取り柄のない男の後悔

バカヤロウ

第1話

特に何の取り柄もない男、それが俺こと本田 和樹。


そんな男でも好きな人はいる。

彼女とあんなことやこんなことをしたいと願うのは当然。

彼女といずれは結婚して幸せな家庭を築きたいという願いはかなうはずがなかった。


なぜなら、俺が好きな女性はかなり遠い存在だからだ。

物理的にはマンションの隣に住んでいるので近いのだが………。


確かに小さい頃はそんなことを考えずに一緒に暮らしていた。

昼寝も一緒にしていたし……ただ、成長するにつれて彼女との差は開く一方だ。


俺の周りの人たちは実業家だったり、医師だったり、優れたスポーツ選手だったり、偏差値の高い学校へ進学したりと、それぞれの才能を持っている。

彼女もまた才能を持つ一人であることは言うまでもない。


「一菱さん家の長男、また音楽コンクールで賞を取ったらしいのよ」


近所の恰幅の良いスピーカーおばさんとうちの母、そして幼馴染の母親の3人が井戸端会議をしている。

確かに俺も一緒にいるが井戸端会議に参加する気はない。

俺は母さんと幼馴染の母親の鈴木美香さんの荷物持ちとして買い物に同行していて、その帰りにこのスピーカーおばさんに捕まったのだ。


「それと、刀さんの次男さんは甲子園で優勝していたわね。本当にすごい」


スピーカーおばさんの話は止まらなかった。


「そうそう、すごいと言ったら、これもすごいのよ。川崎さんの長男は全国模試1位らしいのよ。もう川崎家は安泰よね」


誰々が何をしたというのをまるで自分の手柄のように誇らしげに話す。

母さんも美香さんも「すごいですね」で当たり障りなく会話をしていた。


「そうだ、この間、沙織ちゃんに会ったけど、すごい美人さんになっていてびっくりしたわ」

「そうですか?」


沙織とは俺の幼馴染の名前だ。

年は一緒で誕生日は沙織の方が早いので俺に対しては年上のような感じで威圧的に接してくる。


「もうね、芸能人かと思って見間違えちゃった。それに学校では生徒会長でしょ?もう才色兼備って感じで羨ましいわ」


スピーカーおばさんは肘を曲げ、振り上げた手を上から下へ降ろす。


「お世辞でも嬉しいですよ、ありがとうございます」

「もう、お世辞なんかじゃないよ」


口元に手を当てケラケラ笑うスピーカーおばさん。


美香さんは沙織の母親で自分の娘が褒められているのだが、笑顔だけ作って淡々と返事をする。

まあ、沙織が眉目秀麗、才色兼備だと言われるのは慣れているのだ。

小さい頃から天使だとかなんとか言われまくっていた。

芸能関係の誘いも結構あったと聞く。

だけど、美香さんは首を縦に振らなかったらしい。


それは沙織の夢が「お医者さん」だから

そして、高校生になった今もその夢に向かって突っ走る沙織

今は医大に向けて猛勉強中だ。


ただ、彼女の家は裕福というわけではない。

美香さんは看護師をしているので貧乏というわけでもないが母子家庭なのだ。


そのために昨年まで沙織はうちにご飯を食べに来ていた。

ただ、この一年間ほど美香さんの夜勤が多く、俺が掃除、洗濯をやるために鈴木家に行く。


今日の買い物も美香さんを助けるための一環であった。


「そういえば、そこの子は……えっと」

「あ、息子の和樹です。今、買い物の手伝いをしてもらっているです」


母さんが俺を紹介する。

買い物に付き合う息子を自慢するのだが、スピーカーおばさんは


「え?その年で母親の買い物に付き合うの?」


このスピーカーおばさんは何に驚いているのか分からないが、驚いた表情をする。


「ええ、とても良い子なんです」


美香さんも俺を褒めてくれる。


「へ……へぇ、ちなみに高校生?どちらの高校へ?」

「俺は中学までしか出てないので」


俺が学歴を言うとスピーカーおばさんの顔は困惑していた。


「えっと、その……」


たぶん、スピーカーおばさんに悪気があったわけではない。

俺の容姿を頭のてっぺんからつま先までじっくりと観察をする。


身長は美香さん(170㎝)よりも少し低く中肉中背て、特技がない「空っぽ」の男。

先ほどからスピーカーおばさんの話題に上がるような特技があるわけでもない。


「うーん、イケメンでもなく低身長、取り柄がなくパッとしない感じね……って、あっ!」


たぶんだけど、俺に悪態をつきたいわけではないと思う。

スピーカーおばさんは自分の発した言葉に気が付き、我に返る。

焦った態度ですぐに言い訳を言おうとするが支離滅裂なためその場から逃げる様に


「あ、そうだ、スーパーに買い物に行かないと……それじゃあ失礼、オホホ」


スピーカーおばさんは体の向きを変えてスーパーに向かって走り出す。


「失礼な人ね」


美香さんは腰に手を当て怒っていた。

だが、俺の母さんは至って冷静に美香さんをなだめる。


「さあ、帰りましょう。沙織ちゃんがお腹すかせているかも」


こうして、帰路に戻るのだが俺はスピーカーおばさんに気にしていることを言われ少しばかりだが凹んでいた。



☆彡



我が家と鈴木家のあるマンションに帰ってきた。

俺は美香さんの荷物を持っているのでそのまま、鈴木家へ行く。

すると、玄関で先ほどスピーカーおばさんの話題に上がっていた幼馴染の沙織が出迎えてくれた。


学校から帰って来たばかりのようで、大きなピンクのリボンが付いた制服を着たままでいる。

いつもはポニーテールで登校しているが今は長い黒髪を降ろしていた。


「「ただいま」」

「お母さん、おかえり。遅かったね」


美香さんに笑顔で「おかえり」と返す沙織に俺は少しばかり見とれる。


「ええ、ちょっとね」


帰りが遅れた理由を濁す美香さん。

まあ、この遅れの原因はあのスピーカーおばさんのせいだ。


「それよりも今日のご飯は?」

「簡単にナポリタンスパゲッティかな」

「わかった」


なるほど、今日の鈴木家の晩御飯はたこさんウィンナーの入ったナポリタンスパゲッティか……久しぶりに食べたいなと思いながら俺も美香さんに続いて鈴木家の敷居をまたぐ。


「あ、和樹もいたんだ」


美香さんとは大違いの対応をしてくれる沙織。

まあ、期待はしてないっす……。


「ああ、お邪魔します」


俺が靴を脱いで家にあがろうとしていると、沙織が遠くから俺の名前を呼ぶ。


「あのね、和樹」

「ん?」


俺は靴に視線を落としたまま沙織に返事する。


「その、いつも………と」

「何か言った?」


何やら沙織は呟いているが俺は聞き取ることが出来なかった。


「何も言ってない、バカ」


聞き返すと更に機嫌が悪くなる沙織


「わ……わかった」


虫の居所でも悪かったのか、これ以上、好きな人に怒られたくないので俺は急いで台所へ向かう。


俺は荷物を持ち込み冷蔵庫へとしまう。

ここ一年ほど、ずっと手伝っているので、鈴木家の冷蔵庫事情を全て把握していた。


「あ、牛乳が切れている」


俺は瞬時に冷蔵庫の中の何が不足しているのか把握する。

また、買いに行った方がいいか?

