思いに触れる

風と空

第1話 増し加わる思い

「お母さん、はい財布」

「ありがとう、玖美くみ。レシートは?」

「中に入っているよ」


 高校から家に帰ってきた途端に、お母さんに捕まった私。もう、暑いから家から出たくなかったのに。お母さんたら、火を使っているからって無理やり財布押し付けるんだから!近所のスーパーまで距離あるし、しかもお母さんの財布年季入っているから余り持って歩きたくないのに。もう!


「お母さん、そろそろ財布買ったら?もうかなりそれ使っているでしょ!」


 ちょっとしたイライラをぶつける私に、受け取りながら苦笑いをするお母さん。財布を乾拭きしてから布袋に入れていつもの場所に入れてから、冷凍庫のイチゴの氷アイスを出して渡してくれたの。あ、私の好きなアイスだ。


 「今日買い物行ってたんだ。じゃ、私行かなくて良かったんじゃん」

 「うん、ごめんって。助かったわ。ほら座って食べなさい」

 「折角だから食べるけどさ」


 最近お母さんに素直にありがとうって言えないんだよね。だから代わりに安売り情報を教えてあげたんだ。


 「近くの革本舗で財布安かったよ」

 「ふふっ、ありがとう玖美。でもお母さん、これまだ変えるつもりないの」

 「何で?財布って長くても三年使えば良い方でしょう?その後は金運下がるって言うじゃん」

 

 最近ネットで調べたらそんな事書いてあったんだよね。8月18日って「天赦日」だし。あ、これ調べて見たら年に5、6回ある縁起のいい日なんだって。この日に新しい事を始めたり、財布を新調すると金運アップするらしいんだ。で、8月は4日と18日。今年は後10月17日だったはず。


 「そうねぇ……ねえ玖美はどっち選ぶ?『新しい物』と『古い物』」

 「は?何いきなり。新しい方がいいに決まっているじゃん」

 「ふふふ。じゃ、この財布がお父さんがお母さんに贈ってくれた財布って聞いたらどう?」

 「え?それお父さんからのプレゼントなの?いつ貰ったの?」

 「玖美が5歳の時よ」

 「はあ?いい加減買い替えようよ」


 呆れる私にお母さんが言うには……どうやらお父さんこの財布を分割払いで結婚記念日に贈ったらしいんだ。値段聞いてビックリしたよ!19万?って事はそれブランド品?


「当時のお父さんね、まだ平社員の給料でこれをポンっとプレゼントしてくれたの。お母さんも最初こんな高い物良いの?って詰め寄っちゃたわ。そしたらね……『いつもの感謝と願いを込めてだな。ま、受け取ってくれ』だって」

「願いって?」

「玖美も覚えておくと良いわ。財布をプレゼントするのは、いつも一緒にいたいってメッセージが込められているの」

「ええー!あのお父さんが、本当にそんな事言ったの?あり得ない!」


 思わず否定しちゃったけど、お母さんは笑顔で頷いたんだ。


「今は仕事人間だものね。でもね、お父さん今でもちゃんと示してくれているでしょう?家族旅行計画してくれたじゃない。あれ、お母さんがポロッと温泉行きたいって言ったのがきっかけよ」

「は?そうなの?お父さんお風呂から上がるのすごい早いくせに何で温泉なんだろうって思ってたんだけど」

「でしょう?って話は戻すけど、お父さんの思いが籠った財布だもの。お母さんはこれが良いの。それにこの財布はお母さんにとって古いじゃないの。エイジングを楽しむものでもあるのよ」


 ん?エイジングって何だっけ?って思っていたら経年劣化って事らしいけど……劣化って楽しむものかなぁ?


「良いものはね、大事にすると味が出てくるのよ。愛着もそうだけど、手に馴染んだり色合いに深みがでたりね。でもね、楽しむ為には毎日の手入れが必要なの。この財布でいったら、使用後の殻拭きだったり、水で濡れた時しっかり拭いて陰干ししたりね」


 微笑みながら教えてくれるお母さん。ああ、それでお母さん使った後乾拭きして、わざわざ袋に入れていつもの場所に戻すんだ。面倒くさいことするなぁって思ってたんだよね。


 でも結婚してしばらく経ってもお父さん、お母さんの事を思っていたんだなぁ。


 ……それって当たり前じゃないよね。2人が喧嘩してたところも見た事あるし、お母さんのドジなところだって見ているんだもん。それはお母さんだって同じだよね。お父さんのだらしないところ見ていてそうなんだよね。


 これは惚気を聞いちゃったかな。そう気づいた私はその後すぐに「ふーん、そっか」と言って部屋に戻ったけどさ。


 でも何となくお母さんが毎日笑顔でお父さんを迎える理由がわかった気がする。


 面と向かって言えないけど、ちょっとだけ憧れる……かな。

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