空を歩ける高校生【短編】

ヴィルセルム中田

空を歩ける高校生【短編】


「お前、なにしてんの?」


 振り返って見れば、同じクラスの佐藤であった。

 派手に染めた金髪に短いスカート。いわゆるギャルと呼ばれる存在だ。


 四限目をサボって屋上で景色を楽しんでいたわけだが、少しうるさくなりそうな雰囲気がしてきた。


「……少し景色を楽しもうかな、と。」


 実際、僕はそこそこ小綺麗な街並みを楽しんでいた。

 まあしかしフェンスのない屋上の端っこに座っ

 ていては勘違いされたのかもしれない。ローファーをカツカツ鳴らして佐藤は近づいてきた。


 緩い風がスカートを揺らす。

 なかなか良い景色だが肝心のところは見えない。


 見えないように調整してんのかなぁ。なんて考えていれば、佐藤の両腕が僕の脇の下に差し込まれてズルズルと引きずり始めた。


 ザラザラしたアスファルトと制服のズボンが擦れている。

 破れて下着だけになったらどうするんだ。


「おい、ズボンが破れたらどうするんだ。君のスカート奪うぞ」


 うぇっ、と言った感じの声が聞こえて、僕は屋上の真ん中辺りで開放された。

 佐藤は汚いものを触ってしまったような目で自分の両腕を見ている。


「キッショ。いやキッショ。流石にないわ。キショすぎだろお前」


 語彙力に乏しい罵倒だが、なぜこんなに心に来るのか。

 佐藤は僕から距離を取るように、屋上の入り口の方へ小さく下がる。


 まあ、発言がキモかったのは確かだが、汚物扱いされては、僕だって黙ってはいられない。


 、やるか。


 僕は小さくため息をついて、彼女とは反対へフラフラ歩き出す。屋上の、端っこの方へ。


「えっ…?」


 僕は口角を上げて、佐藤の方へ振り向いた。


「あーあ。キショいとか言われたわ。あー、つらいなぁ」


 まあ、ほんの冗談だったわけである。

 実際この冗談は、ふざけて偶にやる。ウケは割といい。

 だが笑えない冗談だ。僕のことをよく知らない佐藤からしたら、たまったもんじゃない。


「君のせいだよ」


 この、は、僕の鉄板ネタだ。多分佐藤以外のクラスメイトは全員知ってる。入学式の日に一発芸でやったからね。


「ちょ、止めろよ……!」


 僕はいかにもな目を佐藤に向けながら、ふわっと屋上の端っこから飛び降りた。


 しかし、僕は考えなくてはならなかった。僕のことをそんな知らない佐藤。それでも屋上の端っこから僕を引き摺った佐藤。そんな佐藤が、僕の一発芸笑えない冗談に、どんな反応をするかを。