「はぁ、めんどくさ」っと思いながら冷蔵庫を閉め、肩を落とす。


するといい匂いと柔らかい感触が俺を包み込む。

一体、何事か理解するのに僅かに時間が必要だった。


「和樹君、ありがとう」


その匂いと感触の正体は美香さんだった。

俺の後ろに抱き着き、ありがとうとお礼を耳元で囁く。


あまりに急だったために俺の心臓は一気にレブリミッターを振り切る。

幼馴染の母親、俺の母より年下といっても見た目はかなり若い美香さん。


正直、沙織のお姉さんといっても通じるぐらいだ。


娘と同じぐらい腰まで伸びた黒髪ロングはとても良い匂いがする。

ただ、俺が好きなのは……沙織なのだ。その母親に卑猥な想像をしてしまうなんて……


「あ、あ、あの……美香さん、汗の俺はその……匂いが良くないと臭いで……えっと」


俺は自分の息子が素直なことに困惑ししどろもどろになる。


「和樹君のいい所は、おばさんが沢山知っているからね」

「へ?」


どうやら美香さんは俺を慰めてくれているようだ。

多分だが、先ほどのスピーカーおばさんの言葉に俺が傷ついていると思ったのだろう。


「美香さん。俺……美香さんと沙織の役に立っていますか?」


俺は自分が何を言っているのか、なぜこのようなことを言ったのか分からない。

だけど、何の取り柄もない俺が好きな人の役に立っているなら……そう思って自分を奮い立たせていたのだ。


だが、言い放った後に後悔した。


もし、否定でもされてしまったら俺はもう立ち直れないだろう。

美香さんなら嘘でもそんなこと言わないが返事を聞くのが少し怖かった。


「役に立つどころ感謝しかないよ……それに……」


美香さんは俺の背中から離れて向き合う形をとる。

美香さんの瞳は潤んでおり、赤のチークが綺麗に光っていた。


俺は美香さんの言葉がうれしかった。

これからも頑張れる……そう確信した。


ただ、美香さんが言葉に詰まって指をクルクルと回し始める。

まるでその表情は恋する乙女のようで俺は……続きの言葉が気になって仕方なかった。


「えっと……それに?」


俺は聞き返す。


「あのね……和樹君さえ良ければ、沙織のお婿さんに来てくれてもいいだよ」


ああ、これが本人から聞けたらどんなに良かったか。

ただ、周りから固めるのが一番ではある。


「そ、そ、そ、そ、そうですね……………………考えておきます」

「ホント!キャー!うれしいわ、おばさんは和樹君のような息子が欲しかったのよ」


キャーと言いながら更に俺に抱き着いてくる美香さん。

美香さんはアラフォーとは思えないほど可愛い姿で慎ましいものを俺に押し付けてくる。

ちなみに慎ましいと言ってもCカップなので俺としては大好物だ。

なぜ?それを知っているのか?まあ、この家の洗濯物は俺がしているからな!


「お母さん、夕飯まだー?」

「え?」


リビングへ降りてきて台所に向かって声を掛ける沙織。

ただ、その台所では自分の良く知る男と自分の母親が抱き合っているのを目撃してしまう沙織。


「和樹なんて大嫌い!」


沙織の表情は険しく、あまりの腹立たしさに目に涙を浮かべている。

そして、そのまま、勢いよく扉を閉める沙織はリビングから立ち去る。


「待って!」


俺は沙織に向かって弁解すべく手を伸ばすが既にそこに沙織はおらず、弁解の機会すら消失してしまう。



☆彡



その翌日、俺は掃除機を使って掃除をしていた。

ちょっと鼻歌なんて歌いながら掃除機でカーペットのゴミを吸い取っていると背後に気配を感じた。

そして、俺の服の裾をつまんでくる。


「ひゃ!……って、沙織?」


あまりに急だったので俺はちょっと情けない声を出した。

俺の服の裾をつまんで俯いたままで動かない沙織。


「どうした?」


俺は沙織に声を掛ける。


「ねえ、和樹、私のこと…………」


掃除機の音がうるさいので上手く沙織の声が聴きとれない。

俺は、掃除機のスイッチを切ってもう一度聞き直す。


「すまん、掃除機の音で聞こえなかったんだが」

「えっと……その……」


熱でもあるのか、赤く高揚した顔で何かブツブツとしゃべる沙織。

どうしたんだ、俺には話しにくいことなのか?

それとも何か困っていて相談したい。けど、相談しにくいとか?


「やっぱ……なんでもない」


こういう時、俺はどうすればいいんだろうな。

力になってやりたいが、俺に出来る事なんてあまりないだろう。


それとも、ここにきて勉強疲れがたまっているのか?

かなり頑張っているもんな。

一体、一日何時間勉強しているんだ?


沙織は俺の傍にあるソファーに座り伸びをする。

肩に違和感があるのかグリグリ回しながら揉んでいた。

なるほど、肩こりか!勉強疲れがそんなところに溜まっているんだな

だって、肩こりするほど大きくないもん。


そう思った瞬間、沙織は鋭い視線で俺を刺す。

眉間にシワを寄せ威圧してくる沙織。

ここはご機嫌を取らねば!


「お客さんこってますね。こんな感じでいかがでしょうか?」


俺は沙織の背後に回り込みゆっくりと肩というか肩甲骨周りをリンパの流れに沿ってマッサージをする。


「いかがでしょう?」

「…………うん、気持ちいい」


ほわぁ~っと気持ちよさそうになる沙織を見て俺は……ちょっと興奮していた。

だけど、手は出せない。

なんせ、こうやって体に触るのを許してくれるのは信頼されているからだ。

それを裏切るわけにはいかない……まあ、もしかすると、男として見られていない可能性もあるがな。


「ただいま」


沙織のマッサージ中に帰って来たのはココの家主だった。


「あ、美香さん。おかえりなさい」

「うん、ただいま。あら、二人とも仲良しね」


俺たちの姿を見てニヤニヤとした顔でからかってくる美香さん。

まあ、仲良しと言われて俺は嬉しいのだが……沙織は違った。


「そんなんじゃない。和樹もう、やめて」


マッサージは美香さんの言葉で中断することになる。沙織は俺を押しのけて自分の部屋へと駆け込んでいく。


「もう、素直じゃないわね」


頬に手を当て困ったようにため息をつく美香さん。

美香さんはソファーに腰かけ「ふぅ」と声が漏れる。


「美香さん、昼飯は?」

「ありがとう、もう食べてきたの」

「了解」


美香さんは夜勤明けに買ってきたビールの缶を開けて一口飲む。

「ぷはー」という声と「ヒック」というしゃっくりの合図で美香さんは服のボタンを緩める。

にしても、美香さんもあまり大きくないが、これまたどうして、大人の女性の色気というか……どうしても視線が……吸い寄せられてしまう。

ダメだ!俺には沙織が……!


