鏑木 2
白い制服を着込んだ青年、魁一郎はやや日の傾きかけた土手を歩く。
来客があるとは言われていたが、時間を決められていたわけではないので家でじっと待つ義理は無い。
それにこちらは前から決まっていた予定なのだ。
このまま寄り道せずに帰れば問題ない。
蕪古流を継承する魁一郎だが、道場を構えているわけではない。
家はあくまで華道の道場だ。
先祖は華道家元で生計を立て、その裏で世のため人のために剣を振るうような家柄だったというが、今の世ではただの極潰しだ。
それもあって魁一郎は仕事についている。
武道を嗜む者として応急処置法や薬学についての知識はあったので、それに関連する職に就いていた。
医師というよりは薬剤師に近い。
今日は休日だが、仕事の関係で知り合った知人に個人的な用があった。
それが済んで家に戻る道中だったが、橋元に差し掛かった所で女性の叫ぶ声が聞こえる。
「ちょっと! 何するの。放しなさい!」
何事だと橋の下を覗き込むと、女学生のような恰好の少女を三人の男達が取り囲んでいた。
「何をしている?」
蕪古流が対応するような有事ではないが、見て見ぬふりをするのも憚られる。
男は少女の手を掴んだまま魁一郎を睨みつける。
「見て分からないのか? お茶に誘ってるだけだ」
とてもそのようには見えないが、そう言った所で事態が収まるものでもないのだろう。
「相手が嫌がってないならそれでいいのだが」
少女の方を見ると、我に返ったように、
「嫌よ。放して」
掴まれた腕を振りほどこうとするが、大柄の男はものともしない。
「嫌がっているようだが」
「最初は皆そう言うんだよ、女ってのはな。助けてって言ってねぇだろが」
魁一郎は少女を見るが、少女は頬を膨らせるように目を逸らし、腕を振りほどこうと力を入れる。
確かに助けてくれとは言われていない。
だがそれは無関係の人間を巻き込みたくないだけなのかもしれない。
いずれにせよ気丈な人だ、と魁一郎は少し感心したように少女を見る。
「分かっただろ! とっとと行け!」
取り囲んでいた一人がつかつかと歩み寄り、魁一郎の肩を突き飛ばし――たように見えたが、その手はすり抜けるように宙を押し、そのまま躓いて石の敷き詰まった河原へと倒れ込んだ。
男は一瞬何が起きたのか分からなかったようだが、すぐに手や肘、膝の痛みが怒りに変わったようだ。
「てめぇっ!」
渾身の力を込めて魁一郎の顔面に向かって拳を突き出すが、これもまた魁一郎の体をすり抜けて、その背後にいた男の顔面に突き刺さる。
「あ……」
仲間の拳を受けた大柄の男は、こめかみに血管を浮き上がらせる。
少女の手を放し、自分を殴った仲間の腹を蹴り、前のめりになった後頭部に組んだ両手を叩きつけた。
そして魁一郎を睨みつけたが、その時には残りの仲間も地面に伏していた。
ほう、と男は息を吸い込むと、大きな拳を握り締めて一歩前に踏み出す。
怒りに任せて襲い掛かろうと踏み込んだのだが、その顎には魁一郎の拳が突き刺さっていた。
カウンターで縦拳――中国拳法に見られる拳を立てた、棒を握っていたなら棒が縦になる形――を打ち込まれた男はそのまま地面に倒れ込む。
少女は呆気に取られたように地面に伏した男達を眺めたが、
「あ、ありがと」
「こいつらが襲ってきたからだ。私は自身を守っただけだ」
確かに助けてくれと頼んだわけでもない、と少女は口元を綻ばせる。
「あ、わたしは、
「よう、大丈夫か?」
少女が名乗ろうとした所へ男の声がかかる。
見ると大柄で筋肉質な男が大荷物を抱えて土手の上から見下ろしていた。
手には長めの棒を持っている。
「ああ、大丈夫。この人に助けてもらったの」
少女が言うと大男は河原へと降りてくる。
「ていうか遅いのよ、
悪い、と大男はさして悪びれた様子もなく言う。
「それで、分かったの?」
「いや、それがな。その辺の人に聞こうとしてたんたが、なぜかみんな逃げてくんだ」
魁一郎は興人と呼ばれた大男の風貌を見る。
短く刈り込んだ髪に発達した表情筋。歯を食いしばることに慣れた顎をしているのが一目で分かる。
早い話が素人目にも粗暴で強そうだ。
それが、人を叩く以外に使い道が思いつきそうにないような棒を持って近づいてくれば誰でも逃げるだろう。
「そうだ。アンタは知らないか?」
興人は遠慮もなしに魁一郎に向き直る。
「蕪古流の道場――」
そこまで言った所で、それまで地面に伏していた男が突然起き上がり、手に刃物を持って突進してきた。
魁一郎は半歩下がって対応しようとしたが、興人はそのまま踏み込み、手に持った棒で刃物を受ける。
襲い掛かってきた男もかなり大柄なので、そのまま鍔迫り合いのような力比べになった。
だがそれも一瞬。
興人は棒の先端を持つとそのまま中身を抜き去り、その白刃を閃かせた。
男の手から刃物が落ちる。
筋を切断され、力の入らなくなった手を呆然と眺めながら、男はわなわなとへたり込んだ。
興人が一瞬の間にその首筋に刃を当てると、男は白目をむいて気絶する。
屈強な体躯をしていながら、なんて俊敏な……と魁一郎は感心したが、それより棒かと思っていた物から引き抜かれた刃。
棒の長さに比べたら、その刀身は半分にも満たない。
鞘であろう棒の残り半分、反対側にも同じ物が仕込まれているのなら……。
「二刀……小太刀?」
「へえ、よく分かったな」
興人は刀を仕舞う。
「稲葉流……」
魁一郎の言葉に興人の笑みが消える。
「……そうか。お前が」
魁一郎は周囲の空気が重くなるのを感じた。
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