第5話
翌朝、ブランとシルヴァーはロストアイに会うことができた。新しい仲間に、彼も快く歓迎した。
小鳥が、懸命に大きな鳥のかぎ爪から、生きのびようとしていた。
春の季節も折り返しになった。野花が咲き、草に彩りをそえていた。
空は曇っている。この雨が降れば、さらに野花は美しくなる。
それを踏みにじるかのように、日中に人間たちがはいりこんだ。遠くで雷雨が鳴る。不穏な空気をあおった。
三匹ぶんの洞穴が近くでみつかったが、人間が物騒な金属製のものを手にしている。
地面の振動が肉球に伝わった。ブランの毛が逆立つ。情けない声がもれた。
「あの山の方向へ逃げよう」
ブランは山の連なる方角へ鼻面をしめした。
「それがいいわ。人間の近くにいて、いい思いをしたためしがないもの」
人間はぼくらのことを、気がついていない。汗を流しながら、草や野花を無残にも金属製のもので刈りはじめた。
シルヴァーが怯えている。ブランは彼女を助けたい一心だった。わき腹をふれあわせて安心させた。
状況が悪くなってきた。雨が横殴りにふっている。時折雷がとどろく。それでもブランたちは逃げるしかない。人間は突然の雨に戸惑っていた。
背丈の高い木に雷がおちた。激しく火花が散った。炎が葉をなめつくすように燃やした。
怖くなった三匹はそれぞれ違う方向へ逃げた。
考えることができない。イバラの茂みのなかをがむしゃらに走った。
イバラの茂みを越えた。身体中、傷だらけになった。横腹の赤い傷が、とても痛い。
故郷を思わせる岩場で、肉球がすり減った。ブランは敵に警戒した。
煙たいにおいで喉がひりひりする。岩場まで炎はよってこなかった。
最悪の状況に、ブランはうなった。この岩場に、老いた馬の食べカスがあった。ロウラのにおいがついている。
シルヴァーやロストアイの遠吠えが、雨音に紛れてきこえてくる。返事をしたくなったが、ぐっとこらえた。
雨粒が岩場に打ちつけるので、薄い霧が立ちこめた。
ブランは心細く感じた。身を低くして雨にぬられながら、岩陰で息をつめた。緊張と雨のせいで、貧弱な姿になった。
ロウラとふたりのオオカミが、近くで喧嘩遊びをしている。新しいオオカミがロウラの背をとびこえた。ロウラがリーダーを主張するかのように吠えたて、細身のオオカミを追いかけた。
そのオオカミが、こちらまでやってくる。
ブランは対抗した。鋭くうなった。ブランは威圧的な態度をみせた。相手は驚いた声をだす。
ブランはこのまえの仕返しをしようとした。肩を噛んだ。鋭い一撃が相手の肩にあたる。
ロストアイとシルヴァーの遠吠えがきこえ、ますます力をいれた。
有利な状況にみえたが、ロウラがおそってきた。一気に不利な戦況になった。ブランは逃げようと向きをかえたが、敵に囲まれた。
怯えていないことを示した。みにくい顔をゆらし、威嚇する。
ロウラが地面に押し倒した。口のなかに砂がはいる。ブランは身をもがいた。
「おれの仲間を脅したお礼をたっぷりとしてやる」
ブランは尻尾を丸めた。助けを呼ぼうとしたが、声がかすれた。
「おまえの仲間に直接ひどい仕打ちをするか。それとも、仲間を裏切ってこちらの群れに入るかの二択だ」
故郷にいたころより、ロウラは何かにとりつかれたようにやけになっている。何かに怯えている。
また、ロストアイたちの遠吠えがきこえた。答えたい気持ちがあふれた。ロウラの仲間になってしまった以上、それは叶わない。
身分の低いブランがいることで、群れの形成が変わった。ロウラは大きな岩でくつろいで三匹を見下ろしている。満足気な表情だ。ブランは腹が立った。
ふたりが、なわばりの見回りをしているあいだに、ロウラに執拗に責め立てられた。
傲慢な態度とは裏腹に、一度や二度、怯えた顔をした。
