3

 とても奇妙なことが起こった。


 私は戦慄していた。


 その日、アパートへ帰ると、部屋のドアノブに何かか提げてあった。それは、ピンク色の薔薇をあしらった、ギフト用の可愛らしい手提げ袋だった。


 私は眉根を寄せる。


 なぜ、こんな物がここにあるのだろう。中身は入っているみたいだけど……。


 もしかすると、誰かが間違えて提げて行ったのかなと思った。あるいは、訪問販売か何かの差し入れか。


 私は中身を確かめた。


 そして、その中身が『何なのか』に気が付いた私は、全身に粟を生じさせた。通常、そんなものを、他者の部屋のドアノブへ提げることなど、ありえなかった。


 それは、生理用ナプキンだった。それも、私が愛用している製品と全く同じ、スリム型の羽なしナプキン。


 私はしばらく、硬直したまま、それを見つめた後、周囲を見渡す。ここから見えるアパート周辺の景色は、いつも通りで、私の方へ視線を向けている人間はいなかった。




 私は、鳥肌が立っている腕を撫でた。全身、同じだった。暖かくなってきたにも関わらず、まるで突如吹雪に襲われたかのように、体中が凍えていた。


 私は慄く。何が起きているのか理解出来ない。


 背筋に、冷たいものが流れた気がした。


 私は、弾かれたように、ナプキンが入った手提げ袋をドアノブから外し、持ったまま部屋の中へと飛び込んだ。


 鍵を掛け、玄関の上がりかまち部分に座り込む。


 息を整えた後、改めて、手提げ袋を見てみる。


 中身はやはり生理用ナプキンだった。他には何も入っていない。


 私は考えた。これは一体何の目的があって、私の部屋のドアノブに提げられたのか。


 近隣住民の間違い? いや、それは違うと思う。なぜなら、私が愛用しているナプキンと全く同じものが用意されていたからだ。


 その上、このギフト用の手提げ袋。


 これらは間違いなく、私に宛てた、プレゼントとしての意味合いを持つものだった。


 そして、何より恐ろしいことがある。


 そのタイミングだった。私の生理が、そろそろ始まる。まるでそれに合わせたかのような『贈り物』だった。


 つまり、これの送り主は、私の生理周期を把握していることになる。それが事実ならば、吐き気を催してしまうほどの、極めて強い嫌悪感を私に与えるのだ。


 私はその日の内に、手提げ袋ごと生理用ナプキンを処分した。


 その後も私は、黒い大きな不安を抱えたまま過ごし、朝を迎えた。




 

 私の部屋へ生理用ナプキンが届けられてから、五日が過ぎた。


 私の中に生じた黒いモヤモヤは、少しだけ小さくなっていた。


 あの日、あんなことがあったせいで、私は強い疑心暗鬼に捕われた。周りの人間全てが、犯人に思えた。


 それでも私は、平常を装い、普段通りに振舞った。もしも、犯人がこの大学にいて、私の様子を観察しているのだとしたら、落ち込んだ姿を見せるのは、相手の思う壺だと考えたからだ。


 だけど、そのせいで、私はなかなか人にこのことを相談できなかった。誰も私の傷付いた心情を察してくれなかった。皆、いつも通り、気軽に話し掛けてくるだけだった。


 一人を除いて。


 アズミは違った。


 アズミはちゃんと、私の様子が、普段と違うことに気付いてくれていた。精一杯、平静を装っていたにも関わらず。


 私はアズミの気遣いに、泣きそうになった。やっぱり、アズミは一番大切な友人だ。


 私は、周りに誰もいない場所で、アズミに相談した。


 全てを話す。生理用ナプキンが届けられていたこと、それが、私の愛用する製品であったこと、そして、届けられたタイミングが、生理直前であること。つまり、送り主は、私の生理周期を把握しているということ。


 私が話を進めるごとに、アズミの顔が、次第に曇っていき、やがて嫌悪感を露にした表情へ変化した。


 「キモい」


 アズミは、私の相談を一通り聞き終えた後、開口一番、そう呟いた。


 私は頷く。本当にその通りだった。生理的に受け付けないほどの、気持ち悪さだ。


 「犯人に心当たりは?」


 アズミの質問に私は首を振る。本当だった。私の周りに、そんなことをしそうな男子はいない。かと言って、近所や周辺住民までその範囲を広げると、それこそわからなくなる。もしかすると、犯人は、私の知らない人なのかもしれないのだ。


 その後、私達は、これからについて話し合った。


 今のところは、取り合えず、起こった出来事はナプキンの件だけなので、様子見が適正だと結論に達した。しかし、充分に警戒した上での話だ。そして、必要なら、引越しも考える。


