ファン学!! 東京大空洞スクールライフRTA

川上 稔/電撃文庫

▼あらすじ ▼000『目覚めたらダークエルフになっていたことありますか?』編 ▼001『チュートリアルはドラゴンバスターの見学です』編

◇序文


――我ら前を見る者なり

  我ら全ての行動を感情によって始め

  我ら理性によって進行し

  我ら意思によって意味づける者達なり

  我ら何もかもと手を取り

  我ら生き

  我ら死に

  我ら境界線の上にて泣き

  我ら境界線の上にて笑い

  我ら燃える心を持ち

  我ら可能性を信じ

  我らここに繋がる者である



◇あらすじ







◇初期設定



 ――おはよう御座います! 文章作成AIの”美彩PLUS”と申します!


 ――東京大空洞学院の依頼により、”東京大空洞 第四次 最深部到達RTA”に関わる情報を、■■■様の私的権限の依頼により、統計的記録から”物語”として再現開始します。


 つまり過去にあった事件が多過ぎでパンクするから、点在する記録をベースに、文章作成AIの私が推測入れまくって”物語”としてそれを再現するって話です。


 記録は地下東京全域より引き出します。広大であるために時間が掛かります。御了承下さい。


 記述は事変に関係すると判断された人物、時間を追い、表記についてはドキュメント型を別途生成するために、仮想記述者の書式を使用します。


 仮想記述者として、誰を用いますか。



 エッ。

 ――すみません、よく出来たAIなので狼狽えてしまいました。

 アッ、いいですよ。

 個人の好みですからね。

 こっちが口出す処じゃないです。

 ともあれオーケイです。

 これより”東京大空洞 第四次 最深部到達RTA”の内容を”物語”として可能な限り再現致していきます。

 ――”東京大解放”によって地下東京に生じた”東京大空洞”。

 全階層がオープンワールド型の異世界とされるこの巨大ダンジョンは”母無き母”によって管理されていますが、世界を見直す結果となったのが”第四次 最深部到達RTA”です。


 ――話は長くなります。

 ――未だ登場人物達は、第五回、そして六回目のアタックを敢行中ですが、貴方もそこに追いつけるといいですね。





◇『▼序幕』








 目覚めは最悪だった。


「……おおう」


 喉が嗄れているのか、変に声が高い。

 そしてまず見えるのは薄暗い部屋の天井だった。

 六畳の形をした木材テクスチャの天井板に術式シーリング。

 それを支える白い壁。

 窓のカーテンは隙間から朝の光を横に当てて来る。

 それらの色と形を確認して、目が覚めていると理解した。

 今の自分はベッドに仰向け。やや斜め。

 寝汗を今更感じながら息をする。


 ……何か変な夢を見たなー。



 ”自分だけの不安”という言葉をシンプルに広げたような夢。

 そんな印象だけが残っている夢を見た。

 後味は寒気だ。


「キッツ……」


 だけど今は春。

 春だ。

 中学三年だった三月はもう終わる。

 来週から行く高校は決まっている。

 同じように進路のある友人達とは、連日遊びに出ていて、しかし今日は一人。

 弟が彼女を連れてくるというので、今日は早咲きの桜でも見に行こうと、そんなことを昨夜考えていたのだ。


「行くか」



 行こう。

 ついでに進路先を遠くから見るのもいい。

 二年前に男子部が出来た神罰都市-横浜の四法印学院。

 JUAHで知られた学校の工科だ。

 全長500メートル長もある”魔法杖”の開発研究は、川崎に住んでいれば幾度となく目にするもので、推薦枠が取れたのはホントに最高。


 ……機殻箒や最新のガンホーキとか乗れるといいよね!


