どろりと、赤

@mountainstorn

本編

 頭から何かが流れてゆく。前が見えない。思考が溶けていく。赤赤赤赤赤赤赤赤。どうしてこんなことになったのだろう。記憶が遡る。ぐちゃぐちゃにばらばらに。順番も内容も滅茶苦茶なそれが歪に形を結んでいく。最初に思い出したのはぱらつく雨だった。




 梅雨。じとりとした雨が降り続ける中、山中を歩いていた。ぬかるみから靴下に泥が跳ねる。大型の通学かばんの重みが肩に食い込む。ローファーが泥の上でずるりと滑る。額から顎に流れた汗が音もなく泥に吸い込まれていった。


「気持ち悪…」


 ぼそりとつぶやきつつ、茂みをわけ行っていく。5分ほど歩いて、いつもの場所に辿りついた。ここが一番土が柔らかい。木の下に隠していたスコップを引っ張り出し、包んでいたビニール袋を剥ぎ取る。


 場所は前のところの隣でいいだろう。ゆっくりとスコップを地面に突き刺し、土を持ち上げる。無言での動作の繰り返し。30分ほどで膝ぐらいの深さの穴ができた。これぐらいの深さなら問題ないはずだ。

 

 かばんの中から紙の包みを取り出す。丁寧に新聞紙をはがす。出てくるのは猫の死体だ。大きさの割に妙に軽く、口元には僅かに血がついていて、腹の部分はほっそりしている。まるで生きているように見えるのに乾いて軽い、くたりとした死体。私はもう一度死体に視線を落としてから、ゆっくりとそれを穴の底に置いた。


 カバンの中からホームセンターで買ってきた黒土を取り出して穴の底の死体にふりかける。ネットで調べたところによるとこうすると分解しやすくなるらしい。最も骨などが残るならあまり効果はないのかもしれない。ある程度振りかけた後、土で埋め戻していく。力のぬけた足も動かない瞳も土に埋もれて見えなくなっていく。程なくして仕事は終わった。


「あっつ…」


 汗が目に入って気持ち悪い。これで死体を埋めるのは九度目だ。最初は1日かかっていたこの作業も今では1時間ほどで終わるようになった。きた時と同じように山を降りて行く。


 足元を見ながら山道を降りて行く。靴下にはねた泥のしみを見ながらぼんやりと思考を巡らせる。死体を埋めていると、自分が泥の中で蠢いているような錯覚に陥る。腕も足も、頭の中までどろどろに浸り、溶けて行く。なんでこんなことを続けているのだろうか。全くもって意味がわからない。それでもまわる。思考がまた溶けて別の穴につながっていく。



 赤い思考を巡らす。痛みの中でぐるぐると思い出す。元凶と言ってもいい記憶。あの吐き気のするような光景を。あの暗く乾いた路地裏を。


 あいつのことなど、その日までなんとも思っていなかった。教室の片隅で本ばかり読んでいる暗い女。髪型もファッションも野暮ったく、目を引くような個性もない。いることこそ認識しているが、なんの興味を持てない、あえて例えるなら部屋の片隅の鉢植えの観葉植物。私が彼女にもっていた…いや持っていなかった印象など、その程度のものだった。つるむ仲間の中でも大して話題になることはない。強いて言うなら野良猫に餌をやっていて、そのせいでいじめられている。その程度の知識しか私は持っていなかった。


 だからその日、路地裏に向かうあいつを追いかけたのは、全くの偶然だったのだ。強いて言うなら話の種になりそうなものが見れるんじゃないかと…そんなほんの少しの好奇心で、私はあいつを追いかけた。


 そして…私は、

 それを見た。

 見てしまった。


 最初私はあいつがただ猫を抱き抱えているように見えた。それはある意味間違っていなかった。


 あいつは猫に口づけをしていた。


飼い主がペットにするような軽いものではない。唇と唇を合わせたどろりとした接吻。一心不乱に猫と唇を合わせる彼女の表情からは恍惚としたものが見て取れるようにも思えた。


そして、目。


彼女の瞳はまるで宝石のように赤く潤んでいた。薄暗い路地裏の中で、その輝きだけは異様な存在感を放っていて。なぜか私は昔見たプラネタリウムでの出来事を思い出していた。