 警察に相談する案も出たが、証拠となる物品は捨ててしまっていた。だから、証拠無しでは、警察は動かないので、今は保留するしかないとの結論だった。


 そして、アズミは最後に、いつでも相談に乗ると約束してくれた。私はとても嬉しかった。


 例の件があって、五日過ぎても、何も起こらなかった。それに、アズミにも相談ができたお陰で、私の心は、随分と軽くなっていた。




 

 今日の昼、大学にいた私に、電話が掛かってきた。掛けてきた相手はユウキだった。


 ユウキは以前、アツシのライブに行った際、連絡先を交換した別のバンドグループの人だ。アツシは、彫りの深いイケメンだが、ユウキは、V系バンドらしい、綺麗な顔立ちをしたイケメンだった。私は、一目で、ユウキを気に入った。


 ユウキは今日、長崎市内のクラブハウスでライブをやるみたいだった。それに私を招待してくれると言ってくれた。


 私は喜んで、それを受け入れた。ライブは夜からだったので、充分時間が作れる。

 すると、ユウキは、ある提案をした。本番に向けてのリハーサルの見学を勧めてくれた。楽屋へと案内してくれるらしいのだ。


 そのためには、今から大学を早退し、長崎市内へと出掛ける必要があった。


 私は少し悩んだけど、ユウキの招待を受けることにした。今日の午後は、大切なコマはないので、休んでも単位習得にはそこまでひび響かないはずだった。


 そして何より、ユウキの招待が嬉しかったし、他のバンドマンとも仲良くなりたかった。


 私は、大学を早退し、アパートへ戻った。部屋に入り、身支度をする。今日は、少し、気合を入れたい。


 部屋のクローゼットから、色々なタイプの服を取り出し、コーデに頭を悩ませる。ユウキはどんな服装が好みだろう。私はユウキの整った顔を思い出しながら、服を選んだ。


 ついでに、下着も履き替え、準備がある程度済んだところで、私の目におかしなものが映った。


 勉強に使っている、机とセットになった椅子の上だ。


 そこに、針金のようなものが置いてあった。


 私はそれを摘み上げ、よく見てみる。


 それは、どうやら、クリップのようなものを、引き伸ばしたものだった。


 私は怪訝に思う。こんなもの、私は知らない。なぜ、これがここに落ちているのだろう。


 少しだけ考えたところで、ハッとし、机の一番上にある、引き出しに手を掛ける。そして、手前に引いた。


 本来鍵が掛かっているはずのその引き出しは、何の抵抗もなく、あっさりと開いた。


 私は大きな不安に包まれた。ここが開いているのはおかしい。私は、必ずここの鍵を閉めている。


 私は、引き出しの中を確認した。中には、日記帳や、スケジュール帳、それに預金通帳などが入っていた。


 そのどれもが無事だった。荒らされた形跡はない。


 これは、私の閉め忘れなのだろうか。


 私は、ダコタのキーケースから、机の鍵を取り出し、施錠した。


 そこで、ふとあることを思い出す。


 そう言えば、十日ほど前、この部屋の鍵を無くしたことがあった。鍵は、その日の内に学生課に届けられており、部屋に入れないというみじめな事態には陥らなかった。


 その時は、てっきり、私のミスで鍵を落としたものだと思っていたのだけれど……。


 私は急に寒気がした。安全のはずの自分の部屋が、急に猛獣の巣の中へと変貌したようだった。


 以前聞いた都市伝説を思い出す。ある女性が、友人と共に部屋へ帰宅する。部屋で友人と共に寛いでいると、友人がコンビニへ買い物に出ようと言い出した。その様子が必死だった。女性は怪訝に思いながらも、それに従い、部屋を出る。そして、コンビニへと辿り着いたところで、友人はこう言ったのだ。


 ――部屋のベッドの下に、男がいた。


 その男は、ストーカーで、女性が帰宅する前から、部屋に潜んでいたのだ。


 私はベッドを見た。ただの都市伝説だが、とても気になる。私はベッドの下を覗こうとした。


 その時、スマートフォンの着信音が鳴り響いた。寒気がする部屋の雰囲気に似つかわしくない、明るいメロディ。


 発信元を確かめると、ユウキからだった。


 私は電話に出る。ユウキの透き通るような声が、私の耳を撫でた。


 ユウキは、私のことを気にして電話を掛けてきていた。ユウキの声は、本当に心配そうな声に包まれていた。


 私は嬉しくなる。ユウキは外見だけではなく、中身も素敵だ。


 私は、部屋の時計を見た。待ち合わせの時間が迫っていた。いつの間にか、かなり時間が経っていたようだった。


 準備はほとんど済んでいたため、私はユウキと電話で会話をしながら、部屋を出た。

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