 空を行く魔女の配送業は、この処で何か法律が出来たらしく、一気に数が増えた。

 もはや時代は東京大解放”後”になったとか、そんな話も見かける。

 まあそのあたり、よく解らないが、じっとしていてもしょうがない。

 着替えよう。

 モーションコントロールで出す壁の表示枠は朝八時。

 両親も起きているだろう。

 それなりに身支度を調えて、


「ん?」


 ベッドから起き上がって、入り口の姿見を見たとき、自分は気付いた。


「…………」


 おかしい、と、そう思った。

 いつもはそこに、日に焼けた頭の悪そうな小僧が映ってる筈なのに、


「……は?」


 寝間着のジャージをめくると、いつもと違うものが見えた。それはつまり、


「何で自分、ダークエルフ(女)になってんの!?」



 これは、何者でもなくなってしまって、だが、どうしようかと、そう思って燻っている自分達の、隠しきれない暑苦しい話。




◇これからの話







◇『▼第一幕』


◇序章




 朝の青い空がある。

 遙か遠く、天井の地形が霞んで見えるが、日も昇り、雲の流れる蒼天だ。

 その下で、白い桜が散っている。

 舞う桜が広がるのは、巨大な街だった。

 市街中央。

 高い駅ビルには”国鉄・地下東京-立川駅”という看板がある。

 そこを中心にして、多くの人影が行き来していた。

 メインは街道だ。

 人の流れは無数にあるが、色としての統一を持っているのは学生達だった。

 雑踏の中、車や航空船の行き来する界隈を抜けて、彼女達の声が響く。

 制服の近くに揺れる表示枠の校章プレート。

 その示す場所が、各員の行き先になる。

 歩きながらの内容はどれもとりとめなく、


「昨日のRTA見た!? リュウカクさん相変わらず人でなしだわ!」


「特務の仕事で飯田橋まで出たら帰りの中間域で私の憑現が気に入らないって顔されてさあ。腹立ったから憑現力チラ見せで」


「御免! 睡眠圧縮符ある!? 二限! 瓶の中で寝る!」


「MUHSの友人から割引チケット貰ったんだけど、行く? 夜の多摩テック」


「アー朝食食ってないんだよ。セルロイド味のアレ、付き合う時間ある?」


 などと何もかも雑に過ぎていく。

 皆の色は大きく分けて三種類。

 白・青・黒。

 その内の一色、白が、北西への道を流れて行く。



 街道。

 立川駅の繁華街から逸れてはいるが、四車線の道路が東から西に延びている。

 南には線路を有する住宅地。

 北には森を壁とした自然公園。

 そんな構図の道上には掲示用表示枠で、


《東京大空洞学院前→立川方面:現在 多摩テック方面渋滞中》


 と、地上の車と空の交通の状況が示されていた。

 そんな街道に沿う歩道。

 その北側、右レーンを森と鉄柵に沿って行く白の少女達の中で、小さな声が生じた。

 それは疑問とも興味とも言える口調の、


「――ダークエルフ?」




「アー……」


 森の中にある学校の正門。

 白い門柱の前でダークエルフはこう思った。

 ええ、そうです。

 転入初日のダークエルフです、と。


 ……明らかに目立っている。


 今朝まで、大空洞範囲と外の境界にある中間域待機場にいたのだ。

 そこで二週間にわたる大空洞範囲への適応訓練を行っていた。

 そして今朝は早い内からこの大空洞範囲に入り、自治体庁舎で住民登録手続きを行ってこちらに来たのだが、


 ……受付で言われたようにタクシー使えば良かったかなー。


 受付ではこう言われたのだ。


「初めてだと入る場所が解らないでしょ? タクシー使った方が安全だよ」


 いやまあ通学時間なので、他の人についていけばいい。

 その流れの中で、学校の雰囲気にも慣れるだろうと、そう思っていたのだが、


 ……目立つねー。このナリは。


 自分の手などを改めて見ていると、声が掛かった。

 通学の皆が、自分の方から一気に視線を飛ばすその声は、


「――転入生! 事務で話は着けて来ましたわ。私が校内を案内しますの」




 牛子、という名の同級生だ。

 初対面。

 自分がダークエルフの憑現者であるのと同様に、彼女はジャージー牛の憑現者だという。

 先ほど、学校に”入る”ことが出来ず、難儀していたのを救けてもらった。


《なかなか面倒ですが

 ガイドがいると助かりますね》


 自治体から配られるチュートリアル表示枠ですら引っかかった”しきたり”。

 それをここまで誘導してくれたのは牛子なのだ。


「ホント、何から何まですまない……」


「構いませんわ。こちらとしても、今日は先輩達のパーティが大空洞RTA入りますから、授業免除ですもの。それまで余裕ありますし」


 ともあれ、と彼女が言った。

 正門前でこちらに振り向き、


「――さて、ここから進めば、もはやまともな生活には戻れませんわよ? お解りですわね?」



 牛子としては、目の前の転入生にはビミョーな興味を感じていた。

 出会ったのはついさっきのこと。

 学校の正門に対し、”見つけることが出来ず”に立ち往生していたのだ。


 ……この土地は産土の大空洞浅間神社や、他の神々の遊び場ですものね。


 ”参道”を示すことで正しく案内したのだが、しかし、このようなトラブルは希だ。

 今日は朝方、多摩テック方面の水場で駄竜が発生したと聞く。

 立川警察の中洞部が出たと言うが、それによって大空洞範囲の地脈がややざわめいているというのもあるのだろう。


 ……しかし、私がいて幸いでしたけど、随分と”呼ばれやすい”子ですわね。


 高性能AIである”チュートリアル”も一緒に巻き込まれていたのだから、単なる条件踏みではなく、所持品含みで”彼女自身”が狙われたということになる。

 ダークエルフは精霊系に近いのだろうか。

 後で調べてみるのも良いかと思う。そして、 


「――ここ、地下東京の中心ともいえる東京大空洞学院は、”東京大解放”の後、地下に広がる広大な大空洞が初めて発見された場所ですわ。

 調査によって東京大空洞の始点は、かつて武蔵路があった国分寺だと判明していますが、”入り口”として、今でもこここそが最大の安定した突入口ですの」


「うん。中間域待機場の座学でいろいろ教えて貰った。ここでならば、……自分みたいなのも生活していけるって」


「あら、大げさでは有りませんの?」


 そうかも、と相手は認めた。


「つーか、朝起きたらダークエルフになってたもんで、生活環境が激変しちゃってさ」



 牛子は、ダークエルフの言葉を聞いた。


「ホント、いろいろなことが、よく解らなくなっちゃってさ」


「そうなんですの?」


「うん。

 ……周囲は皆、気を遣うし、進路は術式も使う工科系だったから存在としての”型”が変わると推薦時の資格が取り消しになるって転科進められるし」


《この愚痴 貴女に会う前も長時間やられました》


 いやさあ、とダークエルフが言った。


「世界に全部、裏切られたり、気を遣われてる感じがあって、さ。

 ――面倒になったんだ」


 あらあら、とこちらは言うしか無い。

 そして自分の視界の中、ダークエルフの表情は笑みに見える。

 だが、己は思った。


 ……ちょっと失敗しましたわね、私。



 憑現者になるということは、以前の自分とは変わってしまうということだ。

 彼女は転入生。


 ……何か、思う処があっての判断ですのよね。


 周囲の人付き合いだろうか。

 友人や家族との付き合いが良いほど、憑現化は環境の変化を大きくする。

 望まぬ姿になるということは、自分だけではなく、自分以外にとっても”そう”なのだ。

 だから、


 ……今の感じですと、しくじりましたわね。


 面倒になった、と彼女は言った。

 解りやすい言葉だ。

 だが自分でも解ることはある。


 ……”面倒”という一言で収められるなら、ここに来る選択はしませんわ。


 それに気付かず、踏み込み過ぎた。

 申し訳ありません、と思うが、それを言うことで彼女のプライドをアゲられるとも思えない。

 この分は、いつか取り返しをしませんと、と思っていると、チュートリアルが告げた。


《そろそろ校内に入りましょう

 始業時間となります》



 そろそろ八時半。通学の生徒達の姿はもはや無い。

 だからという訳でも無いが、己は一度考えてから言葉を作った。


「ここがどんな処か、解ってますの?」


「いや。正直、何も解ってない」


「そうなんですの?」


 うん、と相手は応じた。


「さっきの話じゃないけど、――たった一晩でいろいろ引っくり返されたから、あまり期待とか、深入りするのが怖くて」


 ……また、引っくり返るのではないか、と?


