ネズミの解剖
@isagiyo
ネズミの解剖
生臭い。魚の生臭さとは違って、何か重たくてずっしりとしたものが鼻腔からみぞおち辺りへ落ちてくる様な臭いだ。僕はクサいねと少し大袈裟に隣の子に言って、仰向けになり腹の裂かれたネズミを観察した。あらかじめ見せられたプリントの図とは違って、臓器と臓器の境目はまるで分からず、絵の具をグチャグチャに混ぜたみたいな沼から生臭さと硫黄の臭いがしてくる。一方、先端にあるちょこんと生えた可愛らしい前歯や、子供の手を思い起こさせる小さな爪は、介護力というか、見ていると自分のやった事も忘れて口がニヤケてしまいそうになる。
腹を裂き終わったら肋骨を切れと先生に指示されたので、まず肋骨を切りやすくする為に、脇腹の辺りを腹の中心から肋骨の流れに沿うように切り進め、そこを一辺に左右に肋骨を晒す形で長方形に皮を削いだ。その肋骨は、図鑑で見る人間のものと全く同じ形だったのを見て、手足をだらしなく開いたその姿が一瞬小学校の頃のクラスメイトに見えて、緊張で麻痺した脳みそが更に混乱して、あちこち飛び跳ねるのを感じた。小学校と言ったら箒、箒と言ったらバケツ、水、汗、臭い、生臭い、腐ってる、腐ってる。
僕の経験によると、こういう頭が嫌でも良くはたらいてくれる時には、決定的な何か本質のようなものが発見できるものだけど、今回はどうだろうか。肋骨を左右の端から切り取ると、黒い臓器が顔を出した。きっとこれが心臓だろうな。ピンセットでそれを優しく掴んで引っ張って見ると、ヌメヌメとしてすぐに滑り落ちてしまう。なので、ピンセットで少し持ち上げてからは指でそれを固定し、血管をハサミで切って取ったそれをキッチンペーパーの上に置いたら、少し漏れた血液が弾かれて模様みたいにペーパーの上に浮かんだ。
同じ要領で肺や肝臓など、分かりやすい臓器を切除していった。次は胃袋を取り出そうとピンセットで引っ張ると、腸と食道と思われる管がだらりと一緒に持ち上がって、すぐにピンセットから滑り落ちた。胃からは難しそうなので、腸を引きずり出した。怖いとかはその時は無かったけど、頭に薄いモヤがかかっているみたいでぼんやりと作業していたので、所々腸にくっついてくる管なのか臓器なのかもよく確認せずに切り離していったら、間違いて腸も切ってしまっていた。腸の中にまだ排泄物が残っていたらと心配になったけれど、何も出なかった。
そうしてあらかた作業を終えて、二つになってしまった腸を綺麗に並べて見ると、臓器の中では比較的鮮やかだなと思った。腸にはあまり血管が通って無いのだろうか。それとも別の理由があるのかも知れない。そういえば授業で動脈を通る血液は鮮やかだと聞いた事がある。血液は腸から栄養を吸収して全身に回るので、腸には動脈が多いはずだ。静脈には老廃物が多く溜まっているから食べたら体に悪いのだろうか。そうなると腸は体に良いのだろうか。でも臓器で食べた事があるのはレバーくらいだ。肝臓は結構ドス黒かったからそういう訳では無いのだろうか。いや、そもそも肝臓や心臓などには他の臓器と比べても沢山の血液が流れるから色が濃いのは当然の事で、特に肝臓の場合は栄養を溜め込む場所だから動脈も多いはずだ。
情報が氾濫したみたいに頭に流れてきて腹の中の生臭さと混ざるのを感じながら、先生の話をぼんやり聞いていると、時間が余ったら脳みそを見てみても良いと言っている。さっきから脈打っている自分のこめかみがくすぐったいのがネズミの皮膚の赤い頭と共鳴してる感じがして、頭皮をハサミで切ってみた。脈打っても無ければ血すら出てこない。次は頭の中がグルグル回る感じがして、それがネズミの頭蓋骨の奥で共鳴してるはずだと思い、ハサミを入れようとしたら中々刃が入らない。
先生が後2分だと呼びかけたので僕は更にグルグルと回る頭に操られて、指を頭蓋骨のヒビに入れて力ずくで、ゆで卵の殻みたいに剥がした。見てみるとそれは回ってなんかなくて、脳みそなのかも分からない、汚れた池みたいな茶色い模様が溜まってるだけだった。
次の授業が始まっても、まだ頭が混乱しててとても授業なんか聞けそうにない。鼻の奥ではまだあの鉛みたいな生臭さが残っていて、自分の胃袋にあの臓器がぎっしり詰まってる様な感覚だった。僕の頭は相変わらず回り続けている。
ふと周りを見渡してみると、クラスの皆は黒板に顔を向けてノートを取ったり、寝たりしている。皆の頭は回っているだろうか。それともあのネズミの様に茶色いグチャグチャが詰まってるだけだろうか。それより僕の頭は本当に回っているのだろうか。自分でそう思っているだけで、本当はただあるだけなのかも知れない。意識なんて本当は無いのかも知れない。そう思うと、新聞紙に包んで捨てたあのネズミの脳みそを、もう一度確認したくて堪らなくなった。
ネズミの解剖 @isagiyo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
遺す最新/@tobaharuka
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 15話
愛犬との出会い最新/心に闇を抱えるもの
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 62話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます