第27話 甲羅の内なる亀の夢

 白い砂浜を走ってくるのはさきがけ号の仲間の一人だ。


 男はヒラクたちのそばまで来ると息を荒げて言う。


「おい、何か傷にきく薬草はないか」 


「一体、何があったんだ」


 キッドが聞くと、説明する時間もないというように、男はついてくるよう言った。

 ヒラクたちは、男の後に続いて長い砂浜をひた走る。


 やがて、数人の男たちに取り囲まれて誰かが砂浜に倒れているのが見えた。

 キッドは血相を変えて駆け寄った。


「ゲン!」


 ゲンの服は焼け焦げ、皮膚もやけどでただれ、全身傷だらけであちこち血がにじんでいた。

 キッドは、どうしていいかわからないといった様子で、おろおろしながらゲンの顔をのぞきこむ。


「ああ、坊ちゃん。これは夢ですかい? 夢でも最後にお会いできるなんて……」


 ゲンは苦痛に顔を歪めながら笑った。


「何だよ、どういうことだよ! なんでおまえがこんな目に!」


 ゲンのそばには取り巻きの三人の他にハンスと蛇腹屋がいた。

 蛇腹屋は、なすすべもないというように壊れた楽器を抱えたまましょんぼりとうつむいている。

 ハンスはヒラクに気がつくと、ほっとした表情を見せた。


「ご無事で何よりでさぁ」


「うん、ハンスも無事でよかった」


 ヒラクが言うと、ハンスは気まずそうにゲンを見る。


「おいらはまあ無事ですが……」


「一体、何があったんだ」リクが尋ねる。


 ハンスの話によると、鳥人とりびとたちの背に乗って飛び立った後、キッドがついてきていないことに気づいたゲンは、すぐにひき返そうとしたらしい。

 暴れるゲンを下に降ろして、鳥人は飛び去ってしまった。

 ゲンに続いて蛇腹屋も下に降りた。

 ヒラクがいないことにいち早く気づいたハンスもこれに続いた。

 その直後、火山が噴火した。

 瞬く間に木々が燃え広がっていく中、ゲンはキッドを探しに行った。

 蛇腹屋とハンスが追いついたときには、ゲンはひどいやけどを負って地面に伏していたという。

 ハンスと蛇腹屋はゲンをかつぎ、海岸に向かってとにかく走った。

 海岸に行くとトカゲ人たちがひしめいて、海を泳いで島から脱出するところだった。

 ハンスと蛇腹屋はトカゲ人たちの背に乗り、ゲンを連れて島を離れた。

 だが、荒れ狂う海の中、トカゲ人たちは散り散りになり、ハンスと蛇腹屋もゲンを支えながら、今にも沈んでしまいそうなトカゲにしがみついているのが精一杯だった。


「気づいたら、島に打ち上げられていたってわけでさぁ。そしてやけどにいい植物でも生えてないかと探しにいったら、なぜかここに来ちまったんです」


 ハンスが言うと、蛇腹屋は楽器からゲンに目を移した。


「運よく安全な場所に避難できたはいいでげすが、当の本人がもう……」   


「どうせ死ぬなら海で死ぬってお言いでね」


 ハンスが蛇腹屋の言葉を引き継いで言った。


「とにかくここまで運ぶように頼まれちまって、しかたなくっていったとこでさぁ」


 そこで周囲の探索に出たゲンの仲間たちと再会したらしい。

 ゲンは先ほどまで虫の息で、命が尽きるのをじっと待っていたが、キッドと再会したことで息を吹き返し、懸命に命の残り火を燃やしている。


「坊ちゃん、あっしは坊ちゃんに謝らなけりゃいけないことがあるんです……」


 ゲンは喘ぎながらかすれた声でそう言った。


「何だよ、何言ってるんだよ、それより手当てが先だろう!」


「……いいえ、坊ちゃん、あっしはもう……。それより話を聞いてください」


 キッドは何か言いたげながらも、覚悟を決めた表情でしっかりうなずいた。

 ゲンはほっとしたように微笑した。


「あっしはずっと坊ちゃんとはちがう目的で船に乗ってました。呪いが解けても解けなくても、坊ちゃんを南に引き止めておくのがあっしの務めだったんです」