俺は誘惑に少しだけ負け、再度、美香さんに視線を向けると肩をグリグリと回しながら自分でもみほぐしていた。

どうやら、美香さんもお疲れのご様子。


「あの、良かったら肩揉みしましょうか?」

「うん、お願いしてもいいかな」


俺は美香さんの後ろに立ちマッサージを行う。

決してやましい気持ちはなく単純に美香さんの頑張りを労いたいのだ。


「はぅ」


美香さんは俺のマッサージの途中で艶っぽい声が漏れ出るので俺としては結構大変だ。


「美香さん、声」

「え?だって、気持ちいいんだもん。はぅ……ってか、おばさんなんて意識してどうするのよ」

「何を言っているんですが、俺から見たら美香さんは滅茶苦茶綺麗で素敵なお姉さんにしか見えませんよ」

「ふぇ?」


突然、美香さんは俺から距離を取り、何故か身構える。


「どうしたんですか?」

「いえ、だって……こほん。和樹君、おばさんをからかうもんじゃありません」

「え?」

「その、綺麗とか素敵とか……からかっているのでしょ?」

「いえ、俺は本当のことを言っているだけですが」


俺は別に嘘をつく気もない。

というか、美香さん、自覚がないのか?

エロい想像が出来るお母さん、通称「エロママ」というあだ名が付いていることに!

って、それは俺が中学の時の男子達が勝手に言っていたあだ名だが。


「へえ、じゃあ、和樹君」

「はい?」

「もし、もしもの話よ。お金払ったらおばさんを……抱くことが出来る?」

「当たり前じゃないですか。美香さんを抱けるなら俺が金払いますよ……ってなんて質問するんですか!」


俺の回答に美香さんは身もだえしていた。


「はわわわ」


どうしたんだ、今日の美香さんは……どうにも様子がおかしい。


まだ、ビールも一口しか飲んでいない……そうか、もしかしたらそれだけお疲れなのかもしれない。

沙織のために頑張っているのは俺だけじゃないんだ

そう思うと、母強しというフレーズが頭に浮かぶ。


「美香さんはカッコ良くて尊敬します」

「そ、そうかな」

「はい、俺は(将来の義理の母として)一生、美香さんを大切にしたいです」

「はぅぅぅぅ」


美香さんは上半身ふにゃふにゃになりそのまま腰が抜けてソファーに寝ころんでしまう。

俺はすぐに美香さんを抱きかかえ声を掛ける。


「大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫よ」


よく見ると顔が真っ赤になっている。

俺は額で美香さんの熱を測ろうとすると更に体温が上昇するのが分かった。

これはかなりの高熱だ。


看護師さんでもやっぱ熱が出たりするんだな……って当たり前か。


「ちょっと何しているのよ」


俺が美香さんを介護していると後ろから悲鳴のような声で沙織が現れる。

さっき、自分の部屋に行ったと思ったが……お腹がすいたのか?

だが今は美香さんの看病が優先だ。

俺は沙織に助けを求めた。


「あ、いいところに、美香さんが」


だが、沙織は怒っていて取り合ってくれない。


「お母さんに何したのよ!」


腕を組み仁王立ちする沙織


「え?」

「この変態!!!」


変態?一体、どういうことだ?


「いや、え?ちょ?待って」

「ふん!」


そっぽを向きまたしても自室へと戻る沙織。

助けてほしかったのに……仕方ない、美香さんを部屋連れていくかな。


俺は美香さんを抱きかかえて彼女のベッドまで連れていくことにした。

美香さんは俺よりも背が少し高いが体重は軽いので簡単に持ち上げることが出来る。


「ふぇぇぇぇ、私、和樹君に……和樹君に!!!」

「あ、ベッドまで連れていきますね」

「お姫…………様…………抱っこ」


何やら美香さんはうなされている様だ。

これは相当疲れているな……しっかりと休んでください


俺は美香さんをベッドで休ませて残りの家事を済ませてから自宅へと戻った。



☆彡



美香さんが倒れた翌日。彼女はすっかり元気になっており俺としては一安心。


昨日の事が心配で俺は朝から鈴木家にお邪魔していた。

だけど、沙織は俺と顔を合わせてくれなかった。


部屋から出てくる気配すらない。


「沙織、朝ごはんだよ」

「…………」

「わかった、部屋の前に置いておくよ」


そして昼


「沙織、昼ごはん」

「…………」

「わかった、部屋の前に置いておくよ」


更には夜も


「沙織、夕飯」

「…………」


と、食事も一緒に取るタイミングがあったとしても自室で食べると言って自室に引きこもってしまう。


「部屋の前に置いておくね」


美香さんが夜勤時は母さんが作った料理を鈴木家へ持ってきていた。

今日は沙織が何故か拗ねてしまってリビングに降りてきてくれない。

だから部屋の前に食事を置いて、すぐに俺は別のことをしていた。


「…………うん、ありがと」


俺が立ち去ろうとするとドアの向こうからかすかに聞こえる返事を俺は聞き逃さない。

か細い声が……好きな人の声が聞こえるだけで嬉しかった。



☆彡



彼女は医大に向け頑張っている。


だから俺は色恋に関しては自分の気持ちを抑えるべく告白なんかは一切してこなかった。

ただ、それを後悔する出来事がセンター試験の1か月前に起こる。


ピンポーン


沙織の家で洗濯をしていると来客があった。

俺は手が離せないので代わりに沙織が対応してくれる。


「よう、いまいいか?」

「え?どうしたの川崎君?」


何やら若い男の声が聞こえてくる。

俺は気が気じゃなかったので顔だけ出して玄関へ視線を向ける。

すると、そこには沙織の学校の制服を着た男子が沙織と話をしていた。

ただ、その男子生徒の顔を見て俺はこの上なく敗北感を感じる。

絵にかいたイケメンとはこういうやつのことを言うのだろう……。


二人の会話が気になるが、洗濯機の音がうるさくて上手く会話の内容を聞き取れない。

何やら言い合っているが、しばらくすると沙織が玄関から俺に声を掛ける。


「ちょっと、出かけてきます」


そう言い残して沙織は家から出て行った。


俺は付いていきたかった。

だが、付いて行って怒られないだろうか?

俺が付いていくなんて……それに学校の友達に俺みたいなのが傍にいることを知られたら沙織は学校で気まずくなるのでは?

