受肉と変化の仮説
あたりが闇に包まれ、思考もどんどんと深くなる、そして腹もその貪欲さをむき出しにしてきた。
「そろそろ腹も減ったな。なんか食いたいもんあるか?」
「あの東雲さんと良く行った洋食が無性に食べたいですね。」
「いつものやつか。わかった。」
コンシェルジュを呼び出し、日出とよく逢魔製薬で働いていた時に行った洋食屋のデリバリー注文をお願いした。そして、程なくして、インターホンの音が鳴り響く。
「東雲様、ご要望のハンバーグをお持ちいたしました。あとこちらはサービスのオムライスも。」
「コンシェルジュさん、本当にいつもすまない。」
「いえいえ、東雲様。差し出がましいですか、ホワイトボード拝見させていただきまして、一点だけ。」
テーブルにハンバーグとナイフフォーク、付け合わせのサラダやスープを並べるとコンシェルジュはホワイトボードの前に立ちペンを握った。
常世と幽世の狭間にある層について少しホワイトボードに書き加えたのだ。
あの光の輪がゆらゆらとだけ知覚できるその層に何かあるのであろうか…。
「コンシェルジュさん、それは?」
「そうですね…。アストラル体と肉体の境界線…それ以上は申し上げる事はできません。なぜアストラル体は変化できるのか?肉体とアストラル体とは?そこがわからない限り根本的な解決には至らないと私は思います。」
「はぁ…。」
理解できなかった…コンシェルジュさんの言う事はこの件における重要なポイントであるとは理解できるのだが、そこから回答を導き出すことができずにいた。
「ではもう一つ、扉があると思いますが、その扉は何なんでしょうかね。」
更に難解な話が飛び出してきた。いつも死後の世界からこちらに戻る際に触れる扉のことを指しているのであろうが、さっぱりわからない。
「大丈夫です、あなた方なら辿り着けますよ。」
コンシェルジュさんは冷めないうちと料理を進めてくれた。
私たちは出された料理を頬張りながら、ホワイトボードにかかれた事を理解しようとする。
「肉体とアストラル体の分離層…?。扉の役割…、アストラル体が肉体に戻るメカニズム…。」
私はハンバーグを頬張りながらぶつぶつとつぶやく…、その光景をコンシェルジュは優しく見守っていた。
正直なところ、開発した新薬に関しても不透明な部分が多々ある…。元を言えば、この薬の開発にはあるシャーマンの知恵を借りたと言う部分もあり、その神秘的な部分に関しては解明が進んでいない…。
なぜこの薬を服用すると肉体からアストラル体を放出するかも、はっきり言うと謎なのだ。しかし、結果としてその様な効能が生まれている。
この世界の理に縛られた私の頭では到底答えに辿り着けないのだ。
「ダメだ…、わからない。肉体から抜け出しているアストラル体とは何なんだ…。何故アストラル体は変化させることができるんだ?」
「東雲さん、一度基礎に戻りましょう。アストラル体はこちらの言葉で表すと霊体ですよね。しかし、あのシャーマンの話によると、ただの霊体ではなく、感情や想像性も含むエネルギーの塊と言う話ですよね。」
「それはわかってるんだが…。」
「アストラル体は私たちの願望そのものなんではないでしょうか?こうありたい、こうなりたい…、それを叶えようとする力。そして、エーテル体というエネルギーを消費してその願望を叶える。常世の肉体はその殻であり制約となり、その力が発揮できない。」
「その仮説の納得性はあるな、アストラル体が変化可能であるという理屈はとおるな。では、あの幽世だと思っていたのは願望を叶えるための世界なのか?」
「いえ、ゾンビパウダーという新薬が死後の世界にいけるという謳い文句であるが故に、肉体から抜け出たアストラル体が最初に幽世に行くという願望を叶えたのかも知れません。」
ハンバーグも食べ終わり、私と日出は自分の考えを議論しあった。
コンシェルジュはその光景を横目で見ながら、私たちが食べ終わった料理を片付け、まだ手を付けられていないオムライスを指さした。
「オムライスはチキンライスと卵の二つが合わさってできておりますよね。しかし、チキンライスだけを食べたいという方がいらっしゃれば、卵を取ってしまえばそれはチキンライスになりますよね。」
その様にコンシェルジュは意味深に呟き、私たちにオムライスとワインを勧めた。
「コンシェルジュさん、ありがとうございます。腹も満たされ、話が進みそうな気がします。」
「いえいえ、私など、まだまだでございます。我が古き主人に比べれば。」
オムライスを食べ終えとワインを飲み、グラスをコンシェルジュに渡し、また議論に花を咲かせた。コンシェルジュはまた軽く会釈したのち、全ての食器をカートに乗せて、部屋を後にした。
「アストラル体が願望を叶える力となると、分離したいと本人が望めば分離は可能なのか?」
「仮説でいけばそうなりますね…。しかし、こっちがそう思ったとしても受肉した幽世の住人はどう出てくるかは未知数ですね…。」
悪魔付きの伝承で残っているものは、憑りつかれた者が己の力でその憑りつかれた者を外に排出することはできない、憑りつかれた者が自ら出ていくように仕向けなければならないといった話が多い。そこで、コンシェルジュのオムライスの話を思い出した。
「常世では肉体という殻からアストラル体には干渉できないが、幽世であれば…もしかすると。」
「そうですね…、チキンライスのチキンだけを食べる。そういったことも可能でしょうね。」
肉体を卵、結合したアストラル体をチキンライス、結合した各々をチキンとケチャップライスと食べ物に例えると理解が進んだ気がした。
「結局、今回の田口さんの母親の肉体の変化もアストラル体が作用しているはずだ。そうなると肉体という殻に縛られない、アストラル体でないと話にはならんか…。やはり初めから考えていたように、ゾンビパウダーで幽世に連れて行き、対応するしかない様だな…。」
「今のところはそれしか方法はなさそうですね。常世ではあちらの住人はこちらでは長くは持たないので、放っておいてもそんなに問題にはならないんですが、受肉したとなると肉体という殻に守られるのでアストラル体を引っ張り出して対応するしかないでしょう。」
「受肉は…まるで悪夢だな。」
「肉体にまで変化を及ぼせるとなると、こちらの世界も危ういですよ。狼男なんて…のも本当に現れかねないですね…。」
「肉体の殻では包含しきれないアストラル体が暴走し、肉体にも変化を及ぼす…。そして、人では無い何かになってしまう…その通りだ…狼男の伝承もそれがもととなっているのかもしれんな。」
事は死後の世界の問題だけではなさそうだ…、現実世界にも影響を及ぼすとなると、早々にその要因を取り除く方法を探さねばならない。
「日出、明日に備えてもう俺は寝る。お前もあまり根をつめるなよ。」
「東雲さん、おやすみなさい。」
日出はまだ何かを纏めておきたい様で、机に向かってペンを走らせていた。
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