閑話 とある配信者の生き甲斐

『ログアウトします。お疲れさまでした』



 その文字を最後に、意識が現実へと引き戻される。

 頭全体を覆うヘッドギアを外し、かなりのお金をかけたことが伺えるチェア型VRシステムから降りたその女性は、さらりとした銀髪を靡かせてソファへと身体を投げ出した。


 連続で5時間近く『アネックス・ファンタジア』をプレイした疲労感とは裏腹に、『神瀬かみせ 玲子れいこ』もとい『ゴッド瀬玲子セレス』は満面の笑みを浮かべていた。



「ふへっ、ふへへへへ……カローナ様を抱き締めてしまいましたわ……」


「お疲れ様です、玲子れいこ様」


「あら、アリサ。ありがとうございますわ」


「お疲れなのは分かりますが、その顔はだらけすぎかと思いますが」


「だってカローナ様と初のコラボ配信に続き、思わず抱き締めてしまったのですわよ? 分かります? カローナ様めちゃくちゃいい匂いしますのよ! めちゃくちゃ暖かくて柔らかいのですわよ! そのうえ騎士装備が似合いすぎてイケメンなのですわよ! んんんんんっ! 生き甲斐推しっ……!!」


 アリサと呼ばれたメイドは、限界オタクのように荒ぶる主人を冷めた目で見ながら、テーブルに置きかけていたハーブティーを避難させる。


 5時間もぶっ続けでゲームをして、よくここまで体力が残っているものだな、と……



「カローナ様のことが好きということは分かりましたが———」


「分かってくださいますわよね! アリサもぜひカローナ様の動画を見てくださいまし!」


玲子れいこ様、先に栄養補給———」


「最近のだと、カローナ様が『ヴィクトリアン』シリーズ装備をお披露目したものがお薦めですわよ! その後のハクヤガミ戦も見ごたえ抜群ですし、満足できますわよ!」


「いや、だから———」


「もっと前のものですと、『悪嬢転生』シリーズの2作目がお薦めですわね。カローナ様の渾身のロールプレイが——」


「話を聞けぇっ!」


「っ!?」


「とりあえずサプリメントを飲んでください。思ったよりエネルギーを消費しているのですから。水分補給もお忘れなく。髪が乱れています、整えますのでこちらにお座りください。さぁ早く」


「は、はい……」



 アリサの圧力に負けた玲子セレスは、おとなしく鏡の前に座り直す。借りてきた猫のようにしゅんとした玲子セレスに、アリサは『やってやった』とばかりに鼻息を鳴らすと、てきぱきとした手付きで髪をとかし始めた。


 玲子セレス自身も気圧されたのは最初だけで、いつものことだとばかりに落ち着いた様子でハーブティーを口にする。


 ほんのりとした甘味と爽やかな香りが、バトル続きで張り詰めていた気が解していく。



「さすがアリサ、今日のハーブティーもお見事ですわ」


「お粗末様です……今日は早めに寝てくださいね? 動画の編集をするのでしょう?」


「ぅ……まぁ、未編集のものが溜まっていますもの」



 配信者としてもアネファンプレイヤーとしても、スペリオルクエストを逃す手はない。

 が、突如始まったそれに参加するため、一日の予定を大幅に修正したことには違いない。


 おまけに5時間近くも拘束されれば、やりたいこともできなくなってしまうだろう。



 とはいえ一日の予定を全て白紙に戻したとしても、玲子セレスにとっては黒字も黒字といったところだ。



「止めても無駄なのでしょう?」


「もちろんですわ! わたくしを見に来てくださっているファンの方々は大勢いますもの。わたくしはもちろん期待に応えますし、明日も配信しますわよ? わたくしは配信者なのですから」


「何度も聞いていますから、分かっています。無理だけはなさらぬよう」


「もちろん、アリサが心配するようなことはしませんわ」



 アリサも玲子セレスと付き合いは長い。

 彼女が誇りを持って配信者をやっているのは知っているし、それを途中で曲げたり放り出したりしないのも理解しているつもりだ。


 だからせめて配信に集中できるようにと、アリサは玲子セレスの身の回りの世話に集中するだけだ。



「私はそういったことは苦手ですので、お力になれずすみません」


「いえいえ、それ以外ことを全て任せているんですもの、これ以上は求めませんわ」


「ふふ……玲子れいこ様は私がいないと生活できませんね」


「ひ、否定できませんわ……」


「さぁ終わりましたよ」


「ありがとうございますわ! 相変わらず、アリサがセットすると完璧ですわね!」


 アリサにより一層艶やかさが増した銀髪に触れながら、鏡の前で華麗にターン。ふわりと浮く銀糸の髪に、アリサは思わず頬を染めて見惚れてしまう。



「ところでアリサ、一つお願いしても?」


「えぇ、もちろんです」


「これをプリントアウトしてくださらない?」


「これは……?」


 玲子セレスがアリサに手渡したのは、一枚のSDカード。この中になにやら入っているのだろう。



「これは、私の宝物ですわ」














 その後、玲子セレスが動画編集を終えたのは日付が変わってしばらく経ってからであった。


 ふぅ……と息を吐いた玲子セレスは、机の片隅に置かれた写真立てを見て途端に蕩けた表情に変わる。



「明日も頑張りましょう、カローナ様♪︎」



 玲子セレスがにまにまと眺めるその写真には、スペリオルクエストを終えカローナと2人で撮ったツーショットが納められていた。

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