第32話 天竜

 一度動きだしたルカ師匠にストップを掛けるのは至難の業だ。

 殆どの場合、師匠の勢いに引きずられていくしかない。


「ちょ、師匠、素材を取りに行くって、何処に行くんですか?」

「決まっておろう、竜の鱗を取りに行くのだから竜の巣じゃ」

「えぇぇぇ……竜って危ないんじゃないんですか?」

「なんでじゃ?」

「なんでって、大きくて、力が強くて、強力な魔法を使ったりするんじゃないんですか?」

「するぞ。それが、どうかしたのか?」

「どうかしたのかって……」


 竜と言えば伝説の生き物で、人間が立ち向かっても敵う相手ではないはずだ。

 ルカ師匠にもらった知識でも、人間の冒険者が竜を討伐すればドラゴンスレイヤーとして称えられるとことになっている。


 それなのに、ルカ師匠は散歩にでも行くような気楽さで出掛けようとしている。


「もっと武器とか、装備とか、整えて行った方が良いんじゃないですか?」

「なんでじゃ?」

「なんでって、竜を倒さないと鱗は手に入らないじゃないんですか?」

「あぁ、そういう事か。別に竜を倒す必要などないぞ」

「そうなんですか?」

「竜の所へ行って、分けてもらえば済むことだ。人間だって髪が抜けたりするだろう? 竜にとっては鱗なんかいくらでも生えてくるから、大して惜しくもないものじゃ」

「でも……高価なんですよね?」

「そうじゃな、ギルドで買取を頼めば、先日の薬草の五十倍から百倍程度の値段はつくじゃろうな」

「そんなに……」


 先日、エルダールのギルドで買い取ってもらったカデナルンツァの値段は金貨五枚だった。

 その五十倍から百倍となると、金貨二百五十枚から五百枚の価値があることになる。


 日本円だと二千五百万円から五千万円ぐらいの感覚だ。


「竜の鱗が高価な理由は二つある。一つは、竜の巣まで辿り着くのが困難なこと。もう一つは、竜に認められなければ鱗を譲ってもらえないことじゃ」

「竜の巣までの道程が厳しいのは分かりましたが、認めてもらうというの?」

「竜が認めるのは、何も強さとは限らぬ。例えば料理の腕前とか、楽器を巧みに演奏するとか、素晴らしい歌声の持ち主であるとか、舞の名手であるとか、とにかく竜に気に入られれば良いのじゃ」

「僕は入院生活が長かったし、体も弱かったから特技なんてありませんよ」

「なにを言っておる、マコトならば竜の目の前に立つだけでも、喜んで鱗を差し出すぞ」

「なんでですか?」

「竜ほどの実力があれば、マコトと戦ったら絶対に敵わないと分かるじゃろう」

「えっ……なんて?」

「ほれ、もたもたしておると帰るのが遅くなるぞ、行かぬのか?」

「あっ、行きます、行きます」


 ツリーハウスの外に出たルカ師匠は、グルリと空を見回して、何かを探しているようだった。


「ふむ、今はあちらの方向か……」


 目的の物を見つけたらしいルカ師匠は、僕に向かってちょいちょいっと手招きをした。


「なんですか、師匠……むぐぅ」


 僕が歩み寄って行くと、顔が胸の谷間に埋まるほど強く抱き締めてきた。


「ちょっと遠くまで移動するから、そのまま掴まっておれ」

「ふぐぅ……んっ!」


 ルカ師匠は僕を抱きかかえたまま転移魔法を発動させて、何処とも知れぬ草原へ転移した。


「んはっ……って、ここ何処ですか?」

「ふふん、ここは空の上じゃ」

「はぁ?」

「ほれ、見てみよ」

「え、えぇぇぇ……」


 ルカ師匠の方向には草原が続いているが、振り向いた先は五メートルほど先から何もなく、空が広がっていた。


「ここは空に浮かぶ天竜の巣じゃ」

「天竜……」


 天竜というのは、全ての竜種の属性を兼ね備えた、竜の中の竜と呼ばれる存在だそうだ。


「マコト、探知の魔法を使って魔力を持つ生き物を探してみよ」

「魔力を持つ生き物、分かりまし……たっ!」


 探知魔法を発動させた途端、強大な魔力の反応がいくつも現れた。


「こ、これが天竜……」


 ルカ師匠の暮らすツリーハウスの周囲にも、大きな魔力をもつ魔物が多く生息している。

 だが、そうした魔物と比べても、天竜の魔力の大きさは桁違いだ。


「どうじゃ、凄いじゃろう」

「はい、探知魔法の範囲内に太陽でも現れたのかと思いました」

「そうじゃろう、そうじゃろう、まぁ、隠ぺいを解除したマコトの方が凄いがな」

「えっ……なんて?」

「マコト、これから天竜に挨拶に出向くが、その前に隠ぺいを三割だけ解除してみよ」

「三割……分かりました」

「あぁ、探知魔法はそのままじゃぞ」

「それは……難しいですね」


 まぁ、探知魔法の範囲が広がってしまっても、感度を落としていれば情報過多にならずに済むだろう。


「では、解除しま……すっ!」


 外に漏れださないように抑え込んでいる魔力を三割ほど解放すると、天竜が動揺するようすが探知魔法からも伝わってきた。


「くっくっくっ、慌てとる、慌てとる……」


 天竜達の動揺振りを察知したらしく、ルカ師匠はお腹を押さえて肩を震わせている。


「マコト、魔力を閉じて良いぞ。さぁ、行くか……」

「これって、喧嘩売ってるって思われないんですか?」

「なぁに、向かってくるなら叩きのめせば良いだけじゃ」

「はぁ……なんだか不安だなぁ」


 ルカ師匠が草原を歩き始めると、前方から金色の竜が飛び立つのが見えた。

 天竜は、いわゆる西洋風のドラゴンににた体型で、四本の手足と大きな翼を持っている。


 その翼を大きくはためかせて空に昇った天竜は、こちらに向かって真っすぐに飛んできた。

 遠くに小さく見えた姿が、あっと言う間に巨大生物として目の前に降り立った。


 後ろ脚でスクっと立った状態で、頭までは十メートルはあるだろう。

 金色に輝く鱗、その下に隠された発達した筋肉、鋭い牙と爪、そして太い尾。


 まるで工芸品のような美しさと圧し潰さんばかりに放たれる魔力に、思わず膝を屈してしまいそうだ。


「森の賢者よ、戯れがすぎるぞ」

「あの程度で動揺するとは、天竜もひ弱になったものだ」

「なんだと……喧嘩を売りに来たのか?」

「ははっ、とんでもない、今日は我の弟子のお披露目じゃ」

「弟子? その人族子供か?」

「先程の魔力は。このマコトのものじゃ」

「冗談……ではないのだな」

「マコト、もう一度だ」

「はぁ……分かりました」


 再び魔力を三割ほど解放すると、天竜はビクリと体を震わせて、ほんのちょっとだけ後退りした。

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