第18話 失われた光

 呪術師の島を離れたヒラクたちは、南に向けてさらに船を進めた。


 結局、呪術師の島で、死者や行方不明者を合わせて十一人もの仲間を失った。

 残りは十四人。そのうち四人は海賊ではない。ヒラク、ユピ、それに護衛のジークとハンスだ。つまりキッドは半数以上の海賊仲間を失ったことになる。

 キッドはもちろん仲間たちも言葉少なで、常に命の危険にさらされてきた親世代の海賊と自分たちの違いを思い知らされていた。


 その日はわずかに晴れ間が見えたかと思うと、すぐに雨が降り続けるといった繰り返しだった。


 交代要員も少なくなり、若者たちは休みなく策具を操り帆の向きを変える。

 疲れのたまる仲間たちを慰めようと蛇腹屋は手風琴で陽気な音楽をかきならす。

 若者たちはやけくそ気味に歌いながら、裂けて血のにじむ指先で太綱を扱っていた。

 風が安定してしばしの休息を得ても、若者たちはぐったりと甲板に腰を下ろして言葉もない。


「どうせなら、楽しいことでも考えようぜ」

 

 カイが大声で言った。


「俺の夢はぁ、南の島の娘たちをはべらせて、花の芳香と甘い果実をたっぷり味わうことさ」


「俺はシュロの木陰でハンモックに揺られながらゆっくり昼寝がしてぇなぁ」


 そう言ったリクの言葉をカイは笑う。


「まるでクウが言いそうなことだな」


「まあ、あいつはおまえとちがって南の島にまで女を求めなくてすむしな」


「なんだよ、まるで俺が女にもてねえみてぇな言い方じゃねぇか」


 そう言って、カイはリクに飛び掛り、揺れる甲板で取っ組み合いのケンカが始まった。

 若者たちはどちらが勝つかを賭けて野次を飛ばす。

 リクとカイにとっては、ただの遊びの一つだが、体は傷だらけになった。

 そしてそれさえ笑い飛ばすのだ。


 海賊島に定住するまでの海賊たちは、海賊業はせいぜいが一、二年といったところで、常に死と隣り合わせの毎日を過ごしていた。

 そのため彼らは刹那的快楽を求めて生きる傾向が強い。

 時代は変わっても、海賊たちの享楽主義はリクたちにそのまま受け継がれている。


 活気を取り戻した船の上で、キッドだけが一人浮かない顔だ。

 ヒラクは甲板下の船室に引きこもるキッドに声を掛けた。


「キッドは南に向かうことに納得してないんだね」


「……別に。おまえが行きたいならそれに従うまでだ」


 キッドはふてくされたように言う。

 ヒラクは何も言えずに目をそらす。

 それに対してキッドは苛立ちを感じた。


「自分で決めたんだろ? だったらそんな不安そうな顔するなよ。俺の顔色なんてうかがうな」


 キッドに怒鳴りつけられると、ヒラクは困ったようにうつむいて、船室の扉を閉めて出て行った。


「ヒラク」


 いつからいたのか、ユピがすぐそばに立っていた。


「大丈夫。南に行けばきっと鏡はみつかるよ」


「ユピ……」


 ヒラクは泣きそうな顔でユピを見た。


「勾玉が行き先を示してくれないんだ」


 呪術師の島を出発してから四日。

 ヒラクは何度か手のひらの勾玉を出そうと試みた。

 しかし勾玉は一度も現われなかった。


「おれ、今までどうやって勾玉を出してきたんだろう。どうしたら光はおれを導いてくれるんだろう。本当に南に向かっていいのかどうか、おれに教えてほしいのに」


 ヒラクはすがるようにユピにしがみついた。

 ユピはうれしそうに微笑んで、ヒラクの頭を優しくなでた。


「大丈夫だよ。今までだって、勾玉はいつもその手にあったわけじゃない」


「でも……最後に見たとき……」


 ヒラクは黒ずんだような赤い勾玉と一緒に消えた透明な勾玉のことを考えた。


「何かあったの?」ユピは優しく尋ねる。


 ヒラクはためらいながらも、ユピに自分が見たものについて話した。


 破壊の神と呼ばれた岩の巨人……その巨人を砕いた剣……赤い勾玉を持つ男……。


「……そう。赤い勾玉が……。その男に心当たりはないの?」


 ユピは鋭いまなざしで探るようにヒラクをちらりと見た。


「わからない。でも黄金王ではなかった。顔ははっきり見てないけど、全体の雰囲気とか背格好もちがう気がする……。あれは、おそらく神王だ」


 ヒラクはすでに確信していた。


「神王は赤い勾玉に導かれて剣を探していた。破壊の剣って言ってた。鏡と何か関係があるのかな」


 ユピは少し考え込む。


「……わからないけど、赤い勾玉の光が北を示したとしても、それは鏡とは関係ないんじゃないかな。君は君が信じたとおり、南に鏡を探しにいくべきだよ」


