第14話 呪術師の島

 嵐は去り、海上は静かな夜明けを迎えようとしていた。


 前方に濃い青色の雲が浮かんでいた。

 キッドはその雲が目指す島にかかるものなのか、確かめるように目を凝らした。

 雲と島を見誤ったのではないかと、不安を感じていた。


 しかし、船が近づくにつれ、青いものは濃い緑色に変わり、木立や岩の陰影も見えてきた。

 キッドは島だと確信した。


 午後、船は島の真正面に到達し、キッドは仲間たちに指示を出し、陸に上がる準備を始めた。


 そして、日没近く、遂に島に到達した。


「今夜はここで夜を明かし、明日、早朝から島に上がろう」


 入り江に船を停泊させると、リクはキッドにそう言った。


「おまえたちはここで休んでいればいいさ。俺は、ちょっと行ってくる」


 キッドは手燭ランプがつくのを確かめて、下船の準備にとりかかる。


「おい、無茶はよせって。気がはやるのはわからなくもないけどよ」


 カイがキッドを止めようとするが、キッドは聞く耳を持たない。


「すぐ戻ってくるよ。だいじょうぶだって!」


「おれも行く」


 ヒラクは背中に矢筒を背負いながら元気よく言った。

 剣の扱いには不慣れなヒラクだが、狩りには慣れているので弓矢は扱える。


「ヒラク、俺の心配なら無用だぜ。ここは俺の目的で来たんだ。呪術師に会って呪いを解くためにな」


 キッドに続いてジークも言う。


「ヒラク様には関係のないことです。なぜあなたまで行かなければならないのですか」


「だって、おもしろそうだから」ヒラクはけろっと笑って言った。


 ヒラクの楽観的で向こう見ずな性格はジークには理解しがたいものだった。


「何があっても知らないからな」


 そう言いながらも、キッドはどこかうれしそうだ。


「おまえたちだけで行かせられるかよ。俺も行くからな」


 カイは言うが、三兄弟はそれぞれに意見が分かれた。


「俺は行かねぇ。船で寝る」


 クウはめんどくさそうに言うが、真意をくみとり、リクが言う。


「俺たちは船を守らなけりゃならない。いざとなったらすぐここを離れるためにも手入れをしておく必要がある」


「それはあっしが引き受けよう」


 ゲンはそう言って三兄弟を送り出してやろうとするが、クウはきっぱりと断った。


「じいさん、これは俺たちの船だ。いくらあんたでも預けるわけには行かねぇ」


 ゲンは片方の眉毛をぴくりと上げたが、白髪交じりの無精ひげをなでながら自分を納得させるようにうなずいた。


「わかった。では、わしが坊ちゃんについていこう」


「いい。足手まといだ」キッドはゲンに言った。


「おい、なんだ、その言い方は」


「ゲンさんに失礼だぞ」


 ゲンの取り巻きたちがキッドを非難する。

 だがキッドはそっぽを向いたままだ。

 そんなキッドを見てゲンは穏やかに笑う。


「やれやれ、坊ちゃんに心配されるようになるとはねぇ。うれしいやら、情けないやら……」


 キッドは困ったようにゲンを見た。

 そこでリクがゲンを立てるように言う。


「ゲンさんには、船の方を見てほしいんだ。俺たちじゃ細かいところまで確認できないからな」


「あちきが代わりに行くでげす。神秘の森にて妖しき魅惑の演奏会でげす」


 蛇腹屋が手風琴を鳴らしながら歌いだした。


「わかった。そうしてもらおうか。坊ちゃん、こいつを連れて行ってくれ。いかれた奴だが腕は立つ」


 ゲンの言葉を今度はキッドも断ることはできなかった。


 ヒラクが行くというので、当然ジークとハンスもついてくることになった。

 だが、ユピは一緒に行こうとはしない。

 ヒラクも積極的にユピを船から連れ出そうとはしなかった。


 ユピがただ具合が悪いだけではないことは、ヒラクも何となくわかっていた。

 キッドと仲良くなることを、ユピは快く思っていない。

 そんなユピに対して、ヒラクはどうしていいかわからない。


 船から降りる直前、キッドは甲板上に集った全員に向かって言った。


「油断するなよ。もう、俺たちがここにいることは、島中に広まっているはずだからな」


 ヤシの葉がざわざわと揺れていた。

 人の奇声か獣の声かわからない鳴き声が密林の奥から聞こえてくる。

 若者たちは怖気づき、残される方が危険なことに思えて、一人、また一人と船を下り、結局六人の若者が、キッドの後を追っていった。


 こうして、ヒラク、ジーク、ハンス、キッド、カイ、蛇腹屋のほか、キッドの仲間六人が、呪術師の島に上陸した。




           

