第2話
「彼女いいのぉ?」
講義室の奥から甘い声が聞こえて思わず足を止めた。
誰かがこの中でナニかをしている、それが見えなくてもわかって自然と足が止まった。
「……いいよ、あいつやりにくいし」
男の声に固まった。
「だからリカちゃんが慰めてよ」
「ひどい彼氏ぃ」
――やりにくい?
それは……なにが?
冷や汗が溢れて身動きできない私の体、貧血のようなクラっとした症状が襲ってきところを背後から支えられた。
肩を掴まれて、背中越しに感じる気配に見上げると冷めた目をした芹沢がいた。
「お前の男、クズやん」
「……ぁ」
「あんなんにフラれる前に自分から切れよ」
「……」
なにも言えない私を冷たい目が見つめる。
その目から感じる苛つきは、私のこの弱くて情けない姿にムカついているのか。芹沢は私みたいな女は好みじゃない。芹沢が選ぶ子は浮気なんかされない、なんなら奪えるような強気な自信のあるタイプばかり。
芹沢に見つめられて数秒。
視線を先に外したのは芹沢だ。フッと視界から消えて足が室内へ向いたから思わずシャツを掴もうとしたが間に合わず。芹沢は部屋の中に堂々と入ってしまった。
瞬間テンパったけど、芹沢の行動なんか読めるわけない。考えたくても考えさえ浮かばない。躊躇いなく部屋の中に入って物音をあげるから先客たちは慌てた声を上げた。
「なん、え、なに?!」
見られて動揺した男のそんな間抜けな声。
「龍二?!」
リカという女は芹沢の知り合いだったのか。名前呼びする仲なら関係があったのかもしれない。
扉の横の廊下から聞き耳だけ立てているからすべて耳での想像。胸だけが異様にドキドキしている。芹沢は何を考えているのか。
「やりにくいってなにー?」
「は?」
「今言うてたやん、やりにくい女ってなんなん」
「それは……」
「りかぁ、誰とでもヤるなぁ、尻軽ー」
「この人が誘ってきたのっ!」
「はぁ?!お前が誘ってきたんだろ!」
二人が言い合いだして、芹沢はバカにしたように笑って言った。
「しょーもな。どーでもええ、お前らのやり取り」
芹沢の声がだんだん扉に近づいてくるのが声でわかる。
「龍二、待ってよぉ!違うの!」
誤解されたくない女は必死に芹沢に声をかけていたが、芹沢は見向きもせず廊下に隠れて動けない私を見つめてきた。
「……」
泣きたいくらい惨めだ。
好きと囁かれた言葉を素直に信じて、好きと伝えた自分がバカみたいで。今はただ胸が痛い。
浮気に気づいたのも辛いが、気づかずにこのまま関係を続けていたらきっともっと辛かった。
「龍二!」
振り向いてほしい、そんな声色は切実に響いた。それに芹沢は振り向いたが、向けられた視線は女にではない。
「やりにくい女なぁ、俺がもらったるわ」
その言葉を男に吐き捨てて、芹沢は私の手を掴んでその場から連れ出した。
―――
それから常に一緒にいるようになって周りに付き合っていると思われ始めた。
「芹沢と付き合ってたんだろ」
浮気しておいて私を責めるような言葉を言う彼氏。
「違う」
「芹沢と付き合ったってフラれるって。茜なんか一回ヤッたら捨てられるだけ。クソみたいな男じゃん、女なんか遊んでヤる目的しか思ってないだろ」
「そういう言い方やめて」
「は?」
芹沢の付き合い方は確かに褒められない。でも浮気して人の粗を探すような男に非難されるような男じゃない。
「優しいし」
「それが手だろ。それに騙された女が山ほどいるだけ、茜もそれに騙されて……」
「騙されてないし、なんならあんたに騙された」
カッとした。
「芹沢になら騙されてもいい」
「マジで言ってんの?俺より芹沢選ぶわけ?」
「うるさい!浮気男が偉そうに言わないで!」
初彼とはそうして終わった。
腹いせじゃないが、芹沢と付き合ってるみたいな噂の否定もせずにいる。
芹沢も彼女はいないからと気にも留めず、むしろ面白がって私に引っ付いてくる。
遊んでいる、本当にそんな感じだ。
ヤリ目的は全然感じないが。
芹沢とは友達だし、性格はそこそこ知っている。
常にダルそうだけど、課題に取り組むときは真面目で、熱心。
本屋に行っても専門書コーナーに一番に行くしカバンの中にもいつも教材関係の本が入っている。
地元を離れて一人暮らしが長いから自炊もするらしい。シャツだっていつもシワひとつない。
家電が好きで、今の家電はよくできてると新しい家電を手に入れた時のキラキラした表情は普段見せないほど少年ぽくて可愛かったりする。
友達として過ごしているときは意識しなかったのに、偽装付き合いみたいなものを始めたら途端に意識しだした。
芹沢にはそんな気全くないのに、私だけが気持ちを膨らませて勘違いし始めている。
白い綺麗な肌。
サラサラの黒い髪が余計白さを際立てる。
鼻がスッと通る横顔はとても綺麗だ。顎のラインから喉仏がやたら色っぽい。
芹沢は白か黒の服しか着ない。小物は全部黒、だからオールブラックの日も多い。
その日が私は一番好きだったりする。
芹沢を包む黒は、深くて妖艶で、誰にも染まらない感じがらしくて好き。
それに気づいたとき、ああ、と思う。
私は芹沢を、友達としてじゃない、一人の男の人として、恋に気持ちを変えているのだと。
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