 ローファーで駆ける音がする。

 強い風が吹いた。



「バカっ! 何してんだよ!」



 まさしく映画のワンシーンのような感じで、佐藤は僕の腕を掴んだ。ただし、空中で。


 まさしく心中と言うべきか、僕は偉大な文豪の自殺癖じさつぐせに少しだけ共感した。


 いやぁ。これはいい眺めだ。


 同い年の金髪ギャルが、自分の腕を掴んで一緒に落下している。

 見方によっては、空から降りてきたジュリエットと、地上から飛び上がったロミオが、手を伸ばして互いを求め合ってるように見えるのかもしれない。うん、悪くない。


 しかし、僕は少量の幸福感と同時に、強い後悔を覚えた。


 佐藤の目には困惑と怒りが宿っている。

 僕はそこでやっと、あまり学校に来ない佐藤が、僕が空を歩ける事はおろか、最悪の一発芸なんて知る訳が無いことを理解した。そして強い後悔を覚えた。


 僕は、佐藤が一発芸を知ってる前提で飛び降りたが、佐藤はそんなもの知らない。


 つまり佐藤から見れば、僕は本当に飛び降り自殺したように見えた訳である。


 僕は1秒にも満たない時間で、そんなことを考えた。そして腕を引いて佐藤を抱き寄せて、足を下にして空中で着地した。逆さまには歩けないからね。


 風が強い。見上げる空は青い。ちょうど僕が歩く横では、ガラス越しに数学の授業をやっている。腕の佐藤は重い。当然だ。おっぱいは重いからな。


 しかし、僕の軽い考えが、危うく佐藤の命を奪うところだった。というか結構ギリギリだった。


「ごめん。ほんとごめん」


 僕は佐藤に謝った。ごめんとしか言いようがなかった。




 ■■■




 いや全く、佐藤に怪我がないことに、僕は心の底から安堵した。そして、心からの謝罪と、一発芸の説明と、人生初の土下座を決行した。


「…マジキショい」


 僕は土下座のまま顔を上げなかった。まさしく本気のキショいを受けて、佐藤の顔を見れなくなったからである。


「ごめん」


 冷たい目。上がらない口角。

 金髪ギャルのそんな顔を見てしまえば、僕は今後一生、眠れぬ夜に悩まされてしまうことを予感した。


「え、何。 面白いと思ってやったの? 普通に笑えないんですけど」


 戦々恐々。

 これ程の恐怖を感じたことは無い


「ごめん」


 僕は土下座のまま、謝罪の言葉を口にした。


「空歩けなくなったらどうすんの? 死んでたじゃん」

「ごめん。佐藤を危険に晒した。ごめん」


 この一発芸は、空を歩ける僕にとっては何の危険もない。しかし、空を歩けない佐藤にとっては、危険すぎる。


「いや……」


 佐藤は言い淀んだ。

 僕は叱責を覚悟した。

 彼女の、「いや……」に続く言葉がなんであろうと、心に刻み、毎夜復唱し、何よりも大切することを覚悟して拝聴に臨んだ。


「……もういいや」


 しかし僕の耳に届いたのは、諦めの言葉だけであった。



 屋上にカツカツとローファーの音が響き、佐藤が去って行くのがわかった。ガチャリと音がして、僕は屋上で一人になった。


 僕は土下座のまま、微動だにしなかった。できなかった。する覚悟がなかった。


 そのまま時間が経ち、4限目の終了のチャイムがなるまで、僕は呼吸すらしない覚悟であった。


 しかしあくまで僕は空を歩けるだけ。そう長い時間、呼吸を止めるなんて言うのは無理である。


 卑怯を自覚しつつも僕は大きく息を吸っては吐いてを繰り返して、さてどう贖罪しようかと考えていたところで、また再びガチャリと音がして、屋上の人口が増加した。


「いやマジでごめん。反省してる。この通り。何時間でも謝罪を続けるよ」


 カツカツ。ガサガサ。

 靴音が僕へ近づいてくる。何か持っているようだ。


 靴音は土下座する僕の前で止まった。



「ちょい、顔上げてくんない?」



 いやぁ良かった。もしかして佐藤じゃないのかと思ったよ。


「ほんとにごめん」


 僕は再び謝罪した。

 佐藤は購買の袋を手に下げていた。僕は首だけ曲げて、他は土下座のまま佐藤を見上げた。うーん。おしいな。


「いや、もう謝んなくていいよ。てか、その格好も止めて。正直キショい」


 言う割に、キショいとは思ってなさそうな顔だ。少し笑ってる。

 許可を得た僕は立ち上がった。伸びをしたかったけど我慢した。時計を見ると、佐藤が最初に屋上に来た時から1時間ほど経っている。


 …しかし、「もう謝んなくていいよ」 、か。

 僕は悩んだ。佐藤はさっき、何かを言いかけてやめていたし、それにとても、強い怒気を感じた。おそらく佐藤は、怒りを飲み込んでいるのだろう。佐藤が謝罪を許さなくても、僕は贖罪しなければならない。


 僕は佐藤を見て、今僕がするべきことを考え始めた。


 佐藤はそんな僕を一瞥すると、またカツカツと音を立てて、屋上の端っこへ行った。そうして購買の袋をアスファルトの上に置いて、自分も腰をかけた。

 なるほど、確かにこれは怖い。今にも飛び降りそうだ。


「お前も座れよ」


 しかし絵になるなぁ。

 屋上の端っこに座る金髪ギャル。写真を撮りたい気分だ。


「はーい」


 僕は一瞬、「写真撮ってもいい?」 と聞きそうになった。しかし堪えた。僕の勘がやめろと言ったからだ。今僕は、佐藤の要求に迅速に応えなくてはならない。そんな気がした。