雨があがった。仲間の遠吠えはぴたりとやんだ。ブランは遠くへ逃げてくれることを祈った。
父がいなくなった群れのように、狩りの成功率はそれほど高くはなかった。ブランたちと同じように、家族構成の群れではないので、無理もなかった。
ロウラたちの食べ残りで凌いできた。骨が浮き彫りになっていく。柔らかい風でも、身体にしみる。
夜中の遠吠えは、ブランの醜さを象徴するものだった。耳を寝かしたい気分だ。胃がむかむかする。あまり食べてなかったが、こっそりはいた。
新しいオオカミ二匹が、ロウラに抵抗した。強さをしめすような仕草をしている。ロウラが頭ごなしにうなった。一瞬、怯えた表情にかわった。
ブランはもめているロウラの群れからこっそりとぬけ出した。ロストアイやシルヴァーと過ごした場所まで逃げた。
また雨が降った。そのおかげで、ロウラたちの鼻をごまかすことができた。人間がまだ野花の咲く場所にいる。地面をほりおこそうとしている。夜遅くまで何かにとりかかっている。見たこともないようなものがあった。
危険を冒して、ブランはロストアイたちを探した。
使用していた洞穴のなかを調べた。彼らはいない。
幸運なことに、ロストアイたちの遠吠えがきこえた。すぐ近くにいる。
ブランは人間が静かにしている夜に居場所を特定し、移動した。
焼けた痕の森で、三匹は落ち合った。まだ焦げくさいにおいがする。
仲間がそばにいて、心丈夫に思った。ブランは、再会を喜んでふたりの顔を順番になめた。
「どうして遠吠えに反応しなかったんだい?」
「ロウラにつかまっていたんだ」
ブランはロストアイの質問にこたえた。居心地の悪い群れを思い出し、身震いした。
「よく逃げ切れたな」
「ロウラがリーダーから成り下がるのを恐れていたんだ。そのすきに逃げた」
シルヴァーが感心したような顔でまばたきをした。
「でも、どうしてロウラはぼくたちの居場所がわかったんだろう?」
「偶然よ、きっと。あなたたちは血がつながっているから。多少たりとも考えることは一緒なの」
ブランは口をゆがめそうになった。卑劣なロウラと同じようにみられて、いい気分にはならない。
「そうかもな」
ロストアイも不満げに肩をすくめた。
「あの群れに、もう一度つかまりたくはない」
「それなら、あの山を越えてみましょう」
「山なら、滅多に人間は入りこまないと思うし、ロウラもそこまではこられないだろう。ぼくも賛成だ」
逆流に逆らうかのように、魚が泳いでいる。ブランはお腹が減っていた。しかし、その様子を見て、捕食する気持ちにはならなかった。
ロストアイは小さな枝で遊ぶのがお気に入りの様子で、ひとりで転がりまわしている。
シルヴァーが近くにやってきて、前足で川の水面にしぶきをあげた。ブランは毛に水がかかり、ふざけて怒ってみせた。
魚はそれでも必死に流れに逆らっている。少ししか泳いでいないが、着実に前へすすんでいる。そのことに、ブランは俄然やる気がでてきた。
「そろそろ行こう」
シルヴァーがそばにいる。ブランは少し足踏みした。
ロストアイが小枝をほっぽって、近くまでやってきた。充実しているのか、表情がいきいきしている。
「久しぶりの陽気に、休憩しすぎたな」
ロストアイは息をはずませている。
木漏れ日が背中にあたって心地よい。もっと光を吸収しようと、ぐっと筋肉をほぐした。
「行こう」
ブランは緊張がほぐれ、ほがらかに鳴いた。
山火事の被害のうけていない森を後にした。
「久しぶりにひと息つくことができた」
ブランは舌なめずりをし、シルヴァーの頬にふれた。
シルヴァーはそれには無視した。ブランは不審がって横目で彼女をながめた。
シルヴァーは立ち止まり、注意深く耳をそばたてている。
「誰かが怪我をしているわ」
「ロウラ?」
「違う。雌オオカミよ」
