第9話

俺は長い夢を見ていたような気がした

とても懐かしい感じがして先ほどまで見ていた風景が脳裏に浮かぶ。


ただ、目を覚まし今が現実であることには妙に納得するのだが、知らない天井だ。

辺りを見回すと白いベッドに白いシーツ。そして、薬品の匂いがツンと鼻に付く。


「ここは……?」


俺は上半身を起こして辺りを見回す。

光が眩しいと思い窓を見ると、オレンジ色に染まった白のカーテンが窓をふさいでいた。


えっと、どうして俺はこんなところにいるんだ?


たしか、沙織が泣いていた……手を握ってもらっていた。


イタッ!

俺は思い出そうと思考を巡らすが、頭痛により頭の中に浮かんだ沙織の泣き顔が消える。


まだ、熱があるのだろうか?

だが、思いのほか体の気だるさは良くなっている。

俺はゆっくりとベッドに体を預けた。


枕と頭が接触するとチクリと痛みが走る。

俺はどうやら頭を怪我している

なぜだ?


「か、か、和樹君……」

「あ、美香さん」


俺に声を掛けてくれたのは白衣の天使だった。

体にフィットしているワンピースのナース服姿の美香さんに見とれる。

恍惚とした表情に潤んだ瞳は美香さんの美貌を引き立て、本当に18歳の娘がいるとは思えない。


ただ、しばらく自分が見とれていることを自覚した瞬間に、俺は焦った。


そして、美香さんに気が付かれる前に視線を逸らす。


俺が目を逸らしてベッドのシーツに視線を落としていると足音がベッド脇で止まる。

ふわっと優しい腕が俺の頭を包み込み、柔らかい感触が頭部に走る。

それが、美香さんの慎ましいものであることは一瞬にして理解した。


「よかった……本当によかった」

「え?え?え?ちょ……美香さん」


美香さんの胸に吸い込まれた俺は微動だにしていない。

気恥ずかしいので抵抗しようと思った。

でも、出来なかった。

なぜだろうか?