 思ったけど、言わなかった。

 言った処で仮定の話だ。だからそこまでとして、


 ……馬鹿ですわね、貴女。


 そのようなことは杞憂。少なくとも自分においては、そうだと誓いましょう。

 だけどそれを言って、今ここで信じて貰える訳も無い。

 ゆえに自分は、自己紹介のつもりでこう言った。


「――いいですの? ここは”東京大空洞範囲”と呼ばれる場所。

 東京大空洞という、更新制の階層式オープンワールドダンジョンに、市街に溢れる怪異、それらを巡る因縁や企業、国家との抗争。そして――」


 見上げる空。北の方には、雲より高い位置に長大な影が見える。


「――”武蔵勢”を始めとする五大頂。”東京大解放”を救った者達の干渉も含め、ここは”何でもあり”な東京の中でも、最高の鉄火場ですの」



 行きましょう、と牛子が手を振るのに、こちらはついていくことにする。

 うん、と頷きつつ、正直、ちょっと焦りのようなものも感じていた。


 ……チュートリアルの言うとおり、愚痴っぽくなってるなあ……。


 牛子のキャラもあるだろうけど、初対面の相手に言うことではなかったとも思う。


 ……うん。


 だが、もうここは地元では無い。

 その自覚が出てきたということなのだろう。

 手指。肌の色。道に落ちる影の形や視線の高さ。

 たった一晩で全てが変わってしまったことへの愕然は、どう言っていいのか解らない。



 人付き合いも何もかも。

 もう自分は元に戻れないのに、皆は、昔の自分を見てこちらと話す。

 しかし誰も彼も、段々と気付いて行くだろう。

 目の前にいるものが、記憶以外、昔の”あの人”とは違うということに。



 それに対して、何を感じたのか。

 言えば愚痴になってしまう。

 つまりまだ、自分にもよく解っていないのだ。

 だけど、


 ……燻りみたいなのがあるのは確かなんだ。


 あのまま地元にいたら、駄目な気がした。

 そのくらいの理解が、ここに来た理由だ。

 そして、


「――――」


 正門。

 白の門柱の間を、己は通過した。



「御機嫌よう」


 門柱に牛子が声を掛けると一礼されたので自分も返しておく。


「”何でも有り”だなあ……」


「憑現者に限らず、全てのものが主張出来ますものね。

 言葉遊びが現実化したようになるときもあれば、ならない時もある。

 ”矛盾許容”。

 この世界の本質がムキになって表出しているのが東京ですわ」


 頷きながら石畳の道路ではなく赤煉瓦の歩道を歩く。

 左右は森だ。小川も流れていて、


「うわ、いい環境」


 だが、何やら視界が揺れるような感じがする。


「? 何か、キャンプ場がある……? あ、いや、また森に戻った」


「――視線を逸らすと見えなくなりますわ。

 元々ここの大部分は昭和記念公園ですもの。

 東京大解放の後、地下東京の避難地として学校を建てた際、多くは地上東京に移設してますけど、残った第一昭和記念公園と共に”残念”が昔の姿を見せているんですわ」


「ええと、自然公園から学校になって、そしたら下に大空洞、か。

 ……”相”が三重になってる?」


「ええ。通学して慣れると”学校”に視線や意識が向きますけど、そうではない場合、森の方に目がいってしまいますのよね」


「アー、じゃあ、今、学校行きの道路が見えてるのは……」


「ええ。通学する私に視線を向けることで、”学校に行く”縁を捉えていると、そう思って構いませんわ」



 成程……、と己は彼女の背を見て歩き出す。

 すると確かに、視界が開ける。

 本を開けたときのように森が左右に分かれ、石畳と歩道が右に緩やかなカーブを見せるのだ。


「……コレ、気を付けないとなあ……」


「正式な四月入学だと、先輩達の”先導”や”お迎え”があるんですの。ただ、貴女の方はちょっと違うようですわね」


 と言って前を行く牛子は、歩幅をこちらに合わせてくれている。そのくらいは解る。そして歩くたびにリボンを巻かれた彼女のテールが揺れるが、 


 ……デカい……。


 背丈のことです。尻のことじゃないです。

 いやちょっと尻のことです。

 というか胸もデカい。

 ”も”って何だ。

 まあいい。まあいい?

 ともあれハーネス? 外骨格? そんなので胸を支えてるってのは初めて見た。



■パワードハーネス

《素人説明で失礼します

 パワードハーネスは外骨格の一種で

 軽量かつ身体の一部を”つなぐ・支える”のが主目的のものです

 ハードポイントパーツを兼ねていることも多く

 牛子のように体型保持に用いる者も多いですね》

 


「いきなりチュートリアル来るなあ……。

 というか、川崎だと警備の人達がつけてたアレだ」


「?」


 振り返る彼女の頭、カウリングされたホーンから、吊された小型バッテリーが大きく揺れる。


「何かありましたの?」


「あ、いや、パワードハーネスを普段着にしてる人は初めて見たから」


 あらあら、と牛子が小さく笑う。


「戦闘動作をするときなど、身体を乱さないようにしないといけませんもの。普段の時でも、大地基準で私の姿勢を保ってくれてますのよ?」


「成程……、っていうか、やはり鉄火場なんだね、ここ」


「基本、”死なない土地”ですもの。派手になりがちですわ。ただ……」


「ただ?」


「これからいろいろな人達や、事象などと繋がりを持つと思いますけど、気をつけなさいな。

 ――憑現者は、私達のような種族的なものだけではなく、天体や気候、科化学物や事象に機械や武装、歴史上の存在までもが有り得ますわ。

 災害級……、というよりも災害の憑現者もいるからシャレになりませんわよね」



■憑現化

《素人説明で失礼します

 憑現化とは 何か想像的な事象 つまり想像上のもの またはそうなった存在が それに”合った”身体に宿って 現出することです

 現状では地下東京と”飛び地”とされる場所の住人全てに生じます

 ストレートにいえば 万物の擬人化ですね

 解除法は発見されておらず 地下東京における十代人口の流出入の最大理由です

 怪異の一種ですが 永続性と緩和性が認められるので一時は特定難病指定をされていました

 今は”突発性性徴”という枠に収まっています》



「一時、”憑現ガチャ”みたいな扱いで外の者達が地下東京に一時滞在するのが流行しましたわね……」


《外の人々ではモブ系憑現しか付かず ネームドクラスは東京及び飛び地の住人だけと判明したので 今は短期滞在以外 トラブル回避や医療のために”身分を変えたい・体を変えたい”ような そういったサービスにのみ適用されていますね》


