ひょっとして……でも、まさかね

混沌加速装置

ひょっとして……でも、まさかね

 第一印象は派手な人。だったのだけれど、それは最初に目に入った金髪のせいだと、あとから思い直した。


「ありが」


「いつもありがとう」


 商品を渡そうとすると、彼女に笑顔で先回りされてしまった。「いつも」ということは常連客だろうか。店頭には週六で立っているが見覚えはない。見覚えはないのに、どういうわけか親近感のようなものを覚える。知人の誰かに似ているのかもしれない。


 よく見れば——というか、お客さんを、それも女性の顔をまじまじと見つめること自体失礼だが——メイクは厚くも薄くもない自然な感じで、服装もギャル寄りではあるけれど、ハイブランドのロゴが入った白いTシャツに黒のパンツとシンプルだ。年齢は二十代前半といったところか。


 そんな分析をしているうちに、彼女は軽い会釈を残して店を出て行ってしまった。




「猫ちゃん猫ちゃん、猫ちゃんちゃーん」


 僕は四ヶ月になる三毛の仔猫を飼っていて、彼女のことを溺愛している。ご飯は着色料や体に悪そうな成分が入っていないものを選び、トイレをしたら即座に綺麗にするよう心がけている。仕事を除き、彼女が快適に生活できる環境整備が第一で、自分の趣味などはほとんど手についていない。


 室内飼いのため、運動不足にならないよう一緒に遊んであげ……遊んでもらう時間を毎日必ず設けている。もう彼女がいなかった頃の生活には戻れそうもない。




「さっきいた、ギャルっぽい格好のお客さん、覚えてる?」


 客の流れが落ち着いてから同僚に訊ねると「え? 誰のことですか?」と首を傾げられてしまった。彼女は物凄い行列の中にいた一人であり、同僚の彼は店頭ではなくすぐ隣にある調理場にいたのだから、思い当たらなくとも無理はない。


「ウェーブがかった金髪が肩ぐらいまであってさ、細身の……二十一、二歳って感じで」


「そんなお客さん、来ましたっけ?」


「白いTシャツに黒いパンツ姿の」


「赤いバッグ持った?」


 同僚の言葉を聞き、彼女を派手に感じたもうひとつの理由に思い至った。言われてみれば、小さな赤いショルダーポーチから財布を取り出していた。


「あ、そうそう。そのお客さん」


「その人がどうかしたんですか?」


 彼も週六で勤務している一人であり、勤続年数は僕よりも長い。調理だけでなく店頭にも立つから、当然、常連客や何度か来店したことがある人なら覚えている。


「あの人って常連さん?」


「いや、違うと思いますよ」


「前にも来たことある?」


「どうですかね? 見た記憶はないですけど……どうしてですか?」


「なんて言うか、初めて見たはずなのに親しみを感じたというか」


「知り合いに似ていたとか、他の場所で会ったことがあるとか?」


「とも思ったんだけど、思い当たるような人がいないんだよね。でも、去り際にニコッとしてくれたんだよなぁ」


「ただ単に愛想のいい人だったんじゃないですか」


 それを言われたらそれまでである。もちろん、自分に気があるのでは? などという勘違いはしない。僕はおじさんだし、ルックスだって良いとは言えないのだから。


「あ、あと、あの子。二十代じゃなくて中学生くらいですよ。いってても高校生」


「え?」


 驚きはしたが、僕よりも十五歳も若い彼の見立ての方が信憑性が高い。でもそうなると、ますます彼女とは面識どころか接点すらないように思えてくる。それでも彼女への親近感が拭えないのは何故だろう。




「あ、ヤベッ」


 仕事を終えてアパートに帰宅した僕は、玄関ドアを開けようと鍵を差し込んで捻るや、思わず声を漏らしていた。指先に開錠の感覚がなかったのだ。ピッキング被害に遭ったのではない。どうやら昼休憩で帰って来たときに、うっかり鍵を掛け忘れて職場へ戻ってしまったらしい。つまり、六時間以上もの間、僕の部屋は誰でも入りたい放題だったわけだ。


 ——ニャンニャンニャンニャン、ニャーン


 ドアを開けるなり、いつものように飼い猫が出迎えてくれた。


「偉いねぇ」


 言いながら、外へ出ようとする彼女を抱え上げてドアを閉める。彼女が脱走していないということは侵入者もいないということだ。


「おなか空いたよね? すぐにご飯あげるから、ちょっと待っ」


 普段なら餌をねだって鳴きながら擦り寄ってくるはずなのに、今日に限って彼女は少し離れたところで毛繕いにいそしんでいる。自動給餌器きゅうじきの餌を食べたのだろうか。受け皿を覗くと一食分相当の餌がまるまる残っている。


 彼女はウェットフードとドライフードのミックスが好みなので、ドライフードしか出てこない自動給餌器の餌は、気が向いたときにおやつ程度にしか食べてくれないのだ。


「おなか空いてないのかい?」


 心配になって猫の前にしゃがむと、顔を洗っている彼女の白い前足に、茶色いドットが散っているのに気がついた。


「どうしたの? どこか怪我でもしてるんじゃ……」


 彼女を見回して異常がないことを確かめ、実際に触れて痛がったり嫌がったりしないかを調べているうちに、先ほどの茶色いドットが手に付いてしまっていた。何かと思って顔に近づけ、いで匂いを嗅いでみた。職場で使っているタレと同じ匂いがする。


 もしやさっき抱え上げたときに、自分のどこかに付着しているタレが彼女の前足に触れてしまったのだろうか。両手だけでなく、両腕の内側と外側、肘のあたりまで確認したが、それらしきものは見当たらない。


「そのタレ、どこで付けてきたんだい?」


 茶トラ、キジトラ、白の三つの毛色が、造形美を伴って複雑に配置された彼女を見つめる。


「こうしてよく見るとさ、キミって意外と派手な模様してるよね。もしキミが人だったら、きっとギャルみたいな感じなんだろうな」



                              了

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ひょっとして……でも、まさかね 混沌加速装置 @Chaos-Accelerator

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