シルヴァーは真剣な目をして鼻面を上にあげ、においを確かめた。
「血のにおいがするわ」
「ぼくはクモの巣を調達してくる」
ロストアイがきびすを返してクモの巣がありそうな場所をさがしはじめた。
「何かあってはいけないから、ぼくはきみのそばにいる」
ブランは安心させたい思いで、シルヴァーのわき腹にふれた。
ふたりは気を張りつめた。シルヴァーに先頭をゆずった。持ち前の嗅覚の鋭さで、すぐにみつかった。
かぎ覚えのあるにおいに、ブランの毛が逆立った。嫌な記憶がよみがえる。
縁のきれた薄茶色のオオカミが、倒木のしたじきになって苦しくもがいていた。
父がそうであったように、このオオカミも手を貸してくれないことに、怒りと焦りを感じていた。
「すぐ助けるから」
ブランが身をかがめて細い木を彼女の背中からどかそうとこころみた。出血しているのか、近くの小さな葉っぱの茂みが、赤くそまっている。
ブランとシルヴァーは、力をあわせてどうにか木をどかした。ロストアイもすぐにもどってきた。優秀な腕をみせ、慣れた手つきで怪我をした後ろ足にクモの巣を巻いた。
薄茶色のオオカミは、ブランから顔をそらした。ブランは挨拶するように軽く鳴いてみせた。
「ぼくがウサギをとってくる。きみたちは怪我をしている彼女のサポートを、よろしく頼む」
ブランはウサギを薄茶色のオオカミの足元におとした。
「彼女はマロンっていうの。毛の色にぴったりの名前だわ」
マロンはシルヴァーより小柄だった。飢えた目をしている。マロンはすばやく肉を飲みこんだ。
「歩けるかい?」
ブランの声かけに応じて、マロンは立ち上がろうとしたが、よろけた。
かたむいた方向を、ブランは支えた。
「この木も、先日の雨で地面がぬかるんでいたんだ。だから倒れてしまったんだな」
ロストアイが鼻面を地面に近づけて推測していた。
「そうかも」
安全な洞穴が見つかった。ひとりぶん入れる小さな穴だった。マロンが倒れこむように横たわった。かすり傷のついた前足をなめはじめた。
「それだけ動けていたら、安心だわ」
「ごめんなさい」
マロンがとりみだした声をあげ、ブランをちらりとみた。
「あのとき、ひどい態度をとって。だから、あたしは罰があたったのよ」
「いや、いいんだ」
ブランはマロンと鼻をふれあわせた。
「きみと送り合った遠吠えは、楽しかったよ。あのときだけは、心がはずんでいたんだ」
シルヴァーがブランの腰に尻尾をあてて注意をひいた。ブランは耳をぴくっと動かした。
「少し休んだほうがいい。ぼくらが見張っているから」
マロンは感謝をこめてまばたきをした。顎を前足にのせ、尻尾を身体に引きよせた。
洞穴の近くで落ち着ける場所をみつけた。ちょうど灌木と茂みが混ざり合った場所で、身を隠すこともできる。
シルヴァーの目が少しうらやんだ色をしている。
「誤解しないでくれ。たとえマロンを助けたとしても、それはただ善意で行っただけのことだよ。ぼくは誰かを助けられるようになりたかっただけだ」
シルヴァーの表情は和らいだ。ブランは心のなかでほっとため息をついた。
「これからどうする?」
ロストアイはふたりのやりとりに、興味がないといった調子で、話題をかえた。
シルヴァーも自然と答えをもとめるかのように、ブランをみた。
「しばらくはロウラに警戒しながら、マロンの経過観察をしよう」
「あなたは何も悪くないの」
シルヴァーがマロンになぐさめの言葉をかけた。マロンはすすり泣きをしている。
「まだあたしはブランにしたことを、悔やんでいるのよ」
「彼も気にしていないって言っているわ。その証拠に、あなたを助けたでしょう?」
ブランは気をつかって洞穴の外で耳を立てて、会話をきいていた。
マロンの気持ちが落ち着いたのか、シルヴァーが少し苛立った様子で顔をだしてブランの隣に腰をおろした。
