第52話 黒幕
この日、サンシャインシティに放たれたヒヒの魔物は全部で五十頭。
その全てがエナジードリンク、ブラックシープの試供品を飲んだ元人間だ。
全部で五百本配られたブラックシープの試供品の内、十分の一の確率にあたる五十本に人を魔物たらしめる魔薬が仕込まれていた。
仮に、この試供品をポーションだと称して、異世界の街エルダールの冒険者に配っていたら、どうなっていただろうか。
おそらく、タダで受け取った冒険者は試薬を使って性能を確かめ、人を魔物に変えてしまうような試供品は口にしていなかったであろう。
薄い緑色をしているブラックシープの試供品は、試薬を垂らした途端真っ赤に染まっていたはずだ。
ところが、日本の池袋には、ポーションの毒性を調べる試薬も存在していなければ、エナジードリンクの試供品が魔薬かもしれないと疑う者もいなかった。
麻薬入りのブラックシープを飲んだ者達は、亨と同様に三十分程経ったところで苦しみ始め、異形のヒヒへと変貌を遂げた。
ヒヒに変貌を遂げた者の中には、男性だけでなく女性も含まれていたが、白銀の長い体毛と筋肉に覆われた体は、男女の区別を困難にさせた。
たとえ男女の違いを見分けられたとしても、体の構造すらも変化させてしまう魔薬は、使用者の知性や理性も奪い去ってしまう。
そこに居るのは元人間ではあるが、今は誰の目から見ても異形の魔物でしかない。
知性と理性を奪われた者が何に従って行動するかといえば、それは生き物としての本能だ。
休日の昼下がりに配られた麻薬が効果を発揮した時、多くの哀れな使用者は空腹に囚われていた。
餓死寸前の人ならばともかく、一食抜いた程度で普通の人間が共食いをするなんて考えられないが、理性も知性も飛んで異形となった者にとって、周りの人間は餌にしか見えなかった。
当然、一番手近にいる餌に手を伸ばす。
それが、かつての家族であろうと、友人であろうと、恋人であろうと、ヒヒの食欲を阻む枷にはなりえなかった。
かくして無慈悲な殺戮が始まる。
魔薬には、体組織を変貌させる効果と共に、神経を高ぶらせる効果が仕組まれていた。
ヒヒの魔物となり果てた者達は、次々に人を襲っては食い散らかし、自分の縄張りを誇示するかのように吠えた。
ここまでは、ブラックシープの試供品に魔薬を仕込んだ者、すなわち黒帽子の思惑通りだった。
黒帽子が鈴音に向かって口にした次のステージこそが、この休日のサンシャインシティだ。
これまでは闇にまぎれ、人知れず配られていた魔薬を白日の下、集団で使用させた場合にどう対処するか、それを黒帽子は楽しみにしていた。
黒帽子の思惑としては、このままヒヒの魔物達は逃げ惑う人々を追い掛け、建物の外へと溢れ出し、周辺の街までも恐慌へ陥れるはずだった。
ところが、ヒヒの魔物達は、周囲から動く人が姿を消すと、仕留めた獲物を腹に収めることを優先した。
真行寺を始めとする特務課の面々が到着したのは、丁度この頃だった。
酷い空腹が収まり、狩猟本能を刺激する獲物が消え、興奮のピークが過ぎ去った状態だったので、与しやすい状態だったとも言える。
更には、特務課の人員と遭遇しなかったヒヒの魔物の中には、満腹からくる睡眠欲に負けて眠り込むものも現れた。
それでも黒帽子は、自分を捕らえにきた者達よりも、更に魔法の資質に劣る唐橋達が、武器と戦い方を工夫することで、危なげなく討伐を行う様子を興味深く見守っていた。
ただし、興味深く見守りはしたが、魔物達の動きは黒帽子を満足させるものではなかった。
黒帽子は自ら魔物を操って活性化させようと思い、それを実行に移す直前で手を止めた。
頭上で大きな魔力が動くのを感じたのだ。
それは、黒帽子がこちらの世界に来てから今までの間に感じたどの魔力よりも力強く、洗練されていたのだが、現れたのはほんの一瞬で、直後に煙のごとく消えてしまった。
ほぼ同時に、ヒヒの反応も一つ消えている。
こちらの世界に来て以来、黒帽子が一番手強いと感じたのは、先日自身を捕らえに来た四人組だったが、それよりも強く大きな反応だった。
黒帽子の居た世界で、最高ランクの冒険者と呼ばれる者たちと同じレベルに感じられた。
ニンマリと笑みを浮かべた黒帽子は、大きな魔力を感じた場所へと移動した。
「ほほう。これはこれは……」
移動した先はサンシャイン広場で、そこには一頭のヒヒが俯せに倒れていた。
銃弾すら弾く体毛をものともせず、胸板に大きな風穴を開けた魔法の威力に黒帽子は感心した。
これほどの強者が居るならば、まだまだこの世界には遊び甲斐が残されていると思うと、黒帽子の口許には自然と笑みが浮かんでいた。
「さて、この御仁は何処へ消えてしまったのかな……?」
黒帽子はスーツの内ポケットから指揮棒を取り出すと、魔力を込めて振り上げた。
「さぁ、集まって来い……楽しいゲームの時間だ」
ヒヒたちに指令を飛ばして集合を掛けると同時に、黒帽子は認識阻害の魔法を解除した。
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