第九章 あなたは僕のもの
アズミが死んだという話は、翌日、大学で大きな話題となっていた。何でも、昨夜、料理中に火事を起こし、燃え広がったらしい。
アズミの住むアパートはそのせいで、全焼したようだ。深夜にようやく鎮火され、遺体が見付かったらしい。幸い、出火した時刻がまだ早めだったお陰で、アズミ以外、犠牲者はいないようだった。
朝のニュースで、そう報道されていた。
大学構内でも、アズミの友人達は動揺を見せており、泣いている者もいた。千尋も同じく、涙を流した。
僕は必死に千尋を慰めた。千尋は心優しく、あんな女でさえ、悲哀の心を向けるのだ。僕は、心を打たれた。
千尋を慰めている時も、周囲の男子学生達は、興味有り気に僕達を見てくる。その目には、自分も千尋を慰めてやりたい、という気持ちがこもっていることが、易々と見て取れた。
午後になると、千尋は随分と落ち着きを取り戻した。悲観丸出しのアズミの友人達は、すっかり元通りになり、笑顔さえ見せるようになっていた。
警察の発表によると、事故と事件の両方から捜査を開始しているようだった。しかし、何もかも燃えてしまったため、検証に難航しているのだとニュースは伝えていた。
僕の望む通りに事は進んでいた。僕は少しだけ、怖くなる。都合の良い展開が続くと、その先に、不幸が待っている気がしてならない。杞憂かもしれないが、心の中に、しこりに似た、妙な不安が残っていた。
しかし、それも千尋と僕を隔てる障害がなくなったことを考えると、取るに足らないことだ。千尋はさらに僕に心を許した。千尋がより近くになったのだ。下らないことで頭を悩ませることは、愚の骨頂だった。
そして、ようやく、僕にとって、最大の幸せが訪れようとしていた。
「千尋が少し元気になってくれて、本当によかった」
僕は、目の前のテーブル越しにいる千尋へ向かって、そう言った。
「あなたのお陰よ。色々と心配してくれて、ありがとう。もう私は大丈夫」
千尋は、憂いを帯びた笑顔を作り、そう口にする。そこに、気遣いや思いやりのような感情があることに、僕は気が付く。
千尋は特に、アズミと仲が良かった。その傷心は、人一倍大きいはずだ。決して強がっているわけではなく、純粋に心配を掛けたくないという思いでの言葉だろう。
僕は千尋がさらに愛おしくなった。なんて素敵な人なんだ。
閉め切った僕の部屋は、温度が高かった。蒸し暑さがある。だが、それ以上に、僕の中に、熾火のような熱が生まれていた。蒸し暑さも、その熱により、気にならなくなっている。むしろ居心地がいい。千尋も同じ気持ちらしく、窓を開けようとは言わなかった。
「アズミ、今頃天国にいるのかな」
千尋はポツリと呟く。
僕の中のアズミは、決して天国へと招かれるような人間ではなかったため、肯定したくないが、千尋を気遣うためだ。僕は頷いた。
「うん。今天国で僕達を見守っているよ。きっと。多分、アズミは千尋に感謝しているんじゃないかな。仲良くしてくれてありがとうって」
僕の言葉に、千尋は悲しそうな顔をした。目の端から、透明な液体が流れ落ちる。
「うん。そうだったらいいな」
千尋は同意する。最後辺りは、涙声で、掠れていた。
「きっと、そうだよ」
僕は精一杯の優しい声で、千尋に声を掛ける。
「側に来て」
千尋は、そう言った。僕の心臓が、大きく脈動する。頭が熱くなるが、必死に抑えた。
「うん」
僕は立ち上がり、千尋の隣に座った。千尋はじっとして動かない。僕は、以前と同じように、ゆっくりと千尋の肩に手を回して、抱き寄せる。
千尋は僕に身を委ねていた。全てを任せるという、千尋の信頼が、肩越しに伝わってくる。
僕は、千尋をそっと押し倒した。千尋は、なすがままに、仰向けになる。
僕は、優しく千尋に口付けを行った。
千尋の目に、熱い情熱が宿ったことを僕は悟った。
僕は、千尋を抱きかかえ、ベッドへと連れて行く。
そして、仰向けに寝かせると、白のフレアワンピースのボタンを外していった。
そうして、フレアワンピースを脱がし、下着姿になった千尋に再度、口づけをした。そこに、少しの抵抗も感じられなかったため、僕は千尋の下着に手を伸ばす。
壊れ物から包み紙を剥がすように、優しく千尋の下着を脱がしていく。
全裸になった千尋の姿を見て、僕は思わず息を飲んだ。
