第18話 孤独の王女と手を取って【如月side】

「私たち、幸せだよね?」

「うん、僕もそう思うよ」


 文化祭二日目の後夜祭。


 咲は生き生きとしていた。上里凛花に口論で負かされ、赤っ恥をかいたのが嘘のようだ。


 まさか、長井君にあんなかわいい幼馴染がいるとはね。


 彼はとことんかわいそうな人間であって、味方もいないんだとばかり。きっと友人は僕よりすくない。憶測だけれど、かなり事実に近いはずだ。


 上里は、長井君にとって有力な味方だろう。しかし、翻って一番の敵であるといってもいい。ひと目見ただけでわかる「凄み」、上里にはあった。他を寄せ付けない結界を張っている、とでもいおうか。


 言葉や態度の端々から、長井君への愛情が溢れていた。同じ歪んだ愛でも、咲のものとは正反対である。


 僕であれば、上里の彼氏になりたくはないね。おそらくたくさん尽くしてくれるだろう、しかし、いずれ重荷になる。他にも広く交友関係があるとなお、相対的に重く感じる。


 その点、長井君にはぴったりだ。重い愛は苦にならないはずだ。長年の付き合いで、重いのが当たり前になっている。たとえおかしな言動をとっても、すっと受け入れられる土壌がある。


 ――正俊の名前を呼ばないで。その穢らわしい淫乱な口で。


 かなり強い言葉で、咲をばっさり切った。


 このときの咲の表情は、彼氏としてどうかと思うけれど、失笑を禁じえないものだった。


 短い言葉のなかに、上里が「わかっている」ということを、きっちりとつめ込んでいた。


 失笑したのち、僕は上里の執念深さが恐ろしくなった。背中をつたう汗が増えるのがよくわかった。


 長井君が振られた前後から、上里は咲を徹底的に調べ上げている。僕の直感は叫んでいた。


 咲が複数の男子と付き合っていることは、それなりに有名な話だ。


 その上で、さまざまな男子とことに及んでいることに関しては隠されている。口封じをきっちりとしているから。


 咲の唇に触れるものは、決して僕の口だけではない。多くの男どもを喜ばせるために使っているそうだ。


 そこまでお見通しだと、いわんばかりだった。


 なぜ知っているのか。どうやって調べたのか。上里を掻き立てるのはなにか……。


 考えるたびに、上里という人物の腹の中が気になっていく。怖いものこそ見たくてたまらないのだ。



「どうしたの、光?」


 ぼんやりとしていた意識が戻ってくる。


 ライブパートはとっくに終わっている。


 咲と手をとって、ダンスを踊っているのだ。


「いや、すこし疲れたみたいだ」

「しっかり休まなくちゃね? 後夜祭はこれからがメインなんだよ?」

「僕としたことが……いけないね。咲を心配させるなんて」


 手をギュッと握る。


「もう、光って人は」


 なんとか誤魔化すことができた。まさか、上里のことで頭がいっぱいになっていたなんて、聞かせられるはずもない。


 咲の目には、僕以外なにも映っていないのだ。親しい男は大勢いる。なかでも僕は選りすぐりのようだ。


 もちろん、僕にとっても咲が一番――だなんて優しい世界は存在しない。浮気はしていないけれど、もっとまともな女の子はたくさん知っている。


 踊りの約束には快諾した。本気でもないのに、付き合いをやめないのはなぜだろうか?


 非合理的だ。どうも僕らしくない。このまま一緒にいても、僕の評価が下落し続けるだけだ。底を割るのは時間の問題だろう。


「大好き」

「あぁ、僕もさ」


 心からじゃない言葉を吐けるのは、咲を哀れむ思いからだ。そうなれば、僕らの破局は、遠くない未来にある。


 自分から投げ出すのはごめんだった。どうして裏切るの、なんて詰められたくはない。自然に消える、もしくは切らざるをえなくなるのがいい。


 黙って過ごしていても、「怪物」上里は動くはずだ。他人任せだが、一番期待できる。毒は毒同士、潰しあってもらえれば結構。現代の蠱毒ってやつさ。


 いま、咲は人生の絶頂じゃないか、という顔をしている。


 君にとっては正解だろうし、勘違いしていても結構。


 残念だけど、このあとは下落していく一方なんだ。僕の推測でしかないのだけれどね。


「もっと寄って?」

「あぁ」


 密着とまではいかないが、咲の体温が伝わるところまで寄せる。


 身体はあたたかいが、咲の心は冷え切っている。ぐつぐつと沸騰しているつもりかもしれない。


 違うけどね。


 常に絶対零度だから、すこしあたたかくても勘違いをしてしまうんだ。凍傷を、あたたかいのだと誤解しているのさ。


「好きだよ、光。ずっと一緒にいようね?」


 ダンスも終盤に近い。他のアベックは、各々の世界に閉じこもっている。咲も同じだった。彼女の場合、砂糖菓子の風呂に浸かり切って、抜け出したくないように見えた。


「もちろんさ……」


 君と別れざるをえないときまでな、とひとりごちた。咲には聞こえない。聞こえたとしても、到底信じないだろう。


 後夜祭のスケジュールがすべてが終わると、咲は暗いところにいきたがった。


 ふたりになって、キスをしたいと懇願されたのだ。


「そのくらい、いいよね? きょうくらい」


 咲に限っては、キスだけを許していた。咲に群がる凡百の男と、同列にはなりたくなかったのだ。


「いいよ。でも、ちょっとお預けさ」


 ほっぺたに軽く口づけるだけだった。


 それだけで恍惚としていた。深いものを求めていたが、のらりくらりとかわした。


「光の意地悪」

「そうかな?」


 優しい方だよ、僕は。


 君の弱みにつけ込まず、なかば傍観者を決め込んでいる僕は。

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