向こうの記憶

不可逆性FIG

01 - flyby

秋田あきたクンさ、自分の人生がカネになるって話、興味あるかい」

 そのオヤジのサングラスには、情けない顔をした四十歳手前の男が反射していた。狭い居酒屋の、安い焼酎で酔っ払う自分だった。ヤニで汚れた冷房が唸るように稼働している。今日もまた、うだるような熱帯夜だった。

「どういうことですか、広瀬ひろせさん。僕なんか裏社会では役に立ちませんよ」

「俺だってそっちの人間じゃねえよ。洗練潔白、品行方正なカタギだっての」

 一般人はカタギなんて自称しないだろうが……僕はヤボな突っ込みを焼酎と共に飲み込んで次を促す。

「いやね、さっきからカネに困ってるらしいじゃない。送金する養育費、キツいんでしょ? だから、飲み友達として助けてあげようと思ってさ」

 対面に座るオヤジはチンピラみたいな和柄ポロシャツと胡散臭いサングラスをいつも身に付けている広瀬という。こうして呑み屋で会う以外に、どこで何をしている人なのかわからない男である。

「別に犯罪どうこうじゃなくて、むしろ国のなんとか法人っていうちゃんとした仕事なんだなあ、これが」

「へえ、広瀬さんってその団体の所属なんですか」

「違う違う、まあいわゆる仲介業者ってヤツだな。こうみえて結構、顔が広いのよ」

 酔っ払い同士の会話なので話半分で聞いていたのだが、どうやら中身としては昨今の世界的なAI開発競争に我が国も参入しているようで、人間らしさを追求したモノを開発したいらしい。なので、思考パターンの拡張のために、より多くの記憶をAIにコピーさせてくれる被験者を広く探している、とのことだった。

「それ、大丈夫なんすか? 僕、記憶を根こそぎ奪われて廃人に……みたいなこと無いですよね」

「信用しろって! そんなヤクザまがいのことして何の得があんのさ。記憶を得るコストより、廃棄物ゴミ処理コストのが高くなったら本末転倒よ」

 がはは、と広瀬は笑う。

 もちろん、僕は物騒すぎる冗談に乾いた笑いしか出なかった。なんでも、記憶の質によって価値は多少変動するが、どちらにしても良い謝礼金が渡されるそうだ。そうしたら、離婚した妻と子供の養育費のために自分の生活費を切り詰めなくても良くなるかもしれない。僕は生活水準が少し向上した未来を想像しながら、安い焼酎を飲み干す。

「広瀬さん、教えてください。その仕事やります」

「はいよ、そしたら日時は後日知らせるわ。んで、その場所なんだけどね──」


***


 土曜日、じりじりとアスファルトを焦がすような、蒸し暑い真夏。

 直射日光から逃げるように自動ドアをくぐる。僕を優しく包み込んだのは、涼しい空気と軽快な音楽。幸せそうな家族連れが行き交う中、僕は独り、言われるがままに隣の市の大型ショッピングモールに来ていた。

 そして、広瀬の指示通りに入り口近くにあるインフォメーションカウンターのスタッフに声をかける。

「あの、すいません。ドラッグストアを探しているんですが……」

「畏まりました。でしたら、この階の左側真っ直ぐ突き当りにフレグランス&コスメの店舗がありますので、その隣りでございます」

「なるほど、ちなみにマジマ製薬の頭痛薬を三箱欲しいんですが、もう売り切れてますかね」

「──あっ、そういうことでしたか。失礼致しました。であれば、このまま三階フロアまで上がっていただき、右側奥、会員限定ラウンジ受付にこちらをお渡しください」

 なにやらカードを手渡され、今日の日付と名前を記入するように促される。広瀬に言われた通り暗号めいた文章を伝えると、かつて読んだ少年マンガのように別の対応が待っていた。その怪しいカードを片手に指定されたラウンジに向かうと、女性スタッフが出迎えてくれた。カードと本人確認証をチェックし終えると、ラウンジのさらに奥の地味な扉に通される。くつろげる雰囲気のラウンジと違い、そこには閉塞した白を基調とした研究所のような空間が広がっていた。

「まさかこんなところが……」

「基本的にお客様は通さない場所ですので。仲介業者からのご紹介がなければ利用はできない仕組みです。あ、ちなみにここでのことは口外厳禁でお願いします。何かあった場合はすぐに秋田さん担当の広瀬さんまで連絡が行きますからご注意ください」

 広瀬に言うぞ、ということが脅し文句になるのはあのチンピラみたいな風貌から容易に理解できてしまう。やっぱり裏社会に繋がってるんじゃないか、僕は内心で悪態を吐く。


 スタッフに連れられ、案内されるのはとある一室。清潔な空間に、まるで病院で使うようなCTスキャンを模した大型の機械と、確実に頭に装着する用のヘルメットみたいなものがたくさんのケーブルで繋がれていた。見るからにヤバい。

「これ、大丈夫な仕事ですよね?」

「ええ、とくに人命に関わるような危険はありません。 ……もしかして、そのあたりの説明はされていないのですか?」

「恥ずかしながら……」

 彼女はわかりやすくハア、と疲れたため息を吐いて、その場にいた助手数人と何かしら作業を行いながら、僕に今回の仕事内容について説明を始めた。 ──が、専門用語とかよく分からない部分がときおりあったので、概要はこういう内容らしい。

 あの大掛かりな機械を使うと、脳内に今僕が生きている日本とまったく同じ仮想現実が構築される。必ず自分は二十歳から始まり、新たな人生を歩んでいくことになる。突発的な死亡および受動的な犯罪行為には巻き込まれない。その際、当時の社会状況から現実と同じように一歩ずつ同じ出来事や技術革新が起こる、とのこと。注意点としては完全にスタンドアローンな世界なので、意図的な他者の不利益な介入は存在しない。

 そして、最後に──と付け加えるようにして彼女が僕の目を見て、事務的に微笑んだ。

「これから、秋田さんが向かうのはです。その中で、どう生きるかは自由ですが、なるべく多くの経験を積んで我々のデータにご協力ください」

 僕にとって少しだけ都合の良い世界……その言葉を反芻しながら、機械が作動していく。そんな馬鹿げた話があるかよ。まるで都市伝説のような状況に、胸中には一抹の不安。ベッドに寝かされている僕の手の平にじっとりと嫌な汗。突如襲われる急激な眠気と共に、視界が何かに侵食される。

 濃霧のような、

 何かで、

 白く、


 染まって、いく────。


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