暗いプラネタリウムののなかでサソリの星座の尻尾としてギラギラと光っていた星。名前も覚えてないそれが、なぜか彼女の瞳に重なった。


猫がだんだん動かなくなっていく姿を、私はただ影から見ていた。喉から酸っぱいものが溢れてくるのを感じつつどうしても目を離すことができなかった。異常な状況に陥りながらも不思議なことに猫にもがく様子は見られなかった。数分に及ぶ口づけのなかで猫の体はだんだんと平たくなり、腹の曲線は消え、前足がだらりと垂れ、とうとう動かなくなった。私は自分の口から悲鳴が漏れそうになるのを感じて口を抑えた。完全に猫が動きを止めると同時にあいつは唇を猫から離した。猫の口とあいつの口の間に血混じりの糸がつながり、ちぎれた。いつの間にかあいつの瞳は普段の暗い色にもどっていた。あいつは口に血の痕をのこしたままゆっくりと地面に猫を横たえ、足早に路地の奥に歩き去っていった。


 私は震えながらその場にへたり込んだ。必死で足に力を入れながら立ち上がりその場を離れようとした瞬間、ぺしゃりとした猫の死体が目に入った。気がつくと私は猫の死体に近づいていた。昔から動物が苦手だった。犬も猫も大して可愛いとは思えなかった。なのに私の腕の中にいつの間にかそれはおさまっていた


 死体の目は虚ろで腕はたれ下がり、半開きになった口からはわずかに血の滴が流れ落ちていた。死体。どうみても死んでいる生き物。歪で終わった肉の塊。


 近づくのも見るのも嫌で嫌でたまらないそれを、なぜか私は抱き抱えていた。そのねとりとした冷たさに体中の熱が吸い取られていくように思った。わたしはしばらくそれを抱きかかえたまま動くことができなかった。


「ねー!どこにいんのー?もう帰っちゃったのー?」


 突然の能天気な声が私の意識を覚醒させた。教室で、電車で、通学路で。いつも聞いていたはずの声が今は妙に遠く聞こえた。腕の中の死体を見る。これは異常だ。私のいつもの繰り返しの中に現れた異常。いますぐこれを放り捨てて路地裏から出れば私はいつもの日常に戻れる。当たり前の会話、当たり前の帰宅、当たり前の夕食。ベッドで寝れば今日のことなんて明日には忘れているだろう。そう、あんな、不気味な…


 気づいた時には体が勝手に動いていた。猫の死体を肩下げ鞄に押し込み、足早に踵を返す。路地裏を出て、目の前の友人たちににこり。


「わっびびった。急にでてくんじゃん?路地裏で何してたの?」


「なんかねー。猫がいた気がしてさ?でも気のせいだったみたい」


「まじで?野良猫汚くね?動画見よーよ」


 いつもと変わらない、彼女たちとの会話。


 違うのは私。かばんの中にある死体。


 それが、私の日常の始まりだった。




 注意してみればあいつがいつ「行為」をしているのか知るのは簡単だった。野良猫が集まりやすい場所というのはある程度決まっているしあいつの行動範囲もそう広くはない。路地裏、空き地、ゴミ捨て場。そういった場所を重点的に張っていく。そしてあいつの「行為」が終わったところで死体を回収するのだ。


 死体の処理もだんだん慣れてきた。最初は焼こうかとも思ったが煙が出るし、いまは焼却炉がある場所も少ない。最終的には少し遠くにある裏山に埋めることにした。最初は穴を掘ることができる土の柔らかい場所を見つけるだけで1日が終わっていたが、いつの間にか穴掘りにも慣れてきた。ちょっと筋肉もついてきたかもしれない。


 ずっとあいつのことを見張っているうちに、だんだん面白いこともわかってきた。あいつの「行為」の予兆だ。「行為」に走る数日ぐらい前からあいつは息が切れやすく、そのくせそわそわと動き回るようになる。不思議なことに少し目の色が変わっているようにも見えた。


 あいつがなんなのか少し調べてみたりもしたけど特に詳しいことはわからなかった。両親がいないこと、親戚が保護者だけどアパートで一人暮らししてること、あとはせいぜい田舎から引っ越してきたことぐらいだろうか。友達どころか知り合いすらほとんどいない彼女のことを調べるのは私には難しいことのようだった。


 私はそんな日常を謳歌していた。死体処理の方法や小型のカメラの仕掛け方を調べたり、山に行く言い訳にスケッチブックを買ったり、あいつのルーツや故郷の資料について調べる毎日。それは私の日常とはまったく異なる異常な日々だった。退屈さとはかけ離れた充実した日々。私の人生に初めて現れた色。




 だからまぁ、私は浮かれすぎていたんだろう。


 ある日、私はいつも通り彼女を尾けていた。いつもより長めに空いていた周期。彼女の様子からすぐにでも「行為」に及ぶのは明らかだった。彼女を発見し、路地裏で曲がり角を曲がった瞬間。