 僕は佐藤と一緒に、屋上の端っこに座った。風が僕らの髪を揺らした。12月だが日差しは暖かい。しかし背中に冷や汗が流れた。


「はーい」とか軽く返事したけど、これじゃ全く反省してないやつだ。


 僕は少し躊躇いつつ、佐藤に聞いた。


「佐藤。どうしたら許してもらえる?」


 なんかキモいな。我ながらそう思った。


「え……」


 佐藤は変な顔をした。僕も変な顔をした。

 妙な空気が流れ、佐藤は袋から焼きそばパンを取り出して、僕に渡した。え、くれるの?


 僕は、「ありがとう」 と言って、そしてまた佐藤に聞いた。


「佐藤。どうしたら許してもらえる?」

「キショい。もういいって言ったろ」


 佐藤は一言そう言って、BLTサンドを食べだした。僕も焼きそばパンを食べ始めた。おいしい。


 僕は勝手にもやもやした。許されざることを許されたような気分だ。


「クラスで聞いた。お前のこと」


 照れるな。


「照れるな」

「キショい」

「ごめん」

「謝んな、キショい」

「…」


 僕は混乱した。


 佐藤はさっき、かなり怒っていた。とても強く。けど今、そんな雰囲気はない。上品にサンドイッチを食べている。


 どうなってるんだ。


 僕は綺麗な爪と、薄いアイシャドウと、ピンクのリップを順番に眺めた。化粧メイクにはあまりギャル要素を感じないな。


「見すぎ」

「…」

「謝れ」

「ごめん」

「いいよ」


 僕はまた混乱した。視線がバレバレだったこと。謝らされたこと。許されたこと。


 どうなってるんだ。


 僕は焼きそばパンを食べ終わった。佐藤もBLTサンドを食べ終わった。そして袋からチョココロネを二つ取り出して、片方をまた僕にくれた。


「ありがとう」

「ん」


 僕はまたまた混乱した。

 そもそもなんで、佐藤は僕と昼食を取っているんだろう。なんで恵んでくれるんだろう。


「お前、後ろから食うのかよ」


 僕と佐藤はチョココロネの食べ方が違った。なぜか笑ってしまった。佐藤も笑った。


「クラスでどんなこと聞いたの?」


 僕は途切れていた話題を復活された。

 みんな何を言ったのだろうか。すこし不安だ。


「んーまぁ、色々?」


 なんだよ、色々って。


 佐藤はチョココロネを食べ終わった。僕はまだ終わっていない。少し急いで口を動かした。


 少し風が強くなった。髪が揺れる。佐藤のスカートも揺れる。けっこう揺れる。僕は視線を逸らした。怒られそうだったからだ。


「ごちそうさまでした」

「ん」


 僕は財布を出そうとした。けどやめた。僕の勘が言っている。違う。そうじゃない。考えろ。


 僕は考えた。佐藤はなんでもう怒ってないのか。なんで僕と昼食を取ったのか。僕は何をすべきなのか。


 僕は街に逸らしていた視線を、佐藤に戻した。


「佐藤」

「なに」


 目が合う。黒い目。感情は読み取れない。でも怒ってないことは分かる。


 僕はその目を深く見つめた。1秒か、2秒か、3秒か。多分、数秒くらい。


「…キショい」


 駄目だ。分からない。

 佐藤は明後日の方向を向いてしまった。


 多分、僕らはどっちも、サボることに抵抗がない。5限目に出ないことなんて、全然有り得る。けど、チャイムが鳴ったら、佐藤は立ち上がって、また屋上から去ってしまう。そんな気がした。


「色々聞いたんだ。だから、もう怒ってない。お前もちゃんと謝ったし」


 佐藤はポツリとそう言った。

「怒ってない」

 僕はその一言に安堵を

 多分僕は、何かを見逃している。


 けど分からない。


 風がまた強くなった。とても強い。ちょっと危ないかもしれない。僕は歩けるけど、佐藤は落ちたら大変だ。


「風強くなってきたし、ちょっと移動しない?」

「…いい」


 少しの間があって、佐藤はそう言った。

 どうしようか。風は強くなるばかり。心配だ。


 …

 心配…

 心配………?