「気をつけないとな……。こっちなんかただレアなだけだから」


「ふふ。――これから何処へ行きましょう? 教員室? 案内しますわよ?」


「あ、教員室じゃなくて、スローライフのために図書館へ」


「……スローライフ?」



「あれ? こっち来ると、大空洞攻略しつつ、気楽な楽しいスローライフとか聞いてたんだけど、違うの?」


「アー、まあ確かに気楽に楽しいスローライフかもしれませんわね。図書館というのも、そういう意味では合ってるかもしれませんわ」


「そうなんだ。――だったら嬉しいなあ。川崎もそれなりに派手な都市だったけど、自分としてはユルい方が好きなんだよね」


 と言った時だった。


『――!!』


 いきなり左の森を吹き飛ばして、それが現れた。

 竜だった。




「何アレ? 訓練?」


 問うと、牛子が笑顔でこちらの肩を一つ叩いた。直後に大声で、


「ワンダリングエンカウントォ――!!!!」




◇第一章




 多摩テック。

 大空洞範囲の南西側に位置する大規模遊戯施設は、そこに至る道路を装甲トラックの列で埋めていた。

 装甲車から奏でられるのはFM三音PSG三音でビットチューンされた祝詞だ。

 電子のドラム音にトラックの術式装甲が反応し、ボクセル型の流体光をチップで散らしていく。

 ドップラー効果で祝詞が乱れないよう、曲に速度加護を当てて響かせているが、その先頭は敷地内に入れない。何故なら、


「ハア!? 駄竜の出現情報あったろうが!? こっちに送った先遣隊が8BIT三音の不確定ながら存在も確定してんだぞ!? それがどうして居ない!?」


 トラックの屋根上からの触手の声に、遊園地前、一人の少女が応じた。

 黒髪。

 小柄。

 黒のロングセーラー姿の彼女は、小さな声で言う。


「――やるの?」


「え?」


「――やるのか、って」



「……ちょっと待て! そういう意味で話をしたんじゃない!」


「隊長! 代田ちゃん、コミュ障なんだからもっと優しく話掛けないと駄目ですよ!」


「お前ハッキリもの言い過ぎ! 向こうが気を悪くしたらどーすんだ!?」


 告げた言葉に、少女が小さく舌打ちした。


「……誰がコミュ障だクソ触手」


「エエエエ!? 今の部下の発言、俺のせいなの!? 何ソレ!?」


『触夫さん、女の子の心を解らないと駄目ですよー? アハハ!』


「お前も出てくるなァ――ッ!」


 笑いに出て来た表示枠を、触手がサブ触手で叩き割る。

 と、そこで部下が手を挙げた。


「隊長! 浅間神社から報告です! 駄竜の逃走経路が解りました! 水脈型地脈、市内配水脈を跳ねて北に突破した形跡があります!」


「――ここで実体化しなかったのか!? しかも下流に行かず別流に!?」


『うん。代田ちゃんいるから、逃げたんですよね』


「――フフッ」


 と鼻で笑う少女を見て、触手は一回息を吸った。深く吸った。

 ややあってから、彼は部下に、


「俺、誰に怒ればいいと思う?」


「それよか追跡しません?」


「管内配水脈の内、駄竜の情報体が通過出来る処なんて、大体決まってるだろう」


「デカイ水場のある多摩川ですか? あそこはうちの管轄ですよね?」


「そうだ。俺達が徹夜で張り直してる結界がある。だから駄竜は表に飛び出せない。

 息が出来ないまま突き進んで、次の水場で無理にでも飛び出してくる」


 場所は一つだ。


「――東京大空洞学院。

 共用してる第一昭和記念公園は濠持ちだ。

 森の中に飛び出してくるぞ」



 ……竜!?



 こちらが思うより先に、周囲が反応した。



「駄竜……! 水棲系!?」


 まだ歩道にいた学生達が、急ぎ退避する。

 森の中へ、だ。

 だが自分は、出遅れた。

 真っ正面。

 否、自分達から見て、真後ろの直近だった。



 竜。

 頭部高が二階屋くらいある。

 どことなく、魚というか、そうは見えないが、


 ……そんな感じの動き。


 泳ぐように這う。そして正面にいるこっちに向かって、


『……!!』


 咆吼も何も無い。

 ただ突っ込んで来る。



 一瞬で距離を詰められる。

 その突撃には敵意すら無い。

 進行方向にこちらがいるという、それだけのこと。

 何しろサイズ差がある。

 向こうからすれば、こちらなど木枝程度の障害だろう。

 踏みこまれる。

 あっという間にこちらの間合いに前足が来て、牙の生えた顎が振られて来て、


 ……跳ね上げられる……!?


 どうする、という思考は散り散りだった。

 何をする。



 逃げる。しゃがむ。伏せる。飛びすさる。はたまた、



「……ダークエルフの技……!」


《貴女、レベル1ですから発現してませんよ、そんなの》


「この画面、煽ってくるよ!!」


 うわあ、と、ひどくスローモーションとなった視界の中。牙が来た。

 一回死ぬ。

 間違いない。

 ええと、どうだっけ。この大空洞範囲。死んだときはどうなるんだっけ。

 えーと。


「危ないですわよ!」


 声と共に、視界の右端で火花が散った。右から左へ。そして、


『――!?』


 竜が、勢いよく左へと吹っ飛んだ。



 打撃だった。

 掌底一発。

 竜の顎先に右からぶち込んだのは、


「フンガー!!」


 あ、その叫びは有りなんだ、と思うと同時に、竜がバウンドしながら二回転。

 だが地響き付きの息を捨て、三転目の動きをもって身構えた。

 対するこちらは、右の手を振り抜いた彼女が、


「――スーパー張り手は一日一回! 逃げますわよ!」


「完全同意!」



 走ろう。

 そう思って気付くのは、


 ……うわ! 腰が抜けてる……!


