第7話
『いますよ!姉がどうかしましたか?』
朝練で忙しくしていると思っていたから、しばらく来ないと思っていた返信は時間を見ると、あの後すぐに送られていた。
あまりの早さに、聞いたはいいけどその後どうするのか、考える時間が足りなくてずっと画面とにらめっこをしている。
時間的にまだ練習中のはずなのだけれど、多分奈桜は体育館にスマホを持ち込んで返信をしている。
久々の連絡なのに、細かく追及しない所がとても助かる。奈桜も私にべったりくっついてくるタイプだったのに、踏み込んでくる距離感を考えてくれて不快に感じる事がない、信頼している唯一の後輩だった。
それでも長い期間連絡を取らなかったのは、気まずくなった経緯が所属していたクラブにもあるからなのだけれど。
悩んでいる間に、登校までの準備が出来てしまい鞄を持ち上げ、靴を履いた。とにかく、昨日の今日なので何か大きな変化があるとは考えにくいけれど、朝早くに行くと出くわす可能性があるかもしれないと脳裏をよぎり、いつもより遅い時間の登校にはなってしまった。これ以上遅くなってしまうとさすがに遅刻してしまう。それでも、自転車を進めるスピードが無意識に遅くなっている。
今まで咲花さんに出くわしたことのない場所でも、鉢合わせてしまうのではないのかと、少しばかり警戒している自分がいる。どういう顔をして会えばいいのか自分の中の答えがまとまらず、曖昧なまま。あんな返事をしておいて、自分勝手なのは分かっているけれど、少し距離を置きたいという気持ちが大きかった。
連絡先を交換したけれど、最終的にぐいぐい来ていた態度とは裏腹に、沢山送られてくると思っていたメッセージは一通も来ていないし、かといって私から何を送ればいいのかも思いつかなかったので送っていない。向こうから来ていればそれなりにやり取りはできていたと思うけれど、そうできない私は永遠に受け身人間だな…。
永遠に頭の中では、昨日の事は特に変わった意味ではなくてラブではなくライクの方だったのかと言い聞かせている。
自分の教室のはずなのに、咲花さんが毎朝いるらしい私の座席を恐る恐る、教室の外から覗き見る。タイミング悪く教室を出ようとする誰かと覗き込む私で鉢合わせしてしまった。
「おはよ、何してるの?」
「ご、ごめんなさい。って光莉ちゃんか」
光莉ちゃんの背中から少し見えた席には他に誰もいなくて、今までの登校史上遅い時間というのが功を期したのか、咲花さんと朝から顔を合わせる事はなかった。
避けているようで申し訳ないのだけれどとりあえず安心してしまっている自分がいる。昨日の出来事が起こる前はあんなに話をしたがっていたのは自分なのに、最低だ。
「咲花なら今日来てないんだよね、心配だからクラスに見に行こうとしてるんだけど、一緒に来る?」
「なんで私も?」
光莉ちゃんは私の顔を見て、静かに黙ってしまった。
あの場から突然いなくなったといえ、2人は仲が良いというのだから、あの後あった事をきっと聞いていると思うのに。咄嗟に私は誤魔化すように逃げてしまった。
「ま、確認くらい1人でいけるか」
それ以上何も言わず、隣の教室に行ってしまった。
自分の座席に荷物を置いて、どうしようか考える。
慣れたはずの教室なのにどうも居心地が悪い。このままここで光莉ちゃんの帰りを待った方がいいのか、別に咲花さんを連れてくるというわけではないのだから、普通に過ごしていればいいのに。ここから逃げ出してしまいたいという気持ちでいっぱいだ。さすがに誰もが昨日の事を知っているというわけではないはずなのに、自分以外の誰かが昨日の事を噂しているんじゃないかという錯覚に襲われている。こんな時は思い出さなくてもいい過去のトラウマを思い出して、重ねてしまう。
『女バスでキャプテンしてる凜華って知ってる?』