「いつになったら本調子にもどるのかしら」
シルヴァーが少し呆れたように目をまわした。
「まだ傷がうずいているのかも。だからいつもより心配しているんだよ」
シルヴァーが鋭くブランをにらみ、そっぽをむいた。
「はやいこと旅をさせてあげたほうが、気もまぎれるかもな」
ロストアイはふたりの関係に気がつかない素振りをしながら、ブランに意見を求めた。
「それがいい。ずっとあの山で一緒に暮らすのか。そうでないのかは、彼女に判断させたらいい」
ブランはさっそくマロンに相談した。少したじろいだ様子だ。視線を合わせようとはしない。
「あなたたちが快くうけいれてくれるのなら、あたしはついて行くわ。迷惑をかけるかもしれないけれど……」
「そこは気にしないでくれてかまわない」
マロンがほっと息をついた。ブランは歓迎のしるしに短く鳴くと、マロンも恥ずかし気に返してくれた。
旅をつづけるうちに、またお腹が鳴った。マロンは昨日のウサギでは満腹にはなってはいない。
ブランたちは少し歩いては休憩して、狩りをした。それの繰り返しだ。
春真っ盛りの気候にさそわれて、馬の群れが草をはんでいた。こちらには気がついていない。
「マロンをいれた、はじめての狩りをしよう」
ブランの提案に、マロンが喜んだ。ブランが一番に狩りの前触れの合図の遠吠えを行った。
マロンの遠吠えが少しはみ出た。ロウラを思わせる音域に、不愉快な思いをした。ブランは気にせずに明るくつとめた。
自然なながれで、ブランはマロンと手を組んだ。群れの秩序が乱れ、狩りは失敗におわった。
「残念。でも、次があるわ」
マロンが気丈にも尻尾をたてた。ロストアイがシルヴァーをなぐさめている姿が目にはいった。ブランは不思議に思い、シルヴァーを盗み見た。彼女は狩りを失敗して落ちこむような浅薄なオオカミではない。
シルヴァーが、きびきびとした足取りでブランの横にたった。かすかに首まわりの毛を逆立てて、自分の身体を大きくさせている。
「また歩いてみましょう。マロンもそれでいいわよね?」
マロンはうなずいて、先頭を歩こうとした。シルヴァーの目に、焦りと怒りの色がみえた。
ブランには理由がわからなかった。そのかわり、どんな理由であっても彼女をなぐさめた。
馬の肉の味が恋しい。それよりも、はやく一番なじみのある、オジロジカの肉が食べたい。
何日かかかって、狩りは成功した。とどめを刺したのは、いつものブランではなく、マロンだった。
夏は暑いので、憩いの時間になった。連なった山は以前よりも視界に大きくそびえ立っている。今もまだ、草原がつづいていた。視界の先に湖が見えている。
初夏の風が吹いた。いつの間にか蝶々の姿も見かけなくなっている。北の方角にむかって歩いているのか、火事になる前の住処より、夜は冷えこんだ。
旅の途中で、夏毛に生え変わった。ふくよかで穏やかそうな体系にみえたシルヴァーが、しなやかな美しいオオカミに変わっていた。
マロンは、冬毛と夏毛の体格の違いがあまり変わらない。痩せ気味で、骨が少しういてみえる。
ひょんなとこからお互いにじゃれ合いがはじまった。
最初に遊びをしかけたのは、ブランだった。のびをするような姿勢になった。かまってほしいことを、少年心のようにアピールした。
ブランはロストアイと久しぶりに追いかけまわし合った。近くにいたシルヴァーも、マロンも、喜々として参戦しようとした。
ロストアイが小枝につまづいた。おもちゃ変わりになる代物をうばわれないように、面白おかしくうなっている。ブランが小枝を引っ張る相手になるところだった。それよりもはやく、夢中になってマロンがロストアイに軽く体当たりした。
「気をつけてよ!」
ロストアイが少し本気になって怒った。
