まことかな

左倉

まことかな

「ねえ、なんで私はおかしな挙動を取ってしまうんだと思う?」


 私は部屋で一人、ベッドに寝転がって、天井を見つめながら大きめの独り言を言った。いや、正確には独り言ではない。なぜなら返事が返ってくるから。


「今朝、教室に入るときに緊張して、入口の前でうろうろして、クラスメイトから変な目で見られていたことを言ってる?」

「ちょっと、やめてよ」


 私にだけ聞こえるこの声の主は、まこちゃん。まこちゃんは、いつのまにか私の中に住んでいて、勉強も運動も、友達を作ることもヘタクソな私にアドバイスをくれる。


「全部解説しないでよ。コメディアンだって、自分のギャグの面白さを解説されるの嫌がるじゃん」


 まこちゃんに、私は唇をすぼめて文句を言うみたいに言い返した。傍から見れば、私は一人で喋っている変な人だ。それはわかっているけど、困ったときや失敗したときにまこちゃんに話しかけてしまうのは、私の癖みたいなもので。


「かなちゃんは、コメディアンじゃないでしょ」

「似たようなものだよ。笑わせてるんじゃなくて、笑われてるだけだけど」


 自分では、周りの人たちと同じように行動しようと思っているんだけど、十七年間生きてきて、いまだに成功していない。

もういっそ、誰とも関わらずに生きられたらいいのに。


「それは無理でしょ。一生友達を作らない気?」


 心の中で思っただけだったのに、耳ざとく拾い上げられて、正論で怒られる。


「まこちゃんが友達じゃん」


 私が言うと、まこちゃんは少し黙る。まこちゃんは、私が「友達だ」というと、決まってこうなる。



私が初めてまこちゃんと話したのは、確か幼稚園の頃。年長さんだったと思う。前の週に先生から、自分用のハサミとのりを持ってきてくださいって言われていたのに、忘れてしまったとき。カラフルな画用紙の前で、ハサミものりもない私がじっと座っていたら、突然話しかけられた。


「忘れましたって言えば?」


 まこちゃんの声は、私の声より少しだけ高くて、ツンツンしている。


「誰に?」


 会話したのは、それが初めてだったけれど、私はまこちゃんがいるってことを知っていたから、別に驚かなかった。もしかしたら、もっと前にも話したことがあったのかもしれない。


「みゆき先生。大丈夫、あの先生は優しいから怒らないよ」

「わかった」


 まこちゃんに言われた通りにして、私は先生からハサミとのりを借りられた。私一人だったら先生に「どうしたの」って訊かれるまで気配を消して黙りこくっていたと思う。

 それからはいつも、何か困ったことがあったらまこちゃんが解決方法を教えてくれた。まこちゃんは、私にとって、頼れるお姉ちゃんみたいな存在。

 助けてもらえるなんて、羨ましいって思うかもしれない。でも、いいことだけじゃない。私の脳みそは、まこちゃんと共有しているから、私が使える容量は半分。だから一度にたくさんのことを言われたら、処理が追いつかなくて、私の思考回路は頻繁に断絶した。


「同時にやろうとしなくていいよ。まずは深呼吸。そうそう、それから靴を履いて、荷物を持って」


 まこちゃんが優しく言った。


 幼稚園に行くとき、母は「かな、早く用意しなさい」とだけ怒鳴るので、私はどうしていいかわからなくなって、体が固まる。するとすかさず、まこちゃんが私を手助けした。まこちゃんは、私がどうして動けなくなるかということも、どうすれば動けるようになるのかも、完璧に理解していた。


 まこちゃんは、他にもいろんなことをよく知っていた。

「転んだときは、怪我したところを水でよく洗わないとだめだ」とか「髪の毛をひっぱってきたからといって、その友達を思い切り突き飛ばしてはいけない」とか。あと、文字を教えてくれたのもまこちゃん。おかげで私は、小学校に上がる前に、ひらがなとカタカナといくつかの漢字が読めるようになっていた。



 ずっと、二人でいることが当たり前だったから、これがおかしいと思ったことは一度もない。普通の人に、まこちゃんがいないと知ったのは、小学校に入学して、授業を受けるようになってからだ。授業中、私がまこちゃんとお話をすると、担任の先生が目を三角にして「しっ、静かに」と鋭く注意する。