答えは簡単で、煩悩というもう一人の俺が天国へフルダイブすることを望んだから。


しばらくすると、美香さんも正気に戻り本来の姿になる。


「あ、そういえば、検温時間だった」


俺はゆっくりとベッドに寝かしつけられる。


美香さんは持ってきた体温計を寝たままの俺の脇に挟む。

美香さんの体勢は自然と前かがみになる。

室内に充満した薬品の匂いとは別に、美香さんの垂れ下がった髪の毛からシャンプーのいい匂いが香り立つ。


「め、め、迷惑かけたみたいで、すみません」

「いいのよ、それよりも気分はどう?」


体温計をセットした後は俺を見下ろし腰に手を当て仁王立ちする美香さん。

なんか気恥ずかしいので、美香さんと目を合わせることが出来なかった。


「まだちょっと体が辛いのと頭が痛いです」

「和樹君、無理しすぎよ。それに玄関で頭から倒れ込んだせいで頭を切ってるし、検査も合わせて3日は入院してもらうんだから」

「マジですか」


……でも、意外にも元気のような気がする。

それにしても3日も入院……まあ、ここで仕事すればいいか。


「あ、そうだ和樹君。姉さんに報告はしているからもうじき来るはずよ」


美香さんが姉さんと呼んだのは俺の母さんだ。

ちなみにだが、母さんと美香さんは姉妹というわけではない。


詳しくは聞いてないし、聞くと怒るから聞いてない。

ただ、総長とその部下のような関係というのは、父さんから聞き出したことはある。


でも、その話をしている最中、ずっと震えていた父さん。

まあ、妹の可憐は笑いながら聞いていたな。

俺は父さんが震えている意味を考えると、それ以上を聞くのが怖くなった。


「お兄ちゃん、来たよ!」


噂をすればなんとやら、妹の可憐と母さんが病室に入ってくる。

流石の妹の可憐もここが病院ということが分かっているのか、落ち着いた感じで話しかけてくれる。


俺は体を起こすことなく視線だけを妹の可憐と母さんに向ける。


ただ、服装が以前にパフェを食べに行った時の恰好をしていた。


「なんだ、またその恰好なんだな」

「そりゃあ、元気になってもらいたいからお兄ちゃん専用コーデだよ」

「あはは、そうか。ありがとな元気出たよ」

「ニシシ」


俺は妹の可憐と話をしていたが、その間に母さんと美香さんが話をしていた。

どうやら入院の手続きに関することのようだ。


「調子はどうだい?」


美香さんとの話がひと段落付いたのか俺に近づき話しかけてくれる母さん。


「頭痛い」

「まあ、無理せずゆっくりしてなよ。一応、竜二にも言ってあるから」

「ああ、迷惑かけてごめん。母さん」


俺は申し訳なく思い母さんに謝る。

だが、それを良く思わない母さんは俺の鼻をつまみ上げる。


「謝るな」

「イホイイホイ(イタイタイ)、わがった」

「分かればよろしい」


この母親は入院患者になんたる仕打ちを……母さんらしいけど。


「ありがとう、母さん」


俺は母さんが求めている言葉を母さんの目を見て言った。


「どういたしまして!」


母さんは笑顔で俺の言葉に答える。


その後、入院用の着替えなどを受け取り妹の可憐と母さんは帰っていった。



☆彡



翌日になると本当に入院しているのかと思うぐらい体の調子が良かった。


ただ、入院しても仕事が出来るって最高だよな

リモートワークひゃっほい!

にしても、ぐっすり寝たおかげで朝から仕事が捗る捗る!


「検温の時間ですよ、和樹ちゃん」


そんな俺の仕事のペースを乱す人が現れる。


恰幅の良い大柄の女性が体温計を持って俺に迫りくる。

ナース服が悲鳴を上げている!なんて口が裂けても言えない。

俺をちゃん付けで呼ぶ、このマツ〇デラッ〇ス……おほん……女性はこの病院の婦長さんだ。

首からぶら下げている名札に大橋千晶(おおはしちあき)と書いている。


「千晶さん、俺はもう成人しているんで、ちゃん付けはやめてくださいよ」

「何言ってるの、あの金髪坊やなんて私から見たらいつまで経っても和樹ちゃんよ」

「金髪って何年前の話ですか!」


俺の黒歴史を知る千晶さんに頭が上がらないのはこれから先ずっとだろうか?