それでもマロンは夢中になってやめようとはしない。
シルヴァーがマロンから小枝をうばいとり、ブランに口渡しをした。
ブランは居心地の悪さを感じた。首の毛が逆立つ。思わず立っていた尻尾が地面と平行になった。
「ロストアイ、マロンはまだここの仲間たちと馴染めていないんだ」
少し気まずい空気になった。ブランは気が引けたが、構わずつづけた。
「マロンも過去に何があったかはわからない。でも、新しい群れを求めていたってことは、辛い出来事があったんだと思う」
マロンがむくむくと身体を大きくさせ、自分が優勢であることをしめした。
ブランはマロンをたしなめた。
「ここの仲間はおなじように苦しんだ過去がある。誰もが平等であるべきだ」
緊迫した沈黙がしばらくながれた。
「ごめん。謝っておくよ」
ロストアイが少し身を低くしてマロンを見上げた。
「あたしもこれからは気をつけるわ」
ブランはマロンの仕草を観察した。反省の色はみせたが、まだ尻尾はあがっている。
シルヴァーがマロンを軽くにらんだ。ブランはそれには気がつかないまま、ロストアイに近寄って小声であやまった。
「すまない。何よりも絆が深まっているきみを、悪者にするつもりはなかった」
そして、マロンに聞こえないように、さらに声を落とした。
「マロンに理解してほしかっただけだ」
ロストアイは納得した表情になった。それだけでブランは安心できた。
ここの草原にオオカミはいないのか、なわばりの主張の遠吠えに反応する者はいなかった。
灌木の近くの洞穴と、倒れた木の近くの洞穴を、しばらく夏の住処にした。
日差しが毛に吸収して暑い。熱を逃すように、舌をたらした。
夜は夜で、冷えこみが厳しい。山に近づいている証拠だ。
ふたりぶんの洞穴で、ブランはシルヴァーに身体をあずけた。
はじめて出会ったときのように思える。懐かしさでブランは目を優しく細めた。
夢心地のように、シルヴァーの目元も少し細くなった。
「ふたりきりになったのは、久しぶりじゃない?」
甘いささやき声がきこえた。耳が少し、こしょこしょする。
「そうかも。はじめてあったときみたいだ」
「あなたはこれからもこの顔のことで苦労するかもしれない。でも、わたしたちはあなたの味方だから」
ブランは苦笑いをした。
「思い出したよ。しばらくぼくの顔のことを、普通だと思ってくれるオオカミと過ごしていたから。すっかり忘れていた」
「あら。それだけ自信になっているってことじゃない?」
ブランはシルヴァーの言葉をきいて、自然と誇らしくなって、口角があがった。
そんな中、シルヴァーが真顔になって違う話を持ちだした。
「マロンはどうなの? この群れに馴染めると思う?」
ブランの首筋の毛がかすかに逆立った。
「シルヴァーはマロンのことがあまり好きじゃないのかい?」
「わたしもロウラのようなオオカミになっちゃったこと、自覚しているの。本当はマロンのことも親友のように思うべきなのはわかっている。でも、なぜかできなくって……」
「まだ出会って数週間しか経っていないじゃないか」
「ねえ、わたしの親友だった足の不自由な子のこと、覚えている? あの子は、一日足らずで仲良くなれたの」
「ぼくたちだって、最初は距離が遠かった」
ブランは焦りを感じているシルヴァーの気持ちを理解しようとした。
「マロンはいいオオカミだと、ぼくは思う」
「正直いって、そうは思えない……。ごめんなさい、こんなに意地悪な話をしてしまって。でも、不安なことはどうしてもあなたに伝えたかった」
「わかった。きみの気持ちは十分に伝わったよ。でも、これはきっと時間が解決してくれるんじゃないかな」
「そうだといいけれど……」
ロストアイにもシルヴァーとマロンに対しておなじ想いを抱いていることを知った。