額が熱くはじけた。


「え?」


 視界が傾く。目の前が赤く染まっていく。頬が冷たい何かに押しつけられる。頭が今の自分が地面に倒れているのを察知した。目の前にあるのは地味なローファー。誰のものかはもう、見上げずともわかる。


「うえ…何すんのさ、もう…」


 痺れる手足を必死に動かす。ぐりぐりと揺れ、赤く染まる視界を必死に持ち上げ、目に映ったのはやっぱりあいつの姿だった。手になにか角材のようなものを持っている。私を待ち伏せして、あれでガツンとやったらしい。あいつは私と目が合うと焦ったように口を開く。


「な、なんで…なんで私を追いかけてくるんですか!?いったい何が望みなんですか!?」


 混乱した瞳、焦りの滲む声、白くなるほど角材を握りしめた手。必死でこちらを探ろうとするその姿。その姿は、なんというか…


 あまりにも、普通だった。


 おどおどとした姿は、教室での姿の延長そのもので。私はその姿を見て、なんだかおかしくなってしまった。ふきだすと頭がひきつれるように痛む。その姿を見てあいつはますます混乱しているようだった。


「そんな大怪我して…なんで笑ってるんですか…?」


「別に?笑ったっていいじゃん?それよりさ、どうすんの?そレで私にトドメを刺すの?」


「トドメ…なんて、わたしはただ、尾けてくるのをやめてくれれば…」


「やめないよ。絶対にやめない。警察に言っちゃおうか?動物殺してるイカれ女に殴られましたって…」


「止めて!誰にも言わないで!」


 ヒステリックに叫ぶあいつ。人を殴っといてこれだけ弱腰になれるのもある種の才能かもしれない。まぁ、こいつをからかってるのもいいけど、喋れるうちに言わなきゃいけないことはあるのだ。


「誰にも言ってほしくないんだったら、ちゃんと口封じしなきゃ。慣れた方法で、ね」


 口封じと聞いて、あいつの顔色が変わる。でも、変えたいのは顔色じゃない。私は挑発するように言葉を続ける。


「私に気づいたからいつもより長めに我慢してたみたいだけどさ…。もう耐えられないんでしょ?だからこんな強引に私を排除しようとした。頭、まともに働いてないんじゃない?」


「うるさい。あなたが、あなたが悪いんだ…!」


 あいつが一歩ずつ近づいてくる。目の色が瞬いているように見えた。私は笑みを浮かべながら言葉を続ける。


「だよね、許せないよね。悪い奴には罰を与えないと」


「うぁ…」


 あいつが目を伏せる。口元からポトリと唾液が落ちるのが見えた。あと一押しだろうか?


「ほら、ずいぶん血が出てるよ。死んじゃうかも」


「やめて!黙って!」


 あいつが叫ぶ。その声で頭が揺れるように感じながら、私は声を絞り出した。


「勿体ないよね。せっかく殺したのに吸わないなんて」


 そうこぼした瞬間、あいつと目があった。いや、あいつはもう、あいつじゃなくなっていた。


 赤がある。血の赤、星の赤。私の新しい日々の色。どろりとした赤の中、溶けていくように、私は全てを手放した。




 意識を取り戻した時、私は病院にいた。泣き叫ぶ母から、私は血まみれになった状態で路地裏で見つかったことを教えられた。あたりに人影はいなかったそうだ。母曰く、殴られた傷は残るかもしれないらしい。警察に質問されたりしたけど、デタラメで乗り切った。ひょっとしたら私は疑われているかもしれない。でも、そんなことはどうでも良かった。


 退院した後は、当たり前のような日常が戻ってくる。当たり前の朝食、当たり前の登校、当たり前の質問攻め、当たり前の授業。そして、そんな当たり前の中には、当然あいつもいる。


 いつも通り、陰気に教室の片隅で本を読んでいるあいつ。こちらに目を合わせないでいるのは、気のせいではないだろう。結局あの日からもあたしはあいつを追い続けている。あいつもそれに気づいているのだろう。


 そして、変わったこともある。行為の頻度だ。


 あの日からあいつが路地裏に行く頻度は明確に多くなっていた。獲物も猫だけではなく、サイズの大きい犬などが混じり始めている。様子がおかしい日も明確に増えてきた。


(あいつ、いつまで我慢できるかな?)


 そして私は日常を続ける。

 あいつが、本当に我慢できなくなるまで。

 あいつが「最初の一人」に手を出すまで。

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