そんなことを考えると自然とため息をつく。


俺の脇に入れていた体温計がピピッと音を鳴らす。

それを自分で取って千晶さんに渡そうとしたのだが、千晶は強引に俺の脇に手を突っ込んで体温計をはぎ取る。


「うーん、まだ、熱あるわね。寝てなさい」

「あ、もう少ししたら……」

「あら、病人が私の言うことを聞けない……と?」


俺は久しぶりの病院ですっかり忘れてしまっていた。

よくマンガにある睨むだけで相手を動けなくする技を見るが、リアルで使える人がここにいる。


俺のすべての毛穴から汗が噴き出る。

そして、ゆっくりと俺は千晶さんに目を向ける。


異様なオーラを発しながら笑顔で千晶さんは一歩、また、一歩と俺に近づく。

俺に近づいてきて、おもむろに手を伸ばしてくる千晶さん。


俺はやられる!と思い、身構えたのだが一向に攻撃してくる気配がない。

千晶さんが伸ばした手はパソコンのふたをそっと閉める。


別に乱暴にバタンと閉めるわけではない。

あくまでパソコンを丁寧に扱ってくれる。


俺は身構えたまま体を動かせなかった。

恐怖が体を支配するのだ。

千晶さんはズイッと俺に顔を近づけ威圧してくる。


「早く治すためにしっかりと寝なさい」


決して脅すようなドスの聞いた声ではない。

ただ、千晶さんから発せられる不思議なオーラに俺は首を縦に振るしかなかった。


「……はい」


人間には防衛本能というものがある。

頭で理解するというものよりもそっちを信じたほうが良いこともある。


今はそれに該当するのだ。


なんせ、うちの母さんや美香さんですらこの人に逆らっているところをみたことがない。


俺は眠くない体をベッドに預ける。

とりあえず横になって目を閉じた。


「うんうん、しっかりと休みなさい」


納得した千晶さんは病室から出て行った。

それを見計らって俺はパソコンに手を伸ばす。


だが、一瞬にして俺の伸ばした手が動きを止める。

これは俺の意志ではない。

動かない体の原因は分かっている。


俺は病室の出入り口へ視線を向ける。

すると、笑顔であるが目が笑っていない千晶さんがこちらを見ていた。


「寝なさい」


千晶さんの口調はとても優しい。

でも、なぜか恐怖を先に覚える。


千晶さんに見つめられている俺は、そのまま意識を失うようにベッドに体が吸い込まれる。

俺は千晶さんが元海賊だったと言われても何も不思議に思わないだろう。



☆彡



目を閉じて、しばらくすると聞きなれた声が聞こえる


「お兄ちゃん、また来たよ」


声のトーンだけ分かってしまう。

まあ、俺のことをお兄ちゃんと呼ぶのは世界で一人だけだけどね


時計を見ると11時を過ぎている。

あれ?俺は今朝……何かしていたような?

ふーむ、まあ、普通によく寝ていたのだろう。

だが、まだ眠いので俺は再度、目を閉じた。


俺は完全に二度寝してしまう。


次に俺が目を覚ますと、隣に座る妹の可憐から何やらむしゃむしゃと咀嚼音が聞こえる。


「それどうしたんだ?」


どうやら誰かお見舞いに来てくれたみたいだ。

って、誰だろう?

