第10話 年下の部下はやっぱり噛みついてくる
「……好きなのに」
彼女の口からその言葉が零れ落ちて息が止まった。
「……仕事……大好きなのに……受け入れられない自分が嫌になる……私が……もう私を受け入れられない……」
今にも涙が溢れそうなその潤んだ瞳から視線を逸らせずにいた。俺自身の心臓も無駄に乱れて戸惑ってしまう。そこにいきなり殺気だった猫のように彼女が嚙みついてきた。
「あなたのせいだから!」
(俺のせい?どういう意味だよ)
「あなたが……勘違いさせるから!自分にうぬぼれて……仕事ばっかり……もういや」
「……それって俺が仕事振りすぎたから嫌になったってこと?」
「逆!仕事したいの!山ほど仕事もらってうれしかったの!」
逆切れされた。しかもその言い分がどうしようもないほど可愛いと思ってしまう。
「じゃあやればいいだろ、もっと仕事!いくらでも振ってやるよ!」
そう言い返したら大きな瞳から我慢できないように涙が落ちた。
それをキッカケにぼたぼたと大粒の涙が零れ落ちて、床に染みを作って広げていく。
「どうして……そんな簡単に言うんですか?なんで……久世さんは私にそんなことばっかり言うんですか!」
「仕事ができるからだろ!出来ないやつに仕事なんか振らないんだよ!当たり前だろ!」
だんだん苛ついてきた。
「なんで辞めたいんだよ、理由を言え。仕事したいのに手放してまで辞めたくなったのはなんで?俺はそれが知りたい」
そう言ったら彼女の眉がハの字に垂れ下がる。
「二年も悩んでそれでも続けてきたくせに、なんで今辞めるってなった?」
頑なに閉ざす口を開けたい。
悩んで迷った気持ちを吐かせたい。
泣くほど溜めた気持ちを俺にぶつけさせたい。
守れるかわからない、でも――受け止めてやりたい。
この気持ちはもう上司の域を超えている。
「前にも言ったよな?覚えてる?飲み込むのが正解じゃないって。吐ける場所があるなら吐け、我慢するな、いいから言え!俺にぶつけろ!」
そこまで言えば大粒の涙が弾けて……彼女の顔がぐしゃぐしゃに歪んで俺を見つめ返してくる。その時思った――あぁ、と。
「……もっと……認められたい……私自身を……評価されたい、でもそれは……出来ないから……諦めてたのに。どんどん欲が出て……久世さんと仕事して……久世さんの下で働いて……ただの歯車なのに勘違いした私が悪いんです!悔しくても、虚しくても割り切れてたのに……割り切れなくなった自分に嫌気がさしました!私が派遣を受け入れられなくなった、それだけです!」
震える手が口元からこぼれる嗚咽を塞ごうとしていて、その姿はますます胸を締め付けてくる。そしてより思うんだ、あぁ、俺は――こんな風に泣かせたかったわけじゃない。
守りたかっただけだ、ただ彼女の傍で、誰よりも守ってやりたかったんだと。
「なんでそんなに自分のこと馬鹿にすんの?」
「馬鹿じゃないですか、馬鹿ですよ!自惚れて勘違いして馬鹿以外のなんなんですか?」
「認められたい?評価されたい?誰にされたいんだ?」
「……え?」
「自分のことだろ?意地でも割り切れよ、そんだけの仕事してて、なんでもっと頑張ってる自分を認めてやらないんだ」
そう言えば彼女が息を飲んだのが分かった。
涙をこぼすその瞳は大きく開き揺れていて、そんな瞳で見つめられるとたまらなくなった。
「もっと自惚れていい、勘違いじゃない、君はちゃんとここで仕事をしてる。その結果は実績と経験でちゃんと残ってる。仕事見てれば分かる、認めないヤツがいるなら連れて来いよ、俺が認めさせてやる」
「……もう……やめてください」
震える声が言う。
「……私なんかっ」
そんな言葉言わせたくない。
その思いで彼女の身体を引き寄せた。
小柄な体は俺の腕の中にすっぽりと包まれて、包んだ瞬間に体になじむように引き寄せられる。
「もう言うな」
抱きしめる腕の中で彼女が震える。その震えを抑えるようにきつく抱きしめる。
震えているのにされるがままで押し返してこないのが逆に気持ちを高ぶらせてくる。
「この半年で……誰よりも信頼してる。認めてるから頼ってる」
もう誤魔化せない。
「いなくなると困る」
いてくれないと、困るんだ。俺のそばに、誰よりもそばにいて欲しい。
いい上司ではいれない、彼女の望む形には戻れない、その覚悟を決めて抱きしめる。
その腕の中で震える体からゆるゆると力が抜けていくのがわかった。
同時にすり寄るように体に体重がかかったと思うと、鼻をすする音がして彼女がまた泣いているのだとわかる。
「……泣くな」
「泣かせてるのは……久世さん……です」
ひどい鼻声に思わず笑ってしまったら彼女が拗ねた声で言ってくる。
「笑わないでっ……」
「ごめん」
「どうして……そんなに優しくするんですか」
抱きしめてた腕の力を緩めてそっと髪の毛を掬う。
柔らかな髪の毛から香る甘い匂いに鼻をくすぐられ、小さいけれど弾力のある身体を抱きしめているともうどうしようもなくなった。
その熱をもっと感じたい、そう思って手を頬に伸ばして柔らかな頬を包み込んだ。
「見ないで、ください」
その手を振り払うように顔を背けるから余計に見たくなる。
「いや、見るだろ」
「っ……なんでっ」
「見たいから」
「み、見せたくありません!」
抵抗するけど腕の中なので逃げる範囲が限られているから無駄な足掻きだ。
涙で濡れた頬を親指の腹でなでると、身体を一瞬ビクリとさせて、ためらうように見上げてくる。
漆黒の大きな瞳が、涙で潤んでいる。
その瞳に吸い込まれそうになって、腰を抱いていた腕の力が自然と強まるとそのままグッと引き寄せた。
身体が密着すると、ふたりの間にあった距離感はもうなくなった。
「久世さん……」
小さな声。
とまどいを隠せないような、囁くような声。
赤いくちびるが俺の名を呼ぶだけで気持ちが昂って、俺はそのままソッと顔を近づけた。
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