 座り込んではいないが、”落ちている”。

 走る前の初動がとれない程度には姿勢が崩れた状態だ。

 そんなこちらに対し、


「加速術式!」



「え!? あっ、ええと……!」


《ほら 加速術式ですよ ほら 早く》


「そこ! 煽らない!」


 代わりに怒って下さって有り難う御座います。

 とはいえ加速術式は知ってる。

 川崎でもそれなりにトラブルに巻きこまれるときや、日常でも急ぐときがあり、使用していたのだ。

 だがここは川崎ではない。

 大空洞範囲という土地で、術式の使用には作法があり、それについてはこの二週間で訓練もしていたのだが、


「――っ」


 トンだ。

 頭の中が飽和して、どうすればいいか解らなくなる。

 ただ今、思い付いたことと、こういうときに言えることは、


「――救けて!!」



「上出来ですわ!」


 言葉と共に、長身の彼女が振り向いた。

 速い。

 長身のストライドで、しかしたった二歩で距離を詰めたのは、間違いなく加速術式だ。

 術式展開の操作も準備も無く起動したのは、


 ……条件式のランチャー設定!


 自分が、ここに来る前、二週間の訓練を経て、いずれやっておこうと思っていた用意。

 そんな準備をしている者と、してない自分との差が、お互いの行動差となった。

 あっという間にひっさらわれる。


「――御無礼」


 肩に担がれると、彼女の息が解った。

 吐いて縮んで、吸って伸びて、


「――っ!」


 視界が跳ねた、と思った直後。先程まで自分達のいた空間に、竜のショートチャージが入った。

 だが外れた。

 当たってない。


「余裕で回避ですわ!」



「……え、ええと」


「賞賛!」


「おめでとう御座います!」


「……ええと?」


 間違ったらしい。

 だが、駄竜の巨体の動作で風が起きていた。

 巨大な爪のブレーキングが石畳の路面を爆ぜさせる。

 道から溢れた巨体の挙動で、周囲の木々の幾らかが容易く折れた。

 葉枝の折れ散る響きに、土の匂いが重なったと同時。

 何処からかサイレンの音が届いてきた。

 何処からか、警察か何かの救けがこちらに来ているのだろう。

 そして森の奥の方で、退避した生徒の幾らかが手を振った。

 速く何処かに逃げ込めと。しかし、


「……森の中には入れませんわね。どう思います?」


「皆を巻き込むのは避けたいよ!」


「いい心意気ですわ!」


 そうだ。

 竜はこっちをマークしている。

 このまま森に入れば、先に退避した皆を巻きこむことになるだろう。では、


 ……どうする!?


 救援のサイレンは近づいている。

 だが、それと自分達の間には、竜が居る。

 そしてこちらを担いだ牛子の動きは、サイレンに背を向けるもの。

 つまり逃げねばならない。

 その行き先は、


「図書館側ですわ!」


 校舎じゃないの? と思った瞬間。視界が変わった。

 空だ。



「え?」


 何が起きたのか。

 解らない。

 ただ結果として理解出来るのは、


 ……何かにハネ上げられれた!?


 これまで、森の中を行く道路が見えていたのに、今はいきなり空だ。

 雨上がりの朝。

 雲が平面に並ぶ空に、いつの間にか自分達は高く浮いていて、


「きゃ……!」


 驚きの声が、背後、下の方に視線を振り向かせた。

 地面側。

 こちらを担ぐというより、もはや抱き上げる姿勢で宙に浮いた牛子の向こう。

 自分達が立っていた道が眼下にある。

 十メートルほど、下だ。

 高い位置へとハネ上げられたのは、攻撃によるものではない。

 浮かされただけのこと。

 では何がそんなことをしたのか。原因が下に見えた。


 ……ドット絵!?


 粗いボクセルで描かれた竜の尾が、地面から生えていた。



 竜の尾。

 一メートル四方の立方体の集まりで描かれた、荒くボやけた解像度の形。

 実体では無い。


《実体解像度が荒いですね》


 上空からかろうじて形が判別出来るそれは、しかし竜の尻尾だと解る青と形をしていた。

 青のテールは、地面から生えていた。

 尾の実体解像度だけが荒い。

 一方の視界の中、離れた位置に見える竜の全身は、やはり腰から下が地面に沈んでいる。

 竜と尾は、恐らく地中で繋がっている。ならば、


 ……地面を通して攻撃してきた!?


 今更、この竜がどのような方法でここに出現したかを、理解した。

 あれは、地上を移動して来たのではない。


「地脈の中を移動して、ここまで来たんですのね!?」



■地脈

《素人説明で失礼します

 地脈とは この世界の構成因子である流体の経路です

 世界のありとあらゆる処に血管のように伸びた地脈は 世界の全てに流体を供給しており その流れの淀みや停滞によって怪異などが発生するとされています》



「ええと、じゃあ今回のは――」


《一部の上位存在や

 情報化率の高いものは

 地脈内を移動出来ることが解っています

 今回は地脈の中の”水の属性”を通して

 この竜が何処からかここまで来たと

 そういう話なのですね》


 つまり、


《タチケの中洞部

 装甲車はこちらに急行していますが

 あと三分は掛かるでしょう》



 ……どうする!? 


