第5話

 絶対に知っている顔だ。

 だけど、名前が思い出せない。


「うー、かゆかゆするわ」

 自分の記憶力の悪さにいらつき、左手で胸のあたりを摩りだすと(っていうよりは、掻きだすと)、ミチカから怪訝そうな視線を向けられた。

 ハハハなんて笑って、その手をさりげなく頭に移動させながら、こいつの名前をミチカに訊いたところでわかるはずもないしなぁなんて埒もないことを考えていた。


 オトコマエはというと、柵に座ったままニマニマとした顔でこっちを見ている。

 腹に虫でもいるのか? 

 変な男だ。


 そんな私達の様子になにかしら感じたであろうミチカが「あの人、そよちゃんの友だち?」と訊いてきた。

 すると、それに重ねるように後ろにいた子の一人から「わかった! そよの彼だろ!」なんて、生意気な声が飛んできた。

 「彼? んなわけないっていうのっ!」と、まさに今、私が言おうとした台詞が別の子から飛び出した。そして本人である私そっちのけで、あーでもないこーでもないと、子どもたちは好き勝手なことを話しだした。


 ここにいる子たちは、幼稚園児から小学校低学年の皆さんだ。大人が「幼い」とか「かっわいい」なんて思っている年頃の子たち。けれど、この子たちが大人が思う以上にませていて、ラブな話が大好物だっていうのは意外と知られていないことかもしれない。

 下手すると園児でありながら私よりも経験豊富な子もいるくらいだから、恐れ入る。そんな子たちにとって、このオトコマエは格好のエサだった。あ、オトコマエだけじゃないか、私もセットだ。


 ほんとに、ラブな話が好きだよねぇと半ばあきれながら、いつもよりも賑やかになった子たちを連れ、オトコマエの側を通る。

 通りたくないけど、公園に入るには通らなくちゃいけないし。

 すれ違いざま「ハネグンだよね」と私が訊くと、「酷いなぁ、三矢さん。ぼく、隣のクラスだよ」なんて答えが返ってきた。


 やっぱり!

 見たことがある顔だってことは、正解。

 あとは名前かぁ。


 ちなみにハネグンとは、私たちが通う高校の通称だ。

 波根野群青高校。

 このやたらと長ったらしい名前が、うちの校名だ。


 波根野はここの地名だからともかく、なぜ群青なのかは謎だ。

 一説によると、青春の青さを表しているとの話だが、青春云々はともかく生徒には、ほとほと迷惑な校名だ。

 長いし、面倒な字が多い。

 校名を書く時、一々面倒なのだ。波根野だって面倒なのに、それに加え群青。

 世の中には、群青なんて文字を一生書かない人だっていると思う。

 生活面においても、必要のない文字だし。

 校名を付ける人には、そこんとこ考えて欲しかったものだと思う。


 でもそんな校名とわかっていて受験したのは誰かと聞かれるとアレレになるので、露骨には言わないけど。でも、心の中ではぶすぶすとくすぶっている思いではある。


 校名を長いと思うのは、私だけではないのだろう。

 だから、みなハネグンと呼ぶ。

 生徒だけでなく、親も先生も。


 ハネグン。


 この、なんの名前だかわからないそのわからなさを、私は結構気に入っていた。



 そしてハネグンのオトコマエはというと、柵から離れ、なんと私達と一緒に公園に入って来た。

 ちらりとみると、やけに涼しい顔をしている。


 全くもって変な男だ。

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