187

安物のうるさい時計の針が時刻を刻み、かつらを招いてから1時間が経過していた。


ソラの行方をかつらにせがまれたウミは、なるべく時系列順に今までの出来事をかつらに伝え終えた。


落胆しながら話すウミに、しばらく悲しげな表情で頷くばかりのかつらだったが、ウミに目線を合わせて口を開いた。


「そんな悲劇があったのね…。」


「悲劇?そうなのか、これは悲劇なのか?」


ウミは無意識でつむじ付近に生えている青い髪を指先で摘んでいる。


「そうよ、悲劇だわ。新婚の夫婦がありとあらゆるトラブルに巻き込まれて離れ離れに暮らしているのですから。

本来であれば夫婦水入らずで過ごす暖かい空間のなかで愛し合い、希望に満ちた将来を夢みて語り合うはずなのよ…。」


「お、おぉ…。」


ペットボトルのコーラを飲み、ウミは左手で口元を拭った。


「神園くん?」


「あぁ?」


「ワタクシ、神園くんがこのまま終わる男性ではない事を存じておりますわ。

短い期間ではあったけれども、ワタクシの知る神園くんは非常に意思が強く実行力があり他人の意見には左右される人ではない。

どんな苦境くきょうに立たされても、諦める事などなく乗り越えて行くはずですわ。」


言い終えたかつらの口は震えていた。


「そりゃ俺があんな変態野郎になんざ負けやしないさ。」


ウミはかつらから視線を外しスタンドに大切に立てかけられているエレキギターを見つめて言った。


「こんなの序の口、屁でもねぇ。

俺はバンドで大成すんだしよ。

今までだって自分てめえの力で問題を解決してきたんだからな。

今回も見事、ソラを探し出してやるぜ!」


すくっと立ち上がり座っているかつらを見下ろして言った。


「そうですわ。それでこそワタクシが知る神園くんだわ。」


強気な態度を取り戻したウミを見てかつらは胸元で小さく拍手をしている。


「しっかしどんだけやる気に満ち溢れたって、ソラがどこいるかわからねえのが致命的だ…。」


オンボロアパートの6畳一間でソラの行方を考えた時、かつらの助言で強気を取り戻したウミではあったが、手持ち花火のように火花は早々と散り、出ていったソラを見つけだす手がかりがない状況で、ウミはかつらに丸まった背中をみせて再び座り込んでしまった。


カチ

カチ

カチ


安物の目覚まし時計の秒針は2人に静寂を許さず、焦らせるかのように刻一刻と時ばかりが流れ、ソラへの想いを募らせる。



「その事ですがワタクシ、妙案を思い付きましたわ。

奥様を探し出すのは決してイージーではありませんが、やってみる価値はあると思うのだけれど…。」


「なんだ?聞かせろよ!」


妙案という言葉に反応したウミは腰を回転させて、目をパチクリさせてかつらを見た。


「あれはワタクシが小学生の頃、当時、まだ仔犬だったドーベルマンの"シュバルツ"をワタクシが目を離した隙に逃してしまった事がありました。」


「仔犬をか。」


「ええ。ワタクシは自分の不注意で迷子にしてしまったシュバルツを思い、自分自身を殺してやりたいほど憎みましたわ。

この件でお食事はおろか、学校にも通えなくなり両親には酷く心配をかけてしまいました。

ワタクシの運転手を務める"オガタ"が泣き崩れるワタクシを見兼ねて、従業員をかき集めシュバルツ捜査本部を設立してくれましたわ。

オガタ達は表の社会の人間だけでなく、裏社会の者達にも通ずるほど顔が利く利点をいかし、すぐさま街中をシラミ潰しで探した所、2日間でシュバルツを胸に抱く事ができました。

もし、神園くんがよろしかったら、ワタクシがオガタに相談を…キャァ!」


「その話、乗ったぜっっっ!ありがとよ!善は急げだ。今すぐオガタだかゼニガタだかに合わせてくれ!」


ウミはおしゃぶりを咥えた小熊がプリントされたパンツ以外を脱いで半裸になった。


「ワタクシ、ワタクシ、ワタクシ!!あの神園くんのしなやかで美しい肉体を見てしまったわ。

ま、まさか、ここで妻である大嵐さんがいない寂しさを紛らわす為にワタクシを抱くつもりなのかしら?

だ、駄目よ!そんな貞操観念のない破廉恥ハレンチな行為は許されないわ!

でも、神園くんがワタクシで癒されるのなら…。」


かつらは頬を両手でパチパチ叩いていたが、刺激が足りなかったようで尻を右手で左右順番に力を込めて引っ叩き始めた。


「あぁん!かつら!何を考えているの?

ここで流されては駄目!気をしっかり持つのよ!生まれ変わると天に誓った日を忘れてどうするの?

神園くんの事は、とうの昔に諦めたはずよ。

今や神園くんはワタクシが尊敬してやまない大嵐さんのご主人なのですからぁぁぁん!!」


ウミはスリムなブラックジーンズを履き、PIL(パブリック・イメージ・リミテッド)のバンドTシャツを着て鏡で髪を整えていた。


「おう?ケツなんか叩いてどうした?

もしかして便秘でクソが出ねえのか?

そんな無意味な事してないで恥ずかしがらず便所借してやっからいけって。

気合いを入れて、踏ん張ってこいや。

溜まったクソが出ると良いな!」


大口を開けてウミはかつらを見て笑った。


「違う…違う…そんなじゃありませんわ…ワダグヂは。(ワタクシは)うっうっうっ…。」


単に着替えていただけだと知ったかつらは、ウミが肉体関係を迫って来たと勘違いしていたなんて説明をしたくても説明できないもどかしさに涙が頬を伝った。

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