「そうか……そうだよね……」


 そう言いながらもヒラクはどこかすっきりしない思いだ。


「ねえ、ユピ。おれ、神王のこと、知っている気がするんだ」


「なぜ、そう思うの?」


「……おれは、自分の手のひらに赤い勾玉を見た」


 ユピは少し考え、口を開いた。


「もしかしたら君の前世は神王だったのかもしれないね」


 思ってもみないユピの言葉にヒラクは驚いた。


「そんな馬鹿なことあるわけないよ。だって神帝が神王の再来って言われてるんだよ? おれが神王だとしたら、ジークやハンスの敵になってしまう」


「たとえ誰が敵になろうと、僕だけは君の味方だよ」


 ユピはヒラクの耳元でささやいた。

 麻酔が効いていくようにヒラクの思考は停止する。


「……おれは、神さまを探したいだけだ」ヒラクは震える声で言った。


「神王である自分を思い出そうとしていたのかもしれないよ」


 ユピは笑みをたたえて言う。


「ちがう、そんなんじゃない。おれは、神になりたいわけじゃ……」


 ヒラクは船の揺れにバランスを崩し、足元をふらつかせた。


「神である自分は信じられない?」


 ユピはヒラクの手首をつかんで体を支えた。


「自分を信じられないなら、僕を信じればいい」


 ユピはヒラクの手首をきつくしめつける。


「僕の言うことなら聞けるだろう? 君は何も迷うことはないし、何も不安に思うこともない。君にとって最善の道を僕が示してあげる」


 ユピの声はヒラクの耳に心地よく響く。

 踏ん張る足の力を抜いて身を任せてしまえば楽になれると思えた。

 ヒラクは全身の力が抜けていくのを感じた。


「くさいな!」


 突然、船室の扉が乱暴に開け放たれた。


「空気がこもって、汗臭い! 男臭い! 洗濯だ」


 キッドはそう言うと、ユピの前に崩れ落ちるように膝をついたヒラクの手を取り、引きずるようにして上甲板に連れていった。

 空には雲が集りだしている。


「また一雨くるな」


 キッドは甲板上に人を集め、それぞれの衣類を持ってこさせた。

 そしてロープや帆を下甲板に投げ入れると階段の上げ蓋を閉め、排水口をすべてふさいだ。


 やがて雨が降ってきた。


 甲板に雨水がたまっていく。

 若者たちはほとんど裸の状態で、石けんを使って体と衣類を洗った。

 リクとカイは互いの体を洗いながら、傷がしみると言って、怒り、殴り、笑いあった。

 揺れる船の上での一大洗濯に若者たちは大いに盛り上がった。


「ほら、ヒラク、洗ってやるよ」


 そう言って、キッドは石けんでヒラクの頭を洗った。


「痛いって、キッド!」


 ヒラクが突き飛ばすと、キッドは見事にすべってカエルのような格好であおむけにひっくり返った。

 そのぶざまな転び方を見て、ヒラクは声を上げて笑ったが、すぐにキッドに仕返しをされて雨水の中に顔を沈めた。


「無邪気にじゃれあっちゃってまあ」


 ハンスはあきれたように二人の様子を見て言った。


「ヒラク様が笑ったのを見るのは数日ぶりだ」


 そう言って、ジークはせっせとヒラクの着替えを洗った。


「キッドのおかげだねぇ」ハンスは言った。


「ああ」


 あっさり認めるジークを見てハンスはにやにやと笑う。


「海賊は嫌いなんじゃなかったのかい?」


 ジークは答えず黙々と洗濯を続けた。


「あーさっぱりした!」


 キッドは頭を左右に激しく振って毛先のしずくを飛ばした。

 赤と黄色に染まった髪は、濡れても色鮮やかだった。


「……これで、きれいさっぱり洗い流そうぜ」


 キッドは照れくさそうにヒラクに言った。


「俺、仲間が死んだのは自分のせいだって言いながら、どっかでおまえが悪いって思ってた。おまえも俺に気をつかっているふうで、なんだか余計にイラついた。でも、もう俺、誰のせいにもしねぇ。だからおまえも迷うなよ」


「うん、ごめん……」


 ヒラクはうれしいような泣きたくなるような気持ちで声をつまらせた。


「だからっ、そういうのが、らしくないって言ってんだよ!」


 キッドはヒラクの頭を抱えて髪の毛をぐしゃぐしゃにした。


「おまえは自分のしたいようにしろよ。いつだってそうしてきたんじゃねぇのか」


「……そう思ってた。だけどわからなくなったんだ。おれがしたいと思ってきたことはおれの意志なのかどうか。誰かの意志を引き継いでいるだけなのかもしれない。誰かに操られて……」