『山下先輩と付き合ってる子でしょ?』
『そうそう、好きな人が別の学校にいるのに先輩と付き合ってるらしいよ。どういうつもりなの?』
『何それ、酷すぎない?先輩人気あるのに』
『私それ聞いた!隠れて女の子と付き合ってるって』
『二股じゃん!』
『二股で済めばいいんだけど、聞いた話だとね――』
今でもたまに夢を見る。私にとっての悪夢。
ありもしない噂を流され、それでも気にしないようにしていたけれど、気付かないところで尾ひれがついて、蝕んで行った。
それでもみんな私達に直接言ってくる事はないから、害のないように感じるけれど、耳に入るように話されるクラスメイトのその会話が無限ループのように、自分に向けられていないかもしれない会話までも全て自分に鋭い刃物のように向けられた敵意のようなものに感じる妙な感覚で、いつしか日常生活での集中力の欠如など色々な身体の異常が起きて、生活に支障が出てくるようになっていた。
クラブとは違う、学校での出来事だったはずなのに彼氏ができたと教えてもいないのに広まったくらいだから、わざわざそんな噂話を持ち込む子がいるかもしれないと一度でも思ってしまったら、クラブでも集中できなくなっていた。
そんな時に練習中の事故で怪我をしてバスケを離れることになって、推薦の取り消し、それを利用するかのように私は先輩との連絡を全て絶つと、それを悟ったかのように先輩も何も言わずに卒業していった。
少しは克服できたと思っていたのに、人の視線や会話内容が自分に向けられていると思い過敏に反応してしまう。
「凜華、大丈夫?」
「――光莉ちゃん、どうしたの?」
「こっちのセリフだよ、何回も呼んだのに」
嫌な事を思い出して、考え事をしていたせいで呼ばれていることに全く気が付かなかった。
光莉ちゃんは私の顔を覗き込んで、背中をさすってくる。私は荷物を座席に置いたまま、結局そのまま立ちすくんでいた。
「顔色悪いから保健室行こ」
「いや、大丈夫だよ。何ともないから」
「何ともない顔してないから言ってるんだよ」
そのまま背中を押されて無理やり廊下に出されてしまった。
無防備なままで廊下に出されたけれど、嫌な事を思い出していたせいですっかり咲花さんの事が頭から抜け落ちていた。
でも大丈夫そう、気にせず進んで行く光莉ちゃんに負け、そのまま廊下を進んで行く。
「咲花さんは大丈夫だったの?」
「他人の心配してる場合かよ」
そんな自覚はないから、全くピンとこない。少し嫌な事を思い出したからそのせいかもしれないけれど、今の光莉ちゃんの勢いに押し勝てる自信がなかった。
保健室にたどり着くまで、光莉ちゃんに学校に来るまで何をしたのか質問をいくつかされた。
何時に寝たのか、今朝は何時に起きたのか。ご飯はしっかり食べたのか、自転車に乗っていて気分は悪くならなかったのか。両親は今の私の状況を知っているのか。
「光莉ちゃんが先生みたいだからもう十分じゃない?」
「黙って休んでな、せんせ呼んでくるから」
そう言っているのに、保健室に辿り着くなりそのまま1人押し込まれ独りぼっちになってしまった。
シンと静まり返った保健室の中は教室にいる時よりも落ち着いて、連れてこられて正解だったのかもしれない。
みんなが思っているような人間じゃないことは自分が1番よく分かっているし、早く克服したいとも思っている。咲花さんにも、知らないふりをして誤魔化すんじゃなくてしっかりと話をしないと、避けていたらせっかく新しい場所で学生生活を送ろうとしているのにダメになってしまうかもしれない。ありもしない噂ほど怖い物はないって自分が一番よくわかっているから、はっきりさせてしまおう。
目についた鏡で表情を確認して笑顔を作ってみる。
「うん、上手く出来てる!」
