こよなき悲しみ 第六話 求めしもの
かねむ
Ⅰ
墓守のトビアスが亡くなった前任者の墓穴を掘り終える頃、日は既に西へと沈みかけていた。大陸の北西、ユンバーの湿地に墓穴を掘ることは、十五になったばかりのトビアスにとって至難の業だ。湿った土は重く、掘り進めるシャベルがへし折れそうなほどで、棺桶が収まる穴をひとつ掘るのに半日近くかかった。
作業を終えて穴から這い出ると、夕陽が目に飛び込んでくる。ずっと下を見て働いていたので、橙の光はひどく目に染みた。目を慣らし、黄昏色に染まった共同墓地を見渡すと、遠くの方にある入り口に荷馬車がやってきて、乱雑に棺桶を置いて去っていくのが見えた。形だけの葬儀を済ませ、師の骸が教会から戻ってきたのだ——トビアスは葬儀に参列しないよう、予め神父に告げられていた。
きっと寂しい葬儀だっただろう。ただでさえ忌避される墓守である上に、師はおそろしく偏屈だったのだから。葬儀を教会で執り行ってもらえただけでも幸運だった。木製の粗末な棺桶の蓋を開いて確かめると、トビアスが亡くなってすぐに防腐処理を施していたので、師は生前とほとんど変わらない姿を保っていたが、馬車に揺られたせいで手脚があらぬ方向に曲がっている。死してなおしかめ面の師が、棺桶の中で踊り狂ったように見えて、トビアスは思わず笑ってしまった。
「わ、笑っちゃって、ご、ごめんなさい。おやっさん」
死人が起きて叱責するわけもないのに、トビアスは反射的に詫びていた。
棺桶を墓地のはずれにまで引きずり、掘ったばかりの穴に降ろす。棺桶はぴたりと収まった。泥同然の土をかけ、穴を埋める。埋葬を済ませたところで、トビアスはあることに気が付いた。師の名前が判らないのだ。村人たちは師を『墓守』とだけ呼び、神父はオギー、村長はデニィと呼んでいて、トビアスは『おやっさん』か、『親方』以外の名で呼ぶことを禁じられていた。ある日、間違えて『お父さん』と呼んでしまったときには、耳を真っ赤にした師にシャベルで小突かれた——その時の傷が今も左目の上に残っている。
師の墓は墓標の無い、きわめて簡素なものとなった。
「お世話になりました」泥の底へと沈んだ棺に、そう声を掛ける。悲しく、寂しかったが、それが親しい者を亡くしたからではなく、これから先に待ち受ける孤独を思って湧いた感情だという、その事実が虚しかった。
共同墓地から少し歩き、陽光の届かない森を進むと、ひどく傾いたぼろ小屋が見えてくる。お伽話に登場する悪しき精霊の棲家のような見てくれだが、この場所が代々の墓守に充てがわれた住居——トビアスにとっての家だ。
扉を開けると、馬鹿になった蝶番が金切り声のような音を立てる。沼地の湿気のせいですぐに錆びるので、交換するのも諦めていた。カビ臭い革のコートを脱ぎ、ブーツの泥を落として、暖炉のそばに腰掛ける。火を起こし、吊るしてある鉄鍋に水と、沼で採れたキノコと芋、そして塩と香草を少し入れて煮た。師が『墓守のスープ』と呼んだ、トビアスの得意料理だ。
生前、『見習いがこんなぽんこつじゃ、俺は自分で自分を埋葬しなきゃならんかもな』と言ってトビアスをなじっていた師が唯一認めていたのが、料理の腕前だった。言葉にして褒められたことは無かったが、普段にこりともしない師が、トビアスの料理を食べるときだけは、「うん。うん」と、満足げに唸ったのだった。
出来上がったスープを器によそり、テーブルに二つある椅子の安っぽい方に腰掛けると、トビアスは首からぶら下げた手彫りの聖印を握りしめて目を閉じ、静かに食前の祈りを捧げてから、食べはじめた。
しんと静まり返った部屋に、トビアスがスープを啜る音だけが響く。生前、師は黙々と食事をし、トビアスがなにか言うと機嫌を悪くしたので、食卓はいつも静かだったが、それでも賑やかだったと思えるほどに、独りになってからの静寂は深く、重いものだった。
食事を済ませ、ほかにやることも無いので、物置同然の狭苦しい部屋に備えられた、がたがたの寝台の前で跪く。主寝室には師の使っていた少し上等な寝台があるが、わざわざ寝床を変える気にはならなかった。首にかけた手彫りの聖印を握りしめて、目を閉じた。
「天のお父さま。今日もご飯が食べられて、こうして眠れることをありがとうございます」
毎晩の習慣であるお決まりの祈りを、声に出して唱える。教会が教える祈りとはまったく異なる自己流だったが、トビアスは夜毎、まるで子が父に話しかけるように祈った。
「今日、僕は親方を埋葬しました……これから独りきりの生活が始まります。どうか僕のそばに居てください……そして一日でも早く、僕をこの場所から連れ出してください。どうか。お願いです」
強い願いを込めて祈りを終える。なんらかの形で創造主が応えるのではと耳を澄ましてみても、聞こえてくるのは湿った森の息遣いばかり。
創造主は今夜もまた、沈黙を守っている。
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