第25話
男の視線は子供に向けられており、こちらに気付いている様子はない。
しかし、あと三メートル程度というところで、男の目がフォセカを捉えた。足音で気付かれてしまったらしい。
だが、
「俺の方が早い!」
男がフォセカに狙いを定めて斧を振り下ろそうとするより先に、左下から右上に掛けて切り付けた。そのまま男の首を切り裂く様に横に薙ぐが、刃は鎖骨の下に一文字の線を引いただけだった。
最初に付けた傷も深くはなかったようで、男は呻きながらもフォセカに斧を向ける。
泣きじゃくっていた子供はいつの間にかいなくなっていた。どうやら大通りまで走って行ったらしい。
ふう、と小さく息をついたフォセカは男を睨みつける。静かに剣を構え、勢いよく地面を蹴った。対する男も斧を両手で握り、頭をかち割らんばかりの勢いで振り下ろした。
それを避けながら、無防備になっていた男の脇腹を切り裂く。先ほどとは比べ物にならない血が溢れ、一度だけ痙攣した男はどしゃりと地面に崩れ落ちた。
それを聞き届け、刃に付着した男の血を振り払ってから路地を走り出した。
――海から攻めこんできた賊と、国軍の中の反乱者がどれだけいるか分からない。ともかく、今は城に戻って母さんを守りつつ、状況を把握しなければ。
そう決断したフォセカは、城に向かって駆け出した。
整理された大通りとは違い、薄暗い路地には大小様々な木箱が雑然と並んでいる。それを飛び越えて避けながら進むが、
「またかよ……!」
前方から走ってきた二人の男を目にし、フォセカは眉を顰めた。
「邪魔だ、どけ!」
先に迫ってきた棍棒を手にした男を、躊躇せずに切り付ける。首を切り裂かれた男は血をまき散らしながら倒れこんだ。それを踏みつけながら挑んできたもう一人の男は、手にしたハンマーを振り回し、民家の壁をぶち破った。
「っ!」
瓦礫がバラバラと散らばり、思わず足を止めてしまう。その直後、腹に鈍い痛みを感じ、後ろに倒れこんでしまう。怯んでいる隙に腹に拳を叩きこまれたようだった。
「ひへへっ」と下卑た笑みを浮かべた男はフォセカに馬乗りになり、ハンマーを振り上げる。
どうすればいい。咳き込んだフォセカの左手が、ざらりとした感触を捉えた。
――これだ!
じゃり、と手に掴んだそれを、勢いよく男の目にぶちまける。
多くの民衆がここを通って逃げたのだろう。削られた地面のあちこちには砂があり、フォセカは咄嗟にそれをかき集め、ばら撒いたのだ。
砂が目に入った男はハンマーを取り落とし、両手で顔を覆う。フォセカは剣の柄を強く握りしめ、寝転がった状態のまま勢い良く腕を振るい、首を切り付けた。
ぐらりと左右に揺れた男は、そのまま息絶えた。降りかかった返り血に思わず吐き気がしたが、男を押しのけたフォセカはそれを堪えながら立ち上がる。
――早く、母さんの所へ行かないと。
城はまだ無事だろうか。見上げたそこは城下町のように煙は上がっていないが、いつ攻撃を受けるか分からない。
ぐっと唇を噛み、フォセカは路地裏を駆け抜けた。
玉座の間で椅子に腰かけていたエリアナは、静かに目を閉じる。
城下町ではすでに戦闘が起こっていると伝令の兵士に聞いていた。反乱軍が城に乗り込んでくるかもしれないと判断し、それまで籠っていた自室から、極めて守りが堅い玉座の間へと移動したのはすぐだった。
部屋の前と中には十数人の兵士が待機し、何があろうとエリアナを守るだろう。手練れの彼らがそばにいるだけで心強い。
脳裏によみがえるのは、かつての反乱の記憶だ。フォセカを人質にとり、実の兄である夫へと挑む義弟の姿。
――この反乱を起こしているのも、セシル、あなたですね。
あなたはまた、同じことを繰り返す。
あの時も、義弟は城下町を急襲してきたのだ。
「母さん!」
ノックもなしに、勢いよく扉が開く。はっと目を開けたエリアナの視界に入ったのは、
「フォセカ! 無事だったのね」
早朝に城を出て行ったきり連絡が無かった息子は、ぜえぜえと肩で息をしながら、まるで転がり込むように玉座の間へと飛び込んできた。
その姿を見て、思わず息をのんで立ち上がる。
「あなたどうしたの、その血は! どこか怪我でも……!」
父親譲りの艶やかな白磁色の髪は、所々が赤黒く染まっている。城を出る時に纏っていた真朱色の服は埃や血で薄汚れ、どす黒くなっていた。
