第8話 続・最後の裏稼業
「振り込まれてない……」
宗明家での怪我の治療は五日かかった。傷も完治し、これからのことを考えていた。仕事の報酬はというと……
「振り込まれて……ない」
通帳アプリを何度も更新するが、それは徒労であった。今回の依頼は仲介人越しの取引だった。【
(それが電話もつながらないか)
僕はカーテン越しに外を見た。窓の開閉が許され、新鮮な空気が芯まで突き抜ける。この五日間で会ったのは女中と医者がほとんどで、彼女の父親には2回会って話した。詩乃さんの姿は一度も見かけなかった。
最後に父親と話した日の別れ際、彼はこういった。
「太郎医師から翌月の一日には身体を動かしても問題ないと伺っている。君と大事な話がしたい。その日になったら呼びに行く。よいですね、狐」
彼は僕を狐と呼んだ。捨て駒のように扱われたが、彼には守るべきものがあり、行動として最善を尽くしたのだ。そこに倫理としての善悪は必要ない。僕は彼を非難しないし肯定もしない。
(ただ己ができることをやったまでだ)
きっと彼もそう考えて、行動しているはずだ。僕は彼女の父親にそういった判断を下した。
約束の日はきた。どんな話をされるやら。
「憐君、調子はいかがかな」
ノックと同時に彼女の父親からそう問いかけられた。
「良好です。話し合いは十分にできます」
「そうか」
少し間があいたと思ったら、父親はドアを開けて右手で招くように誘った。
「では私の後についてきたまえ、ウラ・ベンリ屋の狐」
「御意」
僕は今まで寝たきりの人間とは思えない、軽快な体配で後を追った。
(仲介人を通して僕に依頼したのはこの人だ。八桁報酬の件、必ず片を付ける。こちらは護送したんだ、筋は通してもらいますよ)
僕は戦う姿勢を如実に瞳であらわした。
招かれた場所は応接室であった。黒茶を基調とした親しみも、その裏にある約束を守らせる怖さ、のような圧を感じさせる部屋だ。書斎が存在感を放ち、テーブルをはさんで二つのソファが置いてある。
僕は勧められた方のソファに座り、父親は書斎のルームチェアに腰掛けた。
「さて、まずは改めて感謝を伝えたい。君のおかげで私は金庫の中にある大切なモノ達を失わずに済んだ。本当にありがとう」
「恐縮でございます」
「君はベンリ屋と聞いている。金さえ積めば何でもやってくれるとか」
彼は探るような目で僕を見た。この手の人間は一目見ただけで相手の人間性を見抜く。僕は何一つ感情をごまかさずに見返した。
「何でもやります」
「そんな君に依頼したいことがある」
「恐れ入りますが!」
僕は語気を強めた。彼は僕の変化に鋭く眉を詰めた。寄った皺が彼の威厳をさらに強調する。
「私は件の報酬を受け取っておりません。まずはそちらを処理してから依頼を頼むのが筋ではありませんか?このままでは仕事をしてもマイナスです。それはご理解いただけますね」
声色を元に戻して、努めて冷静に言い放った。彼は理解しかねる、といった面持ちだ。僕は腹が立ったが、腑に落ちない点もある。
「私は確かに報酬を払ったはずだが、【
(そう、あなたはそういう人だ。契約は守る人だ)
廚鼠とは太狸の子飼いである。何度か会ったが、どうにも好かないやつだと記憶している。
「受け取ってません。一銭たりとも」
彼はますます厳しい顔つきになり、考えるように俯いた。何かを思い至って僕の側へ来ると、彼は自身のスマホを見せた。
「……確かに、廚鼠とのやりとりですね。ッ!300万?!桁が1つ足りません!」
僕は思わず声を荒げた。念のため振込履歴も見せてもらったが、この父親が責務を通したのは確かだった。
僕も太狸とのやり取りを見せた。とはいえ彼とはダークウェブ上で連絡を取り合っている。直接サイトを見せるのは匿名性を著しく損なう。文字だけメモアプリにコピペしてみせた。
「……なるほど、確かに君の言った通りの額だ。君だけはめられたとみるべきか」
「太狸は信頼できるやつです。僕と彼がはめられたのでしょう」
電話が繋がらないのは彼の身に何かあったと考えるべきか。今考えても仕方がない。僕は悔しさで腸が轟々と煮えたぎった。
(僕の人生設計が、全てパーだ!)
握りこぶしをわなわなと震わせた。その様子を見ていた彼は落ち着いた身振りで書斎に戻っていった。その仕草が無性に苛立ち、鋭い目線を送った。
彼はルームチェアを通り過ぎ、奥の窓へ近寄った。そして僕に言った。
「狐、君の気持ちは分かる。私もビジネスマンだ、これは常軌を逸した取引だ。君は君自身の損害に対して何も落ち度はない」
僕はあとの言葉を待った。好意は伝わる。それでも、やはり彼はビジネスマンだ。
「だから私が君に依頼することは筋違いである。しかし、君の稼ぎになることは保証しよう」
(あなたならそういう。たとえ低レートの取引だろうが、僕に吹っかけるだろう。僕が断れないのをいいことに)
太狸という優秀な業者を失った今、僕は目の前の仕事にすがるしかない。自分の足で仕事を取るのは非効率だから。
「私は君に3000万円で依頼したいことがある」
「……まじっすか」
僕は目を輝かせた。先ほどまでの敵意はすぐさま身体の後ろに放り投げた。
(3000万円を上回る価値があるんですね、その依頼には!)
僕は何でも来いと思った。やってやる。今度こそ、これを最後の裏稼業にしてやる!
「おおまじさ……君には……我が愛娘、【宗明詩乃】の護衛を依頼したい。あの娘が高校を卒業するまで!!」
「まじっすか……」
僕はなんとも言えない気持ちになった。こういう気持ちはなんて言えばいいんだろう。
(あぁあれだ。波瀾万丈、奇々怪々、奇想天外、吃驚仰天!ってやつだ)
僕は引きつり笑いを浮かべながら
「喜んで」
と言っていた。
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