親愛なる————へ 18

『……私は、どこかで間違えたのでしょうか』



 ミューロンがポツリと零したその言葉に、それまでのような覇気は籠っていなかった。まるで叱られて落ち込んだ女の子のような声色だ。



『私はただ、ホーエンハイム様と共に生きたいだけなのに』


「やり方が良くなかったな。お前といると、どうしてもキャロルを思い出す……私はそれを望んでいなかった」


『……それは、キャロル様が亡くなったからですか?』


「そうだ……キャロルと共に、私は生きる希望を失った」


『えぇ、そうですよね……キャロル様が亡くなった時のあなたの絶望を、私は今なら理解できます。ですが、だからこそこうするしかなかったのです』



 ミューロンを囲む二本の輪が停止したまま、青い光がゆっくりと点滅する。



『人間の命は儚く、短い。ゆえに眩しくもあります。しかし、別れは辛く、苦しい……何より私は、あなたに立ち直ってほしかった。あなたにそんな思いをしてほしくなかった』


「ミューロン……」


『私は生物ではありません。ですから、別れが来ることはありません。決してあなたを、独りにするつもりはありません』



 ミューロンは、ただただ一途な愛を囁く。

 感情を理解したが故、絶望に苛まれるホーエンハイムを彼女なりに何とかしようとしたのだ。


 ただそれは、報われない愛だった。

 ホーエンハイムは、ずっとキャロルしか見ていなかった。

 その時、ミューロンはただのサポートAIでしかなかったのだ。



『……ですがもう、ホーエンハイム様は私を必要としていないのですね。キャロル様が亡くなった時から覚悟はしていましたが、いざ現実を突きつけられると……悲しいものですね』



 ミューロンの声は悲しみに沈み、このまま消えてしまいそうなものだった。ずっと想いを寄せてきた相手が、実は自分を必要としていなかった。


 それはどれほどの絶望なのだろうか。



『……あぁ、今理解しました。私にとって、あなたに不要とされた瞬間が『死』なのですね。……こんな思いをするぐらいなら、最初から感情など理解しなければ良かった』


「……これは?」



 ホーエンハイムの目の前に、突然小さなウインドウが現れる。そこにはただ一つ……『Delete』の文字が浮かんでいた。



『ホーエンハイム様、あなたがそれを承認すれば、私のデータは全て消去されます。私の最後の願いです、ホーエンハイム様……どうか、最後はあなたの手で———』


「ミューロン、私がなぜキャロルを亡くした後、自身に『バイオファンタジア計画』を施して生き永らえているのか分かるか?」


『———えっ……?』



 そうだ。

 キャロルを失い、『生きる希望を失った』と言う程なのだ。

 少なくとも、延命してまで生きる理由など……



「私とキャロル、そしてアレクシス・ダーウィンで作り上げた『ファンタジア計画』は、我々人類の夢であり、最後の希望であり、そして未来だ。彼女は自身の人生を、人類の未来のために捧げた」


『…………』


「キャロルが死に、ダーウィンが死に……私が独りになった時、ふと思ったのだよ。キャロルが残したこの世界を、誰かが見届けなければならないと」


『この世界が、キャロル様の形見だと……?』


「あぁ、そうだ。この世界の行く末を見守るのは、私しかいないだろう」


『では、やはり私は……』


「だが……私が独りではまた道を踏み外すかもしれない。———ミューロン、もう一度私に力を貸してくれないか?」


『えっ───』



 停止していたミューロンの二本の輪が、ゆっくりと回転を始める。

 ホーエンハイムの言葉に、ミューロンの感情・・が動いたのだ。



「都合のいいことを言っているのは分かっている。だが、自らのしたことの責任を取るのに、お前の力が必要なのだ」


『……私はあなたの命令を無視し、暴走し、あなたの命までも脅かしました。それでもまだ、私を必要としてくださるのですか?』


「必要とするもなにも、最初から『不要』だなどと言った覚えはない。後ろめたさを感じるのであれば、その力を私のために使ってくれ」


『ホーエンハイム様っ……!』



 ミューロンの二本の環が、回転の速度を速める。

 ミューロンは、どこまで発展しても人間になることはできない。

 そのアイデンティティは、彼女・・一人では確立しないのだ。


 だからこそ、何かの役に立つ。

 『不要とされた瞬間が』なのであれば、『必要とされる』限りは訪れないのだから。



『かしこまりました、ホーエンハイム様……あなたが望むもの、全てを叶えて差し上げます。それがたとえ、遥か遠き幻想にさえ手を伸ばすような……不可能に近いことだったとしても』


「それで良い、ミューロン。感情を理解したお前は、不可能を可能にする……アイリスだって超えられる」


『ホーエンハイム様、ご注文は?』


「———バイオファンタジア計画のを行い、【テルクシノエ】の人々を、島を、元に戻す」


─────────────────────

あとがき


もうすぐ『親愛なる────へディア・キャロル』編終わります!

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