 密林の中は、水気を含んだ生ぬるい空気でよどんでいた。

 キッドが先頭になり、木の葉の降り積もるぬかるんだ地を進んでいく。

 緑の下生えや赤や紫の極彩色の夜光キノコがぼんやり発光し、細い幹やシダの葉の茂る森の輪郭をうっすらと闇に浮かび上がらせている。

 蛇腹屋は耳につく動物の鳴き声を楽器や声で真似ていたが、それは警戒音だったのか、結果的に危険な動物たちとの遭遇を避けることができた。

 だが、いつまでたってもなぜか同じような光景が広がり、どこにもたどり着くことはない。

 キッドは足を止め、不安そうに辺りを見回した。


「あれ? おかしいなぁ。前に来たときはどっちに行ったんだっけ?」


「知らねぇよ。おまえがずんずん先に行くからてっきり目的があってのことだと思ったのによ」


 カイがキッドの頭を小突く。


「じゃあさ、あっちの方行ってみない?」ヒラクが二人に言った。


「勾玉が行き先を示されたのですか?」


 ジークはヒラクの手のひらをのぞきこむが、そこにはなんの光もない。


「ちがうよ、なんとなく。あっちの方からいい匂いがするからさ」


「確かに、何か匂いまさぁ」


 ハンスも匂いに気がついた。


「じゃあ、おれ、あっちに行くから」


「おい、待てよ」


 一人で勝手に行こうとするヒラクの後をキッドは追う。


 やがて木の間から妖しい紫色の光が漏れているのが目についた。


 紫の光は芳しい匂いとともにヒラクたちに進むべき方向を示しているかのようだった。


 急にヒラクは足を止めた。


「なんか嫌な予感がする」


「引き返しますか?」


 ジークが聞くと、ヒラクは首を横に振った。


「いや、行く。だけど、みんな、気をつけて」


 ヒラクは表情を強張らせ、弓に矢をつがえ、辺りを警戒した。


「そうだな、甘い匂いの女には気をつけろってな」


 カイも手製の火薬玉を準備して言った。


 けれども、紫の光の源にたどり着くと、誰もが一瞬警戒心をなくしてしまった。


 毒々しいまでに鮮やかな巨大な熱帯の花が、沼地にすいれんのようにびっしりと生えている。

 それは赤紫の巨大な花弁を持つ花で、密集した雄しべの先が触手のように長く伸び、先端は紫色に発光していた。

 腐りかけの果実のようなむせるほどの甘い匂いはその花から発生している。


 ジークはとっさに息を止め、両手でヒラクの鼻と口を塞いだ。

 ヒラクは息もできずにもがいたが、その目は恐ろしいものを捉えていた。


 キッドについてきた若者の一人が薄ら笑いでよだれをたらしながら花にふらふらと向かっていく。

 そして目の前の花の中心に向かって頭をもたげた。

 次の瞬間、発光する触手が伸びて若者の頭に巻きついた。

 一瞬で花弁が収縮し、花は若者の体を丸ごと飲み込んだ。

 若者を包み込んだ花弁の裏側には血管のような筋が浮き出て、どくどくと脈打っている。


 ヒラクがぞっとしたのも束の間、カイがふらふらと花に向かっていく。


「綺麗な姉ちゃんが俺を手招きしてる……」


 ハンスはカイの後ろえりをつかんで引き戻し、伸びてきた花の触手をつかんで短刀で切り落とした。


「この匂いには幻覚効果があるようでさぁ。早くこの場からずらかりましょうぜ」


 そうはいっても、訓練を受けて耐性をつけたジークやハンスとはちがい、若者たちは幻覚に惑わされ、次々と花の餌食となっていく。

 キッドまでもが花に吸い寄せられていった。


「キッド!」


 ヒラクはジークの手を振り払い、キッドに触手を伸ばす花に向かって弓を構えた。

 

 だが、その瞬間、甘い芳香が鼻孔の奥にしのびこんできて、ヒラクはめまいを覚えた。


 その時、とんでもない大音響がして、ヒラクは正気に返った。

 見ると、蛇腹屋が手風琴で耳障りな不協和音を奏でていた。


「嗚呼美しき花の神秘。何故にそこまで美しいのでげしょう。花は芸術を理解するからでげす。心地よき調べに花は酔う哉、不協和音には萎える哉……。あちきもこんな演奏は、不快でたまらないでげす。おえーっ、でげす、おえーっ、でげす」


