余話3:父の思惑
行く手を遮る様に生える草木を切り捨てつつ山道を歩んでいたアリウムは、目前に現れたそれに、相変わらず分かりにくい入り口だ、と内心でぼやいた。
「なんだここは。根城に案内するというからついて来たものの、何もないではないか」
背後から聞こえた不満に小さくため息をつき、振り返りながら微笑みかける。視線の先では、自分の身長を遥かに上回る大男が口元に蓄えた髭を撫でながら眉を顰めていた。
「何を仰る。入り口ならば、ほら、ここに」
言いながら前方を指し示す。しかし、男は仏頂面で眉間の皺を深めただけだ。
アリウムと男の目の前では、草や葉、木の根がまるで何かを隠す様に垂れ下がっている。
――まあ、分かりにくいから安全なんだけどさ。
表情を隠すように伸びた鉄紺色の前髪の下で、瑠璃色の瞳を僅かに伏せる。鉛色のローブを翻したアリウムは一歩ずつ木の根に近づいた。男は訝しげにその様子を見つめていたが、無言で後をついてきた。
すっと両手を伸ばし、ぞろりと垂れ下がる植物をかき分ける。それと同時に、背後の男が笑った気配がした。
植物の奥から現れたのは、大きく口を開ける洞窟だった。
「滑りやすくなっておりますから、足元には十分気を付けてください。父が居る所へ案内します」
ひゅお、と穴の奥から聞こえてくる冷たい風の音に、男は一瞬だけ身震いをした。その様子を見て見ぬふりし、被っていたフードを下げたアリウムは一歩ずつ奥へと進んでいく。
男が通ると、分けられていた植物が再び洞窟に覆いかぶさった。入り込んでいた光は遮られ、凹凸の激しい道は闇に包まれる。
「明かりはないのか。先が一切見えん」
「ああ、すみません。少々お待ちを」
ふん、と鼻を鳴らして立ち止まった男を残し、すたすたと先へ行く。
道の左右には幾つもの穴が開いており、アリウムは近くにあった穴に入り込んだ。そこでは、机を取り囲んだ上半身裸の男たちがカードを使った賭博に興じていた。酒でも飲んでいたのか、地面には空になった瓶が何本も無造作に投げ出されている。
どうやら負けた者は衣服を脱ぐルールらしい。手を叩きながら笑いあい、服を脱いでいた男たちは、アリウムの姿を見るなり一斉に立ち上がった。
「坊ちゃん、如何なさいましたか」
「別に。そこの松明一本ちょうだい。使うから」
ずかずかと男たちの合間をすり抜け、赤々と炎を灯す松明を手に取る。
「あと、今客人来てるから、そのみっともない格好なんとかしなよね」
客人、と口々に呟き、ハッとしたように彼らは服を着始めた。どうやら客人が来ることを失念していたらしい。
あとできつく言いきかせなければ、と頷き、アリウムは小走りで待ちぼうけているであろう男の元に戻った。
「申し訳ありません。お待たせしてしまって」
炎に照らしだされた男の顔は厳めしい。精いっぱいの笑顔を作りながら詫びを入れると、彼は「構わん」と短く返しただけだった。
行きましょうか、と掌で前方を示し、ゆっくりと先に進む。
頭上から浸み出た水が当たるのか、時折男が息をのむ気配がした。そのおかしさに笑ってしまいそうになるが、手のひらに爪をくいこませて何とか我慢する。
道は幾つにも分かれ、上り坂と下り坂も何ヵ所かにある。ここに住み慣れたアリウムは躊躇うことなく道を選び、男を最深部へと導いていった。
どれだけ歩いただろうか。二人の視界に、グリフォンの浮き彫りが施された木製の扉が姿を現した。そこを三回ノックし、返事も聞かないうちにアリウムは扉を押し開けた。
「父上、客人をお連れいたしました」
一歩足を踏み入れた室内には、淀んだ空気が停滞していた。岩肌が露出した壁には燭台が埋め込まれ、太い蝋燭が薄ぼんやりとした明かりを灯している。部屋のあちこちには雑多に黄金の装飾品が置かれ、鈍い輝きを放っていた。
その中でも一際美しい輝きを放っているのは、微かに浅紫色を帯びた大剣だ。その下に置かれた椅子で、一人の男が歪んだ笑みを浮かべていた。
長く伸びた白磁色の髪は首の後ろで結われ、赤銅色の瞳は闇を見据えるように暗く、射抜かれるような鋭さが入り混じっている。ゆるりと立ち上がった男は、「久しぶりだな」と微笑んだ。