そんな心配をするのだが、居ても立っても居られない状態。


「ん?これは?」


俺は玄関の下駄箱の上に置かれた沙織の携帯を発見する。


「よし」


そう、これを届けるという名目で俺は沙織の後を追った。

沙織の携帯を手に取り玄関を勢いよく開ける。


しかし、沙織の姿はすでになく、感だよりで走り出した。

胸騒ぎ……走っているからじゃない、心臓がとてつもなく痛い。


しばらく家の近所を走り回るとようやく沙織を発見する。

夕暮れの公園に人影はほとんどおらず、その場にいたのは沙織と先ほど沙織の家を訪れていた男子生徒だ。


二人が何を話しているのか気になり二人が座っているベンチ傍の遊具に隠れながら俺は近づいた。


そろりそろりと音を立てることなく近づいていくのだが、何か悪いことをしてるようであまり良い気分ではない。


「……勉強はどうだ?」

「うん、まあまあかな」


なんとか気づかれることなく近づくことに成功。

二人の会話が聞こえてくる。


「そっか、たまには息抜きとか必要じゃないか?」


イケメンボイスが沙織を気遣う。


「大丈夫だよ」


何やら手遊びをしながら答える沙織……緊張しているのか?


「そうだ、何か分からないところとかあるか?俺でよければ教えるぞ」

「さすが、全国模試1位の人は余裕あるね」


なるほど、この間のスピーカーおばさんが話をしていた全国模試1位はこいつか。


「そんなことはないぞ。まだ、進路が決まったわけじゃない」

「川崎君なら大丈夫だよ」

「いつでも言ってくれ力になるぞ」

「ありがと」

「えっと、なんだ、その……」


イケメン全国模試1位の男子生徒が口ごもっていると沙織は立ち上がる。


「あの、勉強したいから帰ってもいいかな?」


沙織も相手の男子生徒にしびれを切らして帰ろうとしていた。

だが、次の瞬間にイケメン全国模試1位の男子生徒は驚くような行動に出る。


「沙織、待ってくれ」


なんと、沙織に抱き着いたのだ。そして……


「好きなんだ……俺と……付き合ってくれ」


イケメン全国模試1位の男子生徒に告白される沙織。


俺は……その場から逃げる様に走り出した。

沙織が誰よりも好きで沙織の一番になりたい。

沙織がすごい優秀な人だとは知っている。

それでも、好きな人の一番になりたい……でも、俺は……俺は……

逃げる様に走る俺はスピーカーおばさんの会話を思い出す。


[うーん、イケメンでも高身長でもなく、取り柄がなくパッとしない感じね……って、あっ!]


そうだ、俺は何の取り柄もない。

沙織の隣に立てるほど高身長でもイケメンでもない。


そして、今日……沙織の隣にふさわしい男が沙織に告白していた。


どんなに頑張っても……俺に……勝ち目があるわけ……ないじゃん。


「あ、おかえり……ちょっとどうしたの?和樹?」


家に帰りすぐに自室へ籠る。

沙織の携帯は沙織の家の玄関に置いてきた。

……あ、そういえば洗濯が中途半端になっている。


でも、もう戻りたくない。

俺は布団にもぐりこみ丸くなる。

この時初めて、自分が泣いていることに気が付いた。


「ちょっとお兄ちゃん、どうしたの?母さん心配しているよ」


バタンと大きな音を立てて、勢いよく部屋に入って来たのは三つ下の妹の可憐だった。

名前とは裏腹にノックもせずに兄の部屋に入るようなガサツな奴だ。


「もう何があったの?」

「…………」


可憐の質問に沈黙で返す


「……はぁ」


可憐は俺が何を言っても話をしないと察したのかそのまま部屋を出ていき下の階で母さんと話をしていた。


俺は熱をだしてそのまま一週間、寝込むことになった。

気から病ってこういうことだと学んだ。



☆彡



俺が寝込んで一週間

晩飯を部屋で食べた後、妹の可憐が部屋に来た。


「どうした?」

「眠れない」


口を尖らせて強がっているが、少しばかり肩が震えていた。

どうしたのだろうと思いながらカレンダーを見ていると明日、受験の日だということを知る。


「わかった。ベットに行こう」

「え?お兄ちゃん、あたしを襲うの?兄妹だよ?しかも明日、あたし受験だよ」


中学3年生だというのにたわわに実っているものを防御しながら俺をケダモノ扱いする妹。


「わかってるよ!誰が襲うか!……寝れるまで傍にいてやる」


明日のことで眠れないことがかなりのストレスになっているのだろう。


「……うん」


それに早く寝ないと明日に支障が出る。

それは可憐も良く分かっている。


俺は可憐のベットの横にイスを置いてしばらく可憐の寝顔を見ていた。


だが頭の中は沙織のことで一杯。

俺は今まで沙織のためだけに生きてきた。

そう断言できるほど、熱狂的な沙織信者だ。

彼女さえいれば何もいらない。


だが、それをすべて否定する出来事が起こった。

それがあのイケメン全国模試1位の男子生徒だ。


今でも告白の瞬間を思い出すだけで胸が焼かれて息苦しくなる。


「お兄ちゃん」


俺が苦しそうにしているからだろう、心配そうに可憐が声を掛けてくれる。


「手…………つなごう」

「ああ」


どうしよう……可憐が可愛いと思ってしまった。

とても華奢な手を握ると少し震えているのが分かる。


「寒くないか?」

「うん、大丈夫」


可憐も緊張しているのかもしれないが、俺も緊張していた

手汗……大丈夫か?


「あったかい」

「そっか」


そのまま俺は2時間ほど可憐の手をつないでいたが握る手の力が弱まったので完全に寝たと判断。

そっと可憐から手を放して部屋を出る。


「おやすみ」


俺は可憐が起きない様に無音でドアを閉める。

すると部屋の外には母さんがいた。


「流石、お兄ちゃん」

「まあ、妹としてはこんな情けない兄で申し訳ないが」

「こんなにも妹思いの兄なんて中々いないよ。和樹は立派だよ」


俺を励ましてくれているのか母さんは背中を思いっきり引っぱたく。

良い音がするのだが、痛みはあまりなかった。


「そっか、ありがとう母さん」

「何に悩んでいるのか知らないけど、隣の家のことは母さんに任せていいから」


そうだ。俺は沙織のため美香さんの手伝いをしていたのだ。

それを放り出していることに今更罪悪感を覚える。


「いや、明日からまた俺も手伝うよ」

「別にいいよ。母さんに任せな。それにあまり無理してやると美香さんも遠慮するからさ」


俺は首を振る。


「いや、美香さんの手伝いをしたいんだ。それが俺のやりたいことなんだよ」

「そうなのかい?」

「ああ」


俺は母さんを真っ直ぐに見つめる。


「明日から頼むよ」

「任せてよ」


俺が笑顔で答えると母さんも安心した顔になっていた。



☆彡



このまま寝込んでいても仕方ない。いつもの様に美香さんの手伝いをした。

よくよく考えたらまだ、希望はあった


もしかしたら沙織はあの告白を断っているかもしれない。

ただ、それを聞き出すのは今じゃないと自分を抑える。


今まで料理などは美香さんがやっていたがそれすら俺がやるようにした。


「ちょっと和樹君、そこまでしてくれなくても」


俺の仕事ぶりに心配をする美香さん。

多分、無理をしていると思われているのだろう。


「いえ、やらせてください美香さん」

「でも……受験は大丈夫なの?」


あー、美香さんは勘違いしているな。

一時期、通信高校で高認を受けて大学へ行ってみようかなんて話をしていた。

だが、その後、仕事を抱えたので高認も大学へ行くのやめたんだよな……。


「あれ?言ってませんでした?俺は大学行きませんよ」

「え?」


てっきりうちの母さんと話をしているのかと思ったけどどうやらしていなかったようだ。


「あ、そうだ。俺、少しだけ料理できるようになったんですよ」


出来るようになったと言ってもネットのレシピや動画を見ながらだけど


「すごいね」

「そんなことないです。ただ、最近、母さんも可憐のことで忙しいので」

「そっか、そんな中、無理言ってごめんね」


申し訳なさそうにする美香さんに俺は首を振る。


「俺がやりたいんです。ただ、それだけなんです」

「それは……もしかして、沙織のため?」


美香さんの質問に俺は何も答えられなかった。

美香さんに悲しい表情は見せたくない。俺は歯を食いしばる。

無言ではあるが精一杯の笑顔を美香さんに見せる。


俺は美香さんがどうとらえたのか知らないが目を潤ませて抱き着いてきた。


「ありがとう。本当にあなたで良かった」

「え?ちょっと。美香さん」


美香さんに抱き着かれてしまい身動きが取れなくなってしまう。

しかも、台所で片づけをしていたので手は洗剤まみれ。


「本当にありがとう」


しまいには頬釣りをしてくる美香さん。


「待って、美香さん。俺まだ片づけの途中で……」


俺が美香さんを引き離そうとしていると、リビングのドアが勢いよく開く。


「お母さん、和樹来てるの?わたし和樹に話があって……は?」


またしてもタイミングが悪く沙織は俺をゴミを見るような眼で見下してくる。


「あの、えっと、沙織……」

「死ね」


沙織は一言「死ね」と言い残して走って階段を上っていく。


「和樹君、おばさんは嬉しいよ」


まだ離してくれない美香さんを見ながら俺はため息をつくのだった。



☆彡



その後、またしても沙織は俺の目の前に姿を現さなかった。

ただ、それでもめげずに俺は家事全般をして料理も部屋の前に運んだ。


沙織がイケメン全国模試1位の男子生徒に告白される前と違うと言えば料理が俺の手料理ということぐらいだ。


そして、迎えた沙織のセンター試験の前日


いつものように食事などの用意をして帰宅。

しかし、合格祈願のお守りを渡すのを忘れていたので持っていくことに


夕飯は沙織の部屋の前に置いていた。

俺はどのみち会ってもらえないだろうと思い、夕飯のお盆の上に置いていこうと思った。


しかし、夕飯のお盆は沙織の部屋の前から姿を消して、食器は台所の流しに置かれている。

沙織は俺が飯を置いたらすぐに食べていたんだなということが分かる。


仕方ないので部屋のドアノブにでも掛けておこうと俺は沙織の部屋の前へ行く。


夜も更けて明日は沙織の試験日。

起こしてはいけないと静かに上がりお守りを掛ける。


俺がもう帰ろうと思うとドアが開く音が聞こえる。

その方向へ顔を向けるとそこには沙織がいた。

可愛いピンク色の寝間着姿で俺の前に姿を現す。

不覚にもその寝間着姿に見とれてしまい、それに気が付いた沙織は長い髪の毛をクルクルと指で巻く


「……すまん、起こしたか?」


俺は非礼を詫びたが何故か無言の沙織。

しばらくして、沙織は俯きながらつぶやく


「……眠れないの」


なるほど、どうやら妹の可憐と同じように緊張しているんだな。


「眠るまで手でも繋ごうか?」


俺はこの時、沙織の寝間着姿に緊張していたのだと思う。

いつも通りの沙織になるように俺はちょっとしたギャグのつもりで言い放った。


「…………お願い」


たぶん、怒るだろうなという反応を期待して待っていたのだが……あれ?素直に……お願いだと?


「…………入って」


どうしたというのだ?

いつもなら俺が手をつなごうか?抱っこしてやろうか?というと怒るくせに……。

まあ、俺も照れ隠しでやっていることなんだが……。


俺は恐る恐るベッドに横になった沙織の手をつなぐ。

中学生になってからほとんど触ったことがない沙織の手。


小学生ぐらいの時は沙織の方が大きかったのだが、今では同じぐらいの大きさになっていた。

たぶん、普通の女子よりも指が長いだろう。


美香さんの血を継いでいるのでスタイルは抜群。手足もすらりと長い。そして、指も長い。

職業モデルですと言っても誰も疑わないだろう。

まあなんだ……美香さんも小ぶりだが……うん、俺は沙織の小ぶりなら大歓迎です。


「手、大きくなったね」

「ああ、だけど、結構荒れているからな、触り心地は良くないかもな」

「大丈夫」

「そうか」


俺の言葉に静かに反応する沙織。


「でも、暖かいよ」

「そっか、まあそんなことよりも寝よう。明日は本番だ」

「うん」


今日はとても素直な沙織に俺は驚いていた。


ただ、こうしていると昔を思い出す。

俺は幼い頃、虚弱体質のせいで良く熱を出していた。

沙織は母さんがいない間、熱でうなされる俺の傍にいつもいてくれたっけ。

俺はそんな面倒見のいい沙織のことが好きだ。

いつまでの俺の傍で……俺と一緒に年を重ねていきたい。


小中学校と一緒だったが、俺は高校に進学しなかった。

そのせいで少しばかり距離が離れたが俺は彼女の傍に少しでもいたいのだ。

それは……俺のわがままだろう。

わかっている!でも、彼女が邪魔と言わない限り、傍に居たいと思うのも事実だ。


そして、最近では覚悟も決めた。

俺の存在が彼女の邪魔になる日がいずれ訪れるだろう。

その時は、きっぱりと諦めて離れよう。


「和樹、ありがとう」


目を閉じたまま仰向けでお礼を言う沙織。


その「ありがとう」の破壊力は凄まじかった。


俺は感極まって一筋の涙をこぼす。

それに気が付いて空いた手で涙をぬぐう。

ここが真っ暗な部屋でよかった……バレたら恥ずかしすぎる。


「どういたしまして、沙織」


俺は気持ちを落ち着けて言葉を返す。


「ねえ、勘違いしないでよね」

「え?」


なぜか突如、仰向け状態で顔だけ逆方向に向け俺の手を強く握ってくる。

その手の力の入れようから怒っているようにも感じた。


「その……明日は大事な試験なの。だから、寝ないといけない。……仕方なくなの」

「ああ、分かっているよ」


なんだよ、ただの強がりか。

可愛い奴だな……そう思った矢先、彼女の口から衝撃の事実が出てくる。


「分かってる?そうね、あなたの手はその……代わりなのよ」


沙織の言葉に心臓が締めあげられるような痛みを感じる。

え、代わりって?……もしかして、それって……あのイケメン全国模試1位の男子生徒の代わりってことか?


「なあ、それってもしかして……この間の……」

「うるさい。もう、寝るから静かにして」


俺の言葉を遮るように沙織は荒げた言葉を重ねる。


俺はこの時、全部分かってしまった。

ああ…………あの告白は受け入れたんだな。


まあ、これは想定していたことだ……そう、想定していた……だけど、こんなにも苦しくなるんだな。

俺は苦しさを悟られない様に空いている手を自分の胸に当てる。


妹の可憐と違い、その後、15分もすればすぐに握っている手の力が弱まる。

俺は沙織の手を布団の中に入れて静かに部屋を出た。


その日の夜、俺は涙で眠ることが出来なかった。



☆彡



妹の可憐も沙織の受験も無事に終了。

後は結果を待つだけとなる。


俺は日課になっている隣の家への家事代行はそのままやろうと思っていた。

だが、それを美香さんに止められる。


「あのね、和樹君。もう沙織のセンター試験も終わったし、私の夜勤のシフトも減ることになったの。だから、もう頑張る必要ないからね」


リビングのテーブルを囲んで座る二人

美香さんは前のめりになっている。


「え?大丈夫ですよ、頑張ると言っても大したことは出来ないですから」

「何を言っているの?和樹君はすごい頑張ってくれているし、一家族を支えるほどのことをしたすごい子よ」


はい、邪な気持ちでやってましたので褒められても少々気後れしてしまう。


「そうなんですかね……実感がありませんが」


なんとも歯がゆいというか騙しているようで罪悪感があった。

俺は……好きな人……沙織に振り向いてもらいたかった……そんな思いがあったから出来ただけだ。


でも、結局は叶わなかったけど。


「それにね、可憐ちゃんから聞いたけど就職活動もしてないんでしょ?」

「ええ、まあ」


俺としてはこれからの見通しは立てているので大丈夫なのだが


「まだ、諦める時期じゃないと思うの。来年、受験してみるのもいいわ。よーく考えて和樹君」


俺の手を握り力強く説得してくれる美香さん。


「は、はぃ……」


ここまで真剣にお願いされたら断ることが出来なかった。


美香さんとしては大学にでも行って欲しいのだろう。

自分たちのせいで……なんて思っているのかな……俺はもしかして悪いことをしたのか?


こうして鈴木家への出入りを制限された。

仕事は4月から親元を離れる予定だ……そういえば可憐に話してなかった。

まあ、合否の発表が終わってからでいいだろう。


暇を持て余した俺は叔父さんからもらっている在宅ワークを一気に終わらせる。

今までは空き時間を使っていたが、現在、好きな女の家で家事をするという趣味が無くなったので仕事に専念しているというわけだ。


…………腹減ったな。


昨日から、両親は少しの間、県外へ出張中だ。

そのために俺の飯を作ってくれる人がいない。


「何…………作ろうかな」


俺は取り合えず家の食材を買うために近所のスーパーに足を運ぶ。


するとこの間、沙織とイケメン全国模試1位の男子生徒が結ばれた公園に、妹の可憐がいた。

そして、可憐の目の前にはどうやら同じ中学の学ランを着た男子生徒がいるようだ。


沙織の時はベンチに座っていたが、今度は対面か……ってあれ完全に告白だよね


俺は可憐達に気が付かれない様に近づいた。


「好きです。俺と付き合ってください本田さん」


おお、なんかすごいいいタイミングだ。

にしてもこの男子はイケメン高身長だな。

中学3年生で既に175㎝あるな。

だけど、可憐は俺と同じぐらいの身長なのであまり違和感がない


女子としては身長が高い可憐なので俺はお似合いだなっと思った。

しかし、可憐の意外な答えに俺と男子生徒は度肝を抜かれる。


「ごめんなさい。あたし、好きな人がいるの」

「え、そんな……もしかして……噂の」

「はい」


噂の?何、可憐にどんな噂があるの?

お兄ちゃんとしてぜひ知りたい!


その後、イケメン高身長男子は哀愁を漂わせながら帰路に就く。

俺はしばらくその場で動くことなく考え込んでいた。


一体、可憐の好きな人って誰だ?


悶々と悩むが学校の生徒だと俺はほとんど知らないので詮索する余地がなかった。



☆彡



俺は可憐のことが気になりつつも夕飯の支度をする。


「可憐、夕飯作るの手伝って」

「あ、今忙しい」


可憐はリビングのソファーで何やらピコピコとゲームをやっている。

にしても、妹よ……兄を手伝ってもバチは当たらんよ。


沙織もそうだが、可憐も受験の発表を待つのみとなり、やることはない。


ただ、やはり合否が気になるのだろう。

時々、上の空になっていることがある。

あまり無理強いはしないでおこう。


暖房が効いているからといってラフな格好で寝転んでいる妹。

まあ、兄に対しての羞恥心なぞ、母親の子宮に置いてきたのだろう。


それに今更、意識されてもな……父さんも母さんもまだ可憐には伝えてないだろうから。


「ほら出来たぞ」


出来上がったものを順番にテーブルに並べる。

二人分なので大皿のチンジャオロースがドンと二人の中心に来るように置く。


中々良い出来だ。

まあ、誰でも簡単に作れる野菜を入れて炒めるだけのヤツだけど……下手に一から作るより簡単で美味しいんだよね。


明日も二人だから、八宝菜にでもするかな。明日の夕飯の献立が決まったな。

すると、ひと段落付いたのか可憐がテーブルへと移動して自分の食器の前に腰かける。


「いただきます……お兄ちゃん、ごはんは?」


可憐は両手を合わせるも自分のお茶碗に白い米がないことに気が付く。


「自分でよそおいなさい」

「なんで?お兄ちゃんが入れて!」


テーブルに身を乗り出して抗議する可憐

だが、俺は頑なに断る。


「自分でやりなよ」

「ヤダ、沙織さんや美香さんのはお兄ちゃんが全部するじゃない」


なるほど、あの二人が羨ましいのか?それとも嫉妬?ふむ、お兄ちゃんはちょっと嬉しくなりついつい甘やかしてしまう。


「…………わかったよ」

「ヤッター」


笑顔になる可憐に俺は怒る気も失せてしまう。


二人だけの夕飯は意外にも静かだった。

チラチラとこちらを伺う可憐


「どうした?」

「ううん、なんでも」


変な奴だな。あ、そうだ、お兄ちゃんは可憐に聞かなければいけないことがあったのだ!


「なあ、可憐」

「何、お兄ちゃん」

「好きな人とか出来たか?」

「ブフーーーーー」


盛大に口の中のものを噴き出す可憐。

って、俺に掛かっているんですが、妹よ!


「な、な、な、なんで、そんなこと聞くの?」

「いや、気になったから」

「なんで、お兄ちゃんがそんなこと気にするのよ」

「そりゃあ、可愛い妹だからな」


可憐は少し顔を赤らめてそっぽ向く。

ただ、流石、兄妹と言ったところか、俺がからかっていることに気が付く。


「へぇ、可愛い妹の好きな人に興味があるんだ……嫉妬?」


今度は妹が俺に反撃を開始する。


「嫉妬ってわけじゃ」

「でも、お兄ちゃんはあたしの恋人が気になるのよね」


かなり上から目線で話を続ける可憐。俺は相手のペースに乗せられていることを知りつつもそれに乗ってみた。


「まあな」

「うーんとね、あたしの好きな人は……」


回答を勿体ぶる可憐。

二人の間には謎のドラムロールが鳴っている気がする。


「好きな人は?」


俺は緊張した面持ちで生唾を飲み込み、演技をした。


「お兄ちゃん」


あーこれはあれだ……黒だ。完全に俺のことからかっているな。

見てみろ、可憐のあの意地悪そうな顔。


「えぇぇぇぇ?俺なのか」

「うん、そうだよ。オーッホホホ」


オーッホホホってどこのご令嬢だ。

我が家は貴族ではないぞ。


だが、ここで屈するわけには行かない。妹に負けるわけにはいかない!


「可憐……そうだったんだな……実は俺も……おまえのことが好きだったんだ」

「……ふえ?」


鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる可憐


「可憐、結婚しよう!」

「……………えええええええええええええええええええええ!」


テーブルを叩き身を乗り出す可憐。


「お、お、お兄ちゃん。自分が何言っているのか」

「ああ、分かっているさ。両想いだということが分かったんだ。くす……おほん。愛してるぜ可憐」


真剣な表情から少しばかりにやけた表情になってしまう。

それを見逃さない可憐。

俺のにやけた顔に気が付くと眉間にしわが寄る。


「…………お兄ちゃん、サイテー」

「へ?」

「ごちそうさまでした」


食べ終わるとすぐに立ち上がり、淡々と食器を片づけていく可憐。


「お、おい……可憐」

「あたしの好きな人、お兄ちゃんには絶対に教えない!」


バタンと大きな音を立ててリビングのドアが閉まる。

うむ、ちょっとやりすぎたかな?



☆彡



妹の可憐が告白され断った事件の翌日


昨晩に今日の夕飯の献立は決めていたので八宝菜に必要な材料を買い出しにスーパーへ足を運ぶ。

その途中で見慣れた人影に遭遇。

今度は沙織と男子生徒があの公園にいた。

男子生徒はイケメン全国模試1位の男子生徒ではなく別の男だ。


今回の男は背が高く更には幅もある。

かなりの体育会系の男だ。

制服のブレザーを纏っているが体のラインが分かるぐらい発達した筋肉がある。


二人の雰囲気はただならぬものだと理解している。

まあ、俺の見立てでは十中八九、男子生徒が沙織に告白するのだろう。


「鈴木、俺はお前のことが好きだ。付き合ってくれ」


頭を下げて手を差し出す男子生徒。


この時、俺は告白する男子生徒を気の毒に思った。

沙織にはもう付き合っている人がいるのだ。

だから、沙織の返事は決まっている。


「ごめんなさい」


頭を下げて手を差し出す男子生徒に頭を下げて断りを入れる沙織。


「そっか、すまなかった」


意外にも男子生徒はあっさりと引き下がる。


「やっぱり、もう付き合っているヤツがいるって本当か?」


なんだよ、この男子生徒は沙織が誰かと付き合っているの知っているうえで………玉砕覚悟なのかちょっと、カッコいいじゃないか。

なんて考えていると沙織の口からは意外な言葉が出る。


「ううん、付き合っている人いないよ」


え?どういうこと?もしかして、あのイケメン全国模試1位の男子生徒とは付き合ってないの?


「じゃあ、なんで」


体育会系の男子生徒が沙織に食いつく。


「えっとね、大学の合格発表後に私から告白する予定なの」

「そうか……そいつのこと好きなんだな」


体育会系の男子生徒は沙織に返事する。


「うん、大好き!」


沙織の表情はとても眩い笑顔だった。

「大好き」と言い放った沙織は、自分の発言に気が付き赤く高揚した頬を見せない様に手で顔を隠す。


そんな可愛い沙織の仕草、表情と言葉に体育会系の男子生徒と俺は胸を押さえ心臓をえぐられるような痛みに耐える。


そっか、そこまであのイケメン全国模試1位の男子生徒に惚れいるんだな……はぁ。



☆彡



俺は家に帰っても心臓の痛みが取れないので買ってきたものを冷蔵庫に入れてリビングのソファーで横になっていた。


「夕飯作るの面倒だな……」


可憐が作ってくれないかな……っとそんなことを考えているといつの間にか深い眠りに落ちてしまう。



☆彡



目が覚めるとおいしそうな匂いと音がした。

からあげ?天ぷら?


まあ、どっちでもいい。

本当なら八宝菜を作ろうと思っていたが誰かが作ってくれているのだろう。


って、この家には可憐しかいない。

流石、我が妹!

お兄ちゃんは嬉しいぞ。


よし、今日はこのまま寝たふりをして料理をサボる……おほん、可憐に任せよう。

将来、可憐の旦那さんになる人は羨ましい。

この兄に全く似ていない端正な顔立ちにスタイル抜群の可憐が料理をしてくれるのだ。

どう考えても可憐の将来の旦那様は果報者だろうな。


あれ?そういえば、可憐って……料理できたっけ?


だが、それなりにリズミカルな油で揚げる音は気持ちが良いし、いい匂いだ……ん?待て!焦げ臭くない?


まさか!


俺は慌てて飛び起きて台所へ直行。


「可憐、焦げて……ない?」


俺は首を傾げ目を細める。

なぜなら、台所にいるのは可憐だと思っていたからだ。


しかし、実際に目の前にいるのは、制服の上からフリルが付いた可愛いエプロンを付けた沙織だった。


「あ、おはよう」

「うん、おはよう」


俺は沙織のエプロン姿に見とれてしまう。


「えっと、ごめんね。久しぶりだからちょっと手間取ってて」

「うん……って、沙織、焦げてる」

「え?うそ!」


沙織は慌てて油の中でジューシーに焼けている物体を網ですくう。

たしかに上面は綺麗な色が付いているが下側は黒い炭のような色になっていた。


「あちゃー、失敗……って、和樹見ないで!あっち行って」

「お、おう」


そこにはいつも通りの沙織がいた。

俺よりもお姉さんでいたい沙織は俺の前でよく強がる。


ピンポーンとインターホンが鳴る。


沙織に怒られない様に退避した俺は玄関の呼び出し音にすぐに対応できた。

ドアを開けてみるとそこにはナース服にジャケットを羽織った姿でスーパーの袋を手に持った美香さんがいた。


「こんばんは、和樹君」

「こんばんは、どうしたんですか?」

「うん、ちょっとお邪魔するね」


手に持ったスーパーの袋を俺に見せながら家に上がる美香さん


「はい、どうぞ」


それを断る理由もない。

むしろ……救われた。

正直、これから「別の男と付き合う初恋の女性」の手料理と思うといろんな意味で胸がいっぱいだった。


美香さんは本田家の台所に立つ沙織を目にして驚く。


「あら、沙織、来てたの?」

「あ、お母さん、どうしたの?」


どうやら沙織も美香さんも我が家に来ることはお互い知らなかったようだ。


「どうしたのはこっちよ。何?予行演習?」

「ちょっと、お母さん!」


予行演習……美香さんの言葉に俺が思い描くのはあのイケメン全国模試1位の男子生徒。

俺はとっさに胸を押さえて、痛みに耐え息を整える。


美香さんは焦げた物体を見て沙織と話をしていた。


「ちょっと、これどうしたの?」

「うん、失敗」

「もう、こんなんじゃ、未来の旦那様と素敵な生活が出来ないわよ」


またしても、美香さんの言葉を聞き俺の心臓に失恋という矢が突き刺さる。


「いいもん、未来の旦那様は料理上手だから作ってもらうもん」


沙織は頬を膨らませながら美香さんに反論する。

その姿は全ての男を絶対に魅了出来るだろう。

だが、その反面、沙織の言葉によって、俺の心臓に失恋という名の矢がこれでもかというぐらい沢山、突き刺さる。

クソ!あの、イケメン全国模試1位の男子生徒は料理も出来たのか!

しまいには立ってられない状態に。


「どうしたの、和樹?」


部屋の片隅で小山座りしている俺を見た沙織が声を掛けてくれる。

その優しさが非常に辛いのだが、それを見せないのが男だ!


「だ、大丈夫、何でもない。矢が飛んでくるから逃げているんだ」

「は?ってか、床じゃなくてソファーに座ったら」


沙織の気遣いがとてもつらい


「ああ、わかった」


俺がソファーに座ると沙織はまた台所へ行き美香さんと料理をしている。


本田家の台所を鈴木家の母娘によって占拠されているのだが……なんだろうな、美香さんも綺麗だし沙織は可愛いし……絵になるな。

というか、なんだか俺が場違いな気がしてきたよ。

我が家なのに居場所がない感じだ……仕方ない、外に出よう。


「あの、美香さん」

「なあに、和樹君?」


キャベツを千切りにしながら対応する美香さん。


「俺用事があるので出かけます。可憐のことお願いします」

「え?こんな時間から?」

「はい、簡単なバイトが入っているので」


バイトというか別のことだけど……嘘ではない。


「あら、偉いね。うん、わかった、いってらっしゃい」

「はい、いってきます」


両親は明日帰ってくるので、そうなると可憐一人になる。

そのために美香さんに少しばかりお願いすることにした。


正直、バイトというのは家の中でも出来る。

叔父さんからもらった仕事はパソコンさえあればどこでも出来るもの。


ネカフェでも行こうかな。

ノートパソコンをリュックサックに入れて玄関で靴を履く。


「和樹、待って」


玄関で俺に声を掛ける沙織。


「ん?どうした?」

「えっとね、いつ頃、帰ってくるの?」


沙織は指をクルクル回しながら俺に質問する。


「ああ、多分、遅くなるから俺のことは気にしないでくれ」

「そうなんだ…………夕飯はどうするの?」


あ、なるほど、折角、作ってやったんだから食べろということか。


「帰ったら食べるよ。折角作ってくれたんだから」

「ホント!あとでレンジで温めて食べてね」

「ああ、それじゃあ、いってくる」

「うん、いってらっしゃい」


こうして俺は玄関で沙織に見送られてネカフェに向かうのだった。


しかし、マンションの一階まで降りて悶え苦しむことになる。


「ぬおおおおおお」


先ほどの玄関のやり取りはどこからどうみても「新婚さん!」

普通にうれしいが沙織の本当の旦那様は俺じゃないんだと思うと悲しくもある。

その狭間で俺は葛藤していた。



☆彡



ネカフェに到着してノートパソコンを立ち上げるも沙織のことで頭がいっぱいになる。


沙織の相手は間違いなく、あのイケメン全国模試1位の男子生徒。

このままいけば沙織とゴールイン。


あいつはテニス部にも所属しているらしいので運動もできるだろう。

おまけに料理も出来るようだ。

それならば、俺でもできる掃除洗濯は奴にとっては朝飯前だろう。


やっぱ、俺の勝てる分野は何もないな……。


よくよく考えたら、かなりの優良物件だよな。


身長も俺より高いし、イケメンだ。

友達に自慢出来る彼氏だろう。

俺が彼氏になったところで自慢できないよな。

結婚したら家事が出来る旦那様だ。

全国模試1位なら偏差値の高い大学へ行くだろうし、年収も高くなるだろう。


なんだ……俺と一緒になるより絶対、幸せになれる男じゃねえか。

俺が悲しむなんて我儘なんだよ。


沙織の幸せを考えるなら、イケメン全国模試1位の男子生徒の一択だ。


よかった、沙織の将来は安泰だ。

俺が出来ないことをあいつは全部できるはずだ。


でも、なんで俺は涙が止まらないんだ?

泣く必要なんてないよな?

沙織は幸せなんだ。

俺じゃあダメなんだ……この涙は自分の思い通りならないって子供が駄々をこねているのと一緒……そう、俺の我が儘だ。


ひとしきり泣いたら深夜0時になっていた。


俺はネカフェから家に帰る途中で電話をする。


「あ、叔父さんこんな時間にすみません」

『いいよ、どうしたんだ?』


こんな時間でも対応してくれる叔父さん。

ただ叔父さんの活動時間がこれぐらいなのを知っている。


「この間のクライアントの話なんですが、早めにそっちに行ってもいいですかね?」

『早めっていつぐらいだ?』

「明日とか」

『は?明日?……まあ、明日は無理だが、ちょっと兄貴に相談する。それでもいいか?』

「はい、お願いします」

『にしても、どうした?元気がないじゃないか』

「いや、やっぱ不安なんでしょうね」

『そうなのか?まあ、なんだ。酒でも飲みながら語るか?』

「叔父さん、俺、まだ18です」

『そうだったな、わりいわりい』


叔父さんとの電話を切り、夜空を見上げる。

好きな人の傍に居たかった、でも、その人は他の人と……そんな環境が辛くて辛くて逃げ出したい。可能な限り早く、遠くへ逃げ出したかった。


家に帰ってくると既に深夜1時を回っていた。


可憐が寝ているので物音を立てない様にリビングへ

するとそこにはラップに包まれた夕飯が置いてある。


俺がそれをレンジで温めようと持ち上げると、紙切れが一枚あった。


[頑張れ、和樹]


習字を習って段持ちの沙織の字はとてもきれいに整っている。


「やめてくれよ……俺に期待させるようなことは……」


俺は紙を握りしめて大粒の涙を流す。


「もう、関わらないでくれ……」


それが俺の本音だった。


ちなみに沙織が作っていたのはどうやら唐揚げだったようだ。

作り直して綺麗な唐揚げがラップの中に入っている。

とてもしょっぱい味がしたのは、俺のせいだろう。

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