 なぜか赤い勾玉の男の姿がヒラクの脳裏に浮かび上がった。


「しっかりしろよ!」


 キッドはヒラクの両肩をつかんで揺さぶった。


「おまえはおまえだろう?」


「……うん、ありがとう」


 ヒラクはキッドの言葉をうれしく思うのと同時に、今の自分の気持ちはわからないのだろうと寂しくも思った。


 キッドは仲間たちに指示を出し、排水口から石けん水を流すと、再び雨水をためた。


 しばらくすると晴れ間が見えてきた。


 夕暮れまで穏やかな天気が続いた。


 ヒラクは、帆桁やロープに結びつけられて干された洗濯物が風にたなびくのをぼんやり眺めながら夕日に照らされていた。


「ヒラク……」


 ユピが忍び寄るように近づいてきた。


「昼間は、へんなこと言ってごめんね」


 ユピはヒラクの反応をおびえたようにうかがった。

 どこか頼りないいつもの様子のユピにヒラクはほっとした。


「もう、きれいさっぱり洗い流した」


「そう……」


 ヒラクの言葉にユピはどこか不満げな様子だ。


 真っ赤に熟した太陽が水平線に沈んでいく。


「赤い勾玉はあんな色だったの?」


 唐突にユピはヒラクに言った。


「どうしてそんなこと聞くの?」


 ヒラクは少し気分を害したように言った。


「君が忘れようとしているから」


 そう言って、ユピは横からヒラクの手をつかみ、太陽に向かって腕をのばした。

 ヒラクの手が赤い夕日の色に染まる。


「君の手のひらは、こんなふうに赤く染まったの?」


「やめてよ!」


 ヒラクはつかまれた手を振り払った。


「どうしておれの嫌がることするの? おれは神王なんかじゃない!」


「……つらいんだね。前世を思い出すことが。今の自分が不確かで、誰かに認めてほしいんだ」


 ユピは心から同情するように言った。


「ヒラク、君のことを理解できるのは僕しかいない」 


 ユピにそう言われて、そうかもしれないとヒラクは思った。

 キッドやジークやハンスも理解できないことをユピなら理解してくれる。

 父や母さえ否定した自分の性別もユピは拒んだことはなかった。


 だがユピとの間に次第に大きな溝のようなものができていったのはどういうわけか。

 勾玉の輝きが増すほどにユピが遠ざかっていく気がしたのはなぜか。


 けれどもヒラクはそれを深く考えようとはしなかった。

 光を失った今、不安と迷いの闇の中でひっそりと寄り添ってくれるのはユピだけだ。

 その闇の心地よさにヒラクはまぶたをゆっくり閉じようとしている。


 夕日が沈むと、海の底から闇がにじみ出て、空全体を夜の色に染めていく。

 ヒラクは船尾甲板のランタンに灯がともるのをぼんやりと眺めた。


 ユピがヒラクの右手を握る。


「大丈夫。君の勾玉の光は僕が取り戻してみせるから」


 ヒラクはその手を握り返しながら、自分を導いてくれるのはユピしかいないのかもしれないと思った。


 深い闇が足元からヒラクを侵食していった……。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【登場人物】

ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。最初の勾玉主である黄金王が手に入れたという神の証とされる鏡を求めて、勾玉の光が示す南を目指すが、赤い勾玉主である神王は剣を求めていたことを知り混乱する。


ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。ヒラクが目指す鏡は神帝国では神託の鏡と呼ばれていることを知っているがヒラクには告げない。言葉でヒラクを支配し依存させようとしている。


ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。ヒラクに忠誠を誓うが、ユピに対して強い警戒心を抱いている。


ハンス……ジークと同じ希求兵の一人。成り行きでヒラクの旅に同行しているが、頼りになる存在。酒好きなのが玉に瑕だが、ジークと共にヒラクに付き添い、助ける。


キッド……海賊島の女統領グレイシャの一人息子。三年前呪術師の島に来た時から髪が四季のように変色し最後には抜け落ちるようになった。


リク……三兄弟の長男。バンダナの色は黄色。温厚で面倒見がよい。


カイ……三兄弟の次男。バンダナの色は赤。気が荒くけんかっ早い。


クウ……三兄弟の三男。バンダナの色は青。クールで人のことに興味がない。


ゲン……・刀傷で片目が塞がった白髪交じりの初老の海賊。他の海賊たちからの信望も厚く、グレイシャにも頼りにされている。


蛇腹屋……誰とも群れない謎の海賊。手風琴を演奏する音楽家だが剣士でもあり腕が立つ。

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