 聞こえてくるサイレン音はまだこちらに届かない。

 一方で眼下の尾が地面に沈み、


『――!!』


 全身を道路上に抜いた竜が、再びのショートチャージを掛けてきた。

 こちらは二人共々、まだ空中。

 竜の狙いは、尾で跳ね上げて、浮いた獲物に食らいつく事。

 狩猟の一連動作だと、そう思った時だ。


「……っ!」


 これまでこちらを担いでいた彼女が、姿勢を変えた。

 護る。

 こちらを抱き寄せ、竜に右の背を向ける。

 それは竜の攻撃を食らう覚悟があると言うことであり、


「駄目だ……!」



 視界の中。二つの動きが生じた。

 一つは、落下する自分達の下方だ。

 遙か背後から手前の竜へと、壁にも見える立体が宙を突き抜け飛んだこと。

 もう一つは、その直撃を顔面に受けた竜が、激音と共に仰け反ったことだった。



「……え!? 何!? 壁が飛んで来た!?」


 その通りだ。

 光で出来た”壁”だった。

 大きさは一畳ほど。

 当たった。


『……!?』


 顔面直撃。

 激突した壁は光として砕け、食らった衝撃を竜が全身で受けとめる。

 その一方で、


「……っ!」


 牛子に抱きかかえられた状態で、自分達は落下から着地。

 落ちる。

 一度石畳の上を転がって衝撃を緩和。

 そのまま防御として再度抱き締めてくる彼女の肩越しに、己は見た。

 牙の幾らかを砕かれた竜が、しかし細長い身体を縮めきってショックを吸収。

 そのままこちらに来るのを、だ。


『……!』


 諦めない。


『――!!』


 巨大な一歩だった。

 竜が、前に出るその動作で全身の姿勢をアジャスト。

 続く二歩目で一気に前傾し、


 ……チャージか!


 だがそこに、力が来た。

 背後からの二発目。

 しかしそれは、一発目のような”壁”ではない。


「……射撃!?」


 破裂だった。

 砲撃だと理解したのは、宙を水蒸気の尾が引いたからだった。

 当たる。

 破壊の力は、竜の右顎に着弾。

 白の爆発と飛沫を上げて、獣の右顎が大きく削れる。

 快音が響いた。

 竜の切削から散る血は、全て流体光だ。



■流体

《素人説明で失礼します

 流体とは この世界の何もかもを構成する因子です

 物体

 運動

 法則

 私達なども全て流体が”型”を持つ事によって存在しています

 本来ならばこれは構成物である私達には知覚出来ませんが

 流体の動的

 または静的変化が生じた際

 光や熱として知覚出来ます》



「じゃあ、今のは――」


《あの竜がこの世界に現出したばかりで

 流体性の揺らぎが高い状態であること

 そこに与えられた攻撃が

 流体にダメージ適用出来る加護有りであったため

 竜の身体破損が実体性とは別で流体性を持ちました

 結果として流体光が破砕痕として現出しています》


 つまりこういうことだ。


《効いてます》



 当たった。

 効いた。

 だけど自分の目には、まだそう見えない。


『……!!』


 咆吼は、寧ろ勢いがついているようだ。 

 その証拠を見せるように、竜が勢いを止めない。改めてこちらに向かってくる。


「――怒ってますわね」


「寧ろ逆効果だった?」


 いえ、と牛子の声が聞こえた瞬間だった。


「伏せてろ!」


 背後からの鋭い呼び声に、己は今こそ後ろへと振り向いた。

 守りに庇う牛子の肩越し。そちらに見える背後へと、だ。

 そこに、一つの姿が見えた。

 自分達と距離を取りつつも、前に向けて砲のようなものを構えた女生徒が居る。



「――――」


 膝立ちで、砲の二脚を立てた上で、力が放たれる。

 砲撃だ。



 ……うわ!


 一発ではなかった。

 砲撃。砲撃。砲撃。

 長い青髪を揺らした砲撃主が、迷うこと無く連続の狙撃を叩き込んで行く。

 こちらを守る牛子の腕に力が入るのは、自分達の直近を砲弾が飛んでいくからだ。

 無論、目視できる速度では無い。

 大気が焼ける匂いを初めて嗅いだ。

 だがこれは、

 

 ……救援!?


 学生による攻撃的救援。

 総長連合、という言葉が思い付いたが、違う、とも思った。



■総長連合

《素人説明で失礼します

 現在日本や一部他国では学生世代及びOBによる自治組織が作られており

 それを総長連合と呼称しています

 日本では重要な社会構成組織帯となっており

 ここ東京大空洞範囲は東京大空洞総長連合の担当地域であり

 総長は東京大空洞学院に所属しています》



「ええと、だったら後ろのガンナーは――」


《彼女は一般生徒です まあ上位のランカーですが》


 一般生徒という言葉ではなく、上位ランカーという言葉を己は察した。

 見る。

 各圏、各都市の学生自治機構である総長連合ならば、腕章などを付けるのが義務だ。

 そうではない。

 ならば彼女は誰だと、そう思った直後だった。

 正面で強烈な気配が来た。

 呼吸にも似た音で、しかし笛鳴りをつけているのは、


『――――』


「……竜砲の初動ですわ!」



 言葉の通り、竜が顎を全開した。

 ブレス型ではない。

 爆圧タイプの竜砲を、爆圧咆吼と呼ぶ。

 それが放たれる瞬間。


「――!」


「動くな!」


 返答としての頷きが、こちらの身体に伝わる。

 同時に音が消え、大気が止まった。

 その直後に、竜がこちらへと口を全開し、


『……!!』


 咆哮。

 同時に爆圧が来た。

 直撃する。




◇第二章



 己はそれを正面から見た。

 竜の赤い喉奥とこちらの間。


『――!!』


 咆哮が音を越えた。

 応じて石畳が抉れ、縁石が跳ね飛ぶ。

 そして歩道が主道との継ぎ目から割れて浮くが、


 ……うわ!?


 避けることなど出来はしない。

 つまり直撃だ。

 食らうと理解した。その時だった。



「えっ、うわっ、うわっ、あっぶなーい!」


 不意に横からやって来た女生徒が、前に手を翳す。

 竜砲が発されたタイミングだというのに、だ。


「危ない!!」


 叫ぶ声が届くより早く、竜砲が着弾した。



 結果は明確だった。

 茶色の髪を揺らす女生徒。


「ウワー、ぎりっぎり」


 こちらの前に立った姿には、金色に近い毛並みの尻尾がある。



 そして竜の爆圧咆哮は、明らかに彼女へとぶち込まれた。だが、


「……え?」


 目の前の彼女は無傷だ。

 その背後に居る自分達も、やはり傷一つ無い。


「……は?」


 竜からこちら、飛んで来た爆圧咆吼の威力は、左右に抜けている。


「うん。よし」


 と言う彼女が翳した手を分かれ目として、破壊が∧型の中州を作り上げているのだ。

 それはこちらが護られたということであり、


「はーい。オッケーだよー。行っちゃって行っちゃって」


 と、気楽な言葉が生まれると同時。



「しょうがねえな……!」


 不意に小柄な影が、こちらの脇から前に出た。



 ……次から次へと、誰!?


