余話1:英雄と精霊

 乾いた風が吹き抜ける荒野を、南に昇った太陽が容赦なく照りつける。それを遮るものは何もなく、エリザベスは手で影を作りながらひたすら歩き続けていた。

「もうそろそろだと思うのだがな」

 滞在していた村を出てどれほど経っただろうか。豊かな胸の膨らみを押し潰すかのような甲冑に苦しさを感じながら立ち止まり、だだっ広い荒野の先を見つめた。

「ああ、見つけたぞ」

 疲労の色が濃かった顔に、勝ち誇ったような笑みが浮かぶ。

 視線の先では、どれ程大きいのか計り知れない、巨大な岩山が鎮座していた。さらに近づけば、その中央に洞窟があるのが見て取れた。

 間違いない。話に聞いた通りだ。

 重くなりかけていた足も、洞窟に近づくにつれて無意識に早まる。動きに合わせて腰まで伸びた白磁色の髪が揺れ、日光を反射した。

 一筋の汗が頬を流れ落ちると同時に、洞窟の手前にある地面を踏みしめる。外とは違い中は涼しいらしく、入り口に居ても冷気が漂ってくるのが分かる。

 赤銅色の瞳に真っ暗な内部を映し、エリザベスは面白いものを見つけた子供の様に微笑んだ。それは獣にも似た、獰猛さを潜めている。

 ――行こうじゃないか。

 腰に刺した細身の剣を引き抜き、迷うことなく足を踏み出した。ごつごつとした足場は時折頭上から零れ落ちる水滴で滑りやすくなっていたが、構うことなく奥へと突き進んでいく。

 かつかつと足音が反響する。その音で突然の訪問者に気付いたのか、騒がしい鳴き声を上げながら蝙蝠が飛び交った。

「安心しろ、お前たちに危害は加えぬ」

 エリザベスの言葉を理解しているのか定かではないが、蝙蝠は次第に大人しくなっていった。

 入り口から差し込んでいた光も次第に薄れ、完全に無くなった。前方に障害物がないか剣を振って確かめながら、どこまで続くか分からない穴を進んでいく。

 どれほど奥まで来ただろうか。先の見えない道に、次第に苛立ちが募り始めた時だった。

 突然目の前に、淡い光が見えた。

「光が差し込んでいる場所があるのか?」

 逸る気持ちを抑え、躓いたりしないように慎重に足を進める。

 光は次第に濃くなり、道もはっきりと照らされ始めた。

 そして、

「ついに……!」

 長い一本道の終着点は、円形上に開けていた。

 頭上高くに開いた小さな丸い穴からは一筋の光が差し込み、その場所を明るく照らし出している。そしてその中央には、まるで訪問者を待ち構えるように、一本の大剣が地面に突き立てられていた。

 身の丈ほどもあるそれは、柄も鍔も刀身も、何もかもが純白だった。精巧な細工が施された鍔の中央には拳ほどの大きさの宝石が埋め込まれ、時折その存在を主張するように浅紫色に煌めいた。

 一目でその美しさに見惚れたエリザベスは、剣を鞘に納め、引き寄せられるように一歩一歩踏み出した。滑らかな柄にそっと手を伸ばし、感触を確かめようとゆっくりと握りしめたその時だった。

「あら、あなただぁれ?」

 どこからともなく聞こえた声に、ハッと振り返る。

 まさか、自分以外に誰かいただろうか。警戒はしていたし、後をつけられていたとしても音で気が付いたはずだ。

「ちょっとちょっと、どこ見てるのよぅ。ここよ、ここ」

 声は大剣の向こう側から聞こえた。睨みつけながら再び大剣に目を向けると、

「……何者だ?」

 そこには、薄葡萄色の髪をした男が座り込んでいた。

 男はエリザベスを興味深そうに見つめながら、ふわりと浮いた。

「!?」

「やだ、そんなに驚かないで。冷静にお話ししましょうよ」

 冷静にと言われても、目の前で人間が浮き上がって穏やかにできるものか。だが、とても男とは思えない口調に呆気にとられ、自然と肩の力が抜けていた。

「失礼した。まずは名乗らねばな。私の名はガニアン。エリザベス・ガニアンという。名前すら忘れられた洞窟に聖なる剣があると聞いて来た者だ。男、お前は?」

「アタシ? アタシに名前なんてないわよ」

「なに?」

 どういうことだろうか。

「馬鹿にしているわけでは、無さそうだな」

「精霊に名前なんてないもの」

「は?」聞こえてきた言葉に、耳を疑った。「精霊だと?」

 不信感にエリザベスの眉間に皺が寄る。男は嘘をついているようには見えないし、なにより、突然現れた事といい、宙に浮いている事といい、人間でないことは確かだ。

 漂ってくる雰囲気を感じ取ったのか、男は「ちょっと、そんな怖い顔しないでよ」と頬を膨らませる。可愛げがあるのが憎たらしい。

「アタシ、その剣の精霊なの。試しに引き抜いてみなさいな」

 ほらほら、と促す様に手を振られ、首を傾げながら剣を引き抜こうとする。

 しかし、びくともしない。どれだけ力を籠めようと、一ミリも動くことは無い。

 どういう事かと男を睨めば、「残念だけどね」と微笑まれた。

「アタシが主人だって認めた人しか抜けないし、剣を使うことは出来ないの」

「なるほど。よく分かった」

 ならば、と挑むような目を向け、エリザベスは狩人のような笑みを浮かべる。

「私を主人として選べ、精霊」

 彼女の視線に怯むことなく、男はただ微笑みを湛えていた。

「私が暮らす国で近々、大きな争いが起きるだろうと言われていてな。何としても勝たねば、国は潰される。その折に聞いたのだ、千の軍に匹敵するほどの力を込めた聖剣があると。それを求め、三日三晩掛けて遥々やってきたわけだが」

「あなたを主人にして、アタシは何か得をする?」

「少なくとも、こんな洞窟の奥深くに居るよりは楽しい生活が送れるだろう」

 そう思わないか? 問いかけながら男に手を差し出すと、彼はエリザベスを見定めるようにじっと目を見つめてくる。その顔には微笑みが浮かんでいるのに、眼差しは刃物のように鋭い。

 やがて結論が出たのか、男はふふっと微笑んだ。

「素敵な名前よね、エリザベスって」

「そう言われたのは初めてだ」

「アタシにも、そんな素敵な名前頂けない?」

 菫色の瞳を輝かせ、男はエリザベスの前へと下りたつ。

 いいだろう、と頷き、

「私と共に来い、ライラック」

 その言葉と共に、エリザベスは大剣を引き抜いた。

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