「なんだよ、それ、どういうことだよ」


 キッドはまるでわからないといった顔をする。


「坊ちゃん……」


 ゲンはかすむ目でキッドの顔をうつろに見ながら、そこにいるのを確かめようとするように手を伸ばした。キッドはその手をしっかりつかむ。

 その手は赤くただれている。衣服がはりついた肌も真っ赤で、深刻な火傷を負っている。それでも息も絶え絶えにゲンは力をふりしぼって伝える。


「ルミネスキと神帝国の間で戦が起きようとしています。すでに頭領はノルドに向けて出発していることでしょう」


「戦って何? どういうこと?」


 ヒラクは黙って聞いていられずに、ゲンのそばにつめ寄った。


「くわしくは知りません。あっしはただ頭領に坊ちゃんのことを頼まれただけで……坊ちゃんをお守りするようにと……。けれどそれももう……叶わないようです……」


「ゲン!」


 キッドはゲンの手を強く握った。

 その手の感触を確かめながら、ゲンはしみじみと言う。


「坊ちゃん……本当に大きくなった……強くてたくましい手だ……。これからはその手で守っていってくだせぇよ……いつか……頭領の気持ちがわかるときが……」


「なんだよ、何言ってるんだよ。守るって何をだよ。俺を守るのはおまえだろう? 聞いてるのかよ、ゲン!」


 キッドは握った手に力を込めた。アーモンド形の大きな目からはぼろぼろと涙がこぼれる。

 ゲンはキッドの涙を顔に受けながら、目を閉じたまま微かに笑い、そのまま息をひきとった。


「嘘だ! これは夢だろ? 何でだよっ! なんでこんなひどい夢見るんだよ」


 辺りにわめきちらしながら、キッドは大声で泣いた。

 取り乱すキッドを落ち着かせようと、リクは背後から押さえつけながら胸に抱き込んだ。


 ヒラクの頭にはゲンの言った言葉が残る。


「ハンス、ルミネスキと神帝国の間に戦が起きるってどういうこと?」


 ハンスも腕組みをしながら考え込んでいる。


「俺たちの知らないところで何かが動いていたってわけでさぁ」


「あんたら、他に何か知らねぇのか」


 カイはゲンの取り巻きたちに尋ねるが、三人とも何も知らないといって首を横に振るばかりだ。


「少なくとも今ここにいる連中は信用していいんじゃないのか」リクが言った。「疑わしいのは、船を降りた奴らだろう」


「……ユピとジークか」カイは言った。


「鍵を握るのはユピだ。思えば初めからあいつの行動は怪しかった」


 リクは、海賊島でユピが頭領であるグレイシャと行動を共にしていることを不審に思っていた。ヒラクの知らないところでユピとグレイシャが何を話しているのかが気になった。

 やがて南への出航に向けての準備が忙しくなり、そのことにあまり注意と関心は向かなくなったが、ずっとリクの中で引っかかっていたことだった。


「ユピがどうしたの?」


「ジークも一緒なのかい?」


 ヒラクとハンスがほとんど同時に尋ねた。


 カイはユピがジークと一緒に巨人の手のひらで北に向かったことを教えた。


「なんで? どういうこと?」


「なんでまたジークまで一緒に……」


 ヒラクもハンスもさっぱり事情が飲み込めない。


「ヒラクが望んだことだとかなんとか言ってたぜ。一体どういうことなんだよ」


 カイはヒラクに言った。


「おれが望んだこと? どういういこと? わからないよ」


 ヒラクは混乱していた。

 ユピが自分を置いていったという事実を受け入れることができない。


 ゲンのかたわらで涙に暮れているキッドや男たちを見ながら、すべてが夢であることを願えば叶うだろうかと、ヒラクはぼんやり考えた。


「とにかく今はゲンさんを海に葬ることでげす」