顔色が悪いと言われたけど、気分も悪くないし申し訳ないけどしばらくしたら教室に戻ろう。それで今日の目標は、咲花さんが登校していたら昨日の話をちゃんとする事。どうせなら自分の話もしっかりしてしまおう。
「奈桜に返事も返さないと…」
携帯を取り出そうとして、手元に何も持っていない事を思い出す。自転車に乗る時はスクールバックにいつも入れている携帯をまだ取り出していなかった。何をするにも一度教室に戻らないと。
ドアに手をかけて、もしかしたら廊下にまだいるかもしれない光莉ちゃんに警戒しつつ、ゆっくりと扉をスライドさせて外の様子を窺うように顔を出した。
「何してんの?」
警戒するまでもなく、ちょうど私の鞄を持って戻って来たらしい光莉ちゃんとタイミングよく遭遇してしまう。おまけに無理やり連れてこられたような様子の人物が1人。見間違えるはずもない、入学当日から私の脳内から消える事がない、咲花さん本人だった。
「凜華様、動いて大丈夫なの?」
「やっぱり様っていうの、キャラじゃないかなぁ…」
「ごめんなさい。つい、癖みたいなもので」
何度呼ばれても歯がゆい感覚に、出来る事なら早く呼び方を見直してほしいと思っている。
保健室の中に押し戻されるように戻って、とりあえず目についた椅子に腰かけて2人から距離を置く。
「私、友達少なくて。咲花さんみたいなキレイな人が友達とか信じられないし、未だに直視できませんが」
照れたような態度を見せる咲花さんが新鮮で、こんなにきれいな人でも言われ慣れないという事が未だに信じられない。
「きれいって私が?」
「よく言われない?最初モデルさんがいるのかと思ったよ」
「凜華様にそう言ってもらえるなんて幸せです!」
「呼び方戻ってます…」
にこにこと嬉しそうにしている様子が可愛くて、新しい一面を見てしまって得をした気分になってくる。
「ていうか。凜華、顔色よくなってるね」
「昔の事思い出して、気分が悪くなっただけだから」
そんな私の言葉を聞いて、今度は勢いよく歩み寄ってくる咲花さんに驚いて椅子から落ちそうになった。私の前髪をたくし上げて、おでこに手を当てる。真剣な表情にと咲花さんの整った顔があまりにも近すぎて息を呑んだ。
「この子の距離感おかしいから気にしないで…」
気にしないでというのは無理がある。
近すぎる距離にこのままだと息ができないし、目を逸らすことも出来ない。次は窒息して倒れてしまいそう。
「今度は顔真っ赤だよ、熱ある?」
誰のせいだと思っているのか。息を殺して喋らないようにしているのに、そんなに綺麗な目で私を見ないでください。そしていい加減離れてください。直視できません。少し離れた所ではクスクスと笑っている声が聞こえるけれど、逆にそちらは見なくても分かる。苦しそうに笑いを堪えている光莉ちゃんの声だ。心配そうにしている咲花さんには申し訳ないけれど、私の顔に触れる手を何とかどかして、久しぶりの呼吸をする。
深呼吸をして呼吸を整えて、逃げるように椅子から降りて数歩後ずさりして距離を置いた。
「だ、大丈夫です…おかまいなく」
申し訳ないと思いつつ、視線を逸らしながら謝った。これだと昨日と立場が逆になったような状態だ。そもそも、昨日の今日で普通にしていられるという事は、少なからず恋愛関連で慣れているのか、やっぱり綺麗な人はモテるということだろうか。
「今のは、体調じゃなくて咲花が凜華を殺しかけてた」
咲花さんは、これでもかと笑っている光莉ちゃんを睨みつけると、ぷいっとそっぽを向いてまた私に歩み寄ってくる。
「そんなの分かってる、ごめんなさい」
思ってもみなかった。今度は私の前で頭を下げて突然の謝罪。
どうしてこうなってしまったのか全く理解出来ずに固まっていると、光莉ちゃんが言葉を付け加えた。
「昨日のが突然すぎて、凜華が困ってるよって教えたの、そしたらこいつ」
