ。出血と興奮による血圧上昇のためにクイーンは失神した。眼前の敵を倒すことに執着しすぎたがゆえの自滅だ。
アレッサはできるだけ呼吸を落ち着かせた。激痛をこらえながら通信機に呼びかける。「誰か聞いてる? 殺し屋の一人と一緒にいる。こっちも負傷した。助けを寄越して」だが通信機は呼びかけに応えなかった。ザリザリとした雑音だけがスピーカーから漏れ出ている。聞けば誰もが顔をしかめるような汚い罵り言葉を発して、アレッサは膝の上に置いた拳銃を手に取った。銃を自身の右手側に向けると、迷うことなく引き金を引いた。狂ったのか? 違う。音もなく接近してきていた、殺し屋の片割れであるジャックの存在にギリギリのところで気づいたのだ。
弾丸がジャックの腕に命中する。しかし効果は薄い。小口径の弾丸はジャックの服を貫通したが皮膚までは突き破らなかった。変形した鉛玉が服の袖から落ちる。
「動かないで。次は目に当てる。いくらサイボーグでも、脳ミソまでは守れないでしょ」アレッサは精一杯の虚勢を張ってみせた。銃を握る手に必死に力を込める。先ほどの腕への命中はまったくの偶然だ。今の状態では、弾丸はあらぬ方向へと飛んでいくだろう。
獰猛な狩人の瞳がアレッサを射抜く。アレッサは引き金を引けなかった。撃てば隙を晒し、次の引き金を引く前にとどめを刺されるであろうことが明白だったからだ。ハイキング中、狂暴なクマに真正面からエンカウントしたかのような緊張と静寂が場に満ちる。
ジャックが動く。アレッサも動きに合わせて拳銃をスライドさせる。ジャックはまったく注意を払わない。エイペックスプレデターじみた悠然さだ! 彼は倒れ気絶するクイーンへと近づくと、彼女の体を両手でそっと抱き上げた。そしてアレッサを一瞥すると、建物の出口へと向かって歩いた。その足取りは抱かれた者に振動を感じさせないほどの静かな歩みである。彼は時折クイーンの顔を覗き込みながら、出口の方向へと消えていった。
アレッサは殺し屋二名の逃走を静かに見送った。そして屈辱から歯を食いしばった。
〈警戒もされなかった。まったくの戦力外だと、敵ですらないと、そう思われたのか! わたしは!〉
腹の底で沸々と炎が沸き上がる。見逃されたことへの困惑が、屈辱へと、そして怒りへと変化を遂げた。怒りがアレッサの傷ついた体を突き動かす。彼女は壁に体重を預けてよろめき立ち上がった。左手は痛むわき腹をかばっている。
「さっさとケリをつける。奴らを残らず捕まえて、洗いざらい吐かせる。それで仕事を終わらせて休暇を取る」アレッサは浮かんできた言葉を次々に声に出した。耳を澄ませても聞こえるか怪しいほどのささやきにも満たない声が、目的地へと移動するだけの集中力を与えてくれた。「休暇を取って、リゾートでゆっくりして、美味しい物を食べて……、それから」それから、あとはたっぷり寝よう。
アレッサは重い足取りで施設の中央管制室を目指して歩きだした。
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