 壊れた手風琴で調子はずれの哀しいメロディを弾きながら蛇腹屋が言った。

 キッドはカイたちと一緒に海に入り、ゲンを沖まで運ぼうとした。

 そのとき、いくつものいかだが水平線上に浮かんでいるのが見えた。

 いかだの上から手を振る人影も見える。


「海の民だ」ヒラクは叫んだ。


 やがて海の民はヒラクたちのいる海岸に次々到着した。

 もちろんダイクとナジャ夫妻もいる。


「こんなところで何やってるんだい?」


 ナジャはにこにこと笑って、ヒラクのそばに近寄ってきた。


「この人を沖まで運んでやりたいんだ」


 ヒラクがゲンの遺体を示して言うと、海の民の一人が自分のいかだの一つに遺体を乗せて沖まで運んでくれた。

 キッドも海の民と一緒にいかだに乗って沖に向かった。


 砂浜でゲンの遺体を見送るヒラクにナジャが言う。


「あんたたちも色々たいへんだったようだねぇ。でもここまで来たらもう安心だよ」


「ここは一体どういうところなの?」


 ヒラクが尋ねると、ナジャの隣に立つダイクが人のいい笑顔を向ける。


「説明するより見せる方が早い。沖まで出ればわかるさ」


 そう言って、ダイクはヒラクを自分のいかだに乗せた。


 いかだはすべるように海を進み、すぐに沖までたどりついた。


「ねえ、ここまでくればわかるってどういういこと?」


 沖に出たヒラクはダイクに聞いた。


 もう一つのいかだはさらに沖まで出てゲンを海に葬ってくれていた。

 いかだの上でキッドが大泣きしているのが小さく見える。

 

 すると、よそ見をしているヒラクをダイクはいかだから突き落とした。


 ヒラクは海の中に沈み、ごぼごぼと口から気泡を吐き出した。

 突然のことに驚きながらも、とにかく海面に浮上しようとヒラクは手足を動かす。


 そして目を開けたヒラクの視界に無数のウミガメが優雅に泳いでいる光景が飛び込んできた。

 一瞬手足を動かすのをやめ、ヒラクは再び海に沈みこんだ。

 息をするのも忘れたぐらいだが、実際息を止めていたわけではない。

 ヒラクは自分が海の中で呼吸ができていることに気がついた。


 再び手足を動かし浮上して、海面から顔を出すと、ヒラクはにこにこ笑うダイクと目があった。

 ダイクに引き上げられてヒラクはいかだにはいあがる。


「何これ? どういうこと? 海の中なのに全然苦しくなかったよ」


「当然さ。この海はウミガメの意識の海なんだ」


 ダイクは櫂をこぎ、いかだを再び浜に近づける。


「ウミガメの意識? たくさん泳いでいる亀と何か関係あるの?」


「ああ、もちろん」


 大工はニコッと笑ってうなずいた。


「破壊神の島の周囲には、亀の甲羅の島がたくさんあっただろう? それは眠り続けている巨大なウミガメたちだ。あいつらは意識を甲羅の内側に閉じ込めて、夢を見続けているんだ。ここは甲羅の内側の亀たちの夢の中ってわけだ」


 一体どういうことなのか、ヒラクにはさっぱりわからない。


 ヒラクが浜に戻ってくると、ハンスが頭を抱えて悩みこんでいた。

 ダイクが話したことと同じことを海の民たちから聞いたらしい。


「するってぇと何かい? 俺たちは亀の夢の世界に迷い込んだってわけなのかい?」


 ハンスは浜辺に集る海の民に尋ねた。


「少なくともあんたたちはそうだろう。火山の噴火で揺り動かされて、寝ぼけて移動する亀たちの島に助けられたんだろうな」海の民の一人が答えた。


「どうしたらここを出られるの?」ヒラクが聞くと、


「しばらくは出ない方がいいよ」とナジャが言った。


「あたしらはあんたらとちがって自らここに来たんだ。噴火はおさまってもしばらくは火山灰が降り続ける。空が綺麗に晴れ渡るまでにはまだまだ時間がかかるし、それまではここに避難しようと思ってね」