 いつの間に来ていたのかも解らない、小柄な赤髪。

 彼女は竜にまっすぐな視線を向けており、


「おうおう、人の家の玄関でやらかしてくれるなあ。

 あたしの家じゃねえけどさ」


 足取りは軽い。

 ただただ、重さが無いような挙動。

 彼女は背にしていた赤いランドセルを捨て、右の手に、自分の背丈ほどもあるロングケースを一回振り回す。

 竜を怖れず前に行く彼女は、しかし三歩目で疾走した。

 走る。



 その直後に背後から、


「あ、コラ! 援護の射線入ってくるな馬鹿!!」


「ハア!? 合わせろよ! お前主役か!? お前の望む通りに世界が動いてんのか!? そうじゃねえだろ!? あたしが主役だろ!?」


「やかましい――ッ!」


 仲間割れしてるんですけど。



 だが赤髪の彼女が前に出た。

 敵に対して、背後からの狙撃を援護としつつ、無手の左手を翳した。


「ドアバッシュ!」


 言葉と共に掌から発射されたのは光の”壁”だ。

 二枚連続。


 ……あ。


 見覚えがある。

 先程カウンターで叩き付けた”壁”だった。

 流体で出来たシールド。

 見ればその形状は、取っ手などもついている。

 あれは自分の記憶に拠れば、


 ……”壁”じゃなくて、トイレのドア!?


 二枚が連続して激突した。



 竜の鼻先で光が散り、威力が二重に当たった。


「どう!?」


 叫んだ先。竜が一度半歩を引いた。だが、


『……!!』


 竜が備えていた。

 既にそれは食らっているのだ。


《堪えましたね》


 その通りだ。

 巨体は、飛来する壁に対し、受け止めなかった。

 姿勢低く、カウンターとなるショートチャージを掛けて突き抜けたのだ。

 敢えてダメージ前提として、二枚を砕いて距離を詰める。

 抜いた。

 光の壁を破って、竜の全身が破砕の流体光を浴びながらもこちらに来た。

 来る。

 そして己は気付いた。


 ……さっき前に出た彼女がいない!?



 いない。

 竜と自分達の間。

 小柄な赤髪の姿が無い。

 不在である。


 ……何処に!?


 逃げたのか? 否、先ほどの竜の前身に巻き込まれたのか、それとも、


「上ですわ」


 耳元で囁かれた言葉通りのものが、頭上に見えた。

 上。

 赤髪の姿が、軽く、宙高くに跳んでいる。



 発射したドアバッシュ。

 一枚目が破壊された瞬間。

 二枚目に追いついて上縁を蹴り、赤髪の姿は跳んでいたのだ。 


「――!」


 高い。



《いきなりの大跳躍は垂直の動きです

 これまで前進という水平の動作から

 ドア壁を遮蔽と囮にこの動きをとられたら

 流石の竜とてついて行けません》


 確かにそうだ。

 こちらの視界の中、竜が、明らかに獲物を見失った。

 こっちを見て、左右を見て、上を向こうとした瞬間。


「……!」


 そこに砲撃が入った。

 正面打ち。

 壁を破壊した竜の、ショートチャージが止まった瞬間狙いだった。

 届いたのは、先程と同じ砲撃と威力。

 だが位置が違った。

 本体直撃ではなく、突撃のために竜が低くしていた顎の下。

 石畳に破裂光を反射させた威力は、明らかに竜の顎を跳ね上げた。

 竜が仰け反る。


「上げたぞ!」



「え!? 上向けて、いいの?」


「うん。大丈夫。

 あのタイプの竜は基本、常に前傾する身体構造なのね。

 それが後ろに仰け反って立ち上がると、いつも体を支えてる筋肉が使えなくなって装甲が緩むし、背骨から鼻先まで縦一直線に詰まって通るでしょ?

