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第15話 裏社会のひよっこたち

とある一室でキーボードの打音がなっている。真っ暗な部屋はパソコンの液晶のみが光源であり、人影をぼんやりと映し出していた。


「狐桜、バックドア」


「今やってるよ、あと10秒待っててね」


依然として外が騒がしい。階下で足音が一つ鳴り出した。煙筒を使ったボヤ騒ぎも収束しつつある。


「できた!狐、撤退して。元通りにしてからね」


「分かってる」


僕はセキュリティソフトを立ち上げて、動作完了の通知が出るのを待った。


「誰だ!こんないたずらをする奴は」


この家の主人が喚きながら荒々しく床を踏み鳴らしている。それは階段を上がる音に変わり、次期に三階の僕のいる部屋に到達するだろう。


(まだかなぁ)


パソコンの駆動音が一段と高くなった。画面に完了通知が届くと、僕はクリックをしてすべての用事を済ませた。


開け放たれているスライド式の窓から樋に捕まり、その体制のまま足で窓を閉じる。両腕に力をこめて屋根面まで身体を起こしてよじ登った。ほぼ同時に僕がさっきまで居た部屋で人が動いている音が聞こえる。


(間一髪だな)


屋根伝いに足音を殺して五棟を飛び越えていく。都内の分譲地は敷地も狭く、家同士が本棚の書籍のように積まれている。勾配さえ緩ければ足場がなくとも飛び移れる。塀から垂らしてあるロープをクライミングの要領で昇っていく。未開発の建築現場から垂らされたロープを回収して、僕の仕事は終了だ。


「終わったようね。お疲れ様」


「どうも。後のことは任せたよ」


「任された」


彼女の返答からは余裕を感じられる。一緒に何件か裏稼業をやったが、彼女は裏方として優秀だった。情報処理に長けたオペレーターであり、システム操作にも知見がある。


「私が外部からハッキングできれば一番なんですけどねぇ」


「そのうち出来るようになるでしょ、君なら。それに、今のやり方でも十分だよ」


「あなたが強引に脆弱性を作って、私がバックドアを仕掛ける。まあ目的は達成できてるけど、危険な仕事よねぇ」


「裏稼業なんて危ないことばかりだよ」


僕らは現在クラスメイトの家にハッキングを仕掛ける体制を整えている。とはいえ、この家が事実上、最後の家だ。クラスには僕らを除いた38名がいる。その内34名の生徒の家に侵入してきた。


「さて、残りの四家はリアルでなんとかするしかないね」


桜蓮学園は名門である。その設立に深くかかわった名家が五つ。


宗明そめい家、空谷そらたに家、高円宮たかまど家、御子柴みこしば家、御厨みくりや家、である。それぞれの子々は偶然にも同じ年に生まれた。そして、必然的に同じ学校、クラスになった。


宗明家を除いた四家は侵入も困難であり、プロのハッカーでなければ掌握できない。刺客がクラスメイトにいた場合が非常に厄介である。だから僕はクラスの子達の家に侵入し、いつでも情報を抜き取れるようにした。


「翼君は大丈夫そうですけどね」


「そうだな、あいつはいい奴だ」


空谷家の息子、空谷翼は僕の友達だ。気さくで正義感が強い。彼が刺客とは思えないが、まだ二ヶ月の付き合いだ。油断はできない。


「高円宮さんも問題なさそうだね」


「もちろん!めぐは面白いし、優しい人よ」


高円宮家の娘、高円宮愛夢めぐむは彼女の幼馴染だ。自己紹介の時に真っ先に驚いていた子でもある。


「あとの二人も女の子だ。できれば僕がコンタクトを取りたいが……」


「あの二人なら任せて」


「差しでの対面は避けるんだよ。もし刺客だった場合、どうなるか」


「大丈夫大丈夫!私、マドンナなので」


(自信たっぷりなことで。まあ基本的に僕が側にいるから、そんな対面はなかなか訪れないが)


「そうかい、任せたよ」


「任された」


僕らは笑いながら言った。無線越しでも彼女の笑顔が浮かぶ。全て順調のように思えた。僕は仕事も終わって気持ちが良かった。浮足立って帰路に向かっていた。


「それじゃあ狐桜、今日はここで解散としよう」


「あら?狐が帰るまで通信しててもいいんだよ?」


「もう遅い時間だ。休める時は休むんだ。これ裏稼業の常識」


「了解。そうね、隠れ家まで近いし、お言葉に甘えて」


「うん、おやすみ」


「おやすみなさい」


通信を切ると静けさが押し寄せてくる。


(この辺りは人がいなくて本当にいい)


錆びれたお寺からコオロギのさざめきが聞こえる。


(もう夏が近いのか)


耳をすませて立ち止まっているとお寺から別の音が聞こえた。


「景気が良さそうだな、狐」


僕は喉が一瞬詰まるような感覚を抱いた。明らかに、こちら側の人間だ。恐る恐るお寺の闇へ目を向ける、姿は見えない。


「そう警戒するな。太狸の子分、仕込狸だ」


「仕込か!」


僕は声を忍ばせて言った。


「無事だったんだな、太狸はどうなった?」


「つのる話だ。境内で話そう」


僕は懐からドスを取り出して中に入った。


(万が一ってことも、な)


仕込狸とは面識がある。太狸の一番弟子だった。親方に似て、おなか周りが膨らんでおり、商い上手な印象がある。


寺中の奥から灯が漏れていた。そこから手影が手招きをしている。用心深く近くへ移動し、僕は物陰から声をかけた。


「仕込狸、顔をみせちゃくれねぇか」


「相変わらず、感心なことで。外でボケっとしてたもんだから、牙が抜けたもんだと思いやしたよ」


不敵な笑い声とともに仕込狸はその身体を陰から出した。


「……瘦せたな」


「あぁ、痩せたさ。親方が下手打っちまったからな。どうやらおいらはまだ、一人前じゃなかったらしい。てめぇのくいっぷち一つ、稼げてねぇのさ」


ぼってりした腹は健康的なウエストラインになっていた。顔は肉が削げ、したくもない外回りのサラリーマンに見る幸薄顔をしていた。


「約二か月だ……親方が連れていかれて二か月、おいらはひもじい生活を送ったぜ」


「何か食べ物を持ってこよう。すぐ近くに僕の隠れ家がある。待ってろ」


「そいつはおありがてぇ。だが、少し話をしよう。お前さんが行って戻ってくるまでの間、おいらが飢え死ぬとも分からねぇんだ。その前に伝えてぇことがあるのさ」


「なんだ、伝えたいことは」


「お前さん、宗明家の主人と懇意にしてんだろ」


「あぁ、彼の大事なモノを守ったことがあるんだ」


「はぁ、そいつとは今もつるんでるのかい?」


「そうだ」


「そうか……そうか……」


仕込狸は希望と絶望とが混じった表情を見せた。顔の皮がずり落ちそうになりながらも、目だけがぎらついている。


「宗明彰だが、奴に懸賞金がかけられた」


「なに⁉」


僕はこの先のことを考えた。詩乃と、彼女の父親が笑って過ごす未来に、確実に迫る魔の手を見た。

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