「ひーちゃんは黙ってて!」
顔を上げるとほぼ同時に、私の両手を力強く掴んだ咲花さんの手は、堂々とした様子とは裏腹に小さく震えているのが分かった。私だけじゃなくて、咲花さんも緊張しているのが分かって今まで別の世界の人だと思っていた印象ががらりと変わって、勝手にイメージしていた印象が崩れていく。
「私が暴走しちゃったせいで、凜華さ―凜華ちゃんを困らせちゃって」
直視できない程眩しくて、それとは逆に私に向けられる真っすぐな視線が痛かった。やっぱり、昔からこういう純粋な憧れや好意の含んだ視線を向けられる事に慣れる事はないのかもしれない。バスケを辞めて、こんな機会がまたくると思っていなかったから余計にそう思ってしまう。
「だから、昨日の気持ちは本当だけど、正々堂々じわじわと凜華ちゃんに好きになってもらって、好き放題できるようになるのを目標にするから」
全然純粋じゃなかった。
昨日もそうだけど、謎のアルバムからの友達拒否発言。見た目とは裏腹過ぎて行動や思考が全く読むことができない人だ。
「でも私はみんなが思っているほどかっこよくもないし、やっぱり所詮は女だから、友達になって幻滅する事の方が多いかもしれない」
「凜華ちゃんはかっこいいよりも、可愛いだから!」
「え?」
想像もしていなかった言葉に唖然としてそのあとの会話が全く頭に入ってこない。
〝可愛い〟のイメージとかけ離れた存在だと自分で思っていたから拍子抜けだった。身長は低いけれど、男子生徒に間違えられたりすることが多くて、バスケをすれば女の子から「かっこよかったです」と囲まれ、可愛いと言われるタイプの種類に私はなれないのだと思っていた。少しでもそうなれればと髪を伸ばしてみたりもしていたけれど。もしかして、もうそんな努力もしなくてもよくて、高校生になってやっと目標達成した?
「かわいい?」
嬉しさのあまり、思わず聞き返してしまった事が間違いだった。スイッチを入れてしまったのか、咲花さんは光莉ちゃんが止めるまで、どう可愛いのかそう思ったきっかけから今に至るまで、思い出話をするかのように話してくれた。
どれもこれも、私が忘れていたバスケを始めた頃の話から最近の出来事まで全てを見ていて、自分の事のように話した。その中には恥ずかしいエピソードも含まれていたため私は恥ずかしくなって耐えられなくなりその場に頭を抱えて座り込んでしまったから助けてくれたのだと思う。やっぱり、アルバムは咲花さんの私物で間違いがないと。その時、タイミングよくスマホが震えて画面を見ると奈桜からの通知を知らせるものだった。
「そうだ、勘違いだったら悪いんだけど、咲花さんって」
「さん、は嫌」
「――咲花ちゃんってさ」
少し不満気な咲花さんをよそに話を続ける。
「妹さんいたりする?その子もバスケやってたり…」
話し終える前から不満そうな顔をしている咲花さんを見て不安に感じ自信がなくなってくる。もし妹が奈桜ちゃんだったら、昨夜見た夢は私の思い込みじゃなくて、記憶に基づくもの。小学生の頃の夢はその事を知らないから今の記憶の咲花さんの姿だったということになる。
機嫌を損ねた様子から感じるのは、姉妹で仲がよくなかったのかもしれないということ。続きを話たくても、そうさせまいとする雰囲気を感じ取り、それ以上話しにくくなってしまった。
「多分、私がよく知ってる子だけど、奈桜がどうかしたの?」
やっぱり奈桜にしっかり確認をしてからにすればよかったと後悔しても遅いけど。
仲が悪いのかどうか、それは分からないけれど、このタイミングで話すべきでなかったのは明白だとそれだけは分かる。早くも逃げ出したくなって、どの選択が正解なんだろう――。
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