ベッドの脇にリンゴやバナナなど沢山入った果物かごが置いてあった。


その中のリンゴを果物ナイフで切って勝手に食べる妹の可憐。


「おいしいよ」

「そうか……って、それ誰から?」

「えっと、澪さんって人が来たよ。食べていいって言ってた」

「豊田澪か?」

「うん、たぶん」


むしゃむしゃとリンゴを食べる妹の可憐のほっぺはリスの様になっている。

今日も化粧して母さんの服着て綺麗な格好しているのに……食べる姿を見るとまだまだ、可愛い妹だなと思った。


「ふう、お腹いっぱい」

「……お前、リンゴ何個食べた?」

「3つ。それとメロンももらったよ」


なるほど、通りで果物かごの大きさと果物の量が合わないと思った。


「昼飯いらないな」

「うん、お兄ちゃんには最後の一切れ上げる、はい、あーん」

「おう、ありがと」


俺は妹の可憐にリンゴの最後の一切れを食べさせてもらう。


「よし、それじゃあ帰るね」


たらふく食べて満足した妹の可憐は帰宅を宣言。って何しに来たんだよ。


「おいおい、何しに来たんだよ?」

「え?お見舞いの品を分けてもらうため」

「……そうか、満足したか?」

「イエス」


満面の笑みでピースサインを作る妹の可憐。

これを見たら俺は怒るに怒れない。


「というか、母さんと来たのか?」

「そうだけど、初代と話をするって行ったまま帰ってこないんだよね」


俺の母さんはここの婦長の千晶さんを初代と呼ぶ。

なぜ初代と呼ぶのか正しくは知らない。

だが、聞くのも怖いので俺はあえて何も聞かないことにしている。


「そ、そうか」

「それじゃあ、お兄ちゃん、またね」

「ああ、見舞いあがりとうな」

「うん、お兄ちゃんはあたしが守らないといけないからまた来るよ」

「何から守るんだよ」

「悪い虫からだよ」


意味不明なことを言い残して、妹の可憐は俺の病室から出ていく。

そんな可憐には感謝しかなかった。


「ありがとうな」


可憐が出て行ったドアに向かって俺は可憐に礼を言った。



☆彡



しばらくすると、昼飯が来たのでそれを食べ終える。

腹が良くなり窓の外をボーっと見ていると携帯が鳴った。

着信画面には本田竜二の文字が出る。


2人部屋だが俺しかいないのでほぼ個室のようなもの。

遠慮なくそのまま電話に出る。


『和樹、大丈夫か?』

「ええ、まあ」

『本当ならお見舞いに行ってやりたいんだが、すまんな』

「いえ、佳代さん大丈夫なんですか?」

『まあ、なんとかな』


佳代さんは妊婦さんだ。夫の竜二さんも気が気ではないだろう。

ただ、声のトーンから大丈夫だろうと俺は思った。


『ただ、俺が行けないから、代理をそっちへ送った』

「え?誰ですか?」

『それよりも少しだけ仕事の話をさせてくれ』

「いいですけど」

『今度、花音がテレビに出ることになったんだよ』

「すごいですね」

『地方のテレビ局なんだが、何日かそっちで待機することになると思う。それで本来なら俺が付きそう予定だったんだが、代わりに行ってもらえないか?』

「いや、今の俺、入院してますが」

『今すぐじゃねえよ。ただ、出張という形になる。それと撮影用の指輪のサイズや衣装のサイズの調整が……』


この後、30分くらい事細かに仕事の打ち合わせをした。


『という具合だ』

「わかりました」

『それじゃあ、頼んだぜ』

『はい』


電話を切ると病院の廊下が騒がしい

何かもめ事だろうか?


俺には関係ないと思ってパソコンを立ち上げる。

だが、一瞬、悪寒がした。

すぐに辺りを見回すが誰もいない。

用心のために俺はシーツの中に隠れていた。

千晶さんに見つかると大変だからだ……あれ?もう今日、大変な目に会ったような?気のせいか?


「お久しぶりです。和樹」


それは久しぶりに聞いた女性の声だった。

かなり高音な声であるがその声は決して不快なものではなくむしろ心地よいものだ。

それほど特徴的な声のために俺はすぐに誰だが分かってしまった。


「え?花音????」


お見舞いに来てくれた人物は年上の女性だ。

名前を姫野花音(ひめのかのん)と言ってHIMWKAブランドの代表でもあったりする。

有名人のため身バレ防止のために変装していた。

地味な服装に瓶底眼鏡、つばの大きい帽子を深くかぶり、肩より長い綺麗な黒髪はツインの編み込みで、ぱっと見は根暗な女の子だ。

流石にこれを誰もHIMEKAだと思わないだろう。


「はい、竜二さんの代理で来ちゃった」


外見は根暗な印象なのに可愛く舌を出す彼女の可愛い一面が見て取れる。


「来ちゃったって、忙しいのに、なんかごめん」

「ううん、私がお願いしたの」

「え?お願い?」

「あっ、その、えっと」


花音は何やら焦っている。

……なるほど、仕事の話か。

まさか、俺と花音の仲だから料金をケチろうとしてるとか?


「どうしたの?なんでも気軽に言ってよ。俺に遠慮なんかいらないだろ」


俺は笑顔で花音に話しかける。

すると花音は真剣な表情で俺の目を真っ直ぐ見てくる。


「和樹」

「ん?」

「竜二さんから話は聞いていると思います」


やはり仕事の話だった。


「うん、まあ……ね」


両手を胸の前で組み必死にお願いしてくる花音。


「付き合ってもらえるよね」


必死だな……まあ、以前にマネージャーを付けたとき大変な目に会ったからな。

俺と竜二さんなら問題なしだったから、花音の中では2択しかないんだろう。


「もちろん、OKだよ」

「ほ、本当!?」


花音は俺に断られると思ったのだろう。

俺がOKをすると花音の表情は花が咲いたように笑顔になる。


「ああ、男に二言はない」

「流石、私の和樹!……あ、そうだ。以前の私と違って今は稼ぎがありますので期待してください!」


花音のデビュー前から俺は彼女のサポートをしてきた。

その時は俺も修行中だったために報酬はほとんど支払われなかったのだ。

多分、それを気にしているのだろう。


「楽しみにしているよ。それよりも指輪とウエディングドレスのサイズが必要なんだ」

「ああ、大丈夫。もう測ってますよ」


流石、仕事熱心の花音。

事前準備はバッチリだった。


「というか、今からホテル取れるのか?」

「和樹となら、一部屋で問題ないから余裕です」

「おいおい、狭いだろ?」

「我慢しましょう」

「まあ、仕方ないか」

「ただね、ダブルの部屋なのです」


あれ?ダブルってベッドが二つでよかったっけ?


「うーん、狭いよりはいいか」


その後、他愛のない世間話をした。

ただ、花音も忙しいので15分ほどの雑談の後、席を立つ。


「それじゃあ、楽しみにしてますね」

「えっと、俺は本気でやるからそこのところはよろしく」

「ふふ、そうですね。期待していますよ」


終始ご満悦な様子の花音は静かに病室のドアを開き帰っていく。

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