 蛇腹屋は正気を保ちながら、めちゃくちゃな演奏をする。

 触手の先から発光する光は消え入るように明滅した。


 その時、ヒラクは、沼地の水に刻まれた記録を読み取った。


 甘い汁をしたたらせる熟れた果実がたわわに実っている。

 美しい女たちがその果実を持って手招きしている。

 誰かの妻か母親が、調理場で料理を作っている光景も見えた。

 そして特定の人物の名を呼び、食卓に料理を並べて微笑むのだ。


「なんだこれ……。水に刻まれた記録と幻覚って同じものなのか?」


 ヒラクは目の前の光景を見て言った。


「しっかりしてください、ヒラク様!」


 てっきりヒラクも幻覚に惑わされてしまったと思い込んだジークは、ヒラクの頬を思い切り打った。


「いっ、痛ぁっ!」ヒラクは頬を押さえた。


 読み取られた記録は一気に消えた。


 目の前にはもだえ苦しむように明滅する触手を動かす花たちの姿があるだけだ。


「とにかく、ここから離れましょう」


 ジークは片腕にキッドを抱きかかえていた。

 キッドはまだ夢から覚めない表情でぼんやりとしている。

 ハンスはカイの他に二人の若者を助けた。

 そして最後に吐き気を催しながら演奏を続ける蛇腹屋をそこから連れ出した。


「助かった……」


 ハンスが息を吐いたのも束の間、目の前に現れたものを見て言葉を失った。


「万事休す」


 そう言って、ジークもその場に立ちつくした。


 目の前には、全身の三分の一はある大きさの木の仮面をつけ、腰布を巻いた裸の男が立っていた。手には石槍とたいまつを持っている。

 男たちの大きな仮面は赤や緑に彩色され、白で囲んだ目や口がたいまつの火に照らされて浮かび上がる。


「でかい顔……」


 ヒラクは木の盾のような仮面そのものが顔であるかのように錯覚した。

 するとその仮面は急に反転し、上下さかさまになった。

 それが仮面とわかっていても、まるで頭がひっくりかえったように見えて気味が悪いとヒラクは思った。


 さらに仮面は回転し、もとの位置に戻った。

 そうかと思うと、今度はもっと早くぐるぐると仮面が回り始めた。カラカラカラカラ音がする。


「おい、なんだよ、気持ち悪ぃなぁ」


 ハンスがぞっとしたように言うと、ジークは何かがおかしいと思った。

 すると蛇腹屋があることに気がついた。


「あの仮面の回る音、一定のリズムがあるようでげす。原始的な音楽でげす」


 その言葉でジークはハッとした。


「おそらく仲間に場所を知らせているんだ。まずい、ここを離れるぞ」


 だが、もうすでに遅かった。


 気づけばヒラクたちは仮面をつけた男たちに囲まれ、たいまつの火に照らされていた。


 正気に返ったキッドが男たちを見てうろたえる。


「なんで呪術師じゅじゅつしがこんなにたくさんいるんだよ」


 三年前、キッドが出会った呪術師は、同じ木の面をつけていた。


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【登場人物】

ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。かつて黄金王が手に入れたという神の証とされる鏡を求めて、勾玉の光が示す南を目指す。


ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。ヒラクが目指す鏡は神帝国では神託の鏡と呼ばれていることを知っているがヒラクには告げない。目的は不明だが、ヒラクに対して強い執着がある。


ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。ヒラクに忠誠を誓うが、ユピに対して強い警戒心を抱いている。誇り高い戦士であるため、野卑で粗野な海賊たちのことを快く思っていない。


ハンス……ジークと同じ希求兵の一人。成り行きでヒラクの旅に同行しているが、頼りになる存在。もともと港の人夫として神帝国に潜入していたことと調子の良さで海賊たちとは打ち解けやすい。


キッド……ヒラクと同じ緑の髪をした少年。海賊島の女統領グレイシャの一人息子。母親のことは苦手。四季のように変色し最後には抜け落ちる頭髪に悩


リク……三兄弟の長男。バンダナの色は黄色。温厚で面倒見がよい。


カイ……三兄弟の次男。バンダナの色は赤。気が荒くけんかっ早い。


クウ……三兄弟の三男。バンダナの色は青。クールで人のことに興味がない。


ゲン……刀傷で片目が塞がった白髪交じりの初老の海賊。他の海賊たちからの信望も厚く、グレイシャにも頼りにされている。


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