「実に十六年ぶりか、ディオン。遥々辺境の地よりようこそ」
「あなた様こそ、お変わりないようで。セシル様」
ディオンと呼ばれた大男は跪き、目を閉じた。それに満足したように、セシルと呼ばれた男は椅子に掛け直した。
「そこの若いのは私の息子だ。名をアリウムという」
「……なんと、御子息でしたか」
「似ていないでしょう、俺と父上は」驚いたように目を見開いたディオンに、微笑みを浮かべたアリウムは人差し指で自分とセシルを交互に示した。「よく言われるんです。お気になさらず」
「……それにしても、まさかあなた様がこんな山奥に身を潜めておられるとは。驚きのあまり声も出ませんでした」
「私とて好きでここに居るわけではない」
そう言い返し、セシルは天井を仰いだ。
――どうせまた、いつもと同じことを言うんだろ。
ため息を吐いてしまいそうになり、アリウムはさりげなく唇を噛んで堪えた。その視線の先で、セシルは懐かしむように目を細める。
「私の居場所は、今も昔も、あの王城だけだ」
幼少の頃から十数年前まで暮らしていた絢爛たる城を思い浮かべたのだろう。セシルは僅かに微笑んだが、その顔は直後に忌々しげに歪められた。
「私を追いやったエドガーを許しはしない。今再び、あの王城を私のものとしてみせる」
そのためにお前をここへ呼んだのだ、とセシルはディオンに向き直る。その際、ふとアリウムを見た彼は、くいっと顎で扉を示した。退室しろと言っているらしい。
緩やかに腰を折ったアリウムは回れ右をして、言われた通り退室した。だが、そのまま立ち去らずに扉に背を預け、ひた、と耳を澄ませた。
――父さんが何を考えているのか。今ここで、見極めてやる。
今朝起きた途端に、いきなり辺境の地に住まう民族の長を呼んで来いと言われたのだ。事情も何も聞かされることは無かったが、父が何か企んでいる気配だけは感じ取った。
息を潜め、アリウムは静かに扉の向こうで繰り広げられている会話を聞き取る。
「その大剣、あなた様が振るっていたものでしょう。なぜ壁に掲げたままに?」
「知っているだろう。この剣は精霊がいなければ扱えぬ代物でな」
「なんと……その精霊は今、確か」
「お前の考えている通りだ」
どこか憎々しげな口調の父が舌打ちをした気配がした。
「精霊を封じ込めたペンダントは、エドガーの妻……エリアナ義姉さんが管理している。それを手にしない限り、この剣は振るえない」
話に聞いたことはあった。父の部屋に掲げられている剣は、アリウムやセシルが生まれたガニアン国を築いた英雄が手にしていた、精霊が宿る聖なる剣だと。
そして、それは王の象徴として代々受け継がれてきた。反乱を起こす数年前に起こった隣国との戦では、セシルが聖剣を振るい、軍隊を打ち破ったという。
聖剣の扱い手であったセシルは、これを持つ者こそが王になるべきだと主張した。だが、前国王であった父が逝去し、次期国王として選ばれたのは長男である兄エドガーだった。
解せない。王の象徴というべき聖剣を繰れるのは自分だ。聖剣を持つ者こそが王になるべきだ。
結果的に、セシルは自分に従う民族や兵士を引き連れ、王城を攻撃した。しかし、家族を守るため戦ったエドガーに敗れ、聖剣を守護する精霊を宿したペンダントも王妃である義姉に奪われた。
守護者である精霊を失った聖剣は、ただのなまくらと変わらない。ペンダントを取り戻さなければ、底知れない力を宿した剣はただのお飾りでしかないのだ。
――まさか、父さん。
嫌な予感が脳裏を駆け巡る。
同じことを考えたのか、「まさか、セシル様」とどこか楽しげなディオンの声が聞こえた。
「もう一度、反乱を起こそうと?」
「その通り」
やはり。
予感は的中してしまった。アリウムは拳を握り、激情を抑えつけて引き続き息を潜める。
「数多の民族が集まってできたこの国には、お前たちのように現王権に反感を持つ民族もいる。それらを統率し、王が不在の今、王国を手に入れる」
「王が不在……? 現国王はエドガー様では」