「この世界は何でもありなんでしょう? 晴れるように願えばいいじゃないか。火山だって止められたんじゃないの?」


 ヒラクは責めるように言った。

 そうすればゲンは死ななくてすんだし、キッドが悲しむこともなかったのだ。


 海の民たちはあきれたようにヒラクを見た。


「この世界はまだわからないことだらけさ。少なくともあたしらは空を飛べないし、海で溺れることもある。火山の噴火は止められないし、何もかも願ったとおりになるってわけでもないんだよ」


 ナジャは困ったように笑って言った。


「とにかくしばらくはここで一緒に過ごしたらどうだい? 食糧は十分持ち込んでるし、何も心配することはない」


 ダイクが笑って言うと、海の民たちもそろって人のいい笑顔をみせたが、ヒラクは素直に喜べず、どうしようもない苛立ちを彼らにぶつけた。


「しばらくなんて待ってられないよ! 今、こうしている間にも何かが起こってるんだ。ユピがここにいないんだ!」


 漠然とした不安と傷ついた心がないまぜになり、ヒラクは感情を爆発させた。

 琥珀色の瞳が潤み、涙が溢れて頬を伝う。


「……だけどもう、わからないよ。どうしていいかわからないんだ……」


 ヒラクは波打ち際にひざを落とし、両手をついてうなだれながら湿った砂を握りしめた。

 打ち寄せる波が砂浜の爪あとを洗い流す。

 波を頭からかぶっても、ヒラクは立ち上がらなかった。

 ユピに置いて行かれたことが、何よりもショックだった……。


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【登場人物】


ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。最初の勾玉主である黄金王が手に入れたという神の証とされる鏡を求めて、勾玉の光が示す南を目指すが、赤い勾玉主である神王が求めていた剣にたどりつく。


ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。ヒラクが目指す鏡は神帝国では神託の鏡と呼ばれていることを知っているがヒラクには告げない。破壊神の剣に強い関心を示し、ヒラクに剣の在処を突き止めさせる。剣を手に入れると、自らの「剣の主」と名乗り、岩の巨人を呼び出して、ヒラクの元を去った。


ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。神王の民と呼ばれたネコナータ人の末裔。しかし神王の再来とされる神帝を偽神とするルミネスキ女王に仕え、偽神を討つ存在とされる勾玉主を見つけ出す任務を与えられ、ヒラクをメーザ大陸へと導いた。神帝国の皇子であるユピを強く警戒していたにも関わらず、なぜかユピに従い、行動を共にする。


ハンス……ジークと同じ希求兵の一人。成り行きでヒラクの旅に同行しているが、頼りになる存在。堅物のジークと違い世慣れた様子で、海賊たちとも打ち解けている。


キッド……海賊島の女統領グレイシャの一人息子。三年前呪術師の島に来た時から髪が四季のように変色し最後には抜け落ちるようになった。呪いを解く旅としてヒラクを乗せて船を出し、やがて友情を芽生えさせる。高所恐怖症で火山の中を脱出する際、一人だけ鳥人から落ちてしまい、仲間とはぐれたところ、ヒラクに助けられ、共に脱出に成功した。


リク……キッドと共に育った海賊三兄弟の長男。バンダナの色は黄色。温厚で面倒見がよい。


カイ……リクの弟。三兄弟の次男。バンダナの色は赤。気が荒くけんかっ早い。


クウ……カイの弟。三兄弟の三男。バンダナの色は青。クールで人のことに興味がない。


※三兄弟は父親が双子の海賊で、誰がどちらの父親の子であるかは不明。三つ子のように顔が似ている。


ゲン……刀傷で片目が塞がった白髪交じりの初老の海賊。他の海賊たちからの信望も厚く、グレイシャにも頼りにされている。


蛇腹屋……誰とも群れない謎の海賊。手風琴を演奏する音楽家だが剣士でもあり腕が立つ。





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