ブランは狩りのあとに、川で毛についた汚れの土を落としているマロンを、苦悩の目でみつめた。
父が死んだあとの故郷の群れのような連帯感がつづいた。遠吠えも途切れ途切れになってきている。
夢の世界に誘われようとしていたが、大きな声がした。
ブランは頭がぼうっとしていた。足を滑らせながら、洞穴をロストアイとともにでた。
夏のあいだに、絆を深めさせておきたかった。ブランは望みをかけて、なるべくマロンと一緒の寝床にならないようにしていた。
シルヴァーの怒った甲高い鳴き声がした。ブランは度肝を抜かした。慌てて灌木の近くの洞穴まで駆けよった。
血のにおいがする。ブランはぞっと顔を引きつった。
シルヴァーは傷だらけの身体をしていた。一番ひどいのは胸毛だった。ごっそりなくなって、赤肌が少しみえる。
マロンがシルヴァーの近くでうずくまっている。
「シルヴァーがひどいことをいったの!」
マロンはすがるような思いでブランに訴えた。
「あたしは何も悪くない。シルヴァーが、はやく群れからでていけって、いったの!」
「違うわ」
シルヴァーはこれまでに見たこともないような、険しい表情をしている。
「あなたの鼻につく優劣をつけたがる態度が、気にくわないだけよ」
「落ち着いて、ふたりとも」
ブランは頭が真っ白になりそうだった。ロストアイはシルヴァーのもとへなだめに行った。
ブランはマロンを落ち着けられるように身体をふれあわせたあと、身を低くした。
「あの休憩の遊びのときに、ぼくが余計なことをいったのが悪かった。我慢できなかったんだ」
ロストアイが少し非難するかのようにマロンをにらんだ。
「仲間のことを怪我するまで痛めつけるのはないよ。これじゃあマロンは、ロウラのようだ」
「今の状況では、みんなロウラだ」
この侮辱的な発言は、できれば避けたかった。
「わかったわ。わたしよりマロンが優秀なのは認める」
シルヴァーが諦めの声でいった。尻尾も地面の草の先たんをかすめるほど、たれている。
「あら、そう」
マロンがそっけない声をあげた。ブランの肩にもたれかかってきた。
「マロン。さっきも言ったように、優劣を決めるような群れではないんだよ。はやくそのことを覚えてほしい」
ブランの身体がチクチク刺されたような感覚におちいった。すごく居心地が悪い。
「でも、オオカミの群れってそういうものでしょう? 序列があるから、群れが成立しているんじゃない?」
「でも、マロンは度が過ぎているよ」
ロストアイはずっとシルヴァーの肩をもっている。ブランはこっそりと感謝をこめて視線をおくった。
時間が経つにつれ、仲間たちは冷静になった。マロンはまた怪我をしていたときのように、とり乱していた。
「ごめんなさい、シルヴァー」
「いいの。何も気にしていない。そのうち毛は生え変わるし」
そっけない物言いだった。それは無理もない話だ。
「はやく群れに馴染めるようにするわ。それで、ちゃんとあなたに怪我をさせてしまったこと、埋め合わせする。約束するわ」
マロンが腰を低くしているのをみたブランは、息をついた。これでシルヴァーも納得するだろう。
父が群れを率いていたときのような、連帯感のある遠吠えがきけなくなった。不協和音が草原のひろい空気にのって流れている。
ブランは遠吠の時間こそ大切にしたい思いだった。シルヴァーはブランに合わせようとしてくれるが、マロンがあいだに入ろうとする。ブランはシルヴァーの遠吠えに合わせようとすることに苦労をした。彼女はマロンのせいで傷だらけなので、なぐさめてやりたい。口ではああ言ったが、まだ根にもっているはずだ。
ある日の晩、誰かのさげすむ遠吠えがかえってきた。一匹狼だということは、すぐにわかる。
マロンは真剣に耳をそばたてている。
「あたしたちの仲の悪さを馬鹿にしているわ」
怒った声でいった。
「きっと、あたしのせいね。穴があったら入りたいくらいよ」
マロンは鋭くうなった。なぐさめの言葉をもとめるかのように、ブランをみた。
「きみのせいじゃないよ。ぼくらの仲は確実に深まっていっている」
それは嘘だ。ブランは苦々しく思った。マロンにはひどい仕打ちをされたことがある。しかし、情が移ったことも確かだ。追い出そうとは微塵も思わない。
「相手は一匹狼だ。気にしないほうがいいよ」
遠吠えをする時間がめっきり減った。なわばり主張をしていないため、キツネに遭遇した。
力を合わせようとしたが、リズムが乱れた。傷が治りかけたシルヴァーは、また苦痛に鳴き声をもらした。
「ごめんなさい。全部、あたしのせいよ」
マロンが自分を責めるような声でいった。許しを請うかのように、シルヴァーの血をとめようと傷をなめた。
「いいってば」
シルヴァーは身を離した。
「マロン、彼女のためにウサギをもってきてくれ」
ブランの指示にマロンがほっと息をついた。やることができて嬉しそうだ。
「わたしはあの子に世話をされる筋合いはないわ」
「わかっている」ブランは苦しくなった。「けど、あの子の機嫌もとらないと……」
「マロンには仲間の一員になってもらいたいんだ」
「どうして?」
ブランは純粋に質問するシルヴァーを信じられない思いでみた。
「苦しい思いをしているじゃないか。ぼくらと一緒だ」
「本当にそれだけが理由?」
シルヴァーの鋭い問いに、どう答えてよいかわからず、言葉につまった。
「わたしのことは?」
「もちろん、きみが一番だよ」
「父の故郷は群れの順位は厳重だった。だから、新しい群れができたときは、みんな平等にしたかった……」
「でも、あの子がいるとそれが叶わないわ。群れの規模が大きくなるにつれて、そうもならなくなるの」
シルヴァーが優しく言いきかせるように言ったあと、マロンが帰ってきた。彼女のいぶかしげな顔に、ブランの心は痛んだ。
「おかえり。ウサギをありがとう」
シルヴァーはマロンと視線を合わせようとはしない。
ブランはマロンの目に影が落ちた様子がみえて、嫌な気分になった。
夏の日差しが弱まった。秋の近づく風の音がした。洞穴にマロンはいなかった。
ぶくぶく太ったリスのにおいが、木の上の方からする。食欲は湧かない。
ブランは気が重くなった。自分も使用していた寝床からにおいを追跡しようとした。
ブランは何日もかけて遠吠えをした。
シルヴァーが自分の表情がわからないように、目をふせて近づいた。遠吠えには参加しなかった。
「そろそろ出発したほうがいいわ。あの一匹狼が近くにいたらやっかいだし、ロウラにも会いたくないもの」
久しぶりに心地いい空気が流れた気がした。そのことに、後ろめたさを感じる。
ロストアイもシルヴァーの後につづいて、彼女とは反対側に身を低くして立った。
遠くで、馬がリーダーを先頭に列を成して駆けている。
シルヴァーとロストアイは、ブランの言葉を待った。
「やっぱり、オオカミはロウラの言うところのプライドを捨てないほうがいいのかもしれない。そうしなければ、当たり前の日常は戻ってこない」
ブランは気持ちの整理をしながら、身体を大きくみせ、ふたりをみた。
「行こう。ぼくはようやく目が覚めた。故郷の群れが当たり前だってことが、わかった」
シルヴァーが意見を尊重するかのような仕草をした。ロストアイは、できるだけ頭を低くし、耳を後ろに寝かせた。
シルヴァーがブランの肩にそっともたれかかった。額に傷があったため、ブランはなめてやった。
シルヴァーの柔らかい身体に罪悪感もなく触れられたのは、久しぶりのことだった。
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