「奴は死んだ。十四年前にな。今実権を握っているのは摂政である義姉さんだ。国王が死んだとなれば、お前たちのような民族がそれを機に反乱を起こしかねない。だから義姉さんは、奴の死を隠し続けているわけだ」
そんな嘘、この私が見破れないわけがないだろうに。笑いを抑えきれないのか、微かにくつくつと押し殺した声が聞こえてくる。
王は死んだ、と聞かされたのは、アリウムがまだ十歳にも満たない頃だ。恐らくセシルはその頃から反乱の機を窺っていたのだろう。自軍の戦力確保のために各地へ部下を派遣していることもあった。
準備は整った、というわけか。
「決行は一週間後だ。それまでに武器や兵士を……ゲホッ、ゲホゴホッ」
言葉を続けようとしていたセシルが、苦しげに呻く声が聞こえた。慌てたようにディオンが声をかけ、次第にセシルは落ち着きを取り戻していく。
ここ数日、父は急に咳き込むことがあった。体力も衰えているように感じるが、それを部下に悟られないよう気丈に振舞っている事をアリウムは知っている。
何度か深呼吸を繰り返したセシルは、「問題ない」と咳払いをしていた。
「一週間後までに武器や兵士の補強を完了しておけ。分かったな」
「御意」
扉越しにも伝わる父の威厳に身震いする。あれを前に屈服しない人間など、アリウムは見たことがない。
「折角この地まで訪れたのだ。ディオン、食事を済ませて行け。そして外の話を聞かせろ」
「ええ。面白い話を聞かせて差し上げましょう」
「がっかりさせるなよ。さて……そこにいるんだろう、アリウム」
ふん、と鼻で笑う声が聞こえ、びくっと背筋が震えた。
それと共に、ゆっくりと扉が開かれる。恐る恐る振り返ると、アリウムの背後でセシルが仁王立ちしていた。その後ろでは、跪いたままディオンが振り返り、目を丸くしていた。
「……なんだ、気付いてたの」
「気配を消しきれていない。丸分かりだ」
ぎこちなく父と顔を合わせ、へえ、と口をヘの字に曲げる。面と向かって「丸分かりだ」と言われると、多少傷つくのだが。
不貞腐れつつセシルを見遣ると、「お前に仕事をやる」と顎を掴んで無理やり目を合わさせられた。むぐぐ、と抵抗するが、そのたびに力が強められる。
「王城に潜入し、ペンダントを盗んで来い」
「……は?」
にやりと笑ったセシルに、再び嫌な予感がした。
「抜け道や見つかりにくい道なら私が直々に教えてやる。ペンダントを保管してあるだろう位置もな」
「でも、十六年前と今とじゃ変わってるかもしれないよ。道も、保管場所も」
「阿呆め。私が何年あの城にいたと思っている。仮に道が埋められていたとしても、次どこに道を作るかくらい予測は出来るわ」
その自信は一体どこから来るのだろうか。
だが、この自信と余裕で多くの部下や民族を従えてきたのだ。その父が言うのだから、本当に予測できているに違いない。
「長年この暗闇で暮らしていたお前は夜目が利く。だから夜に潜入しろ。いいな」
「……りょーかい。反乱までに盗んで来れば問題ないでしょ」
「分かっているならいい」
私を失望させるなよ、と背中を押され、アリウムは今度こそ部屋を後にした。
鉛色のローブを揺らしながら、洞窟を上へと歩いていく。次第に強くなる光に、僅かに目を細めた。
いつか、あの明るく広い世界で伸び伸びと暮らしたい。こんな暗く狭苦しい場所で一生を終えるなど、死んでもごめんだ。
もし父が勝利し王位に就けば、その願いは叶うだろう。だが、現王権を支持する者たちにとって父は憎き反乱者になり、その息子である自分はとても伸び伸びとは暮らせない。
「……どうなることやら」
戦は嫌いだ。人は死ぬし、終わらない悲しみを生むだけだ。
それでも、王位という妄執に囚われている父に意見をする勇気など持ち合わせていない。そんな事をすれば、最悪自分の首が飛ぶだろう。
今の自分に出来るのは、父と自分、そして国の行く末を見届ける事だけだ。
入り口の土を踏むとともにフードを被り、任務を遂行すべく深呼吸をしたアリウムは、眩く明るい世界へと飛び出して行った。
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