剣を納めながら近づいてきたフォセカに手を伸ばし、取り出したハンカチでそっと頬を拭う。力加減はしているつもりだが、やはり痛むのか、彼の顔が少し歪んだ。
「怪我をしているの? 大丈夫?」
「髪とか服のこれは返り血だし、俺自身はまだまだ大丈夫だよ」
母を安心させようとしているのだろう。浮かべられた笑みは亡き夫にそっくりだ。
「それより、城下町にまた賊が」
「彼らは恐らくセシルの部下です」
その名前を聞いた瞬間、やはりそうだったのか、とフォセカの表情が引きつる。
「もうじきセシルは城に攻め入ってくるはずです。集められるだけの兵を集めて対抗しなければ」
「……俺はここで母さんを守るよ。十六年前の父さんみたいに」
――まるであなたを見ているようだわ、エドガー。
傷ついていない方の頬にも手を伸ばし、そっと撫でた。強い決意を灯す瞳を見ているだけで心強く感じる。
エリアナは傍に控えていた兵士を呼び、「城門前の守りを固めてください」と指示を出す。
「城へと入って来られる場所はあそこ以外にありません。周辺地域を警戒している国軍が戻ってきたら、反乱軍に勝ち目はないはずです。何とかして足止めを」
「残念だが遅い」
割って入った声に、その場にいた全員が身構えた。
その直後、
「っ!」
部屋の扉に大きな亀裂が入ったかと思うと、がらがらと崩れ落ちた。エリアナを背で庇いながら剣を抜き、フォセカはじっと目を凝らす。
「私がいない間に、城の兵どもが弱くなったようだが」
その向こうから、よく通る声と共に人影が現れる。
その手には、淀んだ光を放つ大剣が握られていた。
「久しぶりだな、義姉さん」
「……セシル!」
息子の肩越しに見えた義弟の顔は、十六年前と変わっていないように見えた。
「部屋の前や城内には、多くの兵がいたはずですが」
「ああ、あいつらか。腕試しにもならなかったな。脆い奴らだ」
がっかりした、と言いたげに頬をかいたセシルは、ぐるりと室内を見回す。突然現れたセシルに呆然としていた兵士たちは、ハッと我に返ったように剣を握り直し、
「うわああああああ!」
王妃と王子を守ろうと立ち向かっていった。
だが、
「エドガーそっくりのそいつは甥っ子か」
そちらを見る事もなく振るわれた大剣に切り付けられ、力なく床に倒れ伏していく。
束になって向かっても、結果は同じだった。その様子を見ていたフォセカは、彼の首もとに輝くものを見て目を見開く。
「セシル、お前」
なんで、と剣の切っ先を向け、
「リジーナが付けていたはずのペンダントを持ってる!」
声を荒げて問いかけたフォセカに対し、セシルは口をヘの字に曲げて首を傾げた。
「これは元々私のものだ。それを身に着けていて何が悪い?」
「ふざけるな! まさか、リジーナを……!」
「そのリジーナとやらは、あの小娘の事か? それなら私の城で丁重に持て成して、」
聞き終える前に、フォセカはセシルへと切りかかった。
しかし、余裕で受け止めたセシルは剣を押し返し、大剣を薙ぐ。身を引いてそれを躱したフォセカは再び剣を振るった。
「剣筋は悪くないようだ。だが」
すう、と目を細めたセシルは彼の剣を弾き、柄をその腹に叩きこんだ。
呻き声を上げて床に転がったフォセカは、苦しげに腹を押さえる。息子に駆け寄ろうとしたエリアナだが、ゆるりと顔を上げたフォセカに「来ないで」と手で制された。
「怒りで我を忘れるあたりはまだまだだ」
挑発的な笑みを浮かべたセシルは大剣の切っ先を向けながら近づいてくる。止めをさすつもりでいるのだろう。
――そうはさせるか!
セシルが大剣を持ち上げるより早く、跳ね上がる様に立ち上がったフォセカは剣を振り上げた。
「!」
息をのんだセシルは首を逸らし、フォセカの剣を避ける。そのまま距離を取るように数歩下がり、首にかかったペンダントを撫で、何もない空間を見上げた。
「やっぱり、ペンダントは無くちゃならないんだな」
不敵な笑みを浮かべたフォセカを睨み、セシルは数度咳き込む。
やはり、ライラックを閉じ込めたペンダントが無ければ彼は聖剣を使えなくなるようだ。「気付いたところで、私とお前では実力が違う」
「それはどうかな」
――待ってろリジーナ。すぐに助けに行く。
無言で睨みあった二人はそれぞれ柄を握り、床を蹴った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます