鏑木 5

 魁一郎は会社員のため、朝になれば仕事へと向かう。

 桃子は澄まし顔でそれを見送ったが、興人は何とも言えない複雑な表情だった。

 客人とは言え、一応世話になっている身。

 桃子は家事を手伝い、興人もそれに倣う。

 昼過ぎ、桃子は食材の買い出しに出かけた。

 興人も両端に小太刀を仕込んだ棒を手にそれに付き従う。

 棒を釣り竿のように担いで先に小荷物をかける姿は、多少怪しいもののそれほど物騒な感じはしない。

 巨漢と言える興人は、担いだ棒よりも存在感がある。

 それでも普段はお調子者と言えるほどの陽気さで、それほど周囲に威圧感を撒き散らしはしない。

 しかし、今日は終始仏頂面だった。

 元が強面なので、一層不機嫌に見える。

「何か不満があるのですか?」

 桃子は何の気なしに問う。

「華道の道場だとは聞いていたが、本当に剣術をやってないのか」

 道場に木刀は置いてあったものの、それ以外には剣に関連する物は見えず、匂いもしなかった。

 稲葉の道場には木刀だけでなく、竹刀や防具、鍛錬のための道具も置いてある。

 華道を教えているのだから普段仕舞ってあるだけかもしれないが、それでも使い込まれた防具には特有の匂いがあるものだ。

 あの道場の畳は人の汗を吸っていない。

 一人で鍛錬するだけなら庭でもよいのだが、それでは仕合いの経験もほとんどないのではないか。

 それどころか、よりにもよって会社員とは……、と興人は吐き捨てるように言う。

「蕪古流は華道に隠された武術ですからね。華道が存続しているなら、その裏に剣があるものです」

 それでも興人は渋い表情のままだ。

「剣っていうのは朝も昼も夜も、それこそ全てを投げ打ってでも得られないもんなんだ」

 それを片手間でやるような奴に……、流派の存続をかけて挑もうとしていたのかと思うと、自分自身に呆れる――といった様子だ。

「ただひたすらに剣を振るうだけが鍛錬ではありませんよ」

「強さは精神論じゃない。ただ剣を振った回数がそのまま強さに繋がる。考える間にも剣を振る。それが剣士だ」

 桃子はその様子を横目で見ていたが、やがて口元に悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「まだ嫁いでもいないのに、わたくしが妻のように振る舞うのが不服なのかと思いました」

 興人は口をへの字に曲げると、バツが悪そうに顔を背ける。

「何事も一途に思い続けることが大事なんだよ」

「それなら魁一郎さんの方が上のように聞こえますけどね」

 ん? と興人は意味が分からないという顔をする。

「あなたの方が雑念が多いです」

 ふんと鼻を鳴らし、二人は特に会話もなく歩を進める。

 だが興人は、二人の様子を窺うようについてくる人影の気配を感じ取っていた。

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