 失くしたものが見つかりそうな感覚だ。


 謝った。もう怒ってない。

 で、それだけで終わり?


「佐藤」

「なに」


 佐藤は明後日の方向を向いたままだ。

 正解か不正解かなんて分からない。けど言ってみるしかない。


「心配」


 風がすこし優しくなった。

 佐藤がこっちを向いた。今更だけど、隣に座っているから、向き合うと顔がとても近い。


「…うん。で…?」


 何となく、わかってきた気がする。佐藤の考えていることが。

 僕は自分が言ったことを思い出した。


 ごめん。ほんとにごめん。マジでごめん。ほんとにごめん

 これじゃ、謝ってるだけだ。


「僕も、佐藤に心配かけた」

「…」


 佐藤は黙って、その先を待っている。

 僕は、おそらくの正解を言った。


「だから、もうしない。心配かけるようなこと、もうしない。飛び降りとか、もうしないから、信じて欲しい」


 風は強くなったり、弱くなったりを繰り返し始めた。

 佐藤は小さく笑った。小さく笑って、しょうがなさそうな顔をした。


 …クソ、不正解か……。



「あーあ、キショいとか言われたわ。あー、つらいなぁ」



 佐藤は立ち上がって、僕を見下ろし、そう言った。

 身に覚えしかない言葉。僕が飛び降りをする前、佐藤に言った言葉だ。嫌な予感がする。


 僕は慌てた。慌てて立ち上がって、佐藤の腕を掴もうとした。再び、風が強くなってきた。


 佐藤は僕から離れるように、屋上の端っこを後ろ向きで歩き出した。僕はそれを追った。


「佐藤、止まって」


 屋上の端の、角。そこで佐藤は立ち止まった。もう、下がることは出来ない。下がったら、落ちる。

 そして僕はやっと、佐藤の腕を掴んだ。細く、少し震えている。


「私が何考えてるか、分かる?」

「分からない」

「…私は、お前が何考えてるか分かるよ」

「そっか。戻ろう、佐藤」

「お前はずっと、私の事しか考えてない。私にどう謝るか。私がなんでお前と昼食べたか。私がお前に何を気づかせたいのか」

「うん、当たってる。ずっと君の事考えてた」

「…当たってんのかよ。キショいな」

「ごめん」

「…」


 僕は佐藤の腕を強く握った。

 佐藤が本気で飛び降りる気なのか、僕には分からない。でも僕が一緒に飛び降りれば、空を歩ける。まあこんなに風が強いと歩けるか怪しいけど。


「もうしない。って言ってたけど、あれはだな」

「じゃあ、正解教えてよ」

「自分で気づけ」

「ごめん、分からないんだ」

「そっか」

「うん。だから教えて欲しい」


 風が強くなる度に、僕は佐藤に距離を詰めた。鼻と鼻がぶつかるくらい近づいた。キスをするくらい近づいた。


「近い」

「ごめん」

「…ま、いいか」

「いいんだ」

「諦めた。キショすぎて」


 佐藤はまたしょうがなさそうな顔をして、片足を浮かせた。浮かせた片足を後ろに下げた。

 重心が変わる。多分僕が手を離したら、ふわっと落ちる。


 どうする?

 もし本当に、佐藤が飛び降りたら。風のせいで、空を歩けなかったら。


「そんな顔すんな。お前のせいじゃない」

「じゃあ誰のせいだよ」

「さあ」


 僕は空中へ一歩踏み出して、佐藤を抱き抱える。風が強く僕らを押して、バランスを崩しそうになる。正直ヤバい。佐藤を引き戻そうとしても、引き戻せないくらいに強く押されてる。


「佐藤。風が強すぎて歩けないかも」

「そん時はそん時だ」

「飛び降りたら死ぬかもしれないよ?」

「嫌だな」

「そっか。じゃあ、歩けなかったら僕が下になるね」

「………」


 僕は覚悟を決め始めた。

 空中でも、足は下にしないと歩けない。こんな強風のなか、風に振り回されない保証なんてない。


「ごめん佐藤、やっぱり分からない」

「そっか」


 佐藤はまた、しょうがなさそうに笑って、完全に脱力した。決して軽くはない。僕は踏ん張った。


 何故こんなことするんだろう。

 一言、正解を教えてくれれば、それでいいじゃないか。僕は絶対にその正解を守るのに。


「…」


 ぐらりと体が揺れた。バランスが崩れる。

 やばい、落ちそう。


「大丈夫、私が下になるから」


 イカれてる。ガタガタ震えてるくせに何言ってるんだ。

 僕らは額を付き合わせながら言い争った。


「僕が下だ」

「私だ」

「うるさい。震えてるくせに」

「悪いか。怖いんだよ」

「じゃあなんでこんなことするんだ」

「お前のためだ」

「僕のため? 僕のために死ぬって言うのか」

「お前だって私のために死ぬつもりだろ」

「…」


 屋上の足が離れた。僕は2人分の体重を片足で支えなきゃいけない。くそ、なんでこんなに風が強いんだ。

 僕は苛立った。


「僕が死んでも僕のせいだ」

「…私が死んでも私のせいだ」

「死なせない」

「…死なせない」

「死ねると思うなよ」

「…死ねると思うなよ」


 あぁ、落ちる。

 落ち着け。

 まだどうにかなる。

 足を下に向けろ。

 いつもやってるだろ。


「おいバカ! 下に行こうとするな!」

「うるさい! 歩こうとしてんだよ!」


 浮遊感。僕らは落ち始めた。

 佐藤の黒い目が、ぎゅっと瞑られた。

 細い腕が僕に抱きつく。凄い震えてる。


 たかだか4階建ての屋上から地面までなんて一瞬だ。3秒もない。というか2秒もない。1秒ちょっとくらいだ。


 足は下を向かない。体を捻っても間に合わない。これじゃ歩けない。落ちるしかない。


 強い風の中、僕らは落ちていく。

 やけに景色がゆっくり見える。こうゆうのに名前ついてた気がする。なんとか現象。何だったかな。


 佐藤が顔をうずめた。両腕で僕を強く抱き締める。


 揺れる金髪。昼食中の生徒。小綺麗な街並み。青い空。

 風が景色を回して、僕らは、ゆっくり落ちていく。


 ゆっくり。

 ゆっくり、ゆっくり。




 ■■■





 風が、上向きに吹いている。

 地面に寝転んで、ようやくその事に気づいた。


「私が何考えてるか、分かった?」


 佐藤が顔をうずめたまま言った。まだガタガタ震えていて、両腕で強く僕を抱きしめている。声も震えている。


 僕は校舎と青い空を見上げた。

 枯葉が下から上へ舞っていて、やはり風がおかしい。


「分かってたまるか。頭おかしいだろ、君」


 佐藤は無傷だった。下になった僕も無傷であった。意味がわからなかった。


 僕は空を歩けなかった。風が強すぎたからだ。だから僕は下になった。

 しかし僕は生きている。無傷だ。どこも痛くない。息もできる。心臓も元気に動いている。


「そっか。じゃあもう1回やるか」

「嫌ですけど…」


 佐藤は顔をうずめてたままそんな事を言った。まだ震えている。抱き締める力が強くてそろそろ苦しい。


 僕はやはり分からなかった。佐藤の全部が分からなかった。分からなくなった。


「まあでも​…」

「なに」


 僕は躊躇ためらった。

 言いかけて、少し冷静になった。流石にこれは不味いな。そうして別の言葉を考えた。



「…もうこんな危ない事はしないで欲しい。自分を大切にしてよ」



 僕は空を見上げたまま言った。

 弱くなってきていた風がまた強くなって、空を舞う枯葉が増えた。我ながらキモい台詞セリフを言ってしまった。佐藤はやっと顔を上げた。


「…キショい」


 優しい顔だ。僕はそう思った。

 潤んだ黒い目が僕を睨んで、唇を噛んで涙を抑えている。風で髪が立ち上がって、それでも何故か絵になる。写真撮りたいなぁ。


 しばらく、僕らは見つめあった。

 黒い目からボロボロ涙がこぼれて来て、僕の頬を濡らした。僕も泣いてるみたいになった。

 

「約束してくれる? 自分を大切にするって」

「……キショい」

「そうだね」

「……マジでキショい」


 風が落ち着いてきた。

 舞っていた枯葉がゆっくり降り積もり、幾らか僕らを冬色にした。日差しは暖かく、このまま寝てしまいたい気分になる。


 ぎゅぅう


「痛っ」

「何寝ようとしてんだよ」

「佐藤が温かくてさ」

「…ホントにキショい」

「その割には離れないよね」

「動けないんだよ」


 飛び降りなんて慣れない事するからだよ。

 僕はそう言いかけて、口を噤んだ。


 周りが騒がしくなって来たからだ。ざわざわと人集りが出来ている。ざわざわ、ざわざわ…。

 


「飛び降りだよ飛び降り」

「いや、あの人よくやってる」

「えぇ……」

「太宰じゃん! 太宰!」

「太宰は入水だよ」

「見て。金髪の子泣いてる」

「ほんとだ」

「泣くなら飛び降りたんだろ」

「抱き合ってる」

「多分金髪の子が止めたんだよ」

「あの人飛べるのに?」

「確かに。なんでだろ」


 確かなんでだろ。本当になんでだろ。

 僕は佐藤を見た。真っ赤になってまた顔を埋めた。耳も赤い。


「あっ」

「あっ」

「あっ」

「見て見て」

「うん見てる。耳赤い」

「抱き合ってるって言うよりさ…」

「むしろ金髪の子が抱きついてるって言うか…」

「つまりそうゆうこと?」

「そうゆうことだよ!」

「あー、良いとこ邪魔しちゃったね」

「そだね。戻ろっか」

「うん。何も見てない見てない」


 日差しは暖かく、視線も温かく、佐藤の体温も温かく。

 人集りは勝手に納得したのか、スーッと消えていった。



「佐藤、本当になんで飛び降りたの?」

「…」

「僕は空を歩けるけど、佐藤は歩けないよね」

「…」

「確かに僕も最初の飛び降りで佐藤に迷惑かけたけど、これじゃ佐藤もやってる事同じだよね」

「…」

「何か考えがあるなら、言葉で言うべきじゃ無いかな。結局飛び降りても分からなかったし」

「…」

「佐藤、耳赤くして俯かないでよ。ほら、なんか言ってよ」

「…」

「誰かが言ってたけど、これじゃ佐藤が僕に抱きついてるみたいだよね。…え、もしかして佐藤って僕のこと好き痛っ!? 痛い痛い! 噛み付かないで!? やめてください!?」


 やばい。揶揄いすぎた。痛い。血出てないよね…?

 佐藤は暫くそうした後、控えめに顔を上げた。そうして赤いまま口を動かした。

 

「…私が気づいて欲しかったのは……」

「…」

「その……」

「うん」

「………」

「なに」

「………」

「黙らないでよ…」

「…いやこれ私が告ろうとしてるみたいじゃ…」

「まあではあるんじゃない?」

「誰も見てない…?」

「……うん」

「…嘘だな」

「……いや?」

「………」

「痛い!? 噛まないで!?」


 いや、こんなの見ない訳ないじゃん。

 佐藤は僕の上に乗ってるから見えないと思うけど、校舎の窓の使用率すごいよ。ニヤニヤしながらスマホ向けてきてるし。


「最悪。変な噂立つじゃん」 

「僕は別に良いけどなぁ」

「………」

「…ごめん、キショかったかも」

「うん、キショかった」

 

 そうは言うけど佐藤は笑っている。僕はやはり佐藤が分からない。

 全く不思議でしょうがない。


 怒って、笑って、泣いて、赤くなって、また笑って。佐藤はぐるぐる表情が変わる。さっきの風みたいに、予測なんて出来やしない。


「とりあえずさ、移動しようよ」

「動けない。運べ」

「どこ行く?」

「屋上」


 僕は佐藤に腕を回して起き上がった。枯葉がぱらぱら剥がれて、なんだか体が軽くなった気がした。羽が生えた気分になる。

 良きかな。スカイツリーも登れそうだ。

 

「スカート大丈夫?」

「余裕」

「じゃ、行くよ」


 腕の力がぎゅうぎゅう強まる。風が緩く髪を揺らす。ぎゅうぎゅう。ゆらゆら。ぎゅうぎゅう。ゆらゆら……。

 …コツ…コツ…コツ。


 靴が空を踏む。騒がしかった校舎が静かになる。緩い風の中、靴音は誇らしげに響く。

 時折ぴこんぴこん音が鳴る。録画開始する時の音だ。なんか恥ずかしい。あとで送って貰おう。


 「やば…、マジで歩いてんじゃん」

 「惚れた?」

 「キショい」


 佐藤は僕の肩に顔を乗せたまま少し震えた。笑ったっぽい。

 


「──それで、佐藤が気づいて欲しかった事って?」

「あー…」


 校舎の三階に差し掛かる辺りで、僕は話題を掘り起こした。風は緩い。佐藤は言い淀んだ。


 少しの間の後、金髪が僕をくすぐった。佐藤が頭を動かしたからだ。

 佐藤は僕の耳元に口を寄せて、ぼしょぼしょ喋った。


「まだ分かんない…?」

「分かんないっす」


 勿体ぶってないで早く教えてください。気になって夜も眠れません。

 

「実は、私はあなたの事が…」

「いいから。そうゆうのいいから」

「…」


 佐藤は少し震えた。くすくすと僕の耳元で笑った。

 そうしてまた顔を動かして、今度は僕の顔の目の前に持ってきた。額と額が触れ合って、鼻と鼻も触れ合った。


「この体勢キツいんだけど」

「頑張れ」

「それで」

「んー」

「勿体ぶらないでよ。余計気になる」

「言おっかなー。って思ってたんだけど。やっぱり自分で気づかせようかなー? みたいな感じ?」


 空を登り終わって、僕らは屋上に着いた。屋上の端の端。奇しくもさっきの場所だ。

 靴音もしなくなって、スマホの音もしない。僕らの吐く息と、声と、風の音だけだ。



「自分で言うのもあれだけど、多分気づかないよ」


 二回も心中未遂して、一回はほぼ死んでた。それでもやっぱり僕は、佐藤が何考えてるか分からなかった。

 三度目の正直とか言うけれど、もう一回二人で飛び降りても、そんなことはないと思う。


「だろうな。私もそう思う」

 

 じゃあ教えてよ。


「じゃあ教えてよ」

「んー、駄目。気づく努力しろ」

「してるつもりなんだけどなぁ」


 僕の頭の中は佐藤のことで一杯だ。本当に。

 分からないけれど考えて、一つ一つの言葉や所作を思い出してる。


 僕以上に佐藤の事を考えてるヤツなんて、この世にいないんじゃないかな。いや、それは言い過ぎか。


「まあ分からなくても良いよ」

「僕が良くない。気になって夜も眠れないよ」

「嘘つけ」

「まあ夜は眠れる」


 僕らは笑った。笑って見つめあった。見つめあって笑った。

 そうして腕を解いて、さっきよりも寄り添って座った。


 屋上の端の端。笑い合う僕ら。冬の青空、緩い風。


「そうだ佐藤、昼奢ってくれたから何か奢るよ。何か食べたいのある?」

「んー、何でも良いよ」

「何でも良いが一番困るって知ってた?」


 だる。そっちがだるいよ。キショい。キショくない。



 んー、やっぱり分からない。

 もう一回飛び降りようかなぁ。






◆◆◆


僕…男子高校生。飛び降り癖。空を歩ける。


佐藤…女子高校生。優しい金髪。風を操れる。







 

 

















































































































































































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