「ねえ、いつも誰とお話してるの?」


 いつもかわいいフリルのついたワンピースやスカートを履いている前の席のクラスメイトが、怒られた私をこっそり振り向いて訊いてきた。


「まこちゃん」

「だあれ、それ」

「ずっと、かなと一緒にいる子」


 ああ、でもまこちゃんの声は私にしか聞こえていないんだった。気づいた私は、慌てて付け加える。


「かなだけに見えてる子なの」


 その子は、ちょっと考えた後、とても奇妙なものを見た顔になって、それから興味を失くしたように言い放つ。


「変なの」


 その目がとても冷たくて、間違えて氷を丸呑みしてしまったときみたいに、喉が詰まって身体が冷えた。それから、私はうっかりまこちゃんに話しかけてしまわないよう、なるべく声を出すのをやめた。


 けれど、担任はそんな私の心配をしたのか、まこちゃんのことを母に話したらしい。どういうふうに聞いたのかは知らないけれど、保護者面談から帰ってきた母は、その足で私を大きな病院へ連れていった。


 その時はなんで熱もないのに病院に連れてこられたのかわからなかったけれど、まこちゃんが「お医者さんの話はちゃんと聞くべきだ」と言ったので、私はそれに従った。白衣を着て、にこにこと笑みを絶やさないおじいちゃん先生が、私にいくつか質問をする。ずっと穏やかな微笑みを浮かべていたけれど、その表情が、子どもの警戒心を解くためだけに無理に笑っているみたいに見えた。


「かなは病院、怖くないよ。にこにこしなくて大丈夫」


 私は気を遣って言ったつもりだったけど、おじいちゃん先生の笑顔は、陸に上がって来た深海魚みたいにぎょっとした顔になって、それから慌てて、さっきよりもぎこちない笑みを作った。

意味がわからなくてまこちゃんの様子を窺ったら「今は黙っておいた方がいい」と怒られた。


 私はまこちゃんの言う通りにして、おじいちゃん先生の質問にきちんと受け答えする。それなのに、何が不満だったのか、一通り聴き終えたおじいちゃん先生は、すごく残念そうな顔でこちらを見た。それから、難しい顔になって母と相談を始めた。私には、こっちの表情の方が自然に思えた。


 そして、その日から両親は、私に注意深く接するようになった。私がまこちゃんと一緒にいるかどうかを気にしているみたいだった。そんなこと考えなくても、私はいつでもまこちゃんといるのに。


 まこちゃんにもわからないような難しい漢字がたくさん並んだ診断書を持って、専門の病院にも通った。消毒液の匂いが鼻を刺すようなところではなくて、ふかふかの絨毯が敷いてある、木のいい匂いのする病院。私は、そこへ通うのは苦痛ではなかったけれど、母はいつも悲しそうな、辛そうな顔をしていた。私は、それが悲しかった。



 それから十年。高校生になった今、私にとってまこちゃんは私の本当の両親よりも保護者で、クラスの誰よりも大切な親友で、なんでも話せるお姉ちゃんで、私を理解してくれる唯一無二の存在。

 まこちゃんだけが友達で、私はそれに満足していた。

 授業が終わると、私は一番に教室を出る。みんな、友達とおしゃべりしたり、放課後に行く最近できたばかりのカフェの相談をしたりしているっていうのに。


「かなちゃんは、いつも教室で一人。寂しくないわけ?」


 私の心を見透かしたみたいに、まこちゃんがざらりと耳に残る低い声で訊く。


「一人じゃないし。まこちゃんがいるもん」

「みんなには見えてない。そんなこと言うから変な目で見られるんでしょ」

「……変な目で見られるのは、私が変だからだ。普通にしようって思ってるのに、うまくできない」


 私は今朝、数学の宿題をやったノートを日直の人に提出しようとして、悪目立ちしたことを思い出しながら言った。

 日直の人に「これもお願い」って言いたかっただけなんだけど、話しかけるタイミングがわからなくて、しばらく背後でうろうろしてしまった。担任が入ってきて「宿題出しておけよー」と言わなかったら、言えない自分への嫌悪感と、気づいてもらえない気まずさと、自分を客観視してしまったときの羞恥心で、提出するより先に心が折れていたと思う。



 そんな高校生活がガラリと音を立てて変わったのは、高校二年生のクラス替え。私に、本物の友達と呼べそうな人ができた。本物っていうのは、完全に私と別個体で、別の思考回路を持っていて、私が行動を操れないってこと。つまり他人だ。名前は君島さくら。


 クラス替えとは言っても、一学年に六十人くらいしかいなくて、二クラスに分かれているだけだから、約半分は去年と同じメンツ。その人たちは当然私のこと知っているし、直接は知らなくても、私みたいに飛び抜けて浮いている人間は、こっちが知らなくても向こうは知っているということになりがちだ。新学期早々、不愉快な好奇の視線に晒されるはめになる。


「初めておんなじクラスになるね。一年間よろしく」


 始業式が終わった後、新学期のそわそわした空気が残る放課後の教室で、特異な私に、君島さくらは躊躇いなく声をかけてきた。

残っている生徒は私たちを除いて五、六人。新しい友達候補との雑談と探り合いはやめないけれど、視線と意識はこちらにも向けられている。


 彼女は、私なんかと関わってはいけない、明るくて前向きで素敵な子だ。みんなに平等に優しくて、美人ではないけど笑顔が可愛くて、周りを明るくする。クラスの異物である私と仲良くしたって、メリットがあるようには思えない。むしろ、私といたら彼女の今の地位も危うくしてしまう。私はそのことをなるべく丁寧に伝えようとした。したのだけれど、残念ながら、私は自分に話しかけてくる人間への対応力が並外れて低い。特に初対面の相手には、まず目が合わせられない。合わせられないだけならまだいいけど、めちゃくちゃ目が泳ぐ。どこを見ていいかわからなくなって、顔を横に向けたまま後ずさりした。


「……必要ない」

「そっか。ねえ、そのピアス、自分で開けたの?」


 ぐいと彼女が顔を逸らした私の耳元に顔を近づけてくる。吐息が首筋にかかり、皮膚が粟立った。私がピアスを誰に開けてもらったかなんて、そんなに知りたいだろうか。それとも、遠回しに、校則違反を咎めているのか。


 相手にばれないように、目線だけ彼女のほうにちらちらやって探ったけれど、その表情は純粋な興味だけで、批判的なニュアンスは含まれていない。いくらか警戒心を解いた私は、少しだけ顔を戻して答えた。


「うん。友達と開けた」


 嘘ではない。まこちゃんと相談して決めたから。

 この子は、ピアスを開けてみたいんだろうか。


 見たところ、君島さくらは学校で指定された制服を着崩すことなくきちんと身につけていた。スカートを短く折っていないし、胸元の青いリボンを正しくつけているし、前髪も目にかからない長さで切り揃えられている。校則を破ってまでピアスを開けるタイプには見えない。


「私が敵になることはあっても、友達になることはなさそうだけど」

「え? ……どうして?」


 まこちゃんに言ったつもりだったのに、思い切り聞かれてしまった。耳の先まで熱くなるのがわかる。せっかく話しかけてくれたクラスメイトには不適切な発言だ。


「あの、ええと」


 恐る恐る彼女のほうを見ると、本当に不思議そうな顔をしている。ああ、悪意なんてかけらもない、心優しいクラスメイト。そんな彼女が、どうしてよりによって私に話しかけてしまったのか。


「なんでもない」


 とにかく、会話を終わらせるのが最優先だ。まこちゃんと二人で心と体を分け合う私は、対話が自分の中だけで完結してしまうので、別の個体との会話には苦労する。

 致命傷を与える前に、さっさとこの場を離れよう。新しいクラスメイトの視線も、去年のクラスメイトの視線も、容赦なくぐさぐさと私の体を突き刺した。脳内でまこちゃんも「一旦教室から出た方がいい」と忠告している。


 去年一年しか使っていないのに、スクールバッグの紋章はすでに剥げてしまっている。私は持ち手を乱暴に掴むと、椅子や机に体のあちこちをぶつけながら、教室を出た。怒っているから物に当たっているわけじゃない。私の目がぽんこつで、視野が極端に狭く、距離感をうまく掴めないせい。昔から身体中をぶつけて、あちこちに青あざを作っていた。


 君島さくらから逃げるように、私は急いで学校を出た。そんなことしなくても、彼女は後を追っては来なかったんだけど。


「どう思う?」


 家までの長い坂道をのろのろと歩きながら、私は大雑把にまこちゃんに投げかけた。


「さあ。ただ、かなちゃんと仲良くなりたいだけに見えたけど」

「そうだよね、私も同感。でも絶対に仲良くなれないよ」

「なぜ?」


 事務的に訊かれた。でも、まこちゃんはすでに答えを知っているはずだ。


「あの子が善良だから」


 君島さくらは善良だ。人を疑ったりしないし、みんなに気を遣うから、私みたいにクラスから浮いているやつがいたら声をかけずにはいられない。私とは全然違う種類の人間だ。


「なら、かなちゃんも善良になってみればいい。制服のリボンをきちんとつけて、スカートを折るのもやめて、ピアスも外して。そうしたらあの子の隣にいられるんじゃない?」

「……まこちゃんは、私があの子と友達になった方がいいと思う?」

「私以外に友人を作ることは、必要だよ」


 全幅の信頼を寄せているまこちゃんに、突き放されたような気がして、少しショックだった。でも、私はその言葉を受け入れた。


「わかった。うまくできるかわからないけど、やってみる。なんだか、明日が楽しみな気がしてきた」

「それはいいことじゃん。大丈夫、きっとできるよ」

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