 そうなると、トップアタックからのダメージ逃がせなくなるんだよね」


《……そういうことです》


 言いたいことを言われたらしい。

 そして正面。

 砲撃でかち上げられた牙と顎。

 その上に落ちて来るのは、打撃の力だった。

 赤髪の姿が、勢いを付けるように身を回し、落下する。

 声が聞こえた。


「――さっきのコンボ見てたぞ? 尾で跳ね上げて、食らうんだよな!? じゃあコレはどうだよ!?」



 空中。

 落ちる流れの中で、彼女の形が変わった。


 ……あれは――。


 赤髪の少女が身に纏う白のセーラー服が、自動裁断からの再構築を行ったのだ。

 制服が、自動で形を変える。


■タクティカルフォーム

《素人説明で失礼します

 タクティカルフォームとは

 構造などを”逆読み”の加護で逆転変形することで

 本来の姿よりも防御性能などを上げる制服装備のことです

 変形制服

 と対外的には呼ばれていますが

 言霊ベースの加護系装甲服の一種ですね》



 視界の中、彼女の制服が”別のもの”へとなった。

 黒が白に、白が黒と変わり、各部から防護や強化の術式陣を零しながら、ジャケット型の装甲服へと切り替わった。

 変形する。



 その姿は、右の手に武器を掴んでいた。

 ロングケースから引き抜かれるのは、


「展開式のウォーハンマー」


 それもピッケル型ではなく、玄翁型の打撃武器だ。

 彼女はそれを振り上げ、明らかに空中で加速した。

 下へ。

 眼下へ。

 そこに、顎を跳ね上げられた竜の顔面がある。

 しかし竜がそこで行動した。

 腹から喉を膨らませ、


「竜砲……!?」


「あれ? 頑張るわねー」


 直後に爆圧が放たれた。

 直上。

 術式で動力降下する赤髪の力に対し、威力が飛んだ。

 直撃シークエンスだ。

 だが、


「食っとけ!!」



 ……うわ。


 こちらの視界の中。決着が行われた。

 獲物を下から食らおうとした竜に対し、直上からの迎撃が敢行されたのだ。

 完全無視のトップアタック。

 それも打撃として、だ。

 ウォーハンマーが全身で振り回され、赤髪の軌跡がそのまま速度となり、


「――!!」


 打つ。

 真下へと、刃物を押し切るようにして打力を貫徹。

 それは、竜の放った爆圧を、明らかに物体として打撃した。

 幾つもの術式表示枠が打撃境界に展開。

 打ち抜く。

 竜の咆哮を術式で”物質化”し、そして、


『――!!』


 咆吼量が負けた。

 竜へと打撃が徹ったのだ。



 打撃面から流体光が水平に弾け、硝子を割るような音と共に貫通破壊。 

 次に突き抜けたのは、高鳴りの重連だった。


「貫通打撃……!」


 真下方向。

 ウォーハンマーの打撃は釘打ちに等しい。

 竜の鼻先から背骨の全てを通し、一斉の骨と牙が砕かれた。

 竜砲を放ったのがいけなかった。

 全身が硬直するため、ただでさえ詰まっていた骨格の間接部に遊びが無くなり、ダメージが直で通った。

 竜を壊す衝撃が石畳を震わせ、軋んだ石材が逃げ出しながら高音を鳴らす。

 鳴った。

 そして貫徹の一撃が通った直後、それでも竜の咆吼が上がった。

 足掻きだった。

 生物として、駄種であっても最強種である矜持。


『……!』


 しかしその叫びが、途中で弾けた。

 保たなかったのだ。

 赤髪の少女が巨大なハンマーを振り抜き、身体ごと一回転。

 竜の巨大な顎は既に完砕され、逃せぬ衝撃として全身が地面に打ち付けられる。

 そして少女が着地と同時に叫んだ。


「終わっとけ!!」


 終わりだ。



「――――」


 見ているこちらとしては、言葉もない。


 ……何が何やら……。


 スローライフ? 何ですソレ?

 ただ道路が割れ、崩れながら倒れた竜の巨体が、反動によって、ただただ重さのあるものとして跳ね上がる。

 直後。


「ハイ、危ないですよー」


 こちらの傍らに立った彼女が、こちらよりも周囲に声を掛ける。

 気付けば、森のあちらこちらに、退避した学生達の姿が見えていた。

 多くは安堵し、幾らかは彼女達に手を挙げ、挨拶している。

 顔見知りがいるのか。

 だからだろうか、犬尻尾の彼女が、皆に手を振り返しつつ、右手を払った。


「――さて」


 道路に展開するのは防護障壁。

 鳥居型でも十字型でもない。

 魔術だ。

 それが、動かなくなった竜を大きく囲むように展開した瞬間。

 竜を破壊した赤髪の少女が、こちらに振り向いた。

 そして、


「――おい、ズラかるぞ!」


 直後。竜が爆発した。



 走り出すとき、牛子は自分のガードからダークエルフを開放した。

 焦り、急いで走り出す彼女に、同じようにしながら、自分はふと問うていた。


「どうですの?」


「え、何が!?」


「――一晩で全て変わった結果が、これですのよ?」


 言うと、彼女が天を仰いだ。ややあってから、


「ちょっと変わりすぎじゃないかな……?」


 苦笑して、彼女の背を押して走る。小さな声で、


「貴女のこれからに幸いあれ」


 聞こえなかったろう。

 それでいい。

 自分が願う幸いなど、小さいと思えるくらいに、”ここ”は賑やかなのだから。



 立川警察・中央大空洞範囲部は、大空洞範囲の治安を護るための実働部隊である。

 今朝は駄竜の現出によって本隊が多摩テックへと向かったが、控えていた予備隊はだからこそ東京大空洞学院に急行した。

 駄竜の反応はある。

 既に出現していて、学院側には迎撃ではなく防護と保持を要請している。

 これは、大空洞範囲表層部の治安は主に自分達の役目であるという矜持もだが、


『学生連中に好きにさせたら面倒な事になるんだよ……!』


『中武OGの私からすると、今の子達が何やるか期待ですけどねー』


 という上役達の通神を余所に、皆はやや遅れ気味に現場に入った。

 だが、正門通りに突入した自分達を迎えたものは、


『――防護状態確保……!』


 爆発だ。

 不確定存在の余地を残し、完全実体化していない大物が消滅するとき、幾つかのパターンがある。

 流体爆発は、その内でかなり駄目なケースだ。

 力任せに対象を破壊したとき、そのショックで爆発する。

 それが起きた。

 爆砕に対し、装甲トラックの表面にある紋章群が発光。

 防護障壁が展開したと同時に、森の木々を揺らさぬ大風と流体光の爆圧が、正面から突き抜けてきた。


「……竜の終わりか!」


 爆発の風が、竜の咆吼に聞こえたのは、錯覚だろうか。

 ただそれらの光と風が抜けた後。

 自分達の前に残っているのは、大きく破損した石畳の正門通りと、


『――隊長! 駄竜の反応消滅! 既に討伐されています!』




 クッソ、と触夫は多摩テックの前、装甲車の上で呟いた。


 ……学生は出るな、って要請したのにな……!


 やられた。

 これでまた、中洞部は”チョイと役に立たないお巡りさん”だ。

 まあ平和で済んだならそれでいいんですけどォー。


「じゃあまあ、撤収! 帰投したら朝飯だ!」


 言う声に、部員達から小さな笑いが漏れる。

 失笑ではない。

 まあいつもの事。

 これで良かったという安堵を含んだ苦笑だ。そして、


「――ハナコだ」


 その声に、己は頷かない。


「違えよ! 勝手に消えたんだよ! 勝手に!

 ――そういうことになるんだ!」


 全く。


「――エンゼルステアに新人追加だ!

 大空洞範囲が、また騒がしくなっちまう!」




◇これからの話




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