以前、アフロディーテが描かれたサンドロ・ボッティチエッリ作の絵画を見たことがある。陶器のような肌に、均衡の取れた美しい肉体。見るもの全てを魅了するその姿は、まさに、その絵画から抜け出てきたかのようだ。
僕も、自分の服を全て脱ぎ、全裸になった。
千尋の豊満で形の良い胸を、舌で愛撫する。千尋は微かに声を漏らした。
僕は、千尋の手を取り、自分の胸へと導く。
僕の胸は、千尋に比べて、小ぶりだが、形は悪くないはずだ。自身の痩せた体に比べれば、むしろ相対的に大きいかもしれない。
僕は、一通り、千尋に胸を触らせた後、再び、千尋に口づけををする。唾液を欲しがったので、与えた。
僕は、千尋の全身に舌を這わせ、愛撫した。千尋は僕の舌が、肌を撫でる度に、甘い声を出す。それを必死に抑えているようだが、堪えきれないようだ。その仕草が、どうしようもなく、愛おしい。
僕は、自分の膣口を千尋に触らせた。僕の膣は、愛液で溢れ返っていた。涎のように、垂れている。千尋は、それに構わず、優しく触ってくれた。
僕は処女だった。他人に性器を触られたことがない。その『初めて』が千尋だったのは、とても光栄だ。
そのお礼に、僕は、千尋の股間に顔を近付け、膣口を舐めた。さらに、指で押し開き、中まで舌を入れる。千尋も興奮しているらしく、ひどく濡れていた。糸を引く愛液が、次々に溢れ出てくる。
欲情を刺激する千尋の匂いが、僕の鼻をつく。とても素敵な匂いだった。まるで薔薇の花のように、甘く、切ない香りだ。一介の香水など、足元にも及ばないだろう。
僕はその後も、千尋の全身を愛撫し続けた。やがて、千尋の体が、僕を受け入れるよう準備が整ったところで、自身の膣を、千尋の膣へ擦り付けた。
切ない快感が押し寄せる。そのまま腰を振り、お互い喘ぎ声を発した。
そして、やがて僕は、絶頂に達する。
千尋の顔を伺った。千尋も、うっとりとした表情をしている。どうやら同じく絶頂を迎えてくれたようだ。安心した。
僕は火照った体のまま、千尋を強く抱き締めた。
日が落ち、薄暗くなった部屋の中で、僕達は未だに抱き合ったまま過ごしていた。部屋の中は静けさに包まれ、締め切ったカーテンの隙間から、薄い日の光が差し込み、部屋を青く染めていた。
部屋の外から、表を通る車のエンジン音が、微かに聞こえてくる。
千尋との性交により、熱を帯びた体は、今は冷えていた。日が落ちたため、部屋の中も温度が低くなっている。
まるで深海にいるような、静寂と冷たさが、部屋の中に漂っていた。寂寥感があるが、隣に千尋がいるお陰で、心の中にある仄かな温もりは、決して消えることはなかった。
僕は千尋を抱き締め、これまでの出来事を反芻する。
こうやって千尋を手に入れるために、僕は様々なことを行った。手すら汚した。おそらく、天から見れば、僕は地獄に落ちる業を背負ったのだろう。
だが、僕は少しも後悔をしていない。あの日、千尋を一目見た瞬間に生まれた、身を焼き尽くすような情動は、僕を愛の深淵へと突き落としたのだ。これは僕の意思では、どうすることも出来ない。まさに、愛に囚われたアポロンそのものだ。
僕は思う。今、僕は幸せだ。これまでの灰色の人生で、今こそが、幸福の絶頂だった。
僕が女でありながら、千尋は受け入れてくれた。千尋は、決してレズビアンではなかったはずだ。それなのに、僕と結ばれる選択をしたということは、そこに男女の垣根を越えた、強い愛があったということなのだ。
それは、この世のどんな愛よりも、素晴らしいことのように思えた。生殖も、お金も、ステータスも介さない、純粋な愛。アフロディーテが与える愛よりも、より崇高で、美しいものだ。
僕は、千尋に愛の言葉を語り掛けた。千尋はそれにちゃんと答えくれる。
部屋がさらに暗くなり、夕闇に包まれかける。ニュクスは到来し、情熱的な夜の世界が訪れようとしているのだ。
僕達はお互い愛を語り続ける。やがて、闇が訪れた時、僕は千尋に言った。これは宣誓だ。愛の誓い。千尋は受け入れてくれるだろう。
「千尋、誓ってくれる? 何があっても、僕の側を離れないと。絶対に裏切らないと心から誓って」
僕の言葉に、千尋は頷いたようだった。暗闇でも、わかる。
そして、僕は続けた。
「だから、もしも――もしも、僕を裏切ったらあなたを必ず刺し殺します」
「覚悟して」
僕は本気でそう言った。
赤い薔